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Author:キサ
ファンタジーとバトルとラヴをこよなく愛し、熱しやすく冷めやすい社会人。

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【第5章】白の記憶と罪と罰 -white memory- 4

2016.05.17 23:30|クロスマテリア
 極寒に凝固した大気は、無機的に立ち並ぶ針葉樹の間にも流れることはなく。
 静寂のみが支配すると思われた広大な緑林の海には、しかし、いつもと違う意味での騒々しさが木霊していた。

「そっちだ、行ったぞ!」
「右だ囲め!」
 重なる 怒涛 どとう に導かれ。緑林を駆け抜ける赤黒い影は、十数の聖堂騎士によって四方を取り囲まれる。寒気の唸りにも似た 不気味な断末魔を聞き終えた後も、男たちの剣には安堵の緩みは見えず。
 張り詰められた感覚を根こそぎ崩してしまうかのようにのんびりした声が響いたのは、その直後。
「うーっす。あと何体だ?」
 見ると、反対側で応戦していたジェイドが、寝起きのような動作で団員たちの背後に戻っており。
 兵のひとりが、表情に安堵をきらつかせながらも、決して油断を許さない声色で答える。
「ジェイド様!・・・2体です。妖牙(ディーヴァ)と轟魔(ガル)、いずれもかなり大物で―――」
 言い終わらないうちに。正面を襲った赤い輪(リング)の刃を弾いて、ジェイドが煙草を咥えたまま少し気だるそうに呟く。
「あー・・・・・おう、よく分かったぜ」
 溜息と同時。咥えていた煙草を無造作に捨てると、ジェイドは聖剣《セルフィート》の巨大な刃を振り被って、襲い来る魔族へと 突進し――――


「『風王よ(シルファリオン)』」
 静かに零した刹那、信じがたいまでの風が《セルフィート》を中心に巻き上げられた。ジェイドはそのまま、恐ろしい刃と化した 真空の爪を漆黒の体躯に叩き込む。魔族は、断末魔すら上げられなかった。
 部下の歓声も物ともせず、藍の瞳は弾かれるように背後を振り返り。
「ラーグ!」
「聞こえている」
 この場の誰とも似通わない、平板で抑揚に欠けた声は、残り一体の魔族の正面を微動だにせず。
 無感情な面を全く変えることなく、片手を一閃して白い輪を放った。
「『第二級神罰執行。破魔の刃、裁きの理を以って滅びを』」
 次の瞬間には、闇の肉体は跡形もなく焼き尽くされていた。


「ふぃ~、聞いちゃいたが、『銀』の権限で聖魔導使う奴は初めて見たなぁ」
 別段疲れてもいなさそうなのに汗を拭って、ジェイドは《セルフィート》を光の屑に戻した。いつの間にか、口元では新しい煙草がチロチロと煙を上げている。
 その様子を視界の隅に映しながら、ラーグは自らの右手を一瞥し。しばしの沈黙があったあと、法衣の中にそれを戻して周囲を 眺める。
「中級魔族30体前後。これが今のノワールの現状か」
「うっわ・・・・・すげーナチュラルスルー」
「質問に答えろ」
 寂しそうに目を細める相手を少し強い口調で征し、神父は逸らした瞳を睨みに変えてジェイドへと戻す。
 だが、ここ数日でラーグの難儀な性格を知っていたジェイドは、むしろ好意的な態度で笑った。が、すぐに表情を緊張させ、
「ああ。元はこんなでもなかったんだがな。最近になって、一気に増えだしやがった。・・・ったく、いくら魔族棲息域(カタンツ)が北にあるからっつっても、こりゃぁちと異常だぜ」
 面倒臭そうではあったが、ジェイドの声には明らかに辛辣な感情が滲んでいて。ラーグも無言ながら、内心で頷いていた。
 本来、魔族とて知恵がない訳ではない。《使徒》など高位の魔族の中には、人語を解するものまでいるくらいだ。 相容れぬ存在と知りながら、無作為に互いの領域を踏み荒らす愚行は極力避けるはずである。
 それが、こうもあからさまに襲い来るとは――――

「・・・・・レイゼーと何か、関わりがあるか」
「けどま、聖魔導の使い手がいてくれりゃぁ百人力だぜ!なんだったかな、・・・ホラ、あれだ。俺一度も『第一級』ナントカって の見たことねぇんだよ」
 喉の奥で零すに留めた呟きまでは聞こえなかったらしく、ジェイドの活発な笑顔が隣で再開していて。
 「今度はドカンと一発、爽快に頼むわ」とコメントを連ねる団長に少し呆れつつ、神父は無感情な翠の瞳を藍へと向けた。
「そうそう軽く扱えるものではない」
「え、なんでだよ別に・・・・・あ゛。もしかして、笑いじゃ済まねえ威力とか?」
「第一級神罰執行権限が与えられるケースは、ただひとつだ」


「団・・・・・じゃなかった、ジェイド様!それにクラウド神父様も!」
 重ねて詳しく問い出そうかと思っていたジェイドの言葉を阻んだのは、後方から響いた騎士の呼び声で。
 少し残念に思いながらも、努めて気持ちを割り切って、駆け寄る部下に応対した。
「おうおう、どーした?運動後に全力疾走は堪えるぜ~?」
「たっ、たった今、ノワールから、連絡が・・・・・」
 相当に急いでいたらしい。騎士は所々不自然に区切りながら、やや興奮した様子で上司を見上げた。


「副長と賢者殿の到着を確認。それと・・・・・・例の幻獣も、街に着いたとのことです」





+++++++





 こすっ。こすっ。こすっ。こすっ。こすっ・・・・・・・・・・
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 静寂をキャンパスに描いて、ついでに保存用の塗装まで終えてしまった後のようにしんとした室内を、何やらよく分からない リズムが規則正しく鳴り響く。
 羽ペンの先を羊皮紙の上に置いて、上げて、置いて、上げて・・・・・。ただひたすらそれだけを繰り返す少女の栗色の髪は、 どこか拗ねたように卓上へと垂れたまま。
 こすっ。こすっ。こすっ。こすっ。こすっ・・・・・・・・・・
「・・・・ミリア、いい加減になさい。お行儀が悪い上に、可哀想でしょう。紙とペンが」
 ずっと黙したまま、教え子の行動を不審な目で伺っていたセルシスが、ついに本を閉じて注意を促す。
 そのコメントに、やや経済的と取れなくもない慈悲が入っていたような気がするのはある冬の日の幻として。
 とりあえず聞こえてはいたのか、ミリアは己の無意味な行為を途絶えると、眼前のセルシスを上目遣いに見上げた。
「・・・。セルシスさま、おとうさんは?」
「ジェイド様なら今日も、大切な話し合いをしておいでですよ」
「今日いっぱい知らないひとが来てたのは、そのせいですか?」
 おそらく、彼女なりに何か良からぬ不安を感じていたのだろう。柳眉を上げて恐る恐る訊ねる少女を極力怯えさせないよう、 老婆は優しい微笑みを返した。
「ええ。今回の話し合いは、たくさんの人で行なわれるほど大切なことです」
「おかあさんもいるんですか?」
「ええ、勿論」
「ラーグも?」
「・・・・・・・・え?」
 突然、これまで同じ状況下で出されたことのない名前を口にされて、瞬間、セルシスは返答に困ってしまった。
 ややあって―――――


「・・・ええ、彼もまた、今回の件でノワールに送られて来た訳ですから」
 なんとかそう答えると、少女は「そうですか・・・・」と意気消沈し、再び溜息を吐きながらつまらなさそうに羽ペンを打ち出す。
 おやまぁ、と、セルシスは俯くミリアの前で口元に手を当てていた。
「よっぽど気に入っているんですね、あの神父様のことが」
「ラーグはね、一緒にいるとすごくあったかい気持ちになるの」
 うっかり敬語が外れていることより、少女の口から出た語意に、老婆は目を見開かんばかりに驚いた。彼女自身、ラーグと面識が 皆無という訳ではない。無礼にも主君の執務室へ断りもなく入ろうとしたのを止めた経験があるのだが――――そうでなくても、 あの凍てついた氷のような表情は、美しくもあるがそれ以上に畏怖すら与えるだろう。
 しかし、眼前の少女は紫水晶(アメジスト)の瞳に嬉しげな光を称え。
「お日様と同じ髪と、きれいなお空色の目。春の風が来てくれたみたい。あたしね、春になったらおかあさんにいーっぱいの シャムの花摘んであげて、おとうさんとおかあさんとラーグとセルシスさまと・・・・・みんなと一緒にずーっといたいなぁ」
 それは、瞳の奥に宿る誰に話していたのか。
 何も知らない少女の、決して叶うはずのない無垢な望みに、セルシスは胸を射抜かれんばかりの表情になった。
 ミリアの視線が逸らされていたことに感謝したほどだ。やがて、なんとか普段の笑顔を作ると、老婆は落ち着いた物腰で席を立つ。
「そうですね。そうなれば・・・・・・いいですね」
 その口調が、語尾になるにつれて弱々しくなっていくことに、ミリアは、気づかなかった。





+++++++





「では、話をまとめるです」
 重圧的な場の雰囲気からやや外れた幼い声は、眼前に広がる地図を指差した。
 議に参列した一同は、身を乗り出す彼女の小さな体を黙って見つめる。


「まず、レイゼーが突発的に責めてきた場合の戦場。これはここ、ノワールと国境の間に広がるダナの密林が最適です」
「・・・賢者殿、しかしここはノワールから少し距離がありませんか?」
 抗議と言うより、純粋な質問は、向かいの席から聞こえた。
 穏やかで柔らかい口調は、決して非難することなく、彼女から相応の答えを待っている。
 ぴょこりと亜麻色の髪を揺らして、賢者と呼ばれた少女は正面に佇む灰色の瞳を覗きこんだ。
「問題はありませんです。アルセイド。むしろ人身への被害を考慮するなら、こういう場は遠ければ遠いほどいい」
 重ねて何か言いかけた青年を落ち着いた動作で制し、大賢者フォル=メンゼルは「それに」と的確な回答を示す。
「兵をいくらかに分断し、森全体を左右にこう迂回させれば、上手くいけば凍結中で足場の悪い運河に敵軍を追い込めるです。 又それが失敗しても、三角図の配置を怠らなければ、確実に負傷兵の退路は確保できる。地の利は確実にこちらにあるです」
「だ、そうよアルセイドくん。他に何か聞きたいことはある?」
「・・・・・・いいえ」
 小さな指を地図上に這わせて説明する少女と、その後に付け加えられたアリシアの明るい声に。
 感嘆に要した僅かな間を置いて、青年は、束ねた雪空色の髪を小さく振って苦笑した。
「流石は賢者殿です。いらぬ心配でした」
「疑うことは常に真実を示唆する唯一の道筋です。思慮深く温厚な聖堂騎士団(ラウストウィア)副長の噂は本当だったようですね」
「まったくよね。聖堂騎士団だって、実質この人がいるから効率的に動いているようなものだもの。無駄にアバウトで思慮なんてモノ が最初から存在しない誰かさんと交代してほしいものだわ」
「・・・・・。あのさ、アリシアさん・・・・」
「あら、どうしたのジェイド?まるで今現在も逃れようのない図星の嵐に晒されているみたいな顔して?」
「・・・・・・・・・・・べっつに」

 つれづれに連なる言い争いに、一瞬議室内を和やかな笑いが包み。
 その中で唯一、微弱ほども感情の変化を表さなかった神父は、憮然と腕を組んだまま眼前の2人を見つめた。

 アリシアの症状が治まっているのもそう長くはないはずだ。日を追うごとにその周期が縮まりつつある意味を、目の前で屈託なく笑うジェイドとて、すでに承知している。
 それなのに――――――
(・・・・馬鹿馬鹿しい)
 逡巡脳裏に映った疑問を、ラーグは理解するより前に胸の奥へとしまい込んだ。
 その心理に呼応したかのように、幼い少女の―――いや、その姿をした、数百年を生きる大賢者の声が室内を叩いた。
「では、詳しい配列や作戦は折り入って説明しましょう。とりあえず、予期せぬ襲撃には、今日決めた方針で進んでくださいです」





+++++++





「賢者殿は、帰られたのですか?」


 解散された室内は、司祭やら修道女やらが立ち去った後なので、会議中に比べてずいぶんスッキリしてはいたが。
 それでもまだ数人、その場を動かない影が見受けられた。
 書類を束ねながら、穏やかな口調で質問するアルセイドを見下ろして、のびをしていたジェイドは煙草をふかしながら。
「ん?おぉ、アリシアと聖堂で話でもしてから、一旦クレイシアへ戻るってよ。なんでもあの街で、よく分かんねぇ大樹かナンかの研究をしてるらしいが・・・・・・・・なんだよアル。用を思い出したんなら今のうちだぜ?」
「いえ・・・。ただ、このように突発的な事態に、よく軍師としてご協力を承諾してくださったと思いまして」
「あぁ。それか」
 部下の疑問に、藍の瞳は気づいたように手を叩き。
「あの人は、アリシアと顔馴染みらしい。ま、そこんとこはよく知らねぇケドな。軍師の件だって、あいつがいたから快く承諾してくれたようなモンだ」
 そこで、お!と何かを思い出したように、ジェイドの快活な表情が傍らの神父を振り返り。
「快くって言えばよ。メンゼルのやつ、話の所々でお前のこと見ちゃえらく機嫌良さそうにニコニコしてやがったけど・・・・・・ ラーグ、お前ひょっとして顔見知りか?」
「・・・・・・・・・気のせいだろう」
 刹那、抑揚に乏しい男の面に僅かな疲労の色が滲んだが。
 ナチュラルに見逃したジェイドは、そのままいやいや、と首を振って見解する。
「そーかぁ?俺から見りゃ、ありゃまるで手懐けた猫を見る母親の・・・・」
「気のせいだろう」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 ジェイドは、それ以上の追求を避けた。
 よくは分からないが、あからさまに眉間の皺を深くしていく神父を見ていると、そうすべきであると本能で感じ取っていた。
 開いた沈黙を見計らったのか・・・・・
 そのあとにアルセイドの続けた言葉は、やけに鮮明に室内にこだました。
「・・・・。しかし、あの方が我々に提供したのは、何も知恵だけではないでしょう」



 流された視線の先――――
 方形の室内の後方には、議の席にあって唯一、一言も発することのなかった人物が、悠然と腰掛けていた。
 背を預けた壁のすぐ側に窓があったため、表情の細やかな部分は逆光で遮られていたが。濃度の濃い黒髪と、左目を覆い隠す大きな 眼帯が、見るものの目を引き付けた。もう片方の瞳は、慇懃そうに閉じられていて。まとった民族調の衣から覗く頑丈そうな手足は 男性特有の力強さを持っていたが。両の耳がある場所から突き出すのは、鋼のように堅く歪な碧の翼―――――

 そのとき、男がふと顔を上げたのは、周りの視線に気づいたからではない。
「・・・・・・ハガルか。どうした」
 薄く開かれた碧の瞳は、しかし何も映さず、茫々と虚空を眺めている。窓の外に異変が起こったのは、そのときだった。
 突如、何か大きな影が白の風景に残像を残したかと思うと。次の瞬間には、閑静な室内に、新たな来訪者が現れていたのだ。来訪者 たる老人は、ゆったりとした布地を折って軽く頭を垂れると、眼前の主に小さく耳打ちする。
「いや、大したことではありません。ご指示の通り、北の配備は完了しました。ただ・・・・」
「ただ、なんだ」
 光を映さぬはずの男の双眼が、鋭く老人の姿を捕らえた。同じく盲目の老人は、さらに声を落として告げる。
「それが・・・長の仰ったとおり、やはり北の魔気に異常な膨らみが感じられます。用心はすべきでしょうな」
「・・・・・そうか・・・分かった。お前たちは引き続き、国境の守備にあたってくれ。くれぐれも気をつけろよ」
「人間たちにはお教えしないんで?」
 確かめるような老人の言葉に、男は逡巡もなく、即答した。
「確証がないぶん、余計な混乱を招かないとも限らん。人間には人間との争いをさせねばならんのだ。『それ以外』は、我らが掃えば良い」
「左様ですか・・・・御意。また定期にご報告に上がります故」
「ハガル」
 丁寧な仕草の後、窓の縁へと手をかけた老人の背を、幾分躊躇にも似た低い声が呼び止め。
 互いを映さない碧の瞳は、ガラスのように昏々と互いに交わる。男の表情に、初めて弱いものが含まれた。
「お前たちには、感謝している。咎人たる私にここまで付いてきてくれた。すまない」
「そのようなこと・・・・長の意志は我らの意志。このハガル=ジェノ=リュード、我が誇りと鱗に誓って、最期までお供致しますぞ。 レノン様」
「・・・・・・・・感謝する」
 優しげだが威厳のある声で告げられると、次の瞬間には、再び老人の姿は消えていた。



「ヒューッ。さすが幻獣最強と謳われた《碧竜(へきりゅう)》の氏族ってか?もう見えやしねぇぜ」
 文字通り風のように去っていった老人を見て、後ろからジェイドが純粋な感動を口にする。
 裏表のない笑顔を前にして、《碧竜》の長――レノンは、白い眼帯を相手のほうへと傾け、
「すまんな、ジェイド。卿ら人の慣習からすれば、我らが本来の姿で徘徊するのは好まんだろうが・・・・・・迅速な移動のためだ。 しばし我慢してくれ」
「・・・・国境上の防護は、お前の一存で行なっているんだったか」
「ああ。今もハガルを連絡係として、ほとんどの《碧竜》を配置している」
 確認を交えたラーグの視線にも、柔らかいが厳しい物腰を崩さず、レノンは頷いた。
 冷静で静かな空気に変化を生んだのは、意外な人物の一言。


「・・・・・。・・・解せませんね」


 口調は温和だが、どこか吐き捨てるような音階を交えて。
 アルセイドは、猜疑を含んだ灰眼を盲目の長老へと注いだ。
「国境は、ダナの密林よりさらに北へと位置しています。わざわざ敵を煽るような真似までする必要があるのですか?」
 国境は、ただでさえ微妙な勢力バランスを保つファーネリアとレイゼーの命綱とも言える。そんなところに幻獣などが連なれば、最悪、こちらが北へ進軍していると取られてもおかしくないのだ。その危険性を何度も指摘したが、結局レノンは己の意見を曲げず、またジェイドもそれを許した。
 ややあって、レノンが細い口を開いて放ったのは――――
「・・・・念のためだ」
「念のため、念のためと・・・・貴方はそうとばかり仰られますが、一体何に対しての『念のため』なのです?」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「言えませんか。ひょっとすると、ただ怖いだけなのではないのでしょうね?」
「アルッ!!」
 瞬間、激しく叱責したのはジェイドだった。誇りを生そのものとして生きる彼ら幻獣にとって、恐怖に行動を駆られる などと言う発言は最大の侮辱に等しい。
 だが、レノンは大きな反応を見せず、逆にアルセイドのほうが上司の糾弾を跳ね返した。
「お言葉ですがジェイド様。これは正当な疑問です。確かに、先手が読めないこの状況下で、《碧竜》の協力は戦力的に見て非常に 心強い」
 しかし、と、青年は穏やかながら瞳に強い光を湛え。
「・・・・理由が分かりません。幻獣は本来、人の世界に干渉することを極端に嫌っている。今までだって・・・・・・どこで何が 起ころうと、ずっと無頓着だったではありませんか」
「・・・・・アル」
「それが今さら、しかも隠し事をされながら信頼しろなどと言われて、容易に頷けるはずが―――」
「アル!」
 さっきほど強くはなかったが。
 暗黙の叱咤を乗せた声は、青年の声を金縛りのように凍らせて。その意識が冷めるのを辛抱強く待った後で、夜色の瞳は、 静かに、しかし十分に鋭い口調で呟いた。
「お前の言うこたぁ確かに正しいよ。けどな、アル。少しくれぇは他人も信用しろ」
「貴方は・・・・・・、他人を信用しすぎる・・・!」
 直後、アルセイドの体が素早く動いたかと思うと、部屋の扉が悲鳴のような音を上げて閉じられていた。



「あ゛ーーーったく!真面目なんだが頭かてーのが難点なんだよなぁ、あいつは」
 栗色の髪をバツが悪そうに掻き毟ると、ジェイドは面倒そうに溜息を吐いて。
 おもむろに席を立ち上がると、勢いで倒れてしまった椅子などものともせずに、部屋の入口へと向かった。
 その背を、淡々とした神父の声が叩く。
「無駄だ。必要以上に干渉したところで、ろくな結果にならん」
「うーん・・・・まぁ、そりゃそーなんだがなぁ。一応これでも兄弟子だしよ」
「『信頼』、か」
 嘆息にも似た言の葉に。振り向くと、黒髪の中で碧の瞳が茫々と床を映していて。
「だとしたら、・・・卿はよほど信頼されているのだな。その・・・・弟弟子とやらに」
「ん?おぅ、なんせ俺があいつを信じ抜いてっからな!」
 屈託のない笑みと僅かな煙の匂いだけを残し。
 栗色の髪は、勢いよく会議室の扉を開け放って行った。




「あの男も、相変わらずだな。聖堂騎士団最強と名高い存在がああも素直だと、人間というものが少し、面白く見えてくる」
 決して皮肉を含まず、むしろ好意的に苦笑する男に。
 声をかけられているのが自分なのだと分かると、ラーグは肯定も否定もなく、まったく別の話題を口にした。
「・・・・だが、あのアルセイドという男の言い分にも道理はある」
 レノンの視線が―――いや、気配がこちらを向いても、神父は冷然と目線を逸らしたまま、静かに続け。
「お前の言動には矛盾点が多い。幻獣がどうであれ、人間には理由が必要だ」
 視線は落としたまま、平板な神父の声には表情と呼べるものはない。
「生きる理由。殺す理由。いずれにしてもそれらを踏まえて、人は己を正当化させようとする」
「つまり、己を隠すものは存在そのものが偽り・・・・と言うことか?」
「そう思うのが人間だ」

 明瞭だが、どこか決定的な断定力に欠ける物言いに。
 レノンは少し意外そうに息を吐くと、次いで黒い法衣を正面に見据えた。そして。
「・・・ラーグ、と言ったか。卿は変わっているな」
「何が」
「その言い方だと、まるで卿が人外の存在であるように聞こえるぞ」
「・・・・・・・・。あながち間違いではないがな」
 自身にすら聞こえない程の声で、ラーグは小さく独りごちた。
 ・・・・いや。それは正解であると同時に不正解であり、偽りではないと同時に真実でもない。
 ただ、漠然とした事実のみが目の前にあり。その明瞭な解答を求め、自分は魔剣を求めた。
 いかなる文献にも記されなかった『答』が、真実の知識が、そこに在ると―――――


「偽り・・・・か」
 完全に聞き逃したのか、それとも沈黙の意味を察したのか。
 零すように繰り返す低い声に、神父は初めて顔を上げてレノンを見据えた。
 幾重にも重ねられた衣が、極寒の大気に触れ、固く揺れている。
「それもいいだろう。私はそう呼ぶに相応の大罪を犯した。今さら贖罪による洗礼を求めたところで、何になろうか」
 同時、ラーグの眉がぴくりと動いた。
 神に最も近い種族と言われ、理を重んじる彼ら幻獣が『大罪』とまで称する罪はただひとつ――――



「『禁忌の仔』を生んだのか・・・」
 碧の片眼は、困ったような苦笑を返しただけだった。
 それを即座に肯定と解釈すると、ラーグの頬に微かな訝しさが宿る。
「・・・・相手は」
「人間の娘だよ。もう、・・・・・・どこにも居ないがね」
 瞼に翳を落とす幻獣の言う『どこにも』の広さを察し、しかし微弱な同情もなく、ラーグは淡々と状況を理解していった。
 人と幻獣の寿命の違いはどうにもならない。おそらく目の前のこの男も、その辺の事情で片割れを失ったのだと予想していると。
 それを裏切る返答は、当人の口から聞こえた。
「骸と、そして我が子は教会に預けた。もう1年になるか」
「子供?・・・生きているのか?」
 心底意外そうな声だった。
 『禁忌の仔』は通例、殺すか捨てるかの処遇しか与えられない。たとえ氏族の長老であるとは言え、寛大な処置は期待できないはずだ。 その上、教会に預けた?異端を最も嫌悪する人間が、それを承諾したと言うのか?
「いろいろあったのだよ」
 まるで見透かしたように、盲目の瞳は優しくラーグを捕らえ。
「正確には、彼女のほうに繋がりがあった。取り引きという形を取れば、存外に賢老院と言う輩も、あっさりと動いてくれる。 それに・・・・・・・・『禁忌の仔』がまともに生きていけるとすれば、おそらくそれは教会だけだろう」
「・・・。それが、お前が戦争に加担すると申し出た『理由』か」

 大聖堂教会は、ファーネリアの中枢そのもの。
 この国が落ちれば、特に教会の人間は無事では済まないだろう。その中に紛れる、小さな形見すらも。
 沈黙するレノンに向かって、しかし、黒い法衣は未だ疑問を感じたままだった。
「そうだとしたら・・・・・なおのこと、お前の行動は矛盾している」
 そうまでして―――それほどまでに、大切なものならば――――

「何故、そうもあっさり手放した。大罪と言えど、幻獣にとっては『禁忌の仔』など、珍しくもないだろう」
「ラーグよ、私は長老―――それも、『始祖』の直系たる血を引くものだ」
 レノンの声は、しっかり通ってはいるがどこか頼りない。
「確かに、ハガルや数人の同胞は快く受け入れてくれたよ。だが、ルドルに棲まう幻獣は何も我らだけではない。『純血者』 が禁忌の交わりを持ったというのは、卿ら人間の言う第一級神罪にも等しい愚行だ。仮に――――」
 一端区切ると、レノンは軽く息を吐いて肩を落とす。
「仮に、私が許されたとしても。当の『禁忌の仔』はそうはいかん。同胞から蔑まれ、罵られながらも、父親が族長と言う 肩書きだけで無理矢理生かされて、しかもそうある以上私を恨むことを許されず、孤独の中、独り父親より先に老いて死んでいく くらいなら・・・・・・・・・せめて人として、人の中で生かしてやりたかった」
「あえて自ら、憎まれる状況を作ったのか。・・・血肉を分けた子であるにも関わらず」


 生きる自由。憎む自由。
 レノンは幼い稚児にその自由を与えた。
 自らの血縁と存在と信頼を犠牲として―――――――



「罪には罰が必要なのだよ。ラーグ」


 そう微笑む男の顔は、逆光に隠されてよく見えなかった。
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【第5章】白の記憶と罪と罰 -white memory- 3

2016.05.17 23:03|クロスマテリア
 分厚い雲の隙間から、薄い月明かりが地上を照らしている。
 日も完全に落ち、世界を群青色が彩る時間になると、元より閑静だったノワールの道にもさらなる静寂の風が吹き通り。
 昼間より格段に凍てついた大気には、まるで生き物の気配は程遠い。
 灯りを消し、すっかり深い夢の中に入った民家の列にも、もはや沈黙を妨げるものはない――――
 かと思われていたが。

 よく耳を澄ますと、宵闇に溶け込むように、密かに足音が響いていて。
 なるべく静寂を壊さないよう、月光の合間を通り抜けていく男の足取りは、手馴れてはいるがひどく重々しいものだった。
 無言のまま自宅へ入っても、その歩調は緩むことなく廊下を突っ切って行って。
 急くように目的の場所に入ると、途端に室内をむせ返るような血の匂いが取り囲んだ。
 自らの全身を彩るどす黒い色彩は、しかし、彼自身のものではなくて。
「・・・・・・・だんだん、染み付いてきやがった」
 煩わしそうに舌を打つと、まるでその血臭を隠すように―――いや、むしろ隠す為に、男は余っていた煙草を取り出して―――
「随分と遅かったな、ジェイド」
 火をつけようとしたとき、背後から零れた低い声に。
 ジェイドは煙草を咥えたままの顔で、軽く振り返った。
 僅かな月明かりに映えるように輝く金の髪を認識しながら、しばらく呆然と口を開いたあと。
「・・・あーりゃりゃ?なんでお前がさもトーゼンの如く我が家にいんの」
 声を殺しながら、引きつった苦笑いを浮かべる男に、ラーグはさして抑揚というものを持たず。
「ミリアを連れて帰れと言ったのはお前だろう」
「うんうん、言ったよ?言いましたヨ?でもアレってたしか、今からかれこれ6時間も前の話ですヨネ? あー待て待て、うん。俺ボケてない?はたまたこれは夢で、俺ってばどっかで冬眠してる?」
「・・・あれから、なかなか離れようとしなくてな。結局、寝るまで付き合わされる羽目になった」
 眠そうではないが、あからさまに不機嫌さを眉間に刻み込みながら不平を投げる神父であったが。
 その言葉を聞くと、ややおかしな動作で混乱しかけていたジェイドの表情が、つっかえが取れたようにスッキリしたものに変わって。「なーんだ、そーかそーか」と明るく笑うと、改めて煙草に火を灯した。
 小さいが、一瞬暗がりに生まれた強烈な光は、刹那ではあったが、彼の頬に、腕に、衣服に、ひいては全身にこびりついている 大量の血痕をまざまざと照らし出し。
 眩しさに目を細めると、ラーグはやはり抑揚のない声で口を開いた。

「・・・・魔族か」
「ん?あぁ。ちょっくら『外』でね。最近やたらと動きが活発になってきやがるから、コッチも忙しいのなんのって」
 見た目とは裏腹に、肉体はおろか傷一つついていない衣服を気楽に動かして。中級魔族20体前後を屠ってきた聖堂騎士は、なんてことないように上の服を脱いで適当に洗い出す。・・・・どうやらここは、水場だったらしい。
 暗がりのせいでよく見えなかったが、衣服の下から現れたジェイドの体には、無数の古傷が荒々しく刻まれていた。
「あいつは、お前が討伐に出た日は寝つきが悪いようだ」
 沈黙を破って呟くと、ジェイドの背中が少し揺れたように見えた。
「娘に余計な心配をかけたくないのだろうが。・・・あまり驕るな。とっくに気づいている」
「だろう・・・な。ミリアにはすまねぇと思ってるさ。あの歳で、父親にも母親にも、ろくに会えやしねぇんだから」
「アリシアも、ここへ帰ることは滅多にないらしいな。どういうことだ?」
 冷徹な神父にしては、いささか驚くほどの饒舌さで、ラーグは血糊を落とす長身の背に問いかけて。
 おそらくミリアから聞いたのか、それとも、この異様に静かな館からの推測だったのか。否定の仕様がない事実に、ピタリとジェイドの腕が止まり。流れ続ける水音だけを鮮明に響かせながら、後ろの神父を顧みる。
 昼間見たときと同じ、諦めたような哀しみを含んだ笑みに、ラーグが眉を詰めていると。

「・・・ラーグ。戦ってのが何で『起こる』か、知ってるか?」
「なに?」
 あまりに文脈のかけ離れた返答に、不愉快そうな視線を投げかけるも。
 眼前の騎士の瞳に、謀りやからかいが宿っていないことを察すると、風が通る程度の沈黙を要して、 神父は静かにそれを発した。
「・・・・。各々の利と害が、一致しないからだ。相手の利が己の害となるのなら、その存在を消し去ればいい」
「そうだ。そんじゃ、もう一つ。・・・・戦がいつまで経っても『終わらない』のは、なんでだ?」
「・・・・・・・・・・・・・・」
 黙したのは、答えに窮したからではない。目の前で安穏と煙草を吸う、血まみれの騎士の意図を理解したからである。
 真偽の定まらぬ解答は、当人の口から穿たれた。
「妥協ができねえからだよ。・・・・・・ラーグ。自国の敗残を認められてるってんなら。・・・あの胸クソ悪い『聖戦』の時点で、 とっくにレイゼーと教会との間には白黒ついてやがる」
 『聖戦』とは、数年前に一度だけ勃発した、帝国と大聖堂教会との大規模な戦である。
 一兵として参戦していたジェイドは、当時の忌々しい記憶を脳裏に復活させながら、しかし、ひどく声を落とし、
「最終的には、教会が帝都まで歩を進めて皇帝の首を取り、戦は終結した。確かにこれは、教会側の勝利だ。 ――けどな、未だに紛争は途絶えちゃいない。敵も味方も、シャレになんねぇほどの犠牲を払った上での『平和』なんざ、 こんなにもちっぽけで薄っぺらいモンだったわけだ」
「所詮押し付けられた平穏など、こんなものだ。人の中に、憎しみや猜疑といった感情がある限りな」
 機械的だが、自分の中にはこれっぽっちもない感情を言葉で表して。
 胸の内で軽く自嘲するラーグに、冴え凍った灯りに照らされた夜色の瞳が泣き笑いのような表情を向ける。
 何千何万という骸を踏み越え、偽りの安息を信じて戦った男は、未だに抜け出せない柵の中に身を置いている。
 この男が、戦の勃発に驚くはずがない。なぜなら最初から、彼は途絶えることのない戦火の只中を生きているのだから。

「・・・・・それでも」
 微かに息を吐いたのは、風に揺らぐ長い金の髪で。
「それでもお前は、虚像の平穏に溺れ、与えられた生をただ安穏と生きていくだけの愚鈍な連中のために、その剣を握り続けるのか。―――・・・・・精霊王との契約を刻んだ、その聖剣を」
 珍しく沈黙していたジェイドの頬に、初めて純粋な驚愕が走った。が、それも一瞬で消えると、やはり困ったように頬を 掻いて苦笑する。溜息が、白となって大気に溶けた。
「お前って、実は賢いよな、ラーグ。まさかあの『誓印(せいいん)』だけで分かったのか?」
「刻まれた亀裂を中心に《セルフィート》を取り囲む聖気を読み取れば、どんな馬鹿でも分かる」
「ああ、そっか。お前そーいや神父だっけ」
 今気づいたようにケラケラと笑うジェイドだったが、ラーグは別段怒りもせずにそれを流すと、尋問者のような視線を 注ぐ。
「“汝  護るべき者の名において この身を 聖なる父の盾とせん”―――循環を御する精霊王の力は絶大だ。 まともな手順で契約が通るとは思えん。――ジェイド、お前は一体、何を対価として差し出した?」

 相変わらず抑揚はなかったが、本人としてはこれ以上ないくらい、逃れようのない鋭い口調にしたつもりだったのだろう。
 が、しかし。やはりジェイドはジェイドだった。
 当たり障りのない程度に沈黙すると、まるで夢のような歌劇を終えた役者のように、再び何もなかったと言わんばかりの仕草で衣服の汚れを洗い出す。
 いい加減に苛立ったラーグがまたも何か言おうとしたとき―――まるで宥めるように、静かでのんびりしたジェイドの 声が割り込んで入った。
「ラーグ。俺はな、ほんとにマジでもう、どうしようもないくらいに勝手な聖堂騎士団団長だ」
「・・・・・・・?」
「確かに、今のファーネリアの民のほとんどは、このニセ平和に陶酔して周りが見えなくなっちまってる。丈夫で安全な 『盾』の外側は、魔物やら何やらで溢れかえってるってのによ。耳を塞いで目を閉じて、必死でそれに気づかないフリを してやがる」
「・・・・・『盾』に護られていれば、楽だから」
「ああ。そんでその戦火と信望の矢面に晒されるのは、・・・・・真っ先に犠牲になるのは、いつだってその『盾』だ」
 瞬間、ラーグは直感よりも速い感覚で、ジェイドの言わんとしていることを悟っていた。
 記憶の片隅を、まだ出会って時の浅い聖女の面影がよぎる。

「ノワールを護りながら・・・・要するに、この国全土を護りながら、あいつはそれでも『盾』として、ここから一歩だって 動くことはない。だったら俺は、教会の『剣』として、あいつに近づく全ての敵を薙ぎ倒す。 あいつが護ってる連中ごと、俺はこの国の『盾』を護る『盾』になる。分かるか?全の為じゃなく、全を護る一の為に、 俺はこの剣を握っているんだ」
「・・・・・矛盾しているな」
「俺も、そう思うぜ」

 妥協できないことが、乱争の根源であると説きながら。
 決して曲げることのない、凶暴なまでの己の信念に、聖堂騎士団団長は悪びれた風も見せずに、人懐こい笑顔で頷いた。





+++++++





 ノワールの端――東の塔(シャンテノール)の広場は、いつにも増して賑やかだった。
 早朝まで降っていた雪は、いつの間にやら音もなく止んでいて。真新しい銀雪地帯の上を、楽しそうに横断する家族も、 普段よりかは多く見受けられる。
 しかし、ともあれば質素な宗教画を思わせるような静かな散歩道に響いていたのは、一足速い陽光のような声だった。

「わぁ!ほんとに真っ白だね、ラーグッ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「なんで止んじゃったのかなぁ、・・・・あ!もうすぐ新芽が出てくるからかな?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「やっぱり最初はモルル草かな?あたしはシャムの花のほうがいいなぁ・・・・・ねぇねぇ、ラーグはなんの花がすき??」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」


「・・・・・・・・・・・・・・・。」
 しきりにきゃぁきゃぁとはしゃぐ栗色の髪の少女と、その側で石のように沈黙を貫く青年を交互に見比べながら。
 少し離れたところで立っていた数人の巡回騎士は、訝しげな眼差しでそれらを傍観している。
 しばらく黙したまま見物していたが―――ふと、うち一人がなんとなしに呟いた。
「・・・・なんて言うかさ。あれだけ周りでキャーキャー騒がれて、よく平然と本とか読み続けられるもんだよな」
 賢老院から神父が来たことは、どうやらすでに聞いていたらしい。
 別段不審者を見るでもなく、騎士たちは気を削がれたような感想を述べる。
「オレらが見てるだけで、もうかれこれ30分だぜ?尊敬していいんだか、呆れるべきなんだか・・・・・」
「いやいや、それならミリアちゃんの方だろ。30分以上も無視され続けて、なんでああも楽しそうなんだ?・・・・ん?」
「「「あ゛。」」」
 直後、起こった出来事に、全員の声が固まった。
 ベンチに腰掛け、黙々と読書を続ける神父に話しかけながら、しきりに周りを動き回っていた少女の足元を。
 全く変化のない平板な表情を紙面に落としたままの神父の脚が、素早い動作で弾いたのだ。
 突然のことに、動き続けていた少女の口は、白い毛布の中に埋もれて止まる。
 騎士たちの中に、妙な緊張が走った。
「・・・・・・・・こかした」
「こかした、よな?」
「――あ、でも」
 見ると、白銀に綺麗な人型を作って起き上がった少女は。
 泣くでも怒るでもなく、むしろそれまで以上にパァッと顔を輝かせていて。「やったなぁーっ」と叫ぶと、だんごサイズ程の雪をペイペイと神父の足元に投げ付ける。無論、神父のほうは無頓着だ。

「・・・・・・・・喜んでる?」
「喜んでる・・・・よな」
「・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・」
「さすが団長の娘」
「アホ!声がでかい!」
 有無を言わさず同僚の口を押さえる騎士の頬には、鬼気迫るものがあった。



 いい加減にしてほしい、と思う。
 ノワールに来てもう3日。臆病にも現実逃避をしていた要人たちもようやく重たい腰を上げ、守備防衛を固める手はずは整いつつある。おそらく、今日明日にも、聖堂騎士団副長を始めとする戦力の一部がこちらへ送られてくるだろう。 そうなれば、今度は具体的な方案をひねり出し、いよいよ本格的な勢力図を構築していかねばならない。
 “始めから、平穏などない。偽りの仮面が剥がれ落ちようとしているだけだ”
 男の言葉は、正論だと思う。

 しかし、だからと言って自分には、彼のように確固たる信念も、護りたいものもない。
 ただ、漠然とした目的があるだけだ。そのために、予見の力を持つ禁忌の仔の言葉を借りて辿り着いた『ここ』で、賢老院の命令を 遂行しなければならない。


――ラーグ=クラウド。ノワールでの責務を無事終えた暁には、賢老院の言を以って、お前に『金』の権限を与えよう―――


 ふいに、朗らかだが威厳のあるウィクトールの声が脳裏に蘇った。貢を捲ろうとしていた手が、一瞬止まる。
 ・・・『銀』では駄目なのだ。
 そのために、どれだけの人間が殺し合おうが、戦争を始めようが、自分にはどうでもいいことで。
 ただ、求めたものを手に入れるため。
 死への恐怖などない。死が恐怖だとも感じない。たったそれだけのことに右往左往し、醜くも判断を 鈍らせる頭の悪い連中をよそに、こうして空いた時間を無為に過ごしていたわけなのだが。

「みてみてー、ラーグ。雪だるま!」
 どこから来たのか、目の前で楽しげにはしゃぐ少女を一瞥し、ラーグは、うんざりと息を吐いた。
 本当に、いい加減にしてほしい。
 放っておけばじきにどこかへ行くと思っていたのが、忍耐強いのか鈍いのか、ミリアは丸々2時間一人で遊び続けたのだ。
 最も、本人はラーグと遊んでいるつもりだったのだろうが――――一言も喋らない相手に対してそう思えるのは、もはや馬鹿を 通り越して才能と言えるだろう。
 そんな神父の溜息に気づかないのか、ミリアはハフハフと白い吐息を吐くと、赤くなった手にそれをかける。
「さむいね~・・・・もうちょっといっぱい着てくればよかった。ラーグはさむくないの?」
「・・・・・・・・・別に」
 ようやく応対したのは、気が変わったからではない。
 読んでいた書物が、丁度最後のページを閉じたからだ。
「寒いなどと感じるのは、温もりを知っているからだ。俺には関係ない」
「・・・ふーん?なんかラーグの言うことって、よく分かんないや―――っくちッ!」
 言葉の意味が理解できなかったのか、小さく首を傾げるミリアだったが。やがて、分厚いフードを被り直すと、 小さく一回くしゃみをした。
 赤くなった鼻を擦って俯く少女を横目にして。
 無造作に立ち上がると、神父は書物を上衣の中にしまい。
「そろそろ戻れ。風邪でも引かれた日には、あの親馬鹿の鬱陶しい愚痴を一生聞かねばならん」
「・・・ふぇ?あ、ちょっとラーグっ?」
 顔を上げると、すでに黒い法衣は先へと歩んでいて。
 慌てて追いかけながら、ミリアは抑揚のないその背中へ問いかける。
「おやばかってナニーーーー??」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 ラーグは、本日4度目の溜息を吐いた。





+++++++





 唄が―――聴こえる。
 酷く切なく、儚い、陽炎のような旋律が――――


 立ち止まると、ラーグはなんとなしに、声の方角を見上げてみた。探すまでもなく、それは目の前の聖堂から響いてくる。 この閑散とした静寂の街でなければ気づかないほどに、小さく―――そして美しい音色だった。
 誰が唄っているのか・・・・・・・
 歌声は、まるでこの世の全ての切望と慈愛を含蓄したかのような。しかし完璧ではなく、どこかに淋しさを含ませたような。
 初めて耳にする旋律に、しばし無言で顔を上げていると。
「ラーグ」
 名を呼ばれ、振り向くと。
 傍らには、少女が俯いたまま何やらそわそわとしていて。迷いを断ち切るかのように唇を引き結ぶと、ポケットの中から 小さな袋を出し、それを黒の法衣に思いっきり押し付けた。
 別段受け取るでもなく、かわりに神父の眉に不審な色が浮かぶ。
「・・・・・何の真似だ?」
「・・・っこれ!おかあさんに渡して?」
「・・・・」
 少女の言葉と意図を理解するより前に、ミリアは俯いたまま、しかし小さな両手を力いっぱい突き出す。
「おかあさん、いつも聖堂にいるからっ。絶対渡してね!」
 そう言うと、有無を言わさずに彼の手に袋を強制的に持たせ、そのまま声をかける間もなく走り去っていってしまった。

 神父が本日5度目の溜息を吐いたのは、その直後のことである。





+++++++





 古くとも歴史のある聖堂は、中に入ると存外に人の気配が高く。
 円洞(ドーム)状の広大なホールには、高い天井から射す控えめな光が注がれていて。穏やかに談笑する修道女や執務に追われる司祭たちを、 優しく照らしている。先日報告を済ませた際に見受けた顔も、ちらほらと視界によぎっていた。

 見慣れない端正な面立ちに、特に若い修道女たちが視線を止めて囁き合う。
 ラーグは手中の袋を一瞥すると、別段興味の片鱗も見せぬまま、近くにいた修道女に翠の瞳を向け。
「アリシア=イリスはどこにいる」
「・・・・えっ!?」
 まだ見習いらしい娘は、黒い修道服を驚いたように震わせ、そして小さく頬を染めながら慌てて答える。
「ア、アリシア様でしたら、そこの通路を突き当たった先の自室に・・・・・・あっ。でも今は――って・・・」
 反射的に俯いていた顔を上げると、すでに神父は一言もなく娘の指差した方へ歩んでいて。
 後方で何かを叫んでいるのも構わず、途中で制止を試みようとする者たちの声も無視し、真っ直ぐに突き進んだ扉の前まで来ると。
 即座に、神父と扉の間に白い法衣を着た老婆が滑り込んできた。
「お待ちなさい。なんですかいきなり。無礼ですよ」
 落ち着いているが強い口調が、ラーグを正面から責め立てるも。
「・・・どけ。アリシアに用がある」
「アリシア様は今、執務をなさっておいでです。御用があるなら私が受け継―――」
「いいのよ、セルシス」
 老婆の言葉を止めたのは、抑揚の欠いた低い声ではなくて。
 扉の向こう側から響いた鈴のような声に、いち早く反応したのはセルシス自身だった。
「しかし、アリシア様・・・・・」
「大丈夫。ラーグよね?私も少し、彼と話をしたいと思っていたの」
「・・・・・・・・・・」
 老婆はそれでも、逡巡戸惑っていた様子だが。
 やがて静かに腰を引き、丁寧な動作でラーグを部屋に通した。


 やはり使い古された広い室内と、高い天井。
 確かにいくつかの書棚と机があったが、そこがただの『執務室』でないことを悟ったのは、背後でセルシスが閉ざされた扉と共に 姿を消した直後だった。
 ただでさえ控えめな陽光は、窓全面に引かれたカーテンによって尽く遮られており。
 それでも、薄い布地から漏れ注ぐ明かりが、人気のない室内を仄かに映し出す。
 だが、書類と書物が綺麗に整頓された机に、人の姿は見当たらなくて。
 僅かに眉を動かしたまま沈黙するラーグに、天蓋付きのベッドの奥で、明るい声が覗いた。
「ごめんなさいね、こんな状態で。ちょっと調子悪くて――ああ、でも感染(うつ)るもんじゃないから、そんな離れなくても 大丈夫よ」
「・・・・・・・・いつからだ」
 手招きする声は、初めて会った時と同様に、相変わらず穏やかではあったが。
 カーテンの揺れた先に見えた光景に、一瞬目を瞠ると、ラーグはゆっくりとした足取りで近づいて。
「いつから、『そう』なっている」


 上半身だけを起こしてシーツを被った聖女は、いつもと変わらない白い修道服を身につけていたが―――
 そこから覗く肌の至るところには、浅黒い染みのようなもの―――いや、複雑な呪紋が、まるで生き物のようにゆったりと循環を繰り返しながら刻み込まれていた。
 静かに、規則正しく――――刻一刻と、か細い命を削っていくかのように。

 頬まで届いたそれらを別に隠すでもなく、アリシアは柔らかく微笑んだ。
「もう何年も前からよ。最近は、ちょっと頻繁に出てくるようになって。 ・・・あ、でも他の人には黙っててね?このこと知ってるのは、あたし以外じゃジェイドとセルシスだけなの」
「・・・魔気に触れすぎたか。その器も、もはや限界は近い」
「ええ。知ってるわ」
 平板なラーグの口調へ、アリシアは存外にあっけらかんとした表情で頷いた。

「いくら聖女と言えど、人の聖力は無限じゃない。10年――『見初められた者』の称号を頂いてから、もうずっと覚悟 してきたことだもの」
「10年間、一瞬たりとも途切れることなく、この街を護る『盾』を展開し、魔を浄化し続けた結末か」
 肯定を意味する微笑みに、ふと、先日のジェイドとの会話が脳裏に蘇ってきた。


――その戦火と信望の矢面に晒されるのは
  真っ先に犠牲になるのは、いつだってその『盾』だ―――


 この瞬間、ラーグは初めて、ジェイドの諦めにも似た表情の意味を悟った。
「ミリアは知らないのか」
 質問ではなく、肯定的に呟いた言葉にも、やはりアリシアは動揺なく頷いて、
「言えると思う?5つになったばかりの子供に、ただでさえ滅多に会えない母親が、こんな不気味な姿になって死んでいくなんて」
「・・・・・・・・。双方揃って、勝手なものだな」
「え?」
 小首を傾げるアリシアの前に、ラーグは無造作に小さな袋を差し出すと。
「お前も、そしてジェイドも。あまり現実から目を逸らさせようとすれば、あの娘も自然とそちらに興味が向く」
「これ・・・・シャムの花の芽?ミリアが?」
「解熱作用があるらしいな。先刻、勝手に俺の周りで2時間も独り言を繰り返しながら掘り出していた」
「解熱って・・・・・・・」
 噛み合ってはいないが、全く的外れではない娘の気持ちに。
 アリシアは一瞬驚きに目を見開いた後、小さく苦笑して、それを大切そうに卓上に乗せた。
 再び、ラーグへと視線を向ける。
「ジェイドから聞いているわ。ミリアが随分懐いてるみたいね」
「何度も言わせるな。向こうが勝手に寄ってくるだけだ」
「あら。その割には、毎日ちゃんと家まで送って行ってくれてるんでしょう?」
「口上があるなら、あの聖堂騎士団最強の親馬鹿に言え。迷惑にも程がある」
「・・・・・ふふっ」
「なんだ」
 ひとしきり言い合ったあと、不意に楽しげに笑うアリシアの態度が不可解で。
 訊ねると、聖女は柔らかな黒髪を後ろへ梳きながら。
「本当に、ジェイドの言ってた通りね。無愛想で口が悪いけど、実は率直に感情を表現できない不器用さんで、賢くて、 なんだかんだで優しい」
「・・・・・男に言われても嬉しくない台詞だな」
「あら。じゃあ、私ならご満足かしら?」
「鬱陶しい」
「ご心配なく。ちゃーんと、自覚済みですから」
 どこまで話しても、相手がアリシアである限り、この妙な力関係はラーグには不利なようで。
 半ば疲労したように息を吐くと、刹那の間を置いて、アリシアが静かに口を開く。
「・・・・・。ラーグ、あたしはもうすぐいなくなるわ。魔気に器を喰われて、成す術もなく」
 でもね、と、そのまま紫水晶の瞳は一片の心の揺らぎも見せず。
 怖れや焦り、戸惑い、悲哀。それらすべてをあるがままに受け入れた聡明さで、盾の聖女は黒ずんだ己の手を軽く撫でる。
「心は固まってても、残される者への想いは、どうしようもないのよ。あたしが死ねば、 その瞬間からノワールの『盾』は消えるわ。そしてそれは、この国の『盾』が 消えることにもなる。そうしたら今度は―――・・・・今度こそ、あの人が駆り出される番なのよ・・・・・この国の『剣』として」
 深く、それでいて零れる程小さな声は。
 不意に、先ほどの儚い旋律と見事に重なって。  ラーグはただ、沈黙を貫いたまま聞き届けている。
「だからせめて・・・・レイゼーと本当の意味で決着が付くまでは、死ぬわけにはいかない。嘘でもなんでも、この平穏な『今』 を生きる人々を護るためにも。それに―――あの人を、これ以上戦わせないためにも」
「・・・それは、あの『誓印』のことか」
「『誓約』というものは、確かに絶大な力を与えてくれるわ。でもね・・・・・・ラーグ。それには必ず相応の対価が必要なの。――― だからこそ、あたしはあの人に戦ってほしくない。彼の対価は―――戦いの先にあるものだから」


 たとえそれが、ジェイド自身が望んだことだったにせよ。
 結末を受け入れた上での選択だったにせよ。
 それでも、愛する者のことを想って、自らも戦火に身を投じる。
 ・・・・・・・それは、ジェイドにしても同じことで。

 行き場はないが、確かに強い絆で結びつき、互いの宿命を互いに背負う双方を思い浮かべ、ふとラーグの記憶に、そんな2人の小さな宝がよぎった。
 父親に母親、それにセルシスや聖堂騎士にまでも気遣われ、大切にされてきた、慈しむべき無垢な少女。
 だが、彼女が最も愛しいと感じている者たちは、彼女とはまったく違う場所できつく結びついているのだ。
 誰からも愛され、そして誰からも求められない幼子は、ただただ、その矛盾した優しさの中で笑い続けるのだろう。
 そしていつかは、父親も母親も皆、彼女の知らないところで朽ちてゆく。


 ・・・・・・憐れな娘だな。

 胸中でそう呟くと、ラーグは静かに目を伏せた。

【第5章】白の記憶と罪と罰 -white memory- 2

2016.05.17 22:39|クロスマテリア
 それは、果てしなく遠く、近い昔。
 蛍火のように優しく儚い、約束の場所――――



「北の大陸が、なにやら不穏な動きを見せているらしい」
 どこか重い陽光を招き入れながら、最高審議会の床が鈍色に照らされる。
 『神の意』とまで称され、国家全土の理の決定権を担う議会が開かれたのは、実に数年ぶりだった。
 磨きつくされた広い室内の中央には、不釣り合いなほど狭い円卓があって。そこに映りこんだ4人の老人の額には、揃って苦々しい嫌な汗が滲んでいた。
 すると、重圧感に耐えかねたのか、一人の老人が無作法に椅子の背を軋ませ、腕を組み。
「んなこたぁ解っとるわ!だからこそ、こうやってワシらが議会の席で仲良く並んどるんだろうがっ」
「・・・バルトス、遊びではないのじゃぞ?」
 軽く叱責したのは、真白い口髭を蓄えた、賢能そうな老人の静かな声。
「元より、あちらの皇帝はこの豊穣の大陸を欲しておった。これまでは、なんとか目立った戦火は防いできたが・・・・」
「事と次第によっては、全面衝突も考慮に入れておかねばなりませんね」
 白い法衣をまとった老女が、苦虫を噛み潰したような顔で賛同すると、一同の脳裏に、全く同じ嫌な未来図が展開する。

 極寒の地、北のレイゼー帝国とこの東の大国――北の民からは南の楽園と呼ばれているが――ファーネリア国は、 もうかれこれ数十年にも渡って細かい火種を撒き散らしている。
 原因は、気候の穏やかなこの大陸への、レイゼーによる侵略行為。
 北の帝国軍は噂に違わぬ精鋭揃いと聞くが、大聖堂教会とて、ただ無防備な平和を掲げるばかりではない。国の剣であり盾でもある聖堂騎士団(ラウストウィア)と、統率の取れたイルダナ神教に絶対の崇拝を示す数多の民。この全てを一気に砕こうと思えるほど、彼らも馬鹿ではなかった。よしんば兵を犠牲にして教会を破ったとしても、その後に起こるだろう民の反乱が最も厄介だからだ。
 それでも過去に一度、彼らが正面から戦火を挑んできたことがあったが―――
 長い月日と双方の忍耐、そして数え切れない犠牲を代償にして、その戦争の第一波は終結した。
 教会側の勝利という形で正式な国境を定め、以降は国家間で度々起こる小さな紛争に対応しながら、 毎年収穫の1割を譲渡することでなんとか対処してきたのだが―――――

「突然紛争が途絶え、あちらと全く連絡が取れなくなってから、もう半年になります。いくらなんでも、静かすぎる・・・・・何らかの理由で、身を潜めていると考えるべきでは」
「『何らか』ってなぁ・・・ハッキリ言ったらどうよ。んなもん侵略の準備に決まってんじゃねえか!」
「バルトス、少しは言葉を選ばんか」
 静かだが、強い口調の老人の声は、一瞬室内に充満し。
「そのようなことは、皆解っておる。戦が――国を賭けた『殺し合い』がいかなるものか、お前も知らぬわけではあるまい? 我らが今日ここへ集ったのは、何も無駄な時間を弄ぶためではない」
「同感だな。ファーネリア法典第9条3節にも記されている。『法を犯すは、人の罪。然らば法に順じて、人の手により、これを罰すべし』――。 ・・・・それで、どうするのだ?ウィクトール」
 襟元までキッチリと法衣を着込んだ男が、淡々とした様子で顔を上げる。
 神礼院総帥にして、賢老院の長である老人は、ゆったりとした動作で瞼を下ろし――。吐息か何かと思われるような声で、 決断を下した。
「・・・・・・・・ファーネリアの『盾』を創るしかあるまい。ノワールに使いを」





+++++++





 春先とは言え、この大陸でほぼ最北に位置する大地の上には、まだ純白の衣が敷かれていて。
 それでも暖かい陽光が注がれると、照らされたそこはダイヤモンドの粉を反射するかのように輝きながら、凍てつく大地を溶かしていく。
 皆屋内で暖を取っているのか、誰もいない広場の片隅で、ばさりと白い雪が落ちる音も鮮明に耳へ響き。
 しかしそれは、雪解けの重みに耐えかねた自然現象ではなくて。
 刹那の間を置いて、白雪(はくせつ)が零れ落ちた場所から、だらりと力ない大きな足が垂れる。この寒いと言うのに、のんびりと木の上で 昼寝をしているらしい。だが男は心配する気も失せるほどに血色のいい頬を傾け、健やかな寝息まで立てていて。
 見たところ爆睡しているようなのに、しっかりと咥えた煙草からは、規則正しい煙が上がっている。
 穏やかな静寂が破られたのは、そのときだった。

「団長!団長~!?・・・・あ、いたいた―――・・・って、うわ?!」
 白い息を吐きながら走ってきた男が、一瞬明るい表情をするや。今度は対照的に、唖然としたように固まって。
 突然大声を出されて飛び起きたせいか、大枝に盛大にぶつけた頭を押さえつつ、呼ばれた男は栗色の髪を振り乱さんばかりに振り返った。
「・・・・っお~ま~え~な~・・・」
「げ!す、すいません!知らせがあって慌ててたもんで・・・」
「なんつーことしてくれたんだ・・・」
 男はしかし、部下の想像していたのとはちょっと違った方向に思考が向いているようで。怒りと言うよりは悔しげに肩を 震わせながら、半分涙目にまでなりつつ拳を握り締める。
「今・・・今俺はなあ、生涯で最っっっ高の瞬間をリピートしてたとこなんだぞっ?!」
「は・・・?」
「娘が・・・・・・あのたどたどしい仕草でハイハイしか出来なかったあいつが・・・・・初めて自力で立ち上がった 奇跡の瞬間が・・・・・今まさにおもちゃのジャングルジムから手を離そうとしたところで目が覚めやがったんだぞッ?! どう責任取ってくれんだ!」
「いや。どう・・・って言われても・・・・・・」
 またいつものが始まった、と言わんばかりに溜息を吐く部下の前で。しばらくショックを堪能したあとで、男はやや強引に割り切って、軽快な動作で木から飛び降りる。
「ハァ・・・・。ま、仕方ねぇかー。・・・つーかよ、それはそうと」
 冬季とは言え、日に焼けた健康的な肌から覗く藍色の瞳を、ややじっとりとした眼差しに変換させ。
 男は年齢のわりにはコロコロと表情を敏感に変えながら、少し拗ねたように部下を見つめる。
「団長って呼ぶのはヤメロっつーの。それで本名忘れられたりでもしたら、なんかこう・・・侘しいじゃねーか」
「・・・・・・・そんな、あなたじゃあるまいし」
「なんか言ったか?」
「いえ、何も」
 口の中でぼそりと零した程度の呟きを鋭く指摘され。それでも、部下の面には畏怖などの極端な感情の変化は見られず、 ただ苦笑しながら親しげに背筋を伸ばす。
「そうそう。えー・・・ジェイド様?聖都からの使いで神父様がいらっしゃってますよ」
「使い?なんだ、今度は何の任務だ?」
「さぁ・・・・・なんでも、賢老院からじきじきの勅命だそうで。とにかく、急いでください」
 そうとだけ言って、せわしなく走り去ってゆく背中を見送った後。今一度大きなあくびをして、ジェイドは眠そうな眼のまま、
「神父、ねぇ?・・・・・・なんか物騒なことでもおっ始める気か?」
 曇った声で呟くと、そのままのんびりと歩き始めた。





+++++++





 潤沢な聖気の奔流が取り囲んでいる。
 それが、ノワールに来て最初に気づいたことだ。
 そしてそれは、決して比喩的な意味ではなくて。溢れんばかりの聖気は、まるで母が子を護る暖かい腕のように、 街全域を包んでいる。
 純粋な魔気―――魔族のみを拒絶する結界は、たった一人の聖女によって生み出されているのだと聞いた。

「・・・・・・・・・・・・」
 別段行くあてもなく彷徨っていた男は、冷然とした瞳のまま虚空を見上げる。だが今や、灰白の空は彼の瞳と同調することはなく。 白い吐息と、冷風になびく束ねた金の長い髪が見えなければ、今ここが極寒の地であることすら判別し難かっただろう。
 胸元で、頼りなく揺らぐ銀の十字架(クロス)が服を擦りつけていると。


「あら?」
 響いた鈴の音のような声に、彼の意識と視線はゆっくりと降下し。
 見ると、若い女がこちらを不思議そうに眺めていた。
 寒さのせいか、雪と同じく白い面立ちから覗くのは、美しい紫水晶(アメジスト)の瞳で。着込んだコートの下に見え隠れするのは、 高位の聖女が身につける純白の修道服だ。
 こちらが黙っていると、女は瞳に美しく映えるように透きとおった蒼いピアスを軽く動かして。。
「服装からして、教会関係者・・・・よねえ?でも見ない顔だし・・・・結界越えてきたんだから魔族じゃあないんだろうケド・・・」
 ともあれば独り言とも取れる口振りで、何かうんうん悩んでいるようで。
 単にその様子を見続けるのが億劫になり、男は冷ややかな声で初めて口を開いた。
「ノワールの責任者はどこだ」
「『どこですか』、でしょ?年上にはそれなりの言葉を選ぶっ」
 陽気に人差し指を立てる女性のコートから、チラリと金の十字架が揺れたのを見つけて。男は怪訝そうに、眉を詰めた。 位階云々での儀礼ならともかく、年齢の違いなどと言う陳腐な理由で叱責されたのは初めてだ。
 最も、本来の年齢など定かではなかったが・・・・・・・
 どうやらこの女の瞳には、そういう順列に映ったらしい。
「年下かしら?年下よね。まさか迷ったの?おっきな迷子ね~。ま、いいわ。聖堂まで案内してあげる」
 勝手に解釈して自己完結させ、無造作に伸ばしてくる腕を。
「触るな」
 心底嫌そうな声で振り払うと、彼女は一瞬だけきょとんと目を開けていたが。一瞬が過ぎると、まるで何もなかったかのように、 あっさりと背中を向け、笑顔で振り返る。
「そ。じゃあ、ちゃんとついてきなさい?」
「・・・・・・・・・・・・」

 どうにも話が噛み合わない。
 歯がゆくはないが理不尽な現状に、どう対処すべきか思案しかけると―――

「おーい、アリシア!・・・って、あぁっ、こんなトコにいやがった?!」
「あら、ジェイド」
 快活に響いた第三者の方を振り返り、アリシアと呼ばれた女性は相手の名を呼ぶ。
 しかし、声をかけたのがアリシアであっても、ジェイドの視線は同時に見つけたもう片方の存在に注がれていて。
 引き結んだ口元に煙草を挟んだまま間近まで来られると、長身の自分よりもう一段階ほど背が高い。 そんな位置からまじまじと見下ろしてくる藍の眼を鬱陶しそうに一瞥し、男は小さく溜息をついた。
「金髪に蒼い眼、そんで銀の十字架・・・・・と。間違いねぇな、お前だろ?聖都から派遣された神父ってのは」
「誰だお前は」
「・・・・おまけにそのすこぶる偉そうな態度。ん、報告に差異ナシ・・・と」
 呆れを含んだ半眼で呟きながら、ジェイドは「いや違う!」と我に返り。
 ビシリと眼下の神父を指で差すと、
「お前なあっ。仮にも賢老院から任された使者が、勝手にいなくなるんじゃねーよ!おかげであっちこっち捜すハメんなったじゃ ねーか!――あ゛、やべっ。他の連中にも手伝うよう頼んだんだった。今度はまた片っ端から見つかったこと報告せにゃ・・・・俺って要領悪ッッ!!?」
「・・・・・誰だと訊いている」
 どうやら、また変なのが増えたらしい。しかも格段にレベルアップしている。
 だが続いたのはその返答ではなくて、一連の様子を情けなさそーに眺めていた黒髪の女性。
「ああ、もう。お願いだから、これ以上は止めて頂戴、ジェイド。みっともないったら・・・・・」
 ブチブチと未練がましく肩を落とす男を疲れたように諌めながら、アリシアは話を元に戻そうと試みる。
「見つかったんだから良かったじゃないの。貴方がいつも言ってることでしょ?『終わり良ければ全てヨシ。』」
「・・・・・・まぁ、そーだけどよ」
「それより、さっさと名乗ってあげなさいな。そんなアホらしい理由で、これ以上勅命の報告を先延ばししない!」
 ぴしゃりと言い切られ、ジェイドはひとつ、割り切るための息を吐くと。
 傍らの神父に向き直り、人懐こい笑顔を見せた。

「現聖堂騎士団団長、ジェイド=イリスだ。今はここでの国境守備を任されてる。んーで、コッチは――」
 視線で示された女性は、先ほどまでとはうって変わって、細い腰を礼儀正しく折り曲げた。
「ノワールへようこそ。私がこの街の責任者にして『盾の聖女』、アリシア=イリスです。賢老院の使者様」

 別段驚くこともなく、神父は先日授かったばかりの銀の十字架をカシャリと風に鳴らす。
 耳元を流れる冷風の音に溶け込むかのように、彼は、静かに呟いた。


「・・・神礼院神父、ラーグ=クラウド。最高審議会の命により、レイゼーとの戦の旨を伝えに来た」





+++++++





「セルシスさまーっ」
 ぺたぺたと廊下を駆け抜けながら、小さな少女は懸命に、前を行く老女の名を呼び止める。
 馴染んだ穏やかな顔が振り向かれ、少女はどこか安心したように、はふはふと荒い息を整えた。まだ短い手足を覆う大きめの布地が、 今は少し暑い。
 老女――セルシスは、皺の刻まれた細い指を少女の額に添え、細かい汗をそっと拭ってやった。
「おやおや、いけませんよミリア。まだ雪溶けもしていないのに、転んだら大変です」
「はいっ、ごめんなさい。おとうさんは?」
 本当に反省しているのか疑わしいほどあっけらかんとした笑顔で頷き、ミリアは当初の目的を、自分の世話係兼家庭教師とも 言える老女に訊ねて。
 半ば呆れたように苦笑して、セルシスは乱れた少女の服を直しながら、
「ジェイド様は今、とても大切な話し合いをしておいでですよ。何か御用があったのですか?」
「あ・・・・えっと。・・・それじゃいいです。ありがとうございましたっ」
「・・・?お待ちなさい、ミリア」
 質問するや、あからさまに不自然な笑顔を残して立ち去ろうとする教え子の態度に。セルシスは穏やかながら、どこか有無を言わせぬ強い口調で、小さな背中を呼び止めた。
「またお父上に、剣技の手ほどきを学ぼうとしていましたね?」
「ちっ違いますもん!ちょびっと《セルフィート》を持たせてもらおうと思ってただけだもん!」
「・・・やっぱり」
「――はッ!」
 言うや否や、しまったと口を押さえるも。
 すでに時遅く、頭上では老女がもうあと何年分かぐらい年老いたような顔で溜息を吐いており。
 やれやれと頭を押さえながら、再び少女に向き直る。
「ミリア。いつも言っていることですが、幼いとは言え淑女がそのように血気盛んなのは感心しませんね。 そんなものを握らずとも、もっと違った形で人々を護る方法は―――ってこらっ、どこへ行くのです?今日は文字の読み書きの 宿題を出していたはずですよっ?」
 言い終わらないうちに、ミリアはそそくさと木を伝ってやや高い敷居をまたいでおり。
「だいじょぶですー。もうちょっとで、《セルフィート》の刃に書いてある字が読めますからっ」
「誰がそんな物騒なものの字を読めと―――あぁ、もう・・・・」
 いつものことながら、注意も聞かずに敷居の向こう側へと消えていった栗色の髪を見送って。
 老女はやれやれと、首を振った。
「姿形はアリシア様と瓜二つなのに・・・・・。中身がそのままジェイド様というのも、困りものですね」




「・・・ぅえ゛っくしゅ!・・・っ」
 なんだか妙な空気の吐き出し音が、隣から聞こえて。
 それがくしゃみなんだと分かったのは、視界に映した男が煩わしそうに鼻を啜っているのを見てからだった。
 アレだけ盛大にやりながら、意地でも煙草は咥えたままで。白煙をチロチロと巻き上げながら、ジェイドはズレた藍の額巻きを 直す。
「っあ゛ー、なんだなんだ?風邪か?やっぱ体丈夫に任せて、何時間も外で爆睡したのが悪かったのか?」
「・・・・・・・・・・・・・」
「うあーキモチワリー。こんな盛大なくしゃみ、花粉症の季節にしか出したことねーのによー」
「・・・・・・・・・・・・・」
「お。それともアレか?誰かがどこかでどこぞのかぁーっくいー団長サマの噂でも」
「体以前に神経の不具合を直してきたらどうだ」
「・・・・・お前、よりにもよってソコで突っ込み入れちゃう・・・・?」
 情けない表情で眉を垂らす男をうんざりとした吐息で一掃し。ラーグは、手元の書類を淡々とめくる。
 自分が持たされてきた報告書ではあったが、目を通すのは今日が初めてだ。概要だけざっと理解してパッパと挫折してしまった ジェイドとは対称に、生真面目なのか他にすることがないのか、神父は隅から隅までを正確に頭に叩き込む。

「しっかしまー、いつかは来ると思ってはいたが・・・・・・いよいよ正面切って戦争か」
 アリシアやジェイド、そしてその他数人の要人たちを集めて、北の大陸との全面戦争が勃発する怖れが色濃くなりつつあることを 報告したのは、つい先程のことで。
 当然ながら、困惑と恐怖に彩られた大半とは裏腹に、まるで分かりきっていたように冷然と腰を下ろすジェイドとアリシアの反応が、 ラーグには妙に印象に残った。最も、それを賢能と取るか諦めと取るかは、人それぞれであっただろうが。
 談話室のソファに寝転びながら、藍の瞳は気鬱げに天井を眺める。
「敵(やっこ)さんが最近、馬鹿に大人しいのは知ってたさ。だからこそ、わざわざ俺を聖都から外してまで、ノワールの守備に就かせてたんだろーからな」
 濁りのない突き通るような声を聞いて、ラーグの中から、『諦め』の選択肢が消え去った。
「ノワールはファーネリアへの突破口だ。何がなんでも、ここを破らせるわけにゃいかねえ」
 教会とレイゼーがこれまで拮抗してこれたのは、国境のほぼ隣にノワールがあったからに等しい。ここを破ることは即ち、 そのまま大聖堂教会と――ファーネリアとの全面衝突に直通することになるからだ。ギリギリの場所にこの街があったからこそ、 レイゼーも目立った侵略は控えてきた。
 けれどもそれは、裏を返せば、ノワールが突破されればすべての秩序が崩れ落ちるという筋書きでもあって。
「しっかし問題は、向こうが具体的にどういった理由でだんまりを決め込んでるかってコトだよな。ラーグは―――あ、 ラーグって呼ばせてもらうぜ?ラーグは賢老院から、なんか聞いてねーか?なけりゃ予想なり想像なり・・・・・とにかく こう闇雲じゃ、コッチだって動くに動けねえしよー。ま、ガチンコの力対力になったところで、そう簡単に負ける気は しねぇケドなー、俺って強いし☆」
「・・・・・・・・・よく喋るやつだな」
「そーゆーお前は、よく黙るやつだねぇ。神父殿」
 鋭く切り込んだつもりが、柳に風の要領であっさりと流されて。
 年齢を感じさせない少年のような顔でにんと笑うと、ジェイドは再び沈黙する青年の横で、勢いよく上体を跳ね上げた。
「なーんでぇ、シケた面しやがって。嬉しきゃ笑う!悲しきゃ喚く!んーで、ムカつきゃぁ殴る! それが人間ってもんだろ?」
「その『殴る』とやらに、壮絶に賛同したい気分だ」
「そーそー、何事も小さな一歩から・・・・・・って何その最悪なワンステップ?!」
「煩い」
 鬱陶しげに返す口数がいつの間にか増えていたことに、誰が気づいただろうか。
 読み終えた書類の束を整えながら、ラーグは一度小さく瞑目し、
「そもそも、ここはすでに強大な『盾』によって護られているだろう。構築する聖気の流れを少し調節すれば、魔気だけでなく 物理的な攻撃も――・・・・・・・・」
 防ぐことは造作もない。
 そう言おうとした言の葉は、口の中だけで泡となって消えた。
 なぜなら、再び視線を上げたとき。ついさっきまでカラカラと屈託なく笑っていたジェイドの顔が。 大陸間の争いの先陣に立たされながら、微塵の恐怖も動揺も見せ付けなかった、聖堂騎士団最強の男が。
 深い悲哀の刻まれた瞳を、ただ力ない失笑を含んだまま、床の上へと落としていて。
 あまりの変貌に、談話室を静寂が飾っていたのは、ほんの一瞬のことだった。


「―あっ、おとうさーん!」
 陰鬱な空気を容赦なく振り払うかのような、幼い歓声が聞こえたのはそのとき。
 ラーグが視線だけそちらに向けると、部屋の入り口には、息を荒げてこちらへ駆け寄ってくる小さな少女がいて。
 嬉しそうに抱きついてくる幼い体を受けとめたのは、いつの間にか煙草を灰皿に押し付けた、ジェイドの太く大きな腕だった。
 翳が差していたように思われた表情は、幻覚だったのではと思えるくらい、元の明るさを取り戻している。
 自身と同じ栗色の頭を、幸せそうにくしゃりと撫で上げて、
「おーミリア、今日はあまり会えなくてごめんなー?いい子にしてたか?」
「えー・・・・と・・・・・・うんっ、してたよー」
「はははは、そっかそっか。偉いぞー」
 微妙に空けられた思案の間に気づいたのは、おそらくラーグだけだろう。
 呆れたような眼差しで、目の前の甘ったるい親子愛を無言のまま眺めていると。視線に気づいたのか、ふいに少女のほうが ラーグをじっと見つめ出した。
 大きな紫水晶の瞳が、疑問符を浮かべながらこちらを凝視している。「ああ」とジェイドが気づいたのは、そんな娘の 沈黙に気づいてからだった。
「この人はな、聖都から来た神父様だ」
「・・・おとうさんが今日『はなしあい』してた人?」
「ん?セルシスに聞いたのか。そうそう、その人だ。ほれ、ミリア。自己紹介しろ?」
 父の言葉に、腕の中から飛び降りると、少女はぎこちない動作で小さく腰を折り、
「えと・・・・はじめまして。ジェイド=イリスとアリシア=イリスの子、ミリアです。ノワールへようこそ」
「・・・・・・・・・・」
 返事をしなかったのが疑問だったのか、きょとんと首を傾げるミリアだったが。
 そのままいつまでたっても視線を逸らそうとしないので、短く「・・・・ああ」とだけ返してそっぽを向くと。まるでそれが、 この世で最高の瞬間を手にした者のように、満面の笑みを浮かべる少女に。ラーグは上機嫌に笑うジェイドと見比べて、こいつは 将来、絶対馬鹿になると静かに確信していた。

 すると少女は、「あ!」と何かを思い出したように振り返り、
「忘れてたっ。おとうさん、ちょっとだけ《セルフィート》見せて?」
「え、またか?昨日も見せただろ?」
「いーからっ!」
 有無を言わせぬ口調で頬を膨らますと、さすがにこの親馬鹿が逆らえるはずがなく。
 ジェイドは右手の中に淡い光を帯状に集めると、現れた一本の巨剣を手に取った。
 聖剣と呼ばれるそれが、イリス家に代々受け継がれていることなど、ラーグもとうに知っていて。鞘のないむき出しの刀身に 腕を伸ばそうとしていたミリアを、ジェイドは少し強い口調で制した。
「駄目だぞ、ミリア」
「えー?・・・・なんでおとうさんは、一回もこの剣に触らせてくんないの?」
「それが決まりなんだ。ホレ、見終わったんならもうしまうぞ?」
「あっ、待って!」
 父の言葉と同時に再び淡く光り出した巨剣に、少女はわたわたと両手を振り回して制止して。触れないよう注意しながら、 銀の刀身を食い入るように覗き込む。
 そこには、何で彫られたのか、一列に細かな文字が刻み込んであった。
「セ・・・・フィート・・・・・い、て・・・・その・・・・・み?・・・」
「“汝 護るべき者(セルフィート)の名において この身を聖なる父(イルダーナフ)の盾とせん”」
「――あぁッ?!」
 懸命に読んでいた内容をあっさりと言い放ったのは、しかし、聖剣の主たる父ではなくて。腕を組んだまま横目にそれを 映して呟いた金の髪に、ミリアは責めるような視線を送った。
「一人でぜんぶ読もうとおもってたのにっ!」
「俺が知るか」
「むうぅぅぅ・・・・・」
 投げ棄てるような言い方にも、少女はめげずに睨み返していたけれど。
 やがて、糸が切れたようにまた首を傾げつつ。
「・・・・って、ソレってどーゆーいみ??セルフィートって、この剣の名前だよね?」
 質問に返したのは、用が済んだ《セルフィート》を光の屑に戻したジェイドだった。
「そうだなぁ。この名前の起源にも色んな話を聞くが、元々は何か別のものの呼び名だったらしい。街だとか、人だとか・・・・・・ そういや、イルダーナフ神が天地に人間をお創りになった際に、最初に置かれた始祖だっつー説もあったなぁ。 人の祖に立ち、人を護る存在として、神が創造した護り主とかナントカ」
「????????」
「はっはっは、ミリアにゃ、まだ難しかったかな」
 必死で言われた内容の整理を試みる娘の頭を快活にわしゃりと撫で。
 手を離すと、ジェイドは藍の瞳を優しげに細めて、幼いミリアにも分かるように単純にまとめた。
「これはな。お父さんと、お父さんに力を貸してくれる精霊さんとの『約束』なんだ」
「・・・『やくそく』?」
 顎を思いっきり押し上げて、ミリアはもっと詳しく父に訊ねようとしたが。


 突如、びっくりするくらい勢いよく開いた談話室の扉から、野太い男の声が響いた。
「団長!」
「団長ってゆーなッ!」
 反射的に返すと、相手は扉の前でピタリと凍りつき、
「は、はいジェイド様!あ―――・・・・・っと・・・その、ちょっとよろしいですか?」
 騎士団の団服をまとった男は、ミリアに気を配りながら、上司の同行を求めているようで。
 ラーグが眉を詰めるのと、ジェイドがミリアを降ろして立ち上がるのは、全く同時のことだった。
「なんだなんだ~?せっかくの親子のランデヴーを。ごめんなーミリア。ちょっくら気の利かねー部下のとこへ行ってくんなー?」
 ちょこんと大きなソファに座らされると、ミリアはふるるっと首を振って、丸い頬をニコーと緩ませる。
「ううん、いってらっしゃい、おとうさん!」
「おう。――と、ソコの慈悲深い神父殿~。ミリア頼んだわ」
「・・・・・・・は?」
 自分も用意された部屋へ戻ろうと立ち上がったのが、思いもよらぬ頼みに動きを止めて。
 なんでもないことを言ってのけたような男の態度へ、じとりとした視線を送る。
「・・・何故俺が」
「え~、いーじゃんよ別にー。どーせヒマだろー?家まで送ってくだけでいーからさぁ~・・・」
「団長!」
「団長言うなっつーの!んああ、ワリワリ。んじゃま、そーゆーワケで!」
 急くような部下の声に、返事も待たぬまま、一方的に談話室の扉は閉ざされて。

 途端に静かになった大広間の中央で、ラーグは溜息混じりに、さてどうしようかと思案していると。
 不意に、黒い法衣の裾が小さな力で引っ張られているのを感じ。見ると、ミリアが視線を出入り口に向けたまま、縋るように 自分の法衣を握り締めているのが分かり。
 そのとき初めて、少女の顔からさっきまでの明るい笑顔が消え去り、変わりに不安と寂寥感で満たされていることに気づいた。
「・・・・おとうさんが」
 小さな唇が、抑揚なく揺れる。
「おとうさんが騎士の人によばれて行ったときは、絶対に次の日まであえないの」
「・・・・・・・・・・・・」
 その理由がいかなるものか。そんなことは、自分には容易に想像がついたが。どうやら感覚的に、この幼い少女も 悟っているようで。
 それでも、父の前では感情に出さない気丈さに、ラーグは小さく息を吐いた。

「・・・・・どこにある」
「はぇ?」
 唐突な言葉に、少女ははじめ、それが質問であることすら分からなかったようで。
「お前の家だ。ここではないんだろう」
「・・・・。もしかして、ほんとに送ってってくれるの?」
「燃やしに行ってほしいのか」
「う・・・っううんううん!ありがとう!!」
 青ざめながら、ブンブンと両手と首を同時に振って。
 ミリアは談話室の扉へ駆け寄ると、そこからは法衣の裾を放し、やや早い神父の足取りを懸命に追いかけながら上を見上げる。
「ねぇ、神父さまの名前は?」
「・・・・・・・・・ラーグ=クラウド」
 要点だけ短く答えると、ミリアは彼の後ろで「ラーグかぁ・・・」と呟くように小声で繰り返して。
「キレイな名前だねっ」
 たったそれだけのことに、心底嬉しそうな笑みを向けられて。

 永き時の中で、初めて言われた言葉だと、ラーグは内心で思っていた。

【第5章】白の記憶と罪と罰 -white memory- 1

2016.05.17 21:20|クロスマテリア
 雪が、降っていた。
 真実を覆い隠すように、どこまでも、深く――――――・・・・



 少女は、追いつめられていた。
 寒空の下に、同じ色の白い息を乱暴に吐き出して。荒げた細い肩に、せわしなく栗色の髪が触れる。
 万策は尽きた。味方もいない。果たしてどうすれば、この目の前の『敵』から逃れることができるのか?
「・・・ふっ、とうとう追いつめたわよ?ミリア」
 『敵』は行き場のない路地の間に入り込むと、勝ち誇ったようにニヤリと笑い。
 肩ほどの位置でくるりと巻いた赤毛が、ひとつ大きな吐息と共に、小さく揺れて。
 高い壁面に背をつけてあたふたするミリアに向かって、大股で歩み寄る。
「屋根の上は跳んでくわ、捕獲魔導のことごとくは破壊していくわ、ゴミ箱の中にまで隠れるわ。久々の親友の顔がそんなに恐ろしかったのかしら?」
「会うや否や問答無用でとっ捕まえられそうになりゃ逃げもするわよ、エリー?!」
「あなたが逃げるからでしょ」
「あたしのせいなのーーーー?!」
 喚くミリアとは裏腹に、赤毛の少女にして現在のミリアの『敵』―――エリーは平然とした様子でやれやれと首を振る。
 彼女とはアレンと同じく、修練学校時代の同期である。神礼院に属し、今では立派な修道女として、日々を送っている と聞いていた。
 ここノワールの地に転属してから、滅多に逢うことはなかったのだが、今でも彼女は、しっかり者でミリアの良き理解者と言える。 そんなエリーが、なぜミリアを追いかけ回していたのかと言うと。
「全く。いい加減観念なさいよ。聖女様を讃える式典の助っ人参加ぐらいで・・・・」
「・・・・だって・・・ソレってやっぱ、正装とか。・・・するんでしょ?」
「ええ、そりゃあね?後は民の前で神聖歌を歌って、残りは司祭様がご演説されている間、ただじっと突っ立ってれば いいから。楽勝じゃないの」
「絶っっ対いやぁーーーーーッ!!」
 顔面を真っ赤にして唸るミリアは、縋るように冷たいレンガの壁に顔を埋める。
 父や母の墓参りのために寄り道をしたのが、とんだタイミングだったらしい。人前で歌うなんで絶対にいやだと頑を張る少女に、 エリーは多少同情しつつも、少々先を急くように早口になり、
「あぁ、もう!仕方ないでしょ?いつも来てくださる聖女様がギックリ腰になっちゃったってんだからっ。なんであなたはそう昔から、 中途半端なトコで根性がないのよッ!」
「そ・・・あ、あたしにだって、賢老院からの任務が―――」
「神父様だったら、快くあんたが隠れてるゴミ箱吹っ飛ばしてどっか行っちゃったじゃない」
「う゛・・・・・えと、・・・みんなも心配して」
「アレンくんはぶらぶらしてくるっつって行ったきり。妖精さんはあなたの聖女姿見たいってそれはもう目をキラキラさせてた わねー。他に遺言は?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・っ」
 あんの・・・・裏切り者どもーーーー!
 今にも叫び出さんばかりに口をパクパクと動かすミリアを横目に。エリーは白い修道服から覗く片手をひらりと動かして、 開いた輪(リング)の中から伝令用の小さな精霊を呼び出すと。
「はいはいはい、ミリア=イリス捕獲完了。セルシス聖堂長にご報告お願いね」
「お、鬼ーーーーッッ」
 ミリアの精一杯の主張は、清々しいまでに無視されたのだった。





+++++++





「んあ・・・・・?・・・」
 間の抜けた声は、誰もいないベンチから聞こえて。
 やや間を置いて、もぞりと気ダルそうに、柔らかな藍の髪が起き上がる。
 見た目では、20代後半の青年といったところだろうか。この寒空の下だというのに、何か読み物をしていたのか、顔に覆いかぶさっていた分厚い書物をどけ。その下から現れた、髪と同じ色をした瞳は、惜しげもなく眠たそうに細められていて。 タイミングが悪かったのか、やや枯れた印象を与える男は、わりと整った顔立ちを人気のない公園の周囲に向ける。
「ったく。誰だ?つかの間の安眠妨害しやがんのは・・・」
 仕事で疲れきっていた上に、つい先ほどまでその件で報告を受けていたため、部屋にもどるのも億劫でそのままここで 爆睡していたのだが。
 まだいくらも経っていないうちに、どこからか聞き慣れない少女の金切り声に叩き起こされたのだ。
 なんだか断末魔のような雰囲気も一緒だった気がしないでもないが、そこはあえて気にしないのが、彼の流儀である。
 男は軽くウェーブのかかった髪を掻きながら、あくび交じりに周辺をなんとなく流し見て。
 ふと、少女ではないが、見覚えのある黒い法衣に視線を止めた。一瞬後には角に消えていった人影を見て、男は驚いたように 目を瞠る。
「・・・・あいつ・・・」
 僅かに呟いたのを最後に、男は当然のようにベンチから立ち上がる。
 動いた体のラインに沿って、金の十字架(クロス)が、胸元に流れ落ちた。



 冷え切った外気の中で、白銀の雪が綺麗に積もっている。
 静かに、静かに。・・・まるで、どれだけ時が廻ろうとも、決して溶けることがないかのように。
 埋もれた悠久の時間を・・・・・・・・封じ込めるかのように。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 雪の上に残る沢山の足跡に加わり、ラーグは淡々と白い広場を歩んでいて。
 広場―――いや、違う。こうして雪が積もっていても、それらに埋もれるように硬質の肌を見せつける、冷たい石の群集を見逃すことはない。
 拠り所を求めながら密集するそれらの中で、唯一足跡の全くついていない2つの石の前へ立つと。
 白い吐息と共に、ゆっくりとそれらへ視線を落とした。
「・・・こんな形で、再びここに来るとはな」
 言葉とは裏腹に、その表情には、一切の感情も感傷も含んではいなかったが。確かにその声は、ここにはいない者へ語られていて。
 凍てついたように止まった空気と、かつて全く同じ時に命を絶った多くの者たちが眠る地を背に、ラーグは軽く瞼を下ろし、 その裏に埋もれた記憶を刻み込む。

 もう、二度と来ることはないと思っていた場所。
 かつて自分が訪れ―――そして、全てを喪った場所。
 そこへ、あの少女が行きたいと望んだ。ある意味では、彼女が自分を連れてきたとも言えよう。
「馬鹿馬鹿しい」
 頭を過ぎった言葉を切り捨てると、透けるような翠の瞳は冷たい石のひとつに注がれて。

 ・・・・今さら、何を語ろうと言うのか。喪ったものは、二度と還ってはこない。それが真実。
 よもや、あの娘と自分が再び出逢ったのが、運命だの宿星だのと言う気もない。
 それなのに。
 ・・・まるで、これからの自分の未来を知り尽くしたかのような、この、なんとも不愉快で居心地の悪い状況を――――
「お前なら・・・・・・なんと言ったのだろうな。ジェイド」
「『死者は語らず。故に生者は、救いの御名において語らん』」
 呟きに返ってきたのは、勿論、この地に眠る『英雄』の声ではなくて。
 別段驚いた風も見せず、背を向けたままの神父に、背後の男が軽快に書物を弄びながら続ける。
「イルダナ神聖書第2項11節、だ。懺悔は終わったかい?神父殿」
「セイム。――何故、お前がここにいる?」
 やる気のカケラもなさそうに半眼を向ける相手に対し、ラーグの返答は、非常に冷めたもので。
 しかし、別段それを不快に感じることもなく、セイムはむしろ好意的な明るい声で皮肉った。
「あいかーらずドライだねぇ。久々の友人の再会に、そーゆー台詞はないでしょーよ?」
「お前とはネイザン大学で数度顔を合わせたに過ぎん上、その後もひと月単位で面識しているはずだが?」
「・・・・・おまえ、何気に今オレがすんげー傷ついちゃったコト、気づいてる?」
「俺は何故ここにいるのかと訊いている」
 わざとらしい溜息を吐くと、セイムは軽く責めるように、翠の瞳を覗き込んでいたが。
 すぐにやれやれと肩をすくめると、
「お仕事に決まってんでしょーよ。聴報院にゃ、結構有能な人材が揃ってるんでね~」
 聖職者には程遠いような、不良とも取れる投げやりな口調だったが。その言葉は、ラーグに全てを理解させるには十分だった。 黒い法衣の中で、皮肉を交えて薄く唇が歪む。
「あの眼鏡からの報告か。随分と仕事熱心なことだな」
「うーわー・・・・・言葉の刃がチクチクと。そーは言うけどよ、こっちだって根本的に人手不足なんだぜ? おかげでオレにまでこんな勅命が回ってきたし」
「聴報院最高官の『与言者(ペオース)』にまで監視させるとは。・・・・どうやら賢老院は、よほど俺が信用ならないらしい」
 元より求めてもいないことを口にして、ラーグはさらに、自嘲するように笑みを含め。

 その様子を、肯定でも否定でもない瞳で見つめながら、セイムは躊躇うように、小さく呟く。
「ラーグ、俺だって『与言者』の一人だ。お前があの魔剣を使って何をしようとしているのかも、ジイさんたちから聞いている」
「・・・・・・・・・・・」
「だから、なんだろ?だからこそ、ジェイド様やアリシア様に逢いに、お前はもう一度ここに・・・・」
「ただの偶然だ。行きたいと言ったのは、あいつだからな」
 小さいが鋭い声は、まるで、それ以上を言わせないかのように切り込んで。
 拒絶した領域から微妙に一歩引いたところで、セイムは視線を落として呟く。
「ミリア=イリス・・・ね。皮肉なもんだよな。よりによってあの2人の娘が、こんな形でおまえと旅をすることになるなんてよ」


 《レガイア》が盗まれて。
 危険視されながら、唯一その魔剣に呼応する程の力を持ったラーグが、奪還の命を受け。
 その力の暴走を恐れるが故、『いざという時』の処理役として、膨大な聖気を宿すミリアが従者として選ばれて。

 運命などと、在り得ない。
 全ては、理屈に基づいた理に従って累々と流れている。
 自分など・・・・・どう足掻いたところで、どうにもならない奔流の中で。


「・・・・『皮肉』、――か」
 そこまで言って―――ふと、ラーグの頬から笑みが消える。

  「もっと賢い言い方をするなら。――これは、『罰』だろう」 





+++++++





「・・・・。いつまでむくれてんの、ミリア」
 透きとおるような白い衣の裾を調節しながら、耐え切れんばかりに、エリーがうっそりと振り返り。
 この世の全てのものに石を投げ付けたい心地を顔面に縫い付けたような表情のまま、全身でいやぁなオーラをたぎらせている 少女へ、呆れたように腰に手をやる。
「ずっとそんなだと、本当に不細工になっちゃうわよ?」
「・・・エリー、あたしやっぱり」
「この期に及んで四の五の言わない」
 ぴしゃりと言い放たれて、ミリアは今一度「あああぁぁ」と呻いた後、再び椅子の上で小さく三角座りをして縮こまる。 言葉を探すエリーに代わって、年老いた手が、柔らかくその肩に添えられた。
「セルシス聖堂長?」
 エリーが名を呼ぶと、老女はふわりと微笑んで、びっくりしたまま見上げるミリアの視点まで腰を下ろす。
「突然のことで、ご迷惑をかけたことに関しては、本当にお詫びの言葉もありません。ミリア=イリス。ノワールの責任者として、謝罪申し上げます」
「ぅえっ?そそ・・・そんな!あ、謝らないで下さいセルシス様!」
 自分などとは比べ物にならないほど高位の聖女に頭を下げられ、ミリアは両手をわたわたと振り回して否定し。
 それを見ていたエリーが、針を置いた手を身体の前で組んで、
「そうですよー、聖堂長。単にこの子が、妙なトコで神経ほっそいだけなんですから。普段は魔族もぶった切るくらいズ太いくせに」
「・・・なんか今、遠まわしに馬鹿にしなかった?」
「気のせい気のせい」
 パタパタと手を振って明るく笑う親友を小さく睨みつけるミリアを、変わらぬ穏やかな目で見下ろして。
 セルシスはおもむろに立ち上がると、戸棚から、両手に乗るサイズの小箱を取り出してくる。

「今年は、『盾の聖女』――貴方の母君を讃える年です」
「え・・・母さん・・・・・?」
 跳ね上がるような返答に、老女はにっこりと微笑んで。
「ええ。かつて、ここノワールを救ったアリシア様の儀は、民にとってもかけがえのないもの。引き受けてくださいますか?」

 かつて、ノワールは強大な魔族によって襲撃を受けた。数え切れない人が死に、大地は枯れ、ノワールを焼き払った。 最悪、このファーネリア全土を呑み込もうとしていた破壊を阻んだのが、『盾の聖女』アリシアと、当時の聖堂騎士団長だったミリアの 父・ジェイドである。
 彼らは人を、そしてミリアを護り、命を絶ったのだと――――ミリアは、そう聞いていた。
 それから幾歳月も経た今でも、ここで、自分の母は人々に慕われ、敬われている。

「アリシア様が最期に付けていらしたものです。いずれは、貴方に差し上げるつもりでした」
 そう言って、セルシスが開いた小箱の中身は、片方だけの細いピアス。
 細かい装飾が施された金具に添えられているのは、透きとおるように蒼く、美しい水晶のような石で。
 しかし、ミリアが言葉を失ったのは、淡い記憶の中の母の姿を見たからではなく。もっと、近しい時間、近しい場所で――― これと同じものを見たことを思い出したのだ。
 陽の光をそのまま吸収したような金の髪の中、その瞳と同じ色をした石の輝きを揺らしていたのは・・・・・・・

「・・・・・・・・・・ラーグ・・・」


「ちょ・・・っ、ミリア?!どこ行くのよっ?」
 ピアスを見るや、弾かれたように駆け出していたミリアの背に、エリーの叫びが降りかかるも。
 まるで聞こえていないのか、栗色の髪はそのまま、廊下の奥へと消えていって。
「まったく、なんなのよ。いきなり・・・」
 後を追おうとしていたエリーを止めたのは、傍らで呆然とそんなミリアを見送っていたセルシスだった。
「お待ちなさい、シスター・エリー」
「でも・・・・!」
「今―――・・・・彼女は、『ラーグ』と。そう言ったのですか・・・?」
 見ると、いつも例外なく温和だった老女の頬が、見たこともないくらいに驚愕の色を刻んでいて。
「は・・・?はい、ミリアが今、従者として仕えている神父様だとか・・・」
「・・・・・・・・・・・・・」
「セルシス様?」
 怪訝そうに覗き込んでくる修道女の前で、セルシスは口元に手をやり。
 馳せるには血生臭すぎる記憶を蘇らせながら、同時に、一人の男の姿を視界によぎらせる。
「ラーグ=クラウド。・・・・・彼が、この街に来ているのですか・・・・」



+++++++



「フンフンフ~ン♪」
 本人の体躯からすれば、やや大きすぎる――と言うより、種族的に規模が違うほどの広い部屋の中央で。
 ティティは窓際のテーブルに肘をつきながら、上機嫌に鼻歌を歌っていた。
 薄着の彼女の肌に、この極寒の大気は殺人旋風のようなもので。しかし、暖炉の揺らめく暖かい室内は、外とは対照にひどく心地良いものらしい。
 ミリアが頼んで用意させてくれた客室は、閑静な街に似合って、上品な静けさを飾っている。
 そんな中で、妖精はこれからのイベントに胸を膨らませていた。
「早く始まんないかしらね~、聖女の式典♪」
「・・・・本人は相当イヤがってたよーに思うぞ?」
 鼻歌に答えたのは、同じく室内にいた一人。
 ようやく狭っくるしいランプから這い出た魔人は、つい先刻、引きずられるように仕立て室に連行された少女を思い出しながら、 ボソリと感想を口にして。そんな憐れみを全面的に否定しながら、ティティの目はキラキラと輝いている。
「ばっかじゃないの?!あのミリアが綺麗に着飾るのよ・・・あのミリアが!」
「・・・オレはテメェら妖精の友情理論ってのがよく分かんねェよ・・・・・」
「うっさいわね!――コホン、とにかくよ。こんなチャンスをみすみす見逃す手はないわ!アタシは前っから思ってたのよ、 ミリアは磨けば光る窓ガラスだって!!」
「・・・・・・・・」
 褒めてはいるが、格段に質が落ちている気がするのは何故だろう?
 頭の隅でそう突っ込みながら、あえて口には出さずに、ジンは不機嫌な眼差しを閉ざした窓に向けた。
 時間が止まったかのように、静かな白雪が路上で停止している。
「つーかよ、お前ら魔族棲息域に行くんだろ?寄り道してるヒマなんざあんのかよ。あのアレンとかってガキも、あいつはあいつでどっか行っちまいやがったし」
「歩く氷と空気なんか気にしたってどーしようもないじゃない。なんなのよ、アンタ?さっきから文句ばっかね。 せっかく無言では入ってこないように修道女さんたちに頼んでおいたのに。やっぱアレ?魔族って、教会は無条件で キライなもんなの??」
「何気にVIP気分満喫しやがって・・・・・・。そんなんじゃねェよ」
 誓約に縛られているとはいえ、やはり魔族であるジンがおおっぴらに姿をさらすのは脅威である。
 無駄な騒ぎを防ぐため、ミリアとティティが施した予防線にも、魔人はあまり気にした風を見せず。
 いつもの眉間に、さらに嫌悪の皺を刻み込んで、誰もいない路上を睨みつつ吐き捨てた。


「いけ好かねェんだよ、ここは。・・・・・昔からな」





+++++++





 どれくらい走ったのか。
 世界の果てまで走りきったかのように、ミリアの身体は悲鳴を上げていた。
 だがそれは、純粋な疲労からではなくて。

 なぜ
 なぜ
 あれは間違いなく、ラーグがしているものと同じピアスだった。
 同じデザインのものをたまたま、など在り得ない。ちらっと見ただけだったが、装飾と見える部分に多大な呪紋の輪が刻んであった。詳しくは分からないが、あれは特別な魔導具だ。
 それをなぜ――――母と同じものを、母の形見の片割れを、なぜ彼が身にしているのか?
 分からない。まさかラーグは――――――

「ラーグ!!」
 がむしゃらに走り続けて、ノワールの奥。深淵なる墓地へと辿り着いたミリアは、視界に捕らえた黒い法衣へ反射的に叫んでいた。
 本人より先に、隣にいた見知らぬ男の方が振り返ったが。
 やや遅れて動かされた視線は、そちらとは対照的に悠然と揺ぎ無いもので。
 沈黙の中で、荒げた息を整えながら、ミリアはふと、法衣の足元に突き立つ2つの墓標を確認した。冷たい石の表面に 刻まれた名が、かつて自分と、自分の住む大地を護る為に散った人物のものだと分かると。
 動揺はしつつも毅然とした瞳で、少女は目の前の男に問いかけた。
「どうして・・・・・ラーグがここにいるんですか?」
「・・・・・お前には」
「関係ないなんて言わせませんよ!そこに眠っているのは、あたしの父と母です!!」
 本当に真を突かれたのか。断言するミリアの言葉に、神父は眉目を僅かに動かしただけで沈黙し。
 「あーりゃま~」と、まるで人事のように頬を引きつらせるセイムを挟んで、両者が言いようのない圧迫感を滲ませる。
 やがて、ミリアのほうがその重い口を開いた。
「どういうことですか・・・・・なんで母さんと同じピアスを、ラーグが持っているんです。まさか・・・」
 まさか――――
「母さんと――逢ったことがあるんですか?」
「そうだと言ったら?」
 返答は、セイムもびっくりするほどに、あっさりとしたもので。
 思わず声を失っていたミリアだが、黒い法衣がこちらへ向かって歩み始めた音を聞き取ると、焦燥したようにまくし立てた。
「そんな・・・・どうして言ってくれなかったんです!」
「言う必要があるのか?すでにこの世にはいない者の、何を語れと?」
「聖女の式典に身につけるのは、その聖女が亡くなった時に身に付けていたものです!どうして母の遺品の片割れを、貴方が 持っているんですか!・・・一体貴方と母は、どういう―――・・・っ」
 心の奥底をさらけ出しながら、一気に吐き出しているうちに、いつの間にか長身の男は自分のすぐ目の前まで近づいていて。
 覆い潰されるような威圧に、ミリアが小さく息を呑んで見上げると。信じがたいほどに冷え切った、人形のような瞳で、 ラーグは自分と視線を合わせることなく、ミリアの質問にたった一言の解答を返す。


「――――殺した」
「え・・・・・」
 理解の範疇を超えた言葉の意味を、ミリアが整理できない虚ろな瞳で見上げると。
 ラーグは一瞬、哀しみを含んだような瞳を下ろし、止めを刺すようにきっぱりと言い切った。

「アリシアと、そしてお前の父ジェイドを殺したのは、俺だ」



 ・・・・・・・・・・・・体が、動かなかった。
 背後へ遠のいてゆく広い背中も、肌を刺すような寒空の空気も、頭では十分に理解していたのに。
 なぜか、全身がまるで見えない杭に穿たれたかの如く、ピクリとも動かせなかった。
「・・・・・ど・・・・――」
―――どういうことですか―――?
 今すぐにでも振り返ってそう問いただしたかったのに、喉が凍りついて声が出ない。
 結局ミリアは、そのまま去っていく神父の背を見送ることすら、叶わなかった・・・・・・・・・・



 ようやく、自力でしゃがみ込めるまで回復した時には、すでにもう、背後の気配は完全に遠ざかっていて。
 やはり声は凍てついたままだったが、かわりに頭の中は、混沌の渦と化していた。
 父や母の話は、幼い頃からこれでもかと言うほど聞かされた。この大陸で最強の称号を持ちながら、常に誇り高かった父・ジェイド。心優しく、誰であろうと在りのままに包み込んでいた母・アリシア。気がつけば、他の者たちが当然のように持っていた温もりを喪っていたミリアが、常に自分を奮い立たせてこれたのは、この高い理想と尊敬があったからに等しい。
 悪しき魔族から国を護り、『英雄』として崇められている者たちの血を引いている。
 そう思い続けたからこそ、幼い自分は縋る弱さを断ち切り、強くあれと言い聞かせてこれたのだ。

 ――それなのに。
「・・・・・・どうして・・・っ・・・」
 どうして、ラーグが彼らを殺したことになるのか?ノワールを襲ったのは、魔族ではなかったのか?何が正しいのか? 自分がこれまで信じてきたものは、一体なんだったのか?
 果てしない疑問を抱えながら、それでも涙を見せようとしない少女を見下ろして。
 しばらく黙っていたセイムが、ため息混じりに頭を掻きつつ、毒づいて、
「あ゛ー・・・・んのアホが。そこで止めるか、フツー?」
 ミリアにとっては知らない人物だったが、どうやら声は、ここにはいない神父を責めているらしい。
 セイムはそのまま、呆然と頭を持ち上げるミリアと視線を交わらせる。

 かつての聖女と同じ色をした瞳が、数え切れないほどの疑惑と焦燥、そしてわずかな恐怖に淀んでいるのを見つけると。
 同情はしないが、当然のことだろうと客観的に感じると、軽薄な表情に戻って少女の視点にまで膝を折った。
「はじめまして、お嬢さん?オレはセイム=リカルド。まぁ早い話が――・・・ラーグの同期とでも言っときますか」
「・・・・・・・?」
 眉をひそめるミリアは、目ざとく彼の下げる金の十字架に顔を傾けて。
「ああ。ま、それなりに位階は上かねー」
 視線に気づいたセイムは、あまり詳しくは告げずに、どうでもいいことのように片手をひらひらと振りながら笑う。
「悪ぃな、あんたなら分かってっと思うけど・・・・あいつは、ああいう言い方しか出来んやつだからよ」
「・・・・・。・・・本当なんですか?」
「ん?」
 未だに眠たそうな、心理が掴めないような能天気さのどこまでを信用したのかは分からないが。
 再び視線を落とすと、ミリアは真実を知ることを怯えるように喉を震わせて、
「本当なんですか?ラーグが、あたしの父と母を・・・・・・・・・こ、殺したって」
 視線が外れたせいか、セイムの表情からは先ほどまでの軽薄さがぴたりと消えていて。
 黒い法衣が去っていった方をもう一度眺めると、半分呆れたような、諦めたような息を吐く。


 ・・・あの男が、無と静寂を怖れないことなど知っている。
 何かを喪うことも―――いやそもそも、喪うようなものからして作らない男だ。
 それでも、あの日の出来事は、ラーグを『罪』という形で呪縛し続けている。喪ったものと奪ったもの。その代償を 『罰』として、永遠に刻みながら。
 語る必要がないのではない。語る資格がないのだ。
 そして、ここにその『罰』に捕らわれないセイムを残していったことで、少なくとも、この少女の疑問に答えることは出来る。


「・・・・・・昔話をしましょーか、お嬢さん」
 ミリアの顔が上げられ、セイムは藍の奥で苦笑するように肩を下ろす。
 大聖堂教会設立後の全ての歴史と真実を知る『与言者』は、触れては溶ける雪のように、その事実を紡いでいった。





+++++++





 悠久の時など、怖くはない。
 そんなものは、この時間の止まった肉体が、有難いほどに拒絶してくれた。
 凍てついた風など、どうでもいいくらいに。
 無と言う名の静寂は、自分に揺ぎ無い安息を恵んでくれていて。

 その安息の中に、無遠慮なまでに灯りを灯して踏み込んできた存在は、一体自分にとってどれほどの意味があったのか―――


 いつの間にか、再び降り始めた白雪の下。
 人の気配の無い広場に立つと、ラーグは新しい足跡を刻んだまま、ゆっくりと灰色の空を見上げる。
「・・・ここは、いつでも雪が降っているんだな」
 永遠に溶けることがないかのように。
 封じ込めた真実を、隠し通そうとでもするかのように。
 白い吐息と共に吐き上がっていく自身の言葉を見つめながら。

 ラーグはゆっくりと―――静かで、温かく、そして忌まわしい記憶の糸を解いていった。

【第4章】魔の血族 -the demon blood- 6

2016.05.16 22:25|クロスマテリア
「しっかしまた・・・随分と大層な眺めだねこりゃ」
 皮肉を交えたタキの声が、陰鬱な室内を撫でていく。
 小さな窓から臨める遺跡群。その中で一際目立つのは、地中から突き出るように高い蒼穹を目指す、一本の柱だった。 余計な凹凸のない滑らかな表面の周囲には、幾重にも巨大な呪紋(じゅもん)の輪(リング)が重なっており。くるくる、くるくると、絶え間なく 内側から溢れ出る聖気の流れを、光の渦が循環させている。
 ついさっきまで固く封印されていたはずの古の砦の、あらゆる意味で変わり果てた姿に。
『聖地を解放した』
 魔族が残したその言葉を信じることに、なんの疑惑も、湧きはしなかった。



「・・・・で?どこまで話してたっけ?」
 《使徒》の一人、ライラが立ち去ったあと。
 宿に戻ったラーグたちは、状況を整理すべく、各々で目を合わせているわけで。その矢面にタキが悠々と腰を下ろしているのにも、 ちゃんとした理由があった。
「数年前、あの砦が発掘されたところだ」
「ああ、そうそう」
 瞑目するラーグへ適当に手を振りつつ、タキは垂らした横髪を指で弄ぶ。
「当時からぶっちぎりで規模のでかい遺物だったからねぇ。おエライ連中にとっちゃ、まさに宝箱掘り出したようなモンだった ろうさ。けど不思議だったのが、どれだけ神官や司祭を使っても、何度試みても、全く封印が解けなかったコト。・・・ま、一部の 学者たちからすりゃ、それがまた魅力だったみたいだけど?結局そのまま、何年間も放置されてたワケさね」
「??封印方法は他の遺物と変わらなかったんでしょう?どうして・・・・」
 お茶を注いだカップを握りながら、ミリアの首が小さく傾ぐ。
 古の産物は、果てしない時間の最中、外物と完全に遮断するよう誓約を刻んで封印されている。人為的なケースもあれば、 時の流れとともに自然とそれらを覆い隠す、ヴェールの役割を果たしたりもするのだが・・・・・
「・・・・魔の誓約か」
 沈黙を破ったラーグの言葉に、タキは無作法に足を組み直すと、小さく笑って頷いた。
「そーゆーコト。いくら刻まれた誓約が同じ形でも、根源の力が聖でなく魔によるもんなら、いくら聖魔導で緩和させようとしたって 同じことサ。まぁあたしも、《使徒》が一枚咬んでたってのには、さすがに驚いたけどねぇ」
「そこまで分かってて、なんで黙ってたワケよ??」
 自身の身の丈ほどある果物を抱えながら、ティティが不思議そうに訊ねてくる。
 タキは苦笑した。・・・思い出したくないものを思い出したときの、静かな笑みだった。
「・・・禁忌の仔ってのは、できりゃぁバレないほうが、それなりに人生楽しく過ごせるんだよ。教会の人間すら気づかないほどの微弱な魔気を感じ取れる、なんてのは特にね。――――あんただって。そう、思うだろ?」
 流れるように動かされた視線を目で追って―――
 赤い瞳に、真っ直ぐ映された少年は、意外と驚かないまま、返事をするように軽く肩を落とした。
「鋭いとは思ってたけど・・・・もしかして、最初からバレてたり?」
「いくらなんでも、聖気も魔気もからっぽなんてヤツは普通いないからねぇ。何かを得ると同時に、必ず同等、 もしくはそれ以上の何かを失う。それが禁忌の仔の宿命サ。あんただって・・・・・」
 そう言って、タキの赤い眼はゆっくりと、アレンの緑の視線と重なり。
 しばしの沈黙のあと、どこか面倒そうに目を逸らしたのは、タキのほうだった。
「・・・・ま。あえてその中にナニがあるのかは、聞かないどくよ」
「そうしてもらえっと、助かるかな」
 アレンの顔は、屈託なく掴みどころのないいつもの笑顔に戻っていた。

「そりゃそーと、話を戻しましょうや。今の問題は・・・なんで魔族のトップが、聖地の解放なんざして周ってるかってコトでしょー」
 半分強制的に話を切って、アレンは飄々とした態度のまま組んだ腕を後ろへやる。
 聖地とはすなわち、聖気の湧き出る泉のようなもの。
 それらを全て解放すれば、当然世界は多大な聖気で満ち溢れることになる。魔族が進んでこれを行なうことは極めて奇異だ。 そもそもこれらの封印は、古に魔族自身が神を封じるために施したものとまで言われているのに・・・・・
 まったくもって、訳が分からない。《使徒》は何を考えているのだろう?
 黙々とした思考がミリアたちの中を駆け巡り。
 重ったるい空気に嫌気がさしたのか、それまでずっとだんまりを決め込んでいた一人が煩わしそうに頭を掻き毟った。
「っあ゛―――くそ!やってらんねぇな。いつまでもくだらねぇことでダラダラ悩みやがって。言っただろうが。 弱いモンに興味はねぇ、より強いモンに従う。それが魔族だってな」
「ジン」
 ミリアが名を呼ぶと、自称魔人はフン!と腕を組んだまま宙を漂い。
 両手の鎖をジャラリと鳴らせて、不機嫌な眉にさらに皺を寄せる。
「だいたい、使命とあっちゃ何も知らなくても黙って従事する。やおら知恵持って忠誠心の厚い《使徒》なら、なおさらだ。 何かにつけ理由つけたがるテメェら人間とは違うんだよ。しかしまぁ、そっちにとっちゃいいコトなんじゃねぇか?目的さえ 果たしゃ殺さず退くような連中だし。今は3人しかいねぇハズだしな」
「3人?・・・っつぅことは、前会った2人と、今回のライラって奴と、これで全員か」
「もうひとりは??」
「さーてね」
 適当に答えられると、ミリアは一度ぷぅっと膨れ、次いで手を口に添えた。
 ・・・なんにせよ、向こうは3人で、個々が強大な力を有し、そしてなにより―――。命に対して、恐ろしく冷徹で残酷な 考え方を持っている、と言うことだ・・・・・・・・。


「・・・・?・・・ナンだよ」
 腑に落ちないような視線を感じ、ジンはわずかに引くと、発信源の少女に訝しげな目をやり。
 ハッとなったミリアは、慌てて両手をわたわた振った。
「あ!いやえっと・・・・随分詳しいんだなぁ、と思って。魔族って、結構アットホームなんだね」
 苦笑いを浮かべるミリアの指摘に、ジンの赤い瞳に一瞬焦燥の色が浮かぶや。
 パタンと古書の閉じられる音が、上手くそれを阻めて。見ると、相変わらず無表情のまま、ラーグが気のない溜息を零しており。
「・・・あまりそいつに近づくな。『見初められた者』の称号を剥ぎ取られるぞ」
「・・・っ、テメッ!いつまでそのネタ引っ張り回してんだコラーーーーッ!カン違いすんなよッ?!オレはただ――」
「あーハイハイ☆」
 中指立てて喚きかけたジンを阻んだのは、いつのまにか、ガッシリとその肩に腕をかけたアレンのにこやかな笑顔で。 ・・・・傍から見ると肩にかけているのか首まで回っているのか、判断の難しいところであったけれど・・・。
「まぁまぁ神父さん。誤解だったんだからもうその辺にしといてやりましょーや。あんただって、もう反省したもんな~」
「オレが何に反省せにゃ・・・!」
「な。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・っ・・・・・・・・・」
「・・・・。アンタ、マジで何したのよ?」
 全身にびっしりと冷や汗を浮かべて固まるジンを見て、頬を引きつらせながら訊ねるティティに。
 アレンはかけた腕をもう片方の手でがっちりと挟みこんだ状態のまま、明るく微笑んだ。
「だーから。穏やかに話し合ったんだって。ちょっぴり《真理眼》とか使ったけど」

 ・・・これを実力行使と言わず、なんと言おうか?
 なんだかあえて聞かないほうがいい気がして、妖精はそのままミリアを振り返ると。  ・・・今更ながら、ラーグに言われた言葉の意味を考えていた少女は、ポンと手を叩いて頷きつつ、
「――ああ!大丈夫ですよっ。教会の称号は、賢老院の方にしか外せませんからっ」
「「「「もういい」」」」
 ラーグ以外の全員にそう言い切られ、ミリアはただきょとんと目を丸くするしかなかった。


「《使徒》が何を考えているにしても」
 深い息を吐いたあと、うっそりと呟く金の髪に。
 ミリアたちが視線を注ぐと、相手は本を書棚にしまいながら続ける。
「《レガイア》を奪ったのが奴らなら、奪い返す。邪魔をするなら消す。それだけだ」
「消す・・・ねぇ。随分簡単に言ってくれるけど、相手は《使徒》だよ?魔族棲息域じゃあ大した聖気も扱えないだろうし・・・・魔獣 も喚べない今のあんたじゃ、正直難しいんじゃないかい?」
 場の空気が静まるも、ミリアにはさほどの驚きはなかった。
 ライラの言葉から、彼が魔獣を召喚できなくなっていたことは分かっていたし、ここに戻って真っ先に聞いたのもそのことだ。 ついでに、ラーグがタキの元へと訪れたのが、この原因を調べるためだったということも。
 最初は自分が近くにいるせいでは、とハラハラしたのだが、タキが言うにはそれが直接の原因ではないらしい。ミリアの聖気は 確かに膨大だが、冥界の番人と契約を交わすラーグの魔気をここまで抑えこむほどではないのだとか。
「そういえば・・・ライラが言ってましたね。そもそも魔導がどういうものなのか、考えてみろ・・・・・って」
 空になったカップを机に置いて、ミリアの声が深刻さを増す。
 考えたこともなかった。魔導とは、生まれたときから自身の中にある聖気と、そして魔気を材料として生み出す法則。 学んで努力すれば大概の人間は使えるし、それに別段疑問を感じたこともなかった。しかし、それでは聖気と魔気とは何なのか。 なぜ生き物の体に宿り、生命の役割を果たし、当然のように循環するのか。
「・・・・・誓約か」
 ぼそりと零れた低い声に、全員が振り返り。
 ラーグは手を口に添えながら、あくまで淡々と、思考を紡ぐ。
「聖と魔。いずれの場合も、『力』と括れる全てのもの―――さらに言うなら、それらによって具現するものが皆、誓約に よって生み出されているのなら。俺と魔獣の間を結ぶそれが切り離されつつあると考えれば、得心がいく」
「!?ちょ、・・・ちょっと待ってくださいっ?」
 混乱しだすミリアは、一度頭を抱えて理解しようと頑張ったあと、
「仮にそうだとして・・・・・・・誓約を切り離すなんて、一体誰が・・・・」
「さあな。より強いものに従うのが、魔族なのだろう?」
「・・・!ラーグ、あんたまさか―――」
 意味深な言い回しに驚愕の声を絞ったのは、タキひとりだったけれど。その後ろで椅子に腰掛けるアレンの表情も、何かを確信 したように曇った影を落としていて。
「―――・・・・いつから気づいてたんスか?」
「疑問だけなら、随分昔から感じていた。今回のことで確信に変わったが」
 ひたすら意味が分からないミリアと、黙ったまま腕を組むジンの前で。
 ラーグの出した結論は、ミリアの予想を遥かに上回るものだった。

「魔獣と《使徒》は、全く同一のものだ」


 声が、出なかった。
 驚いたなどというものじゃない。
 その瞬間、確かにミリアから、一切の言葉が消え去った。


「冥界の番人と《使徒》が・・・・・・・・・同じ・・・・?」
 掠れた喉にも、ラーグは大して便乗した風を乗せず、
「《使徒》は、魔族の頂点に座するもの。そして番人は、魔を裁き葬る唯一の魔族だ。理屈に不備な点はない」
「じゃあまさか・・・魔獣が喚べなくなったのも・・・」
 不思議と冷静になった頭で思案するミリアに、次いで答えたのはヒマそうに椅子を揺らすざんばら頭。
「誓約が切れかけてるってんなら、あいつらを縛るモンもだいぶ緩まってるよなぁ?面白いことに、最後に召喚したのはルドル。 連中が初めて俺らの前に現れたのも、ルドル。時期的にもピッタリだ」
 もうほんと。清々しいまでに。
 ここまでピッタリだと、疑う余地すらない。

 軽く唇を噛んで――ミリアは、苦い表情を浮かべた。
「・・・・・でも、それじゃ《使徒》を倒したら――・・・・って、ドコ行くんですか?ラーグ・・・」
 面を上げると、なぜかラーグはいつの間にやらマントを羽織い、無言のまま部屋の入り口へと向かっていて。
 肩越しに視線だけふり返ると、一言。
「そろそろ来る頃だ」
「・・・・・・・・・・はい?」
 さっぱり訳が分からんミリアたちの前で。外に出ようとしたところ、タイミングよく音を奏でたノックとともに、一人の老人が 客室を訪れた。
 なかなか紳士な恰好をしており、口髭の間から覗くパイプが妙に合っている。
 老人はラーグの姿を確認するや、帽子を取り、意気揚々と頭を垂れた。
「おお!これはこれは神父様。この度は大変お世話になりました!」
 初めて見るも甚だしいミリアにとっては、無言になるよか方法がない。すると、奥から顔を覗かせたタキが、「ありゃ?」と 小声で呟く。
「あれ、イリーダの遺跡文献保管部で一番エライじーさんだよ?あいつ一体ナニを・・・」
「いやぁ見ましたぞ!あの砦。何度試みても全く封印が解けんかったというのに。いやはや、やはり聖都の神父様は違いますなぁ」

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 チョット待て。


 なんだかとんでもなく嫌な展開を想像して、ミリアは硬直したまま真っ白になり。
 上機嫌のため周りが見えていないおじいさんには、そんな刺すような視線には気づかない。
「調査のみをお願いして、よもや封印まで解放してくださるとは万々歳です。しかも聖地とは、イリーダとしても鼻が高い! 遅くなりましたが、これはほんのお礼でございます。これからの旅に少しでもお役立て頂ければ・・・・・」
 言って差し出された袋を見て、タキが愕然と口を開けた。
「あ、あんなに・・・・!クッ・・・ラーグのやつ、あたしに払った倍はあるじゃないか・・・ッ!」
「・・・そぉ?普段持ってるぶんと袋の大きさ変わんない気がするけど」
「バカだね。銀貨より金貨の音のほうが多いだろっ」
「・・・・・・・・・・・・・イヤ、分かんないし。」
 やや専門的な会話をするタキとティティの横で、ミリアがオロオロとラーグの行動を見つめていると・・・・・

 やがて、無言で老人の話を聞いていたラーグが、落ち着いた口調で静かに呟いた。
「大したことではない。今後もこのイリーダを含む世界の平穏のため、これらは有効利用させてもらおう」


 失神したミリアに代わって、今夜の夕食はアレンが作ることとなった。





+++++++





 夜も深くなると、昼間の賑やかさは一変し、街を抜けるのは静かな闇と、乾いた北の風のみで。
 それでも解放された聖地の塔は、街を見下ろすように虚ろな光の輪を回しつつ。放射を続ける聖気の波は、優しく拭うように、 群青の空を照らしている。

 ミリアは、眠れなかった。
 包み込むように頬を撫でるほどの聖気に慣れなかったのか、それとも昼間の悪夢のせいなのか。そこんとこはよく分からなかったけれど。とにかくシーツにくるまっているだけで、ギンギンに目は覚めていた。すぐ側からは、ティティの健やかな寝息が聞こえる。
 タキは帰ったものの、こう人数が増えると、さすがに一部屋では窮屈になるもので。あくどい方法であれ、かなりの収入もあったので、 今日のところは2部屋に分かれることとなった。「ジンはランプに入れるし、そんなに幅取らないんじゃ?」と言いかけたところ、 なぜかランプが真っ先に隣部屋に放り投げられたのがちょっと疑問だったけれど・・・・・。
 そのとき、窓の外からドアが軋む音がした。
「・・・・・?」
 そろそろ月も天頂をまたぐ。こんな時間に誰が??
 そろりと窓の外を覗いてみると―――月光に照らされ、見知った金の髪が宿から出て行くのが見えて。
(・・・・・ラーグ?)
 確認のためか、ふいに上げられた視線を避けようととっさに窓際に隠れ、再び遠ざかり出した背中を不審な瞳で追う。
 方角からして、どうもあの塔へ向かっているようだ。
 一瞬迷ったのち――――ミリアはそっと、ベッドから抜け出した。





+++++++





 ・・・・確かに、塔へ向かっているという予想は当たっていたけれど・・・

「・・・・・・上?」
 適度に距離を取りながら、前を行くラーグの行き先に。ミリアは意表を突かれつつ、呪紋の巡る上空を見上げた。
 塔へたどり着いたラーグは少し周囲を調べたあと、壁の一部に手を当て。一言何かを呟いたかと思うと、突如、真白い壁面に 幾筋もの呪紋が走り、人一人が通れるくらいの入り口が出現していた。
 その中へ踏み込むと、中は延々と続く螺旋階段がとぐろを巻いており。ただ普通の階段と違ったのが、石や土ではなく、段差ごとに 僅かな隙間を開けて、半透明の呪紋の帯によって出来ていたことで。
「だ・・・大丈夫なのかなコレ・・・・・途中で消えたりしないかな・・・」
 上へと登れば登るほど不安が増し、ミリアは恐る恐る足元で輝く光の循環を確認しながら一歩ずつ踏み出す。すると、いきなり何かに頭をぶつけ――
「ふわ・・・っ!何?―――――・・・あ。」
 見ると正面には、冷ややかな顔で見下ろすラーグが立っていたわけで。
 間抜けな声で硬直するミリアに、短い溜息が降ってきた。
「・・・・・・・何をやっている」
「――えっと、その・・・・・・・・」
「 尾行するならまず気配を消せ。そして余所見をするな。さらに言うなら、独り言を言うな」
「ぅ・・・・・・・・・」
 モゴモゴと言葉を濁らせる少女は、力なく全身で項垂れるばかりで。
 いつから気づいていたのやら・・・・・。がっくりと肩を落とすミリアを一瞥したあと、神父はそのまま、またコツコツと階段を 登り出した。そして。

「何故、ついてくる?」
 引き返すと思っていたのが、懲りずに堂々と後を歩んでくる従者を振り返り、ラーグは陰鬱そうに顔をしかめた。
「用がないなら帰れ。俺は調べることがあって来たに過ぎん」
「なっ。それなら尚更です!あたしはラーグの従者なんですからっ。解放された聖地を調べるのなら、従者の同伴は 許されるはずですよっっ」
 面と向かって言い切ると。
 ややあった後、ラーグは諦めたように再び歩みだし。
「・・・・勝手にしろ。落ちても知らんぞ」
「ご心配なく!そんなヘマは――――わきゃぁぁッ?!」
 威勢のいい返事をするや否や―――。見ると、足を踏み外したミリアは見事に帯のひとつに必死でしがみついていて。

「・・・。俺はお前を尊敬すればいいのか?それとも憐れむべきなのか?」
「・・・・・・・・・・・・・手を貸してください・・・・・」





+++++++





 塔の最上階は外から見たのと同じ、滑らかなドーム型になっていて。
 床や壁、さらには天井までにも無数の輪が広がっていたのに、一瞬ギクリとしたけれど。その循環が常に一定の濃度を保つ 聖気の奔流なのだと分かると、ミリアはどこかホッと息を撫でた。
 淡く輝くそれらへ掠れる程度に手を添え、何かを確かめるように周囲を歩いていくラーグに。
「素手で輪に触れて、大丈夫なんですか?」
 なんとなく思ったことを口にすると、目の前の男はなんでもないような口振りで、さらりと言ってのける。
「急速に体内に流れ込んでくる聖気を制御できなければ、体が砕けるだろうな」
「――なぁッ?!・・・へ、平気なんですかラーグッッ!?」
「問題ない。例え手足の1、2本無くなろうとも、俺は死なん」
 変化のない単調なトーンで答えた背中に、光を吸った紫暗の瞳が繋ぎとめられる。

 ・・・・・それは決して、多大な力を持ったことへの自信などではなくて。
 消えぬ聖痕を背負った者の、行き場のない迷路の中、彷徨い続ける果ての声に聞こえた。

「ラーグ・・・・寿命まで止まってるって、なんで言ってくれなかったんですか?」
「不死の聖痕については話したはずだが」
 背中を向けたままあっさりと放たれた返答に、ミリアは一瞬理解が追いつかず。再稼動した頭が理解するころには、 勝手にすっとんきょうな声が上がっていた。
「・・・・はぁぁ!?何言ってんですか、回復力のことしか聞いてませんよっ!」
「会話の流れで察するぐらいしろ」
「今更んな無理難題つっかけないでくださいっ!!」
 肩でゼーゼー息を荒げたあと、ミリアはどこか張りつめていたものが一気に解けたように、へなりとその場に座り込む。
「まったく・・・・そもそも一体何がどうなって、あなたにそんなものが刻まれてるんですか・・・」
「さあな」
「またいー加減な言い方を・・・・」
「本人すら覚えていないことを、どうやって説明できる」
「だからそういー加減な――――え・・・?」

 はたと気づいて顔を上げるミリア。
 一度手を止めたラーグは、こちらに表情を見せないまま、低く呟いた。


「どれほど昔だったか、もうそれすらおぼろげだが・・・・何も無い荒野で、今の姿のまま、俺は目を覚ました。 ―――それ以前のことは、全く記憶に無い」



「何一つ・・・・・・覚えていないんですか?親も、生まれも――――・・・・どうして、そんな体になったのかも」
 呆然と繰り返すミリア。
 壁の一点で視線を止めると、そのままの姿勢でラーグは答える。
 冴えた光の灯す横顔の、なんと冷たく酷薄なことか。
「唯一覚えていたのは、自分の名だけだ」

 何も無い    真っ白な世界で

 自分の存在すら     虚ろな視界の中で

 それだけが     確かにそこに在った


 ―――まるで、違えることを許さないかのように。


「・・・じゃあ聖痕も、魔獣を喚ぶ力も、そのときから・・・?」
「断言はできん。だが、そこから後でこれらを手にした記憶も無い」
 いつもと変わらぬ抑揚のない口調は――・・・しかし、いつもよりずっと深淵へ堕とされた、まるで人形のような頬から紡がれて。
 これから自分が言うことが、彼をさらに傷つけないか、と不安に駆られながら、ミリアは引き結んだ唇から呟いた。
「ラーグは・・・・これでいいんですか?」
 ミリアが俯くと、今度はラーグの視線が下げられる。
「何が」
「《使徒》を倒してしまったら、ラーグと魔を結ぶその力も絶たれます。ラーグの記憶を知る手がかりが、一つ消えるんですよ? それでも・・・・・いいんですか?」
 おせっかいなこと、この上ない。
 そう自覚しながら、それでもミリアは、胸の思いを吐き出さずにはいられなかった。
 少し間を置いたあと、ラーグはもう一度触れた壁に視線を戻し。・・・目を伏せたあと、音もなくそっとその場から離れた。
「帰るぞ。用は済んだ」
 ちょっと飛びすぎな言葉に、ミリアは埋めていた頭をピョンッと跳ね上げ、「え?」と目を丸くする。
「・・・。結局、何しに来たんです??」
「同伴の権利はあっても、従すべき者の私情を聞き出す権限は、従者にないはずだが?」
「うー・・・」
 恨めしげな瞳で小さく睨むと、ラーグの足は自然とミリアの方・・・つまりは螺旋階段の方へと向かい。
「《レガイア》さえ取り戻せれば、俺にとってあんな力など、何の価値もない」
「・・・?『さえ』って・・・・・そりゃあ審議会の命令は絶対ですけど」
「審議会、か。―――そういえばそんな命令でもあったな」
「え?」
 眼前に見えた、僅かに自嘲したかのような薄い笑みに。
 ミリアが首を傾げかけ、同時にラーグの黒い法衣が隣の風を撫でる。


「あの剣が俺の望みを叶えさえすれば。あとはどうなろうと、知ったことではない」



 ・・・何故だか、分からなかった。
 まるで己の意志で動いているような口振りだとか、《レガイア》が望みを叶えるだとか。分からないこと、訊ねるべきことは山ほどあったのに。
 そんな疑問よりも、過ぎ去ってゆく背中に感じた不安が、一瞬胸を満たし。

 何故だろう、酷く嫌な予感がしたのだ。
 彼がこのまま―――どこか、遠くへ行ってしまうような、気がして・・・・・・・・


 気がつくと。
 いつの間にかミリアの力ない手が、ラーグの法衣の裾を掴んでいた。
 振り返られた端正な面立ちが、心なし程度、驚きの色を刻んでいる。交わった視線に、ミリアはようやく我に返り――
「・・・・・へ?――あ、あれ・・・?!」
 慌てて手を離すと、輪の光に照らされたそれは、なんの抵抗もなくふわりと落ちた。
 しばし混乱するミリアを細い目で見つめたあと、
「・・・・帰るぞ」
 振り返ると、それ以上は何も言わず、一度もミリアを顧みることもなく―――呪紋の段を下っていく。
 後に続き、その背を見上げながら、ミリアは胸元の十字架を両手で握りしめた。

 ――何故だか分からない。けどあのとき、確かに願ったのだ。


 『いかないで』   と――――――





+++++++





「人って、誰でも心にお星様を持っているんですって」

 塔から出て、もと来た道を歩む中。
 天を仰いで呟く隣の少女の目には、零れんばかりの星空が広がっている。
 歩調を緩めぬまま、ラーグは気のない声で言う。
「・・・それは、死者の聖気が屑となって空へ昇るという、お前たちの空想か?」
「どーしたらそんな夢のない解釈へ結びつくんでしょうね・・・」
 半目を軽く逸らすミリアは、「そうじゃなくて」と、傍らの長身を真っ直ぐに見上げ。
「ほとんど覚えてないんですけど・・・・。昔、母さんが言ってたんです。どんなに真っ暗な夜にでも、必ず一つはその人だけが持つ 光があるって。どんな仄かでもその空を照らして、それを失いさえしなければ、いずれ必ず朝は来るって」
 想い出のページを捲るように繋がれた声は、やがて、強い瞳のそれに変わって。
 霞みがかったような記憶に関わらず、彼女の中では、それが未だに大きく影響を与えている証拠だった。
 乾いた風が、長い髪を優しく梳いている。
 微かに眉を寄せて、ラーグは気のない視線を前へ戻した。
「朝、か。時間の止まった俺には、関係のないことだ」
「動いてますよ、ちゃんと」
 即答するミリアの顔は、視線を落としながら、柔らかく微笑んでいて。
「あたしみたいに、ラーグの周りにいる人全員の時間が動いてるんだから、ラーグだってちゃんと動いて、今、ここであたしと話しながら歩いてます。だからいつかきっと朝だって来ます」

 永遠に終わらないものなど、何一つないのだと。
 呪紋も、命も、そして想いも、いつだって絶え間なく巡る循環の中にあるのだと。

 そう、信じたいから。


「・・・・だから、途中で諦めないでくださいね。自分から終わらせちゃったら・・・・・駄目です」
「長い上に締めくくりが雑だな」
「ずっと黙ってた第一声がソレですかッ?」
 さらりと繋げられた冷めたコメントに、思わずミリアも瞬時にツッこんでしまい。
 慌てて口を押さえたあと、冷ややかに見下ろす神父の蒼い瞳を正面から捉える。
「生憎と賢老院をはじめ、俺は誰の意見にも従うつもりはない。今回はたまたま、連中と利害が一致しただけのことだ」
「・・・・・・失礼極まりないですね・・・。分かってたけど、なんか頭痛まで―――って、ナニこんな時間から煙草吸ってんですかッッ」
「こんな時間から喚くなやかましい」
「・・・・・・・・・ぐぐっ・・・・!!」
 ワナワナと拳を震わせるミリアの一挙一動をわざと煽っているかのように。当の神父は素知らぬ顔で夜空に白煙を流して。 なんだか手の施しようがないくらいに会話の流れがねじ曲げられ、重い肩を落としつつミリアは息を吐く。
 溜息のぶんだけ、歳をとったような気分だった。
「・・・て言うかラーグ、また新しい煙草買ったでしょう。いくらなんでも、お仕事請けるときにまでそう無遠慮なのは、マナー以前に あたしの心臓に悪いです」
「大した聖堂騎士だな」
「関係ないでしょーっ?」
 やはり聞く耳持たないこの男は、げんなりとなるミリアの前を少し歩いたあと。
「――昔、こんな男がいた」
「へっ?」
 ぴょこんと頭を上げると、ラーグが吸い殻の粉を地面に捨てているところで。

「驚異的な煙草好きで、日に吸う数はおよそ50本。特技は寝ながら吸えること。聞くところによると、妻子と煙草1000本なら妻子を選べるのが自慢らしい」
「・・・・ナンデスかそれわ・・・・。つーか、そんなあらゆる方面で突飛しすぎな人と比べられても・・・・」
「突飛か」
 独りごちると、ラーグはほんの少し、口元に笑みを含ませて。
 珍しくミリアに同意するかのように、白い糸をゆっくりと風に乗せ、瞳を閉じた。

「たしかに、馬鹿だな・・・」





+++++++





「おーっす、ミリア」
 翌朝、睡眠不足でボーッとした頭に、快活なアレンの声は普段の10倍の音量で響いた。
 背後からの声にびくっと体のバランスを崩し、せっかく直したシーツがまたも皺くちゃになる。窓際で枕を叩いていたティティ が―――彼女が叩くと、ヘコみ具合がサンドバッグのように見えることは、このさい無視することにした―――こちらを向く。
「あらら。どーしたのよミリア?いつもはスッゴイ寝起きいーのに」
「・・・・・うん、まぁ・・・・・・ちょっと」
「昨夜は寝てねーのか?」
「え゛」
 軽く投げられたアレンの質問に、ミリアは一筋の汗を流す。ラーグをつけていったことは勿論、あの塔の中で聞いたことは、とても 自分の口から勝手に言えるものではない。精一杯の努力で平静を装うと、ミリアは後ろのアレンを振り返り。
「ど、どして??」
「イヤ、昨日は色々あったからさ。おまえそーゆーの、気にするほうじゃん」
「――あ。・・・・うん、実は」
 ホッと胸を撫で下ろし、ミリアはいつもと変わらぬ笑顔を見せる。
 考えてみれば、始めは本当に眠れなかったのだ。完全な嘘とも言い難い。とにかく今は―――黙っているのが一番いい。



「何を持っている?」
 同じように寝ていないのに、なぜか普段と変わらぬ顔色で。
 平然としたまま部屋をあとにするラーグの声に、ミリアはきょとんとなって振り返った。
「何って・・・・ランp」
「捨てろ」
 言い切る前にスッパリ断言され、ミリアはしばし開いた口が塞がらず。
 代わりに反撃したのは、耐え切れんとばかりにランプから飛び出したジンのほうだった。
「って・ん・めぇーーー!二つ返事でそれたぁいー度胸じゃねーかッ!」
「もしくは燃やせ」
「悪化さすなーーー!!」
「あ・・・あのラーグ、このランプはあたしのお金で買ったわけですから・・・」
「テメェも何気にモノ扱いしてんじゃねェッ!」
 一通り叫ぶと、いつの間にやらアレンやティティまで不思議そうに覗き込んでおり。
 どこか地鳴りが聞こえそうなぐらい、赤と蒼の目が殺気だった沈黙を貫いたあと。
 ジンは鎖を奏でて腕を組み、吐き捨てるように息をついた。
「―ケッ。オレだってテメェと旅するなんざまっぴら御免だぜ。けど言ったろ。オレにゃ幾つもの誓約が刻まれてんだ。 主人となった奴からは、願いを全部叶えるまでどう足掻いたって離れらんねんだよ」
 憮然と口を尖らせるジンの言葉に、ラーグはあまり表情を変えず、黙している。
 しばし考えていたミリアは、言われた意味を少し整理して、
「・・・・じゃあ、もしジンをここに置いてっても・・・」
「一定以上の距離が開けば、勝手にオマエんトコに飛ぶ」
 苛立った表情をあからさまに浮き立たせ、宙空に座る魔族は本気で不本意そうで。
 外からアレンの適当そうな声が聞こえたのは、そのときだった。
「まー、ミリア次第ってことッスねー。いんじゃないですか?これから魔族棲息域行って《レガイア》取り戻しゃ、旅も終わりだし」
「・・・・・大変なコトをえらくケロッと言うのねアンタ・・・・」
「魔族棲息域?・・・フーン、――まぁオレとしちゃ、さっさと解放してもらえりゃなんでもいーけどよ」
「安心しろ。全てが終わった暁には聖地の輪の上にでも寄贈してやる」
「死ぬっつーの!そっちの解放じゃねぇッッ!」

 再びがなる魔族を無視して、さっさと宿を後にしようとするラーグに。
「あ。そーそー神父さん」
 屋外への扉を開けようとすると、あっけらかんとした制止とともに、アレンが横を通り過ぎ―――。すれ違い際、小さな声で囁かれた。
「とりあえず、あの塔の中までは入っちゃいませんから。別に必要ないと思ったし、聖気が強すぎて非魔導体質の俺にゃ ちょっとキツかったんで」
 にんまりと笑う少年に、しばし無言のまま目を細め。
「・・・・・・どこから出た」
「ドアノブにかかってた拒絶魔法ッスか?あいにく、5階から飛び降りても全然平気なんスよ、俺☆」
 悪戯っ子のようにカラカラと笑むアレン。
 禁忌の仔は体が丈夫と聞くが、こいつの場合は・・・・異常だ。溜息を吐くと、ラーグは扉を開けて外に出る。
 そして。
「言い忘れていたが、窓枠に触れたのなら、今日一日は素手で貴金属に触れないほうがいいぞ」
「――へ?」
 抜けた返事を返すのと、アレンがノブに手を伸ばすのは、まったく同時のことで。突如指先とノブの間で走った青白い光と 痛みに、とっさに手を引っ込めた。前を歩く神父の背中は、相変わらず淡々と素知らぬ風。
「・・・・・おっかね~~・・・」
 冷や汗混じりに苦笑すると、アレンは触れてないもう片方の手で、扉を開けた。



「―――うわッ。んだよコレ、寒いと思ったら雪降ってんじゃん!」
 外に出るや、視界に飛び込んだ白銀の粉に。
 アレンが身震いして声を上げると、ミリアはハッとなって、小さく息を呑んだ。白い息が、灰色の空へ昇る。

 ――そういえば、こちらではもう、そんな季節だったか―――

「あの・・・ラーグ」
 まだ積もるには早い、濡れた大地を歩く神父を呼び止めると、ミリアはどこか、言いにくそうに視線を下げる。
「すみません。魔族棲息域に行く前に・・・・少し寄りたいところがあるんです。一日だけでいいですから・・・」
 ティティやアレンが驚く空気が、肌で感じられた。
 普段のミリアなら、私情で教会からの任務外のことをしたがるなど、絶対にないはずだからだ。
 ・・・しかし今日は―――いや、明日は特別だった。毎年この日だけは、無理を言って休日を貰い、訪れる場所がある。
「ちょ・・・っ。ちょっとミリア何言ってんの、んなのこの自己中神父が許すわけ―――・・・」
「別に構わんが」
「ホラやっぱり・・・・――えぇッ?!」
 飛び上がらんばかりの声を上げて、妖精は力いっぱい驚愕する。
 ミリアも驚いたが、それよりも安堵のほうが勝っていた。
「あ、ありがとうございますっ」
「場所は。近いんだろうな」
「は・・・っはい。えと・・・ここから北東にある、ノワールの街です」
 背中で具体的な行き先を聞いて――――。ラーグの顔に、僅かな陰りが生じる。


 大聖堂教会北方支部ノワール。

 ミリアの両親が――――亡くなった場所だ。

【第4章】魔の血族 -the demon blood- 5

2016.05.16 22:04|クロスマテリア
 虚ろな灯火が刻んだそれは、果たして幻だったのか――――・・・・


「・・・・どういう・・・こと?」
 完全に陽の光の届かない、冷え切ったイリーダの地下。
 まだ人の匂いすら薄い漆黒の最深部で、突如ミリアたちを襲った赤い瞳は、滑らかな漆黒の四肢を闇に溶け込ませ。ゆったりと重ねられた衣の裾を土の上に擦りつつ、微かな香の香りを風に乗せる。
 素直に美しいとすら思える魔族の姿。それを見たタキの第一声に、ミリアは瞠目の色を浮かべた。

 “母さん”、と。

 確かに、そう言ったのだ。

 唐突な攻撃をかわしたばかりのタキの表情は、やはり緊迫の糸を張らせながらも。同じ瞳に映った、あまりに近しい肉親の姿に。 白い頬には疑惑と、そして動揺する様子がまざまざと刻み込まれていた。
 ・・・・・本当に、どういうことなのか。
 踏み込めない両者の距離と沈黙に気を配り、ミリアは自分の頭を整理しようと試みる。
 タキが人と魔の間に生まれた禁忌の仔であるなら、母親が魔族であるのも頷ける。だが、彼女はとうの昔に亡くなっていると、 ついさっきタキ自身の口から聞いたばかりなのだ。それが何故目の前にいる?まさか、「実は生きてましたー☆」と言うノリなのか? しかしそれじゃあ、どうして攻撃を?
 堂々巡りの思考を断ち切ったのは、目の前で平静を努めようとする女性。
「そんな・・・まさか。いったいどういう――」
 努めていても、声色に見え隠れする当惑の表情は隠しようがなくて。 そのとき、まるで彼女の意志が揺らぎ始めるのを見計らったかのように、魔族の口元が穏やかに緩む。柔らかい――
 おそらく誰が見ても悪意の欠片も感じられないような、優しい微笑み。
 しかしミリアが感覚のみで激しい悪寒を走らせた、その直後。
 再び魔族の背後で、無数の黒い刃が弾けた。
「――タキっ!」
 反応の遅れたタキを庇うべく、ミリアの体が反射的に前へ動き。疾空の盾を展開させようとしたところを、ラーグが言葉無く放った聖魔導が闇のことごとくを消し去る。
 見ると、いつの間に移動したのか、ミリアたちの傍らに立つラーグは、相変わらず薄い笑みを浮かべる魔族から目を逸らさぬままにようやく口を開く。
「タキ。お前の母親は、どうなった?」
 20年前と同じ質問を投げかける瞳には、やはり昔と変わらぬ冷淡な無慈悲さがあり、冷静さがあり、聡明さがあった。言葉の奥に潜むもうひとつの言葉を理解すると、タキは一度小さく目を伏せ―――。静かに、それでいてしっかりと通った声で呟く。
「・・・・・・・死んだよ。魔族棲息域で、魔族に殺されて。骸を焼いたのも、骨を埋めたのも、全部・・・・・・ 全部あたしさ」
 自身を戒めるように繰り返すと、今度は強い瞳で目の前の。・・・母の姿をしたものを睨みつける。
「あんた、一体何者なんだい?」
 鋭い視線に、矢面の女性はゆっくりと――今度は突き刺すような残酷さを滲ませた笑みを零し。背筋が凍るような感じの直後、 突然魔族が地を蹴っていた。
 ところがその体はタキやミリアたちに向かうことはなく、まるで何かから逃れるかのように体勢を折ったわけで。状況が理解できない ミリアが、瞠る視線の片隅に銀色の糸を移したときには、瞬時にラーグが刻んだ幾重もの呪紋が魔族の全身を取り囲んでいた。

「おーーーーーッ。やっぱり」
 一瞬で視界を覆ったまばゆい閃光の中から身を捻らせ出てきたのは、銀の糸を翻すアレンだった。
「ア、アレン!?」
「毎度お約束ながら神出鬼没なヤツね!」
 ミリアとティティの第一声を聞く頃には、すでに全員の側へと着地を終えていて。
 いやー、と頭を掻くと、眼鏡の奥で少年の表情が揺れる。
「神父さんからの言いつけやってたら、なんでかこんな格好いいタイミングに」
「言いつけ・・・?」
 って、なんですか?と、下から覗きこんでくるミリアに、ラーグは面倒臭そうに溜息を吐いたあと、
「・・・この街で、なにか異常がないか調べさせた。どこかの破滅的な方向音痴よりは、幾分やや利用価値がありそうだったのでな」
「なんか・・・いろいろと物申したい気が・・・」
「俺もなんかフクザツ~」
「ここの封印だけ、10の神官が集まっても解放できなかったらしい。調べるだけでも、そこの悪質な占い師に取られた分の補充 ぐらいは賄えるだろう」
「ビジネスな、ビジネス。あとあんた、気前がいいのかケチなのかぐらい、いい加減ハッキリさせとくれ」
 各々の指摘を受けながらも、神父の横顔は清々しいまでに無視を貫いていて。
 そこで、「ん?」とティティが小さな違和感を口にする。
「・・・あ。あのヤンキー魔族は?」
 ラーグに対して言ったのに、なぜかアレンまでもが妙に表情を変えたことが、嫌に引っかかったのだが・・・・・
 相変わらず鬱陶しそうに瞑目する神父に代わって、アレンがなんか生温い笑顔を作りながら説明する。
「あぁ、あの変なランプの魔人とかってやつね。いやーおっどろいたゼー。宿に帰ったら、いきなり魔族が増えてるんだもんよ。 まー害はなさそーだったし、とりあえず神父さんに頼まれたこと報告したら、その場でこっちに向かおうとしたからさ。一応聞いてみたワケ。 したら―――」
「聞くなら早々にあの馬鹿を押し倒していたそこの変態魔族に直接聞けばいい、と言った。後は知らん」
「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」」
 降りしきる静寂の中。全員の視線を受けた少年は、片手をヒラヒラと宙に泳がせ。
「イヤイヤ。そんな目で見なくても、ちゃーんと話し合って穏やかに解決しましたヨ?そりゃーもう、これ以上ないくらいに」
 得体の知れない無邪気な笑みを見せるその瞳に、言いようのない寒気が走ったのは何故なのだろう?
 身体的と言うよりは精神的に労ってやりたい心地を沸々と沸き上がらせながら、ミリアは胸の内で小さく、十字を切った。
 じめっぽくなった空気を一掃したのは、ずっとせわしなく羽根を震わせていた妖精。
「・・・・あ、えーっと・・・・・・。そっそうそうラーグ!アンタさっきあの魔族に何したワケッ?」
 話題転換のつもりだったのが、その言葉を聞くや否や空気がピリピリとしたものに変わったのを敏感に感じ取り。ティティは ただただ、「え?あれ??」と汗を流すばかり。

 ミリアもようやく気がついた。
 先ほどまで目を潰さんばかりだった閃光が、徐々に治まりつつあることに。
 本来ミリアには、聖魔導に関する知識は少ない。イルダーナフ神と直属の間で結びつく、聖なる息吹。大地を創造せし絶対の存在により祝福を受けたものだけに扱える、魔を砕く刃。ところが今見えた呪紋の理は、刃と呼ぶにはあまりに攻撃的とは 言い難くて。どちらかと言うと、補助魔導の要素が強い気がしたのだけれど・・・・・
 なんにせよ、ラーグが警戒を解いていないとなると、仕留められた可能性は低い。
 念のため《セルフィート》を抜剣するミリアの頭上で、ようやくぼそりと補足が入った。
「転化の呪紋を逆向きに刻んだ。・・・・そろそろ本性を出したらどうだ」
「・・・ちぇ~っ。なぁんだ~、もうバレちゃったんだぁ―――――」
 収束する白の中から現れたのは・・・・・・・まだ年端もいかない、幼い少女だった。



 好奇心に満ち溢れたような大きな瞳には、まだ純粋な無邪気さすら感じられ。ぶかぶかに寄せられた衣服から 見える細い四肢は、元気にそこらを駆け回る子供たちと変わらなかったけれど。ほの暗い空間と融合するような漆黒の肌と、 愛らしい面立ちから覗く赤い瞳は、まぎれもない、魔族の持つもので。
 少女は眠そうな目を軽く擦ると、ラーグのほうを向いてニコリと笑った。
「あーゆー解き方は、ちょっと強引すぎるよぉ~?あーあ。しばらく着せ替えごっこはムリかぁ~」
 言葉では責めている風なのに、顔は相変わらずクスクスと乾いた笑いを含んでいるのが、ミリアにはどこか不気味だった。
「着せ・・・替え?」
 怪訝に眉をひそめるタキの言葉に、次いで少女はそちらを向き。
 大きな袖を口元へと運びながら、コロコロと可愛らしく笑う。
「アレはぁ、ライラのお気に入りのお洋服だよぉ~♥キレイだったでしょ?昔ねぇ、魔族棲息域で見つけたんだぁ~」
 美しい貝殻を自慢する子供のように、意気揚々と答えるその言葉に。
 タキの顔色が、一気に凍りつく。
「なぁんかね~、人間なんかを好きになっちゃったみたいなんだよねぇ~。ソレってなんか鬱陶しいしぃ、でも見た目キレイ だったからぁ、殺してそいつの記憶だけ被ってみたんだぁ~♥。すごいでしょ?こうしたらそいつの記憶ごと手に入っちゃっておもしろーい。ライラ、天才~~♥」
 一握りの罪悪感すら宿さない、どこまでも純粋な笑い声に、ミリアは思わず息を呑んだ。
 気に入らないから殺し、その殻を洋服と称す。目の前で明かされる恐ろしい出来事をやってのけた当人は、やはり無邪気な表情を変えないばかりで。
「・・・死者の記憶を、その身に転化として刻んだのか」
「えげつねぇマネを・・・・」
 ラーグが微かに眉を動かすと同時に、さすがにアレンも苦々しく顔を歪め。
 激しい怒りと絶望に肩を震わせるタキにのみ視線を止めると、少女――ライラは再びにっこりと微笑む。
「そっかぁ、あんたコイツの娘だったっけぇ。確かに似てるし、キレイだよねぇ・・・・でも、あんたはいらなーい。 人間臭いし、第一禁忌の仔なんて気持ち悪いも―――んっ」
 瞬間、アレンが動く前に、ミリアの白い刃がライラのいた空間を切り裂いていた。しかし少女は軽く地を蹴ると、ひらりと空へ 身を浮かし、羽根のように着地する。
「あっぶないなぁ・・・・ライラだって一応、魔族なんだよ?ソレで斬られたらさすがに痛いよぉ~。なぁに?なんでそんなに 怒ってるワケぇ~?」
「っ・・・・意味もなく同族を殺して・・・・・・・その姿を辱めて・・・・・・そんなことが許されると思ってるの!?」
 微かに震える声を必死に絞り出すミリアに、ライラは少しきょとんとしたあと。
 ああ、なんだというように清々しく表情を綻ばせる。
「きゃはは!変なこと言うなぁ。ライラはただ、誇りを傷つけたバカにお仕置きしただけだよぉ?第一、強いヤツが弱いヤツを殺すの なんて、当然じゃーん♥」
「・・・・・・・・・・・っ!!」
 声を高めて笑う少女に、ミリアは絶句する。


『弱ぇやつに興味はない。魔族ってのは、そういうモンだ』


 ジンの気のない声が脳裏に蘇る。その本当の意味を、ミリアは今更ながらに知った。
 ・・・・魔族にとって『興味がない』とはすなわち、『居ようが死のうが同じこと』であったのだ。弱者は意思も権利も持たず、 ただ強者の糧となるのみ。それが彼らにとっては当然であり―――生きる、ということなのだ。
「・・・・・なんなの」
 柄を握る手が、自然と汗ばむ。
 聖堂騎士となってから、数え切れないほどの魔物を屠ってきた。人々の安息を脅かすとなれば、強い者も、弱い者も倒した。中には同じように、人語を 解するまでに歳と知恵を備えたものもいた。・・・・・けれど。
 今、生まれて初めて、ミリアは目の前の存在を心から恐ろしいと思っている。目の前の、この小さな―――
 自分たちとはあまりにも価値観の次元が違いすぎる、たった1人の少女に。
「あんた、いったいなんなの・・・!?」

 逡巡の間を置いて、少女は、赤い目を静かに細めた。
「ライラはライラだよぉ?言っとくけど、ライラはディルよりずぅ~っと強いからねぇ♥」
「――!」
「《使徒》か・・・・」
 淡々と続くラーグの声に、ライラはただ、無邪気な微笑みを返すだけだった。



「なななナニナニナニっ?ディルって確か、ルドルで襲ってきたアクセジャラジャラ魔族よね!?」
「・・・だからなーんでそう言いにくい言い方すっかね~?」
 強烈な魔気に身を震わせるティティにツッこむアレンの声は、こんなときでも軽い調子で。
「まぁ、人の形をしてる時点で、外見じゃ力の有無はわかんねーからな」
「・・・・・なるほど、ね。どうりで、昔とは似ても似つかないわけだ」
「!タキ・・・・っ・・・」
 傍らですっと立ち上がったタキに、ミリアが気遣うような瞳を向けると。
「心配には及ばないよ。これでも、なかなか神経ズ太く生きてきたからね」
 それより。そう続けると、タキは眼前に佇む少女を、同じ赤できつく睨みつける。
「魔族の御大将たる《使徒》サマが、こんな穴ぐらまで何しに来たってんだい?」
「―あっ。そーそぉ、あんたたちで遊んでたらつい忘れてたぁ~」
 失敗失敗と言わんばかりに軽く額を小突くと、ライラはくるりと暗がりの奥へ向き直り。薄い唇から、ミリアには理解できない 言葉らしき音の羅列を紡ぎ出すと。突如、最深部の空間一帯が、強烈な赤い輝きに照らされた。
 閃光に目が慣れてくると、円状になった地下の壁と床全域に、おびただしい数の呪紋の輪が現れているのが見えた。 異常なまでに溢れる膨大な魔気が、輪の中を循環し、さらに色濃くなってゆく。
「・・・!?なにを・・・・・っ?」
 一歩踏み込もうとしたミリアだったが、いつの間に張られていたのか、ライラの周囲に広がる見えない壁が、その行く手を阻む。
 魔風を《セルフィート》で切り裂こうと試みるミリアを肩越しに振り返り、ライラはそっと、勝ち誇ったように言う。
「ムダだよぉ。さっきも言ったでしょ?ライラは強いんだって――」
「――つっ・・・!・・・」
 余裕を見せるライラの顔と、膨れ上がっていく凄まじい魔気が不安を煽り、ミリアはたまらず後ろのラーグに目をやる。
「って、そっちはナニさっきから突っ立ってんですかーーー!なんかヤバそうですよ、少しは対処してくださいっ!!」
 いつの間にかのうのうと煙草とか吸っていたラーグは、一度それを口から外すと、
「・・・それは俺に、もっと攻撃性の高い聖魔導を放て、と言っているのか?」
「回りくどくない言い方すればそーなりますね!」
「げっ!チョット待てミリア!それはやべぇ、すこぶるやべーって!」
 リアルタイムで何かに気づき、慌てて制止するアレン。その様子にミリアが首を傾げていると、隣から短い溜息が聞こえてきて。
「別にやろうと思えばやれるが・・・・この狭い地下でこれほどの魔気と聖気がぶつかればどうなるかぐらい、お前でも分かるだろう」
 両者の間を妙な沈黙が駆け抜けたのは、ほんの一瞬のこと。
「・・・・・・・・えと・・・・スイマセン。大崩落ってやつですね。さすがに生き埋めは――」
「そんなことはどうでもいい。俺は遺跡の所有者の了承を得て、ここを調べに入った。魔導を使えば、古代でも最も規模の大きい この砦が瓦礫と化す。早い話が、報酬金が減る。よって俺は、ここで目の前の事象を傍観することにした」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・ケチで決定だね、あんた」
 納得したように頷くタキを横目で見ることすらなく。しかし本人の宣言どおり、自分たちを取り囲むように廻り続ける赤い循環 をただ静かに見守り、ラーグは煙草を床に投げ棄て―――光に触れるか否かのところで、吸い殻は灰となって消えた。
「・・・そもそも、この輪に害はない。放っておいても問題ないだろう」
「へぇ・・・・ライラたちの言葉が分かるんだぁ。賢いんだねぇ」
 ゆったりとした袖をなびかせ、少女はひとたび宙を仰いだあと。
「これで、ライラのお仕事はおっしまぁ~い♥」


 ぺろりと舌で唇をなぞるのが先だったか、それとも唸るような地鳴りに膝をつくのが先だったか。


 刹那、重力が増したかのような負担を感じ、立っていられないほどの揺れがミリアたちを襲う。地鳴りはしばらく続き―――。 収まったときには、ライラの小さな体は虚空に浮かんでいた。

「・・・・・・・・どういうこと・・・なの?」
 輪の消えた壁に手をつきながら、ミリアが驚愕の面を呆然と下げたまま呟く。
 地鳴りが起きる前と後・・・・さらに言うなら、赤い輪が刻み込まれる前と後での、決定的な違いに、彼女は気づいていた。無機質で じめっぽいだけだった空間に満ちるのは、ルドルに匹敵できるほどの、純粋な聖の息吹。
 ライラの表情は、やはり眠そうな笑顔のまま。
「聖地を解放したんだよぉー」
 明るい笑い声に、大量の魔気を使った疲労など微塵も感じられない。
 コロコロと屈託なく微笑むばかりの少女の補足をしたのは、意外にもラーグだった。
「世界には6つの聖地があると言われている。ルドルのように特異な例を除けば・・・・・いずれも、大半は強大な魔気に封印され、凍結していると聞いたが―――」
「そゆことぉ~。聖地の封印を解けるのは、もともとそこを封印したライラたち《使徒》だけなんだよぉ。きっと今頃他の封印も、 カインとディルが解いてくれてるころだよ~」
「・・・!?どういうことだい?なんで魔族が聖地なんてもんを解放して周ってるんだよ!?」
 混乱するタキの言葉にも、ライラは真面目なのかわざとなのか、ふざけた返事を返す。
「きゃははっ、あったりまえじゃーん。それがライラたちのお仕事だもぉ~ん♥」

 ケラケラと満足げに口元を引き上げると、突然音もなく、ライラの周囲に新たな赤い輪が展開し。
「カインに頼まれたのはこれだけなんだぁ。もちょっと遊びたかったけど、今日はここまでねぇ。・・・あ、そうそう」
 思い出した。と、少女は薄れかかった漆黒の四肢のまま、視線だけでラーグを捉え。
「カインから言伝だよぉー。『魔獣を喚べないのは、何も魔気の枯渇が原因とは限らない。そもそも魔導というものがどういうものなのか、よく考えてみるといい』だってぇ」
「・・・・・・。余裕にも助言か。《使徒》とは、随分と驕った連中らしい」
 冷え切ったラーグの視線に、もうほとんど消えかかった頬をニッコリと柔らかく緩ませると、ライラは最後に、小さく呟いた。

『ライラたちは、より強いものに従うんだよぉ。ラーグ』



 微かな余韻を残して。
 そこには、一片の魔気すら感じられない、聖地が誕生していた。

【第4章】魔の血族 -the demon blood- 4

2016.05.16 21:46|クロスマテリア
 赤い色が、大嫌いだった。

 まだ当時は大陸同士の抗争が鳴り止まず、国土全体に貧困と凶作が目立つ時代。
 崩壊された建物と、焼け焦げた大地と、腐りゆく屍たち。日に日に増えてゆくそれらの中が、少女の寝床だった。
 硝煙の臭いが残る壁に背を預け、茫々とした赤い瞳はただ虚ろなまま、目の前を交錯する人間の足元だけをじっと見つめている。
 少女に親はいなかった。片方は人間に殺され、もう片方は人ではないものに殺された。
 まだ手足も伸びきらない子供が一人で生きていくには、環境も、そして生まれも絶望的で。
 腐りかけの残飯を漁りながら、望んでもいない場所に産み落とされたことを何度呪ったか知れない。定まらぬ視点を下ろしたまま、 少女はそっと、自身の額に手を置いた。
 強烈な痛みと共に、まだ乾いていない傷口にこびりつく赤い血が、彼女の指を濡らす。今朝、身も知らない大人たちにガレキの 屑を投げられたときの傷だ。


『さっさとくたばれよ!呪われたガキが、いつまでも寄生虫みたいに・・・』
『おまえのせいだ。戦争が終わらないのも、作物が育たないのも、全部おまえが居るせいだ』
『化け物!出て行け!』


 どんなに理不尽なことを言われても、少女に反発する体力はなかった。あったとしても、もはや何も返さなかっただろう。
 始めのうちは、怒りもしたし泣きもした。けれど、それが何年間も毎日毎日続くと、気力のほうが先に萎えてしまうもので。
 ぬるりと肌に感じる赤い熱を映し、少女は疲れきった頬骨にわずかな感情を走らせる。
 赤い、この瞳と全く同じ、赤い血。
 禁忌の交わりにより生み出された、なんと汚れた色か。
 焦燥に満ちながら、やはり彼女は頭を上げなかった。もう5日ほど何も口にしていない。職をつけようにも、この戦乱の時世。 自分は女でしかも子供。何より、人々が最も忌み嫌う、禁忌の血を宿した子供だった。働くどころか人として見てもらうことすら 困難である。
 霞んでゆく視界に抗うこともなく、少女は力なくその場に崩れ落ちた。
 道行く足の中、いくつかの苦悶とせせら笑うような声が聞こえたのも、もはや一瞬のこと。

 ・・・・・どうでもいい。どうせ、ここらは3日後、南の大陸の大聖堂教会に押さえられるのだ。自分の生まれ故郷は消える。
 自分が楽になったあと、こいつらはせいぜい、血の滲むような牢獄生活に苦しめばいい。

 足掻くことなく、静かに意識を沈めようとしていた眼前に―――――
 ふと、一組の足が止まったのが見えた。
 細められていく少女の目が、ピタリと止まる。すぐに歩き出すかと思いきや、目の前の大きな足は横を向いたまま、ぴくりとも動かない。
 重い動作で首を動かし、緋の目は高い空を見る。
 無言で佇む男の金の髪が、陽に反射して眩しく透き通っていた。





+++++++





 タキという女性に声をかけられ、話がしたいと連れてこられたのは、立ち並ぶ家々でも穏やかな広場でもなく。
 どこをどうやって来たのか覚えられないほど、入り組んだ遺跡たちの奥。一際大きな岩の砦だった。開拓が進んでいる他のものとは違い、そこだけは地面と四方八方に無数の輪が刻まれてある。おそらく、まだ未開の遺跡なのだろうが・・・・・・ 驚いたのは、その足元に掘られていた階段へ、タキが何の躊躇もなくすたこらと足を進めていったことで。
 思わず張り上げそうになった声を呑みこむと、ミリアは慌てて問い出した。
「ちょっ・・・・どこ行くんですかーッ?」
「ん~?ドコって、ココだよ」
「んなこた分かってますっ。分かってるから聞いてるんですッ!未開の遺跡内には、許可の通った教会の人間しか入れないんですよ? もし見つかったらどうなるか――」
「あ、そうそう。中暗いから、コレ。灯りね」
「聞いてるんですか!?・・・って―――ちょっと!」
 言い終わらないうちにさっさと中へ入り込んでいってしまったタキを視線で追い―――――
「~~あーもうっ」
 どうにでもなれ、と、半分ヤケクソ気味にミリアも穴へ飛び込んだ。


 そして。


「あの、そろそろ教えてくれませんか?こんなトコに連れてきてなんの話を・・・」
「ん?あぁ」
 言われてようやく気づいたように、タキの口が沈黙を破った。
「まぁ正直なとこ、話ってのはついででサ。ちょーっとこっちの仕事を手伝って欲しいんだよねぇ」
 突然の要求に、ミリアは頭を傾げるしかない。
 タキは大した引け目も見せず、ずばんと言い放つ。
「実は、アホな客から依頼があってね。この砦の封印を解いて欲しいんだと」
 同じ足取りで階段を降りていたミリアの動きが、きれいなまでに硬直した。
 言葉すら失い、金魚のように口をぱくぱく開いたり閉じたりし続ける少女に代わって、側でのんびりと飛んでいたティティが呆れた 声で言う。
「ハァ?バッカじゃないのぉ?教会ん中でも一部しか入れないってなとこの封印勝手に解いたら、めちゃめちゃ違法行為じゃん」
「そんな人の依頼受けたんですかッ!?」
 ようやく声を戻したミリアの非難に、しかしタキは堂々と鼻を鳴らし、
「フッ。出すモンさえ出してくれりゃぁ、あたしゃ犬にだって従うよ!」
 ・・・・・・誇らしげに反らされた背中が妙に情けなく見えるのは、果たして自分だけだろうか。
 視線をティティに向けると、妖精は無言のまま、大きなため息を吐いた。
 とそこで、「ん?」とミリアの眉が詰められる。
「・・・・・・あの。それじゃまさか、あたしに手伝って欲しい仕事って・・・」
「そ。ちょーっとあんたの聖気で、封印解いてもらいたいんだよねぇ」
 予想通りの答えが返ってきて、ミリアは全身の血をざざーっと逆流させ、両手をぶんぶん振った。
「だっ・・・だめです絶対だめ!何考えてんですか。なんでわざわざ共犯になんなきゃいけないんですか!」
「心配は無用。バレないよーにやるからさ☆」
「そーゆー問題じゃありませんっっ!」
 イリーダは教会の管轄下にある。その遺跡の調査は、すべて賢老院と聴報院に委ねられているのだ。
 古代の遺跡というのは非常に細密で、しかも現在の魔導を生み出す根源になったとまで言われている。事実かどうかは分からないが、 過去に悪戯半分で素人がいじくり回し、街1つを半壊させた事例もあるくらいだ。
 そんなリスクとキツーイ厳罰を背負うほど、自分は馬鹿でもお人好しでもない。
 断固と首を振るミリア。
 すると、しばらく黙り込んでいたタキは急に心底申し訳なさそうに俯いた。
「・・・あたしだって、これがいいことだなんて思っちゃいないよ。けど、こう作物の育ちにくい北の土地じゃあ、手に職がなきゃ生きてけないのさ・・・・・。それに、頼む客のほうにだって、生活がある、ひょっとしたら病気の奥さんとお腹を空かした6人の 子供たちを抱えてるかもしれない。・・・・・・そう、思うとね・・・」
「やりましょう・・・・っ」
「操作するなぁーーッ」
 見えない位置でしっかりVサインを作るタキに渇を入れつつも、ティティの叫びは感慨に浸るミリアには届かなかったようで。
 なにか決死の覚悟を決めたように拳を握る友を前に、もう項垂れるしかなかった。

「だ・・・っ、大丈夫だよ。騎士は弱き人を守るため・・・・バレなきゃいいんだよねっ・・・」
「・・・でもさ~。アンタって信用できんの?なんてーかこう・・・・他とは違うってゆーか。変なカンジすんだけど」
 説明に困ったようなティティの言葉に、ミリアもはっとなる。
 そうだ。そもそもこちらは彼女のことを何も知らない。
 ラーグの知り合いということで安易に信じるには、いくらなんでも間抜けすぎるではないか。
 意外そうな、感心したような口笛を鳴らしたのは、当のタキのほう。
「へぇ・・・敏感だねぇ。ま、妖精ならそう珍しいコトでもないか」
 にんまりと細められた彼女の両眼の、そのあまりの深紅さに。ミリアの背筋に、一瞬ゾクリとするものが走った。
「魔・・・っ」
 言葉にしようとしたとき、ふと、軽い違和感を感じ。
 そのまま答えは、タキ自身の口から出ることになる。いつもの妖艶な笑みを静かに闇の中へ溶け込ませ、彼女の表情は、 その形のまま静止した。
「半分正解」
「・・・じゃあやっぱり。あなたも禁忌の仔なんですね。それも、人と、魔の・・・」
「『も』?」
 間髪入れず返ってきた質問に、ミリアは一瞬きょとんとし。
 慌てて説明した。
「あ!えっとその・・・・あたしの知り合いにもいるから・・・・!」
「知り・・・・・ああ、もしかしてさっきのボウヤか」
「・・・はへ?」
「あぁいや。なんでもないよ」
 勝手に自己完結したのか、ぱたぱたと手を振るタキを少々怪訝顔で見つめつつ、ミリアは納得することにした。

「なるほどねぇ~。どーりで、禁忌の仔って知ってもあまり動じないわけだ」
「何言ってんのよ。んなのザラじゃん」
 しれっと返すティティの台詞に、タキは苦笑した。ミリアにはなぜか、その笑顔がひどく痛々しいものに見えた。
「そりゃ、こっちの大陸が特別なだけサ。あたしの生まれた北の大陸じゃ、・・・そんときは戦争真っ只中だったせいもあるかね。 まあとにかく―――そりゃぁ大層な扱いだったよ。やれ呪い子だの、災いの種だの。いっぺんマジで死にかけたりもしたし。 ラーグと会ったのも、丁度その時だったねぇ」
 軽い調子で語ってゆく話の中で、ミリアの足がぴたりと止まった。
 過去――。自分の知らない遠い地で、ラーグとタキは出会った。そして今もまだ、こうして互いに会って普通に話ができる 関係にある。


 自分は、ただの従者だ。
 はっとなってそう思いなおそうとするも、どういうワケか最初に考えた声が止まない。
 暗闇の中で停止した灯りを見上げ、タキは数段下からにっと笑った。
「どういう出会いだったか、話してほしいかい?」
「・・・・!べっ、別にどっちでもかまいませんっッ!?」
 必要以上にでかい上に完全に裏返った声になってしまい、タキは腹を押さえて笑いを必死で堪えた。
「・・・・っくくッッ・・・あーうん。正直で結構」
「~~~タキさん!」
「タキでいいよ。あ~おっかし。そーだねぇ、あいつとの出会いを一言で言うなら・・・・」
 一瞬黙し、耳を傾けるミリアとティティの前で、彼女はこれだとばかりに腰に手をあて胸を張る。
「とにっかく、最悪だった!」
「「・・・・・・・・はい?」」





+++++++





「世も末だな。こんな子供まで路上で死に絶えるとは」
 一片の慈悲も惜しみも含まない、単調な声。
 かろうじて意識はあったが、自分を助けてくれそうにないことは直感で分かった。
 男が見ているのは、こっちの目ではなく、自分の着ている身なりや飢餓状態、崩れた家々や周りに広がる死骸やゴミ屑など、 現状を淡々と映しているのみ。自分など、まるで風景の一端のように。
 それでも、嬉しかった。死にゆく自分の存在を、少しでも看取ってくれることが。
 たとえ本人にその気がなくとも、無数の足取りの中からただ一人、止まってこちらを向いてくれたことが、何よりも嬉しかった。

 だからこそ
 言わなければ、いけないことがある。


「・・・・に・・・・・・・・・・・げ・・・て・・・・・」
 男の視線は、こちらに落とされない。せめて行ってしまわないようにと、裾を掴もうとするが、力なき手は空しく空を撫でた だけだった。カラカラに乾いた喉から必死で声を紡ぐ。
「教会・・・・・・くる・・・から。・・・・逃げないと・・・・・・・・捕ま・・・・・」
 そこで、初めて男の視線が下げられた。
 胸の奥に―――風が突き抜けるような心地がした。真っ青な、それでいて透きとおるような緑を含んだ、翠の瞳。自分とはあまりに 違いすぎる、純度の高い結晶のような色に、タキはしばし沈黙し、見惚れていた。
 そうしていると、ふいに男のほうが屈みこみ、伸びきったタキの前髪を静かにどける。
「・・・・禁忌の仔か。予見の力とは、珍しいな」
 タキは、信じられないというくらいに驚いた。禁忌と知って、顔色一つ変えなかった者など初めてだ。・・・いや。 その言い方は正しくないかもしれない。目をみてなんとなく分かった。彼にはそもそも、「顔色」というもの自体ないのではと 思えるほど、その表情は常に冷え切って単調だった。
「親は」
 短く切れた言葉が、質問だったのだと理解するまでに弱冠時間を要し、
「・・・・・・・いない・・」
 『死んだ』とは言わなかったが、男はどうやら悟ったらしい。
 ややあって、彼は簡素なコートの中から少量の保存食を取り出し、タキの前に放り投げた。夢ではないか、と思えるくらい、彼女の中に熱いものが込み上げてくる。
 が、その次に男の言ったことが、タキの思考を凍らせた。
「選べ。これを食って生き、教会の牢で生き恥をさらすか。それとも今ここで空しくのたれ死ぬか」

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 もう一度、ゆっくり、頭の中で反芻してみた。
 そして、やはり辿り着くものが変わらないと実感する。どっちにせよ、・・・最悪な選択に変わりない。
 返事を待たぬまま、彼はすっと立ち上がり、
「弱者の思想はよく分からん。他人より突出した力を何故利用しない」
 他と『違う』ということで、今までどれほどの扱いを受けてきたと思っているのか。タキの中で、わずかな感情が色を刻み始めた。 たぶん、体力が残っていたら怒鳴りつけるくらいはしたかもしれない。
 激しい瞳で睨みつけてくる少女を一瞥し、ラーグは再び通りのほうに目をやる。
「己の運命を呪って死ぬなら勝手にしろ。ただし、もう少し人目につかないところでやれ。邪魔な上に目障りだ」





+++++++





「最悪だ」
「最悪ね」
 話を聞いたミリアとティティの開口一番は、見事にシンクロした。
 「そーだろそーだろ」と何度も頷くタキに、あれ?と首を傾げたのはティティのほう。
「でもさでもさ、じゃナンで今アンタが生きてここにいんの??」
「ん?あぁ、あの野郎のツラ見て死ぬなんざぜっったいにご免だったからね。だからとにかく目の前の肉食って・・・・」
「食って?」
「教会が来る前にトンズラこいたに決まってるさね!」
「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」
 ミリアたちは、もはや何も言わなかった。


 しかし、ラーグと旅をするようになってしばらく経つし、それなりに彼の勝手さや周囲への無頓着さや冷徹傲慢っぷりは 否と言うほど知っているつもりだったが、よもやそんな昔からこの性格だったとは。
 そんな―――――――

「さぁ、着いたよ。ここがイリーダの最深部――・・・・って。?」
 平坦な岩の上に足をつけ、タキが振り返ったとき。
 ミリアは残り数段を残したまま硬直していて。
「??どうしたってんだい。よく止まる子だねぇ」
「タキ・・・・・」
「ん?」
 まるで時間が止まったかのように、カチリと固まった表情のまま虚空を眺める少女に、タキは気のない相槌を打ち。
「北の大陸の戦争が終わったのって、・・・いつでした?」
「は?終戦?えー・・・・っと・・・・だいたい、20年くらい前じゃなかったかい?」
「じゃあ、あなたが北の大陸で会ったラーグって――」
「あぁ。もちろん今のままサ。ったく、女としちゃあ羨ましいけど、ある意味怖いね~。不死の聖痕・・・だっけ? 寿命まで止めちまうなんてさ」
「―――――――!!!」

 ざわりっ、と。
 そのとき確実に、ミリアの中で何かが総毛だった。何か、とんでもない見落としに気づいた子供のように。 驚愕と不安感が、一気に頭を覆い尽くす。
 あまりに張り詰められた空気に、タキのほうも「・・・あれ?」と冷や汗を流し。
「もしかして・・・・・・。・・・知らなかっ・・・・・た?」
 声を聞いたのが合図だったのか、ミリアは反射的に階段を駆け上がって―――
 行こうとしたとき、突然なにかに正面からぶつかる。
「っふぇ?わわ・・・っ」
 そのまま後ろ向きに倒れかけたところ、手首を掴まれてなんとか難を逃れた。
「・・・・・・何をしている」
 聞きなれた声に、ミリアは飛び跳ねるように顔を上げた。
「ラーグ!?なんでここに・・・」
「先に訊ねたのはこっちだ。そもそも許可なくここに入ること自体、違法行為だぞ」
 ぴしゃりと言い放たれ、ミリアは一瞬うぅ・・・と唸るも、すぐに観念した。
「タキのお手伝いをちょっと・・・・って、違う!ラーグ、不死の聖痕が寿命まで止めちゃうって本当なんですかッ!?」
 自分の腕を掴むラーグの手を空いた手で握りしめ、食い入るように問いただす少女に少し眉を寄せたあと。
 ラーグは無言のまま、階下のタキを睨みつける。
 同じ方向に顔を逸らしたタキの面は、揺れる灯りの中、1割の申し訳なさと9割の自分の命の心配で満ち満ちた様子で。
「タキ」
「・・・・・・・・・なにさ」
 茫々と揺れる炎の息吹が幸いしたのだろうか。ほんの一瞬、闇の中に垣間見えた違和感に、ラーグは抑揚のない声で呟いていた。
「来るぞ」


 刹那。
 闇を切り裂いた漆黒の刃に、その場の全員が反応していた。
 ミリアが《セルフィート》を顕現させるも、応戦するよりラーグが展開した聖魔導の盾が彼女たちを覆うほうが速く。
 タキのほうは、もうほとんど超反応に近い動作で鋭く身を屈めつつ。
 広いのか狭いのかさえ分からない地下の空洞を、無数の黒いカマイタチが走り抜ける。
 一瞬の攻撃を避けた沈黙のあと、タキは信じがたい脚力でその『闇』から距離をとった。
「って、くらぁラーグ!あんたどーせならあたしも助けるとかしろっての!」
「禁忌の仔は体の丈夫さだけが取柄だ。問題ない」
「問題あんのはあんたのそーゆー思考回路だろッ」
「いったい・・・・・?」
 罵声の中、意識を集中させたミリアが感じたのは、・・・・限りなく純粋な『魔』の気配。
 光の届かない闇の中から現れたのは、やはり闇――――の色と同じくした、漆黒の肌。細められた赤い瞳には妖艶な美しさ すら感じられる。女性と思しき外見を持った、紛れもない魔族。
 そのとき、ミリアには僅かな引っかかりがあった。
 何か―――いや、誰かに似ている―――――?
 その返答は、意外にもすぐ側から返ってくることとなる。照らされた容貌を食い入るように見つめながら、タキは、震える 唇を薄く動かした。


「・・・・・・・・・・・母さん・・・?」

【第4章】魔の血族 -the demon blood- 3

2016.05.16 21:29|クロスマテリア
 ・・・・・・・・別にラーグが誰と話していようが、自分には全くもって関係ないことで。
 そもそも、彼の人付き合いに『親近感』という単語が当てはまるような微笑ましさなど、いつだって皆無に等しく。
 どちらかと言うとそんなものよりは、淀んだ紫色かもしくは鋼鉄の冷気の如きオーラをまとっていたわけで。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ――て言うか。
 なぜ自分はこんなにも深刻に、しかも誰に言い訳しているのだろう?
 自分は彼の従者。実にシンプルな答えではないか。たった7文字しかない。バッチリだ。 頭ではそう分かっているし、彼の冷徹非道っぷりときたら魂にまで刻まれている自信もある。
 ――そう、分かっては、いるんだけれど・・・・・・・・


「ど・・・どーしたのミリアっ?なんか・・・秒速で眉間の皺が増えてるわよ?!」
「・・・・・・・・へ」
 ぎょっと目を押し広げるティティの声に、ミリアは返事なのかどうかよく分からない言葉を発した。
 いつものきょとんとした表情に戻ったミリアを見て、ティティもどこかほっとしたように息をつく。
「イキナリ黙りこむからビックリしたわよ~。何、悩み事??」
「悩み・・・・・・?」
 それでもまだ少し呆けていたのか、ミリアのほうはどこか思考が鈍く。
 ややあって、小さく首を傾げつつ、薄く唇を動かした。
「・・・あたし、何に悩んでんだろ?」
「・・・・アタシに訊かれてもさ・・・・・・・」
 だめだこりゃ。と呆れ顔で首を振ると、興味津々な妖精はすぐさま目の前のエサに飛びついた。
「しっかしま~オモシロイ偶然ねぇ~。ナニ話してんのかしら?声までは聞こえないから分かんないし・・・・」
 薄汚れたランプの蓋へ腰掛け、ぐいーっと上体を屈めて映像を眺めるティティ。つられるように、ミリアももう一度そこに 映し出されたラーグの姿―――いや、この街での『記憶』に視線を移す。
 確かジンは、時間軸がランダムだと言っていたか・・・・・
 だとすると、これも今現在起こっているものではないのかもしれないが――――
 ラーグの向かいに座る女性は、人と呼ぶにはあまりに妖艶なまでの美しさを備えていた。あぐらと粗野な仕草が実に惜しい ところだが・・・・間違いなく、才色兼備の「才」と「兼」を省いた言葉ならピッタリといった具合だ。
 見た感じでは20代の後半ぐらいだろうか。
 早い話が、どう逆立ちして頑張ったところで、数年後の自分には到底なり得ないほどの美女である。
 ・・・・・わざわざ寄り道してまで会いに行くとは、一体どういう人なのだろう?
 胸の中に変なモヤモヤを残しつつ、ミリアが今までラーグに変化がなかったか思い出そうと努めていると。
 ふいに、ずっとだんまりを続けていたジンが口を開いてきた。
「・・・・・コイツ、お前の連れか?」
「え?うん・・・ラーグ=クラウドっていって、教会の神父。あたしはこの人の従者で・・・」
「フーン・・・・・・」
 魔族特有の血色の瞳を向けながら、ジンはそのまま半眼で神父の姿を映し。
 沈黙時間がリミッターを越えたのか、ティティが軽やかにジンの前へと羽根を動かした。
「なんか不機嫌ねぇ・・・ってかアンタはさっきからずっとそんな感じっぽいけど。教会関係者2人のトコに出てくるなんて、 かーなり運が悪かったって~???」
 意地悪く言うティティの含み笑いを一瞥し、ジンはまた人一倍鬱陶しそうに息を吐いた。
「はぁ?ナニ訳わかんねーこと・・・あのなー、オレはもともと聖気の特別強い奴でなきゃ、呼ぶどころかランプに触れもできねーの。 しかもオレをこんなにしやがったのはまさにその教会のクソジジイどもだし。『呼ばれる=聖職者』ぐらいは当然なんだよ」
 当然と称しながら、ジンの態度はあからさまに苛立ちがむき出しで。
 それでもぶつける対象となるべきものが見つからないのがさらに苛立ったのか、憮然と腕を組んで壁に背を預ける。
 そして、傍らで突っ立っているミリアへ投げやりに言い捨てた。
「なんだよ。ついさっきまであんだけはしゃぎまくてたっつーのに、急に黙りこくりやがって」
 質問されたのが自分と理解するのに逡巡の時間を要し、ミリアは無意識のまま「はへ?」と間抜けに返してしまい。
 慌てて答えを探す少女を変わらず半眼のまま眺めると、ジンは両手の鎖をジャラリと奏でて「ああ」と手を叩いたあと、
「あ゛ー・・・まぁ、なんつーか・・・・。気持ちは分からんでもねぇがよ、ちょっと他の女んトコフラついてるくらいでンな 沈むんじゃねーっての。相手にだって選ぶ権利があるモンだろ」
「ナニいきなり恋愛相談所になってんだか・・・」
「そ、そんなんじゃないし!ってか何よ選ぶ権利って。あたし遠まわしにバカにされてる?!」
 生ぬる~いジンとティティの視線を浴びながら、しかしやっぱりモヤモヤが晴れることはなく。いつまでも答えが出ない自問を 感じつつ、ミリアは逃げるようにランプの中に視線を落とした。

 かれこれ10分くらいは話している。あくまでここに映っている状態で、だが。実際はそれよりも短いのか、それとももっと長かった のか―――。微睡むように流れる時間を想像するミリア。・・・と、突然ランプの肌を染める景色が一変した。
「え・・・何?」
 ぎょっとしたのはティティも、そしてジンも同じことで。
 刹那を置いてその表面に現れたのは、先ほどと変わらぬ2人の男女。―――いや、違う。ラーグたちではない。
 男のほうは短く切られた栗色の髪と藍の瞳。その奥から、人懐こい笑みが惜しみなく覗いており。そして女のほうは、勝気で 呆れたような紫の瞳を男のほうに注ぎつつ、しかしどこか幸せそうにため息をついていて――――
 そんな両者の微笑みがこちらに向いたのを見て、ミリアは思わず声を呑み込んだ。
 横から、ジンのしかめっ面が伸びてくる。
「?なんだこりゃ。この街・・・じゃねぇってことは――お前の『記憶』か」

 ・・・・・知っている。
 こんなに鮮明に残るほど、鮮やかではなかったけれど。憶えている。漠然と。
 男と女の伸ばした手を、小さな両手が掴んだ。
「父さんと・・・・母さん」

 漏れた言葉に、ジンとティティが素早く反応し。
 振り返って飛び込んだものに、ジンはぎょっとして身を起こした。
「な・・・っ なんで泣いてんだ?!」
 まるでこの世のものとは思えない物体を見たかのようにザッと引くジンの台詞に、ミリア自身も初めてその頬に温かい滴が触れて いることに気づき。気づいたが最後。本人の意思に反し、それはとどまることなく溢れ出してきた。
「あれ?えと・・・・・なんで・・・」
 擦っても擦っても、ただ修道服の裾が濡れていくだけで。ワケが分からず混乱しながら、ミリアは音のない『記憶』に涙を 零し続けた。
 どうしたというのだろう?騎士となってから――いいやそもそも、物心ついたときから、涙を流すことなどほとんどなかったのに。
 いついかなるときでも、凛と胸を張って生きるのが騎士であると、そう教え込まれ。今までだって、ずっとそれを自然とこなしてきたのに。 このところ―――そうだ。《ルドル》からこんなだ。ずっと・・・・・・

 あの神父と会ってから、ずっとこんなだ。


「ミリアっ?だいじょぶ??ちょぉーっとヤンキーッッ。一体何見せたのよ?!」
「―ハァ!?こりゃコイツの『記憶』なんだからオレが知るわきゃねーだろが!――と・・・」
「・・・・・・あら?」
 ごしごしとひたすら充血した目を擦る少女を挟んで言い争うジンとティティの視点が、再びランプの表面に注がれ。『記憶』が 途切れたのか、再度現れたイリーダの街並み。その一点を凝視してカチリと固まる両者の沈黙に、ミリアもきょとんとしたまま 問いかけた。
「??ど、どーしたの?」
 ランプを指差し、最初に口を解放したのはティティだった。
「・・・・・・・コレ・・・・ラーグよね?」
「え。・・あ、ほんとだ。どこの階段上がってんだろ?」
「アタシさ・・・・・この部屋来るとき、おんなじ風景見た気がするんだけど」
 消えるような妖精の声は、室内全域をフリーズさせた。ミリアの額に、じんわりと汗が滲み出す。
「で・・・っでも、時間軸がバラバラだったらもちょっと先のことってコトも――」
「『記憶』っつったろが・・・・・過去や現在は見れても、未来は見えねーよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 全員の行動は、速かった。
 凄まじいスピードでランプの映像を消し去り、かつ小声で一気に狼狽するジン。
(どどどどーすンだよッ?笑顔でアッサリ魔族を受け入れてくれんのか!?)
(ダメね!どっちかってーと無言でバッサリ粉々にしちゃう外道神父だわっ)
(即答かよッ)
 ティティの迅速な判断に頭を抱えるジン。
(隠れるっきゃないでしょ!ジン、とりあえずこのランプの中に―――)
(アホ!擦ってどーすんだ。入るときゃフタ開けろフタ!)
(・・・・・!?開かないんですけどっ?)
(だぁー!!回し蓋じゃねぇっつの!こっち貸せ!)
(へ?――わわっ?!)

 ・・・・・・・・・・・・・・以上。経過時間約10秒。
 まるで数奇な悪戯のように。・・・・ラーグが扉を開けて入ってきたのは、まさにそのときだった。
 「やかましい」。いつもと変わらず、うっそりと口にしようとしたのだろうが。室内の現状を見るや否や、その台詞は発することなく空気に消えた。

 あまり高くない宿の中には、従者が1人、妖精が1匹。だが彼の予想を色んな意味で超越していたのは、そこに見知らぬ男までプラスされていたことで。
 しかもランプを取り返そうとした反動で、バランスを崩して仰向きに倒れこんだミリアの上にジンが乗っかっているワケで。
 さらに言うなら、驚いた表情のまま停止しているミリアの目がうっすら潤んでいたりと。

 ・・・・オレ、今日死ぬかも。
 永遠とも呼べる静寂の中、ジンは生き物の本能でそう直感していた。


「・・・・・・・・・・・・・何をしている」
 スッと表情を消し、ようやくそう口にしたラーグの目は、まるで処刑直前の相手を見るように冷めきっていて。
 それが真っ直ぐに自分に向けられていると察すると、ジンは押し黙ったまま目を合わせまいと努力した。たぶんこの空気・・・・・・ 何か喋ったり視線が合った瞬間、殺される。なんか、そんな気がする。
 だがそのとき、弾かれるように返事をしたのは、ミリアだった。
「・・・おっ、おかえりなさいラーグッ!丁度いいところに~!この人は・・・えっと、マ・・・マイクっていって、修練学校時代の研修で知り合った友達なんですよ~。聖都に構えていた旅一座さんの一員で、こんなカッコしてんのもホラ・・・・こ、こっちでついさっき舞台が終わった ばっかなんですって!で、買い物してたら偶然バッタリ運命のごとく遭遇して、久しぶりに話でもしようかと部屋まで案内したらば、 イキナリ隣のご夫婦がケンカで放り投げてきたこの流れ弾もとい流れランプがぶつかりそうになったのをかばってくれたらば こんな状況に・・・・・・ッ!!」
 焦燥に満ち満ちた顔で一気にまくし立て、なんとか理由らしき言葉を並べてみるミリア。
 筋が通る通らないなど、この際知ったことか。側でジンが「マイクってお前・・・・・」と思いっきり言い返したさそうな顔を していたが、もう見えてないフリを決め込んだ。
 しばらくして、ラーグはゆっくりと視線だけミリアに移し。
「ほぅ・・・・・」
 息をつきながらも、翠の瞳が明らかに怪しい光を宿したのにいち早く気づいたティティが、身振り手振りで「ミリア!だめっ。バレ てるっ!!」と伝えようとするも。ネジが吹っ飛んだ少女は気づくこともなく。

「なるほど。友人か」
「そっ、そうなんです!いやぁほんっっとーに久しぶりで・・・」
 不自然すぎる笑顔を見せるミリアに近づき、ラーグは絶対零度の笑みを滲ませて淡々と続けた。
「お前に、魔族の友人がいたとは知らなかったな」


 ミリアが観念するのは、清々しいまでに一瞬のことだった。



 どこからどこまで話すべきか思考の堂々巡りを繰り返しだすミリアそっちのけに、ラーグは無言のまま、転がっていた ランプを手に取る。さすがは『祝福された者』の神父と言おうか。聖気の結界は、伸ばされた手をあっさりと受け入れた。
 ・・・・教会が裏であれこれと「面白い」実験を行なっていることなど、身を以て熟知していたわけで。むろん、昔ある魔族が賢老院に捕らえられた話も記憶に鮮やかであり。
 ラーグは片手に聖気の光を集めると、軽くランプの表面を撫でた。
 途端、ジンがこれまで見せたこともないような苦悶の色を頬に滲ませる。声は上げなかったが、痙攣する眉とびっしりとこびりついた 汗から、激痛であろうことがミリアにも分かった。
「・・・・・ったく。また随分と手荒なやり方だなオイ」
「痛覚は残っているのか。これほどの誓約に縛られながら、大したものだ」
 まるでなんでもないように非難を流し、聖気の宿る手を離した先―――
 曲線を描いたランプの肌に、先ほどまでなかった紋様・・・・呪紋が刻まれていた。同時にジンの胸部にも同じものが現れたことから、 これが彼とランプを縛りつけている誓約であるのだと、ミリアはすぐに分かった。
 その一部には、3本の楔のような紋様があるらしく。しかしそのうちの1本が明らかに欠けているのを確認すると、ラーグの 視線は再びミリアに戻った。
「・・・魔族棲息域へ乗り込もうというこの状況で、のんびり願いごとか」
 責めというよりは呆れの込められたため息に、ミリアもさすがにカチンときたらしく、
「な・・・っ。のんびりまったり女の人とお話してきた人に言われたくありません!」
 うっかり滑らせてしまった瞬間、慌てて口を押さえるも――――。時すでに遅し。
 返答の意味を一瞬考えたのち、ラーグの目はみるみる呆れから静かな怒りに転換していく。
 口だけはたっぷりと皮肉のこもった笑みの形を作り、低い声は静かに響く。
「教会内部はほぼ知り尽くしているつもりだったが・・・・誇り高い聖堂騎士の趣味が盗み見とは知らなかったな」
「・・・・・・・・・・っ」
「ちょ、ちょっとラーグッ?違うってこれは単なる偶然――」
「いい、ティティ」
「・・・ミリア・・・・・」

 確かに、ラーグを発見したのは町の『記憶』を眺めている途中の完全な偶然に過ぎなかったけれど。
 むしろショックだったのは、無意識とはいえラーグとあの女性は親しいのだろうと決め付ける物言いをしてしまった自分の浅はかさで。 メンゼルのような、昔馴染みの知人だったりした場合、やはりただのんびり願いごとなんかをしていたのは自分というわけであり。
 その結果、彼にこんな見られ方をされてしまうのも納得する反面、どこか激しく情けない気がして。
 到底目を合わせる気にもなれず、一言すみませんとだけ呟くと。
「ちょっと・・・・・・・買い忘れがあったんでもう一回市場に行ってきます。夕飯には間に合わせますから、ラーグは休んでてください」
 そう言うと、返事が返ってこないことなど予想できていたため、ミリアはトボトボと部屋を後にした。


 慌ててついていったティティも出て行くと、ガランとした室内は、実に言いようのない空気で満ち満ちていたわけで。
 やがて静かにベッドに腰を下ろすと、ラーグはやはり無言のまま、煙草を吸いだした。
 最高な居心地の悪さを感じつつ、かと言って行く場もないジンは、バツが悪そうに切り出す。
「ただ逃げるみてーに飛び出すのは嫌ってか。強情な小娘だねぇ・・・」
「この場にいたくなかったのなら、結果的には逃げたと同じことだ」
「・・・・・お前、大概ひでぇよな。神父って聞こえたのはひょっとしてアレ、オレの空耳?」
「煩い」
 魔族でもここまでひどかねーと思うぜ?と半眼で息をつくジンに短く言い返し、ラーグはまたも黙り込んだ。
 そのあからさまな反応を楽しむかのように――しかし全身の警戒は解かぬまま、ジンはわざとらしく肩をすくめ。
「――へッ。こりゃまた随分と感情豊かになったモンだ。失敗すんのは、1回で懲りんのかねェ」
 皮肉と嫌悪を込めた意味深な言葉に、ラーグはやや間を置いたあと―――同じく不敵に笑った。
「数奇な巡り合わせで、憎むべき相手が目の前にいるのがそんなに嬉しいか。ならばアリシアの娘を主としたお前もまた、 その流れに引きずり込まれたクチだろう」
「アリシア・・・?―――ってまさか、『盾の聖女』かっ?しかも娘って・・・・。・・・ったく、ナルホドな。どうりで・・・。 生き写しじゃねーか」
 記憶を反芻し、納得するジンの横顔は、どこか煩わしそうに歪められていて。
 自分の置かれた状況がどれだけ厄介なものかを自覚すると、やはり運命とやらを呪うしかできず、わしゃわしゃと頭を掻きむしった。
「まぁ・・・主人にされちまったもんはやり遂げにゃならんってか。誓約から解放されない限り、オレは教会のオモチャだ」
 誓約の解放。その部分のみを取り上げ、ラーグは抑揚のない声で問い返す。
「そのことは話したのか」
「―ケッ。主人に解放手段を話すことも、また別の誓約で禁じられてンだよ」
「・・・貴様、一体いくつの誓約を刻まれている?」
「知りてぇか?きっと両手じゃ足りねーゼ?魔族の体がどれだけ誓約に耐えられるかの実験だったみてーだしな」
 赤い瞳に煌々と憎悪をたぎらせ、ジンは過去に受けた屈辱を蘇らせる。
 だがその感情は、スッと氷のような鋭さを帯びたかと思うと、今度は真っ直ぐに眼前の神父を捉え。
「けどな。正直な話、オレにとっちゃあんな小物はどーでもいい。オレが憎んでるのは、たった一人だ」
 翠と緋の目がぶつかり、ジンは沸々と感情を押し殺した声を絞り出す。

「あの日――お前がオレを召喚したせいで、オレはこんなになっちまったんだからな」





+++++++





 ところどころで、ティティが何か言っているような気はするものの。
 それが会話としてインプットされていないのか、ミリアの耳にはまったく届いていなかった。
 なんだか頭がぐちゃぐちゃで、何に落ち込んでいいのかすらも理解できず。回りに回る思考の結末は、いつも自己嫌悪というゴールで綺麗にストップしていたので、結局はやはり沈むことしかできなかった。
 ・・・・・・こんなことではいけない。
 これから魔族棲息域に向かおうという時に、こんな精神的にヨレヨレでは話にならないことなど、ミリアにも十分、分かっていた。 足手まといになることだけは、絶対にあってはいけない。そう誓ったのだ。
 しかし悲しいかな、思い込んだらとことん極限まで行ってしまう自分の性格も、嫌と言うほど自覚していたわけで。
 だったら、適当に間を置いて気持ちが静まるのを待つしかなく。
 もうずっと昔からとってきた回復方法を実施しながら、ミリアは人ごみの中をフラついていた。
「はぁ・・・・」
 常に下を向いてため息を零していたためか。丁度今気づいたようにミリアのほうへ向かってくる人物に声をかけられるまで、 ミリアはその気配にまったく気づかなかった。
「ちょっとちょっと・・・・――あぁ、やっぱり!」
 後ろから肩を掴むや少し強引に顔を向けられ、ミリアは驚いた表情のまま眼前の女性を見――――思わず、吐息が漏れそうになった。
 してやったりと言った様子で頷く女性。見紛うことなく、ランプの『記憶』でラーグと話していた人物であった。
 実物は想像よりやや背が高く、なによりさらに美しい容姿を備えている。・・・・でも、いったい何の用で?
 質問しようとしたミリアだったが、先手を打ったのはタキのほうだった。
「アンタだろ。ラーグの従者ってのは?」
「え?あ・・・はぁ・・・・・」
 唐突過ぎて状況が理解できなかったのか、存外にあっけらかんとした口調に気を削がれたのか。反射的に返すミリアに、タキは 呆れ半分、面白さ半分にクスクスと控えめに笑う。
「あのねぇ・・・・いきなり身も知らない人間に上官の名前まで出されて、『はいそーです』ってアッサリ答えてどーすんのサ」
 ・・・・・・・・。確かに。
 図星と思いつつ、指摘のおかげでミリア本人の頭も落ち着きを取り戻してきたらしく、
「それじゃ訊きますけど、どうして貴方には身も知らないハズの私がラーグの従者だと分かるんです?あの人が事細かにあたしの 特徴を教えるとは思えませんけど・・・・」
「ああ、そりゃコイツのおかげさね」
 笑うのを止め、タキは東洋風の衣類の袖から一本、金色の細い糸を取り出して。
「・・・・・・?・・・・髪?」
「ラーグのをね。さっき喋ったとき、ちょいと拝借したのさ。これがありゃソイツの記憶を多少は覗けるからねぇ。――ったく、可笑しい ったらないよ。まさかあのラーグから、こんなにも簡単に盗れるとは思ってもみなかったサ」
 ケラケラと笑うと、タキは一息ついてそれをおさめ。
「ふー。あぁ、そうそう。あたしはタキ。早い話がまぁ・・・・占いみたいなもんで食ってる奴だよ」
「占術師、ですか・・・」
「・・・なんか、アヤシイ雰囲気がプンプンするわねぇ」
 ミリアとティティの反応のあと、タキは少し酒の香りが残る面をミリアのほうに傾け。
「・・・・フーン。これが、あいつが意地でも連れてこなかった従者かい」
「?・・・・・あの??」
「あー。ナンでもないよ。ちょっと話でもどうだい?ラーグから大体は聞いてるし、個人的に、あんたには興味があったんだ」

 ・・・・なんだか語尾に「いろんな意味でね」という声が聞こえないでもない気がしたが・・・・・・・
 とりあえず悪い人ではなさそうだ。それにどの道、もうしばらくここらをフラフラしてるつもりだったし・・・断る理由もない。
 少し考えた後、ミリアは小さく頷くことにした。

【第4章】魔の血族 -the demon blood- 2

2016.05.16 21:14|クロスマテリア
 時は少し遡る。
 結局あの後、必死で探し回ってはみたものの。
 押し売り骨董屋を見つけることは、ついにできなかった。


「くっそー・・・まんまと騙された。あたしのなけなしの給料・・・・・」
 補給を終えた袋を抱え、宿に戻るや否や沈没する少女。その頭から軽やかに羽根を動かすと、ティティは神妙な空気を滲ませながら テーブルへ移る。
「・・・アレは騙されたってゆーか、乗せられたってゆーか・・・・。とにかく、元気出しなよ。 お金のことはよく分かんないけど、そんぐらいスグ戻ってくるって」
「・・・そーだよね。金は盗っても盗られるな、だよね」
「ウン。じゃ元気出す前にさ、まず落ち着こっかミリア」
 棒読みのような生温かい声でそう言うと、ティティはミリアの背中をポンポンと叩くのであった。



「聖気と魔気の気配??」
 幾分時間が過ぎた後、ミリアからの説明を聞いたティティが発した第一声は、正直に驚いたもので。
 金色の削れた表面に埃のついたランプを手に取り、紫の瞳は興味と、そしてほんの少し不審のこもった眼差しを 注ぐ。
「聖気と魔気って、本来は全然相容れないモンでしょ?それを同時に感じるなんて、妙だなって」
「ん゛~。アタシにはわっかんないけどぉ・・・・・・確かに胡散臭いわねぇ~」
 眉間に皺を寄せながら、ティティの顔は興味津々である。
 妖精の気質かティティの性格か、彼女の未知のものに対する好奇心は絶大なものがある。あまり長続きした例はないが。
 そんな彼女の提案も、いつだって突飛なことで。

「じゃさじゃさ、ちょっと擦ってみようよ!」
「・・・はい?」
 首を傾げる前で、妖精は自信ありげに人差し指をビシッ!と突き立て、
「昔どっかで聞いたんだけどさっ。ランプを擦ったら、願いを叶える精霊が出てくるって話っ」
「・・・えと、それはお伽話で・・・て言うかあたしは聖気と魔気の話をね・・・」
「いーからいーから。ね、お願い!1回でいいから、気分だけっ。アタシじゃ触れないみたいだし」
 目をキラキラさせて頼み込む様子に、ミリアは小さく苦笑すると、やがて頷いた。

「早く早くっ」
「えっと・・・こうかな?」
 急かすティティの側、ミリアは何気ない仕草で剥げたランプの肌を撫で―――
「・・・はい、お終い」
 これでいい?そう訊ねようとランプを卓上に置いた、そのときである。

 突如、褪せた金の表面に赤い帯が走った。
 瞬間のことだったので、それが何の形だったのかなど理解する間もなく。
 次いで、ランプの口から視界を覆わんばかりの煙が噴き出す。だがそれは不思議と目の前を塞いだだけであって、煙臭さは一切 持ってなく。
 と、白煙の向こうで、ゴンという痛々しい音が響いた。
「・・・・っで!ンだここ?久々の外と思ったら・・・・・・」
 立ち尽くすミリアたちの前で、不思議な霧は瞬く間に消えていき――――。
 部屋の上部に現れたのは、見たこともない青年だった。

 褐色の肌に、黒い髪は小さく後ろで束ね。荒々しい赤い瞳は、不機嫌そうに辺りを睨んでいる。鎖のついた手枷を後頭部に 置き、乱暴にさすっていた。・・・どうやら、頭をぶつけたらしい。
 どういう仕組みなのか、羽根もないのに宙に浮かぶ体をゆったりと動かして。
 男はミリアに気づくと、実に・・・・・実にヤル気なさそーな顔で覗き込んできた。
「テメェが今度の主人か。なんか・・・ヒョロいし薄っぺらいし、いかにもトロそうな人間の小娘が来たモンだな」
 初見早々言いたい放題である。
 それでも硬直したままの少女と妖精を眺め、男はさらに不機嫌そうな視線を落とし。
「オイ、きーてんのかよ?テメェに話してんだぞ人間」
「・・・・・・へ?え!?・・・えと、誰?」
 混乱が冷めないままなんとか切り出した質問は、やはり間の抜けたもので。しかし相手は呆れたように顔を歪めると、 軽く頭を抱えた。
「・・・あのな、礼儀って言葉知ってっか?訊くならまず自分から名乗れっての」

 なんなのだこいつは?
 状況はまったく理解できないが、とりあえず腹の底から馬鹿にされているのは分かる。
 微妙に煮えたぎりそうな感情を沸々と押し殺し、ミリアはむすっとした声で返答した。
「・・・・・・ミリア。ミリア=イリス」
「フーン。ミリアか。ガキくせー名前。ま、覚えとくぜ。一応は主人だしな」
 ガキくさくて悪ぅございましたね!
「あの・・・さっきから主人て・・・・。なんのこと?」
 この変な無重力男の言動にはいちいちカンに触るところもあるが、とりあえずは現状把握が先だ。
 ミリアの問いかけに、彼は「ああ」と思い出したように身を起こし、
「そーいやあのクソジジイども、これは内密事項だとか言ってたか・・・オレはジン。見ての通り、このランプの魔人だ。これからお前の願いを―――ってうをぉっ!?」
 言い終わる前に。
 いきなり振り下ろされた聖剣の刃をギリギリでかわし、ジンと名乗る男は大きく飛びのいて壁にへばりついた。
「あ・・・・っぶねぇな!いきなりナニしやがるッ!?」
「――あ。ごめん、魔人って聞いて、つい」
「『つい』でウッカリバッサリ主人に殺されてたまるかっつの!まだひとつも願い叶えてやってねぇし!」
  「願い?」
 《セルフィート》を光の粒に戻しながら、ミリアはきょとんと問い返す。

「・・・・ひょっとして、禁止事項以外の願いごとなら、なんでも3つまで叶えてくれるっていう、アレ?」
「ゲ。全部言いやがった!人のセリフとるんじゃねぇよッ」
 あからさまにしかめっ面のジンの言葉に、ミリアは盛大に脱力した。
 なんともはや・・・・・・
 きっと壮絶にパニクっていいはずの場面なのに、妙に納得してしまう自分がいるのはなんなのだろう?
 多分、かの自分ロードまっしぐらな神父との旅で、さらに図太い神経でも出来上がってしまったのであろうが。 ・・・・・それも、相当に間違った形で。
 そんなことを悶々と考えていると、
「――あ?お前・・・・・」
 不意に覗き込んだ赤い瞳に、一瞬固まってしまったが。
 ジンはしかし、すぐに頭を数回振ると。
「・・・・んなワケねぇか。アイツはもっと品とか知性とかあった気がするし」
「・・・ていっ」
「っだ!テメ・・・・・・剣先でランプを突くんじゃねぇ!」
 誰のことを言っているのかはちんぷんかんぷんだが、少なくとも馬鹿にされているのは間違いなくて。
 しかもそれが何となく当たっているような気がするだけに、ミリアはほんのちょっぴりお茶目なイタズラ手段に出てみたものの。
 どうやら相当強い力でランプと同化しているらしいので、3、4回小突いた程度で大目にみてやった。
 なんだか妙に人間じみた性格してるけど、魔族であるなら聖剣に触れるのは辛いはずだし。

 というか、なんだろう・・・・・
 なんかさっきから1スペース空いてると言うか、なにか忘れている気が・・・・・
「・・・・オイ。ソコのちみっこいのだけどよ」
「あ!そうだティティ!!」
 どこか不審がるジンの指す先を見て、ミリアが短い声を上げると。
 卓上には、はげたランブと膝をつく妖精の姿があったわけで。
「精霊が・・・・・アタシの夢見るランプの精霊が・・・・・こんなヤンキー魔族・・・・・・・」
 落胆しきって沈むティティがさすがに不気味だったのか、ジンは静かに1歩、退いた。
「・・・・・ナンなんだ一体?」
「えーと・・・なんかショック大きいみたいだから、そっとしといてもらえる?」
 とりあえず。
 色々訊くのは、ティティが立ち直ってからになりそうだ。





+++++++





「じゃあ、死者の蘇生と生者の殺害。それ以外の願いなら何でもいいの?」
 いくらか時間を置くと、不思議と馴染みというのが生まれるもので。
 説明を聞いたミリアは、ベッドに腰掛けながら、宙空であぐらを組む魔族を見上げた。
 普通聖職者なら、魔族と確認するや即・消滅が通例ではあったけれど。少なくともミリアは、敵意のないものまで始末しようという 考えは持ち合わせていなかった。
 ・・・・ちょっとさっきは反射運動しちゃったけど。
 大丈夫。生きてるんだから問題ない。たぶん。

 ダルそーな瞼を半分落としながら、ジンは「ああ」と軽く頷く。
「その2つは誓約で禁じられてっからな」
「ていうか、フツー願う?ンなえげつないコト」
 なんとか復活したティティは、いつもの調子で毒づきつつ、羽根を震わせた。
 ジンはその意見に、微弱ながら暗い反応を落とし。
「どうだかな。叶わねェからこそ、『願い』ってのは生まれるモンなんだろ」
 血色の双眼に浮かんだ、ほんの僅かな淀みに。
 ミリアが気づくより早く、ジンは不機嫌な渋面を上げる。
「オラオラ、分かったらとっとと3つ考えろ。言っとくが、こっちは好きでやってんじゃねェんだからな。 んな面倒事サッサと終わらせてぇんだよ」
 急かすジンとは裏腹に、ミリアはやたら落ち着いた様子で肯定する。
「そうだね。だってあんた・・・えと、ジンだっけ?本当なら相当強い魔族のハズだもん」
「へェ・・・・・分かんのか?」
「分かるわよ。それだけ強力な誓約に縛られてても、まだ魔気が残ってんだから」
 大した事を言ったつもりはなかったのか、淡々と語るミリア。 隣で首を傾げるティティと彼女を交互に見比べ、ジンは胸中で感心したあと、ぶっきらぼうに口を尖らせた。
「まーな。コレでもちったぁ名のある魔族だったんだが――」
「ウソだヤンキー」
「くそちびは黙ってろっつの」
 横からツッ込むティティに渇を入れつつ、赤い視線は記憶を振り返るように一瞬空を見上げ。
「――ま、それでも教会の連中に捕まりゃこのザマさ。誇りも力も剥ぎ取られ、弱っちい人間なんぞに隷属しながら生きてかにゃならん」
「人間が嫌いなの?」
 静かに問うミリアの声は、単調だがどこか頼りない。
 ジンはどうでもよさげに腕を組むと、
「嫌い・・・っつーか、弱ぇやつに興味はねえ。魔族ってのはそういうモンだ」



 それは・・・・たぶん人間でも同じだよ。


 少なくとも、幼いころ自分を取り巻く環境はそうだったと。ミリアは実感していた。
 父と母が死んだあと、武勇の名家イリスに残ったのは、まだ年端もいかない小さな自分だけで。
「イリスの武伝も終わりか」
「せめて男児であれば」
 そんな声を聞くたび、必死になって剣の腕を磨き続けた。
 強く。誰よりも強く。そうでなければ、自分の存在理由が分からないほどだった・・・・・・・


「――オイ。オイ!」
「・・・・はへ?」
 乱暴に肩を揺すられて、ミリアは現実世界にリターンする。
「はへ、じゃねーよ。ったく・・・・テメェと話してたらどんどん論点がズレてく気がするぜ。で?」
「?何が?」
 きょとんと目を丸くするミリアに、部屋のどこからかブチリという音が響いた。
「何が、じゃねーよ!願いだよ願い!とっとと言えっつてんだろが。これ以上オレに生き恥かかす気か!?」
 扉という扉、窓という窓を締め切っていなければ間違いなく誰かが駆けつけてきただろう大音響で叱りつけるジンの 怒声を真正面から浴びて。
 うずく耳鳴りを押さえながら、ミリアはなんとか頷いた。

 とは言え。いざ考え出すと決めかねる。
 なにせどんな願いでも叶えてくれると言うのだ。めちゃくちゃ魅力的ではないか。
 と、あれもいいこれもいいと悩み出すミリアの横で。
「うっさいわねぇ~。レディに怒鳴りつけるなんて、どんな神経してんのよ」
「ハァ?誰がレディだっつの。片やアホほど寿命が短い人間の小娘に、片や見た目ばっか若い妖精のババ・・・・」
「テーブルさんいらっしゃーい!」
「っだあぁ!だからランプの上にんなモン投げんじゃねぇ!!ってかなんだその馬鹿力!?テメェ妖精だろっ!?」
「―――よしっ。思いついた!」
「なんだミリアッ!コイツを止めて欲しいなら今すぐ永遠に止めてやるぞ!?」
 命の危機とあってはさすがに悠長に浮いてはおられず。
 なんとかテーブルを押さえるジンに、ミリアは嬉しそうに人差し指を立てた。
「1つ目の願いは、『この街を探検したい』!」

 部屋の空気が一時フリーズするには、十分なセリフだった・・・・・





+++++++





 こんな厄介な体になってしまったとは言え、少なくとも人からすれば計り知れないほど永い時を過ごしてきたわけで。
 その間にも、様々な形で人間や幻獣と接する機会はあったけれど。
「・・・・・お前みてーな小娘は見たコトねーよ」
 街の風景が映し出されたランプの表面を食い入るように覗き込むミリアの横で、ジンはうっそりと呟いた。

 普段は力を封じられているが、『願い』を叶える場合のみ、彼は禁忌以外のありとあらゆる権限を得ることができ。
 それは即ち、教会の管轄下―――つまりこのイリーダの街に関する地理的知識も得たことにはなるのだけれど。さすがに 真っ昼間っから魔族が人間連れて観光ツアー開くわけにもいかず。
 結局、室内で気ままに街の風景を眺めるという手段に収まった。

 手放しで喜びまくりながら、ティティとあっちこっち指差して笑む横顔にジンの呆れた視線が届く。
「つーかさ、フツー願うか?ンなもん。前の主人はもっと欲の塊みてーな野郎だったぜ?」
「・・・前の?どんなこと願ったの?」
「『世界中の酒を我が手に』」
「あたしお酒飲めないし」
「イヤ・・・・・そーゆーイミじゃなくてだな・・・・」
 小首を不思議そうに傾げたまま考えるミリアに、とりあえずツッコミを濁らせてみるも。
 あまりよく分からなかったのか、そのまま視線をランプへ戻す少女を見て、ジンはツッ込むのを諦めた。そして、
「・・・さっきも言ったが、そいつはお前の持つある程度のイメージから出来たこの街の『記憶』だ。時間軸もバラバラだが ・・・・・まぁとりあえず、お前がもういいと思うまでは見れっから」
「オッケーオッケー。・・・あ!見たっ?今あそこの鳩片足でスキップしてなかった!?」
 本当に分かっているのか。
 適当に答えるミリアの興味は、再びランプへと戻り。どうやら目的の物が遠くにあるためなのか、じっと目を凝らしていろんな角度 から覗き込んでいく仕草を見て。
 隣から一瞬、ため息が聞こえたかと思うと、映し出された映像がグンとクローズアップされた。
「わ!おっきくなった!いいの?コレって2つ目の願いごとになんない??」
「・・・・・・別にイイって。・・・ンなショボイ願いにいちいちカウントつけたくもねーし」
 本音を口にしたものの、ミリアは一向に気にした様子もないようで。
 「ありがと!」と魔族である自分に笑顔を送る聖職者に、ジンは呆れ半分、珍しさ半分な気持ちになっていた。


 『魔族』。
 そのレッテルを恥じるつもりなど微塵もないが、それ故にはるか昔から人間達は自分たちを抹殺しようと刃を向け続け。
 いつからか、異端の強者を受け入れられない愚か者ばかりが目に付くようになっていた。
 教会の人間とも、何度か合間見えたことがある。
 だが、いくら神に通ずる存在でも、心の芯に巣くう脆さは誰とも変わらず。
 それらを歪んだ形で創り上げて生み出された研究の結果が、もどかしいにも今の自分であるわけだけれど。
 自分以外は全て敵であり、いつだって自分の命を狙っているものなのだと、そう信じてきたのだ。
 ・・・・・・・しかし、この目の前の少女はどれとも違うようで。
 欲がないのか、安上がりなのか、それともただの馬鹿なのか。いずれにしても今分かるのは、不思議と不快を感じない、 ということだけだった。

「・・・似てるんだか、似てないんだか・・・・・」
「へ?なんか言った?」
「べつに」
 そっけない返事に小さく眉を寄せるミリア。そのときである。
「――あれ?・・・・ミリア、これラーグじゃない?」
 神妙な顔つきで呟くティティの言葉に、「え?」と短い返事だけを返し。戻ったミリアの紫暗の瞳に、輝く金色の髪が飛び込んできた。
 「ほんとだ・・・・」と言おうとしたが、声は喉の途中で押し留まる。なぜなら・・・

 見慣れない造りの部屋の中。
 ラーグの向かいには、長い黒髪を結わえた美しい女性が佇んでいたからだ。

【第4章】魔の血族 -the demon blood- 1

2016.05.16 21:00|クロスマテリア
 遺跡都市イリーダ。
 大陸の北方に佇むこの地は、聖都も認める巨大な国家宝指定都市である。
 かつて、唯一神イルダーナフが舞い降りた地の一つとされ。先人や神人の記憶を重んじる教会側にとって、ここに残る数々の遺跡や遺物は是が非でも守りたいものであった。

 今こそ近代的な観光地として復興してはいるけれど。
 壮大な円形をかたどった複雑な都市構造はしっかりと残されていた。
 ・・・・・・まるで、町そのものが巨大な呪紋の輪(リング)を描いているかのように。

 ファーネリア国の末端とは言え、年がら年中観光客で賑わう市場の中を、溺れるように一人の少女が動き回っていた。





+++++++





「ち・・・ちょっと・・・・っ。――待ってください!」
 前から後ろから右から左から、押し寄せる人の波を避けながら。平然と前を歩く男を必死で呼び止めるも。
 止まるどころか振り返ることもなく、黒い法衣はスタスタと先へ進む。
 その清々しいまでに躊躇ない背中を恨めしげに見上げながら、ミリアはうーと唸った。
 この人の冷徹さはよくよく分かっていたが、従者がこんなにも懸命に呼びかけているのだ。 せめて速度を落とすくらいはしてもバチはあたらないのではないか?
 文句を口にしたのは、ずっと頭上を飛んでいた妖精だった。
「ちょぉーーーっとコラっ。そこ!非道神父っ!ミリアが追いついてないでしょぉー?ストップー!!」
 往来のど真ん中もなんのその。
 持ち前の怪力で彼の服を引っつかむと、ようやく歩みを止めてくれた。


 振り返られた整った顔立ちに、通り掛かる人々の視線が一気に集中したのが、ミリアには分かった。
 そのほとんどが女性のものであることが、どこか面白くない気はしたけれど。 そのまま最後の人を避け、目の前で待つ男―――ラーグの前へとよろめき出て息を整えていると。
「・・・・待ってほしいならそう言え」
「訴えてんじゃないですかー!さっきから何十回も!笑い余って憎さ百倍なセリフは止めてくださいっ!」
 息が上がっていたのも忘れ、ミリアは思いっきり心の叫びをぶちかました。



 魔族の住まう大地―――魔族棲息域(カタンツ)を目指し、ルドルを出てから1週間。
 そのまま《レガイア》を求めて直進かと思いきや、なぜかラーグはここ、イリーダに足を運んだ。
(補給ですか?)
 そう訊ねたとき、
(それもある)
 と、ひどく曖昧な返事を返されたことは疑問だったけれど。
 もともと、行き先も目的もハッキリ言わない人であったし、ミリア自身、魔族の巣窟に入るには少しばかり 心の準備が欲しいと思っていたため、あまり深く追求しないことにした。

「んーで?これからどーするんスか?」
 軒先の側へと移ったあとで、アレンがやはり飄々としまま問いかける。
 クセに近い仕草で鼻先の眼鏡を押し上げ、彼は壁に背を預ける神父へ目をやった。 ラーグは、ほんの一瞬だけ何かを考えたあと、ミリアのほうへ歩み寄り――――。
 きょとんと首を傾げる彼女の手に、小さな金袋を置く。
「?・・・なんです?」
「魔族棲息域に入れば補給は利かん。揃えるだけ揃えてこい」
「あ、はい。って、ラーグはどこに?」
 質問を返すころには再び人ごみの中へと歩を進めていたラーグは、またしても一瞬黙したあと。
「・・・・寄る所がある」
 そうとだけ言い放ち、颯爽と去っていってしまった。


「・・・なんだろ?寄る所って」
「さーあ?ま、宿はとったし。今夜はここで泊まるので決まりだろ。――んーじゃま~、俺もそこら辺ブラブラしてくるわ~」
「へ?アレンもどっか行くの?」
 大きな瞳を丸く揺らすミリアに、アレンは心底楽しそうに組んだ手を頭に添えた。
「だってお前、遺跡都市イリーダだぜ?戒暦前の遺物の数、ざっと五百点!聴報員として、こんなおもしれートコを 勝手気ままに散歩できる機会なんざ滅多にねーし♪」

 そもそも、彼が勝手気ままでなかった例はないように思えたが――――
 なんだか本当に嬉しそうなので、ミリアはそれ以上は何も言わずに軽~く視線を逸らして苦笑した。
「アタシはミリアと一緒にいくわね~。遺跡とか見てもつまんないもん」
 頭の上に乗っかってきたティティを見上げ、あどけない笑みを見せるミリア。
「じゃ、あたしたちは市場で買い物してから宿に戻ろっか」
「おぅ。んじゃぁ、またな~」





+++++++





 あまり土の肥えていない北の大地と言うことで、イリーダの市場に並ぶのは保存食としては最適なものが多かった。
 穀物よりは、もっぱら肉類が多い。北東に覆い広がる密林は、狩猟者にとって恰好のエサ場だ。
 緑林より岩石に囲まれた地帯独特の特産品として、ここらで最も有名なのが数々の聖石である。中には特殊な呪紋を彫り、魔力の増幅器などとして働くものもある。
 ちなみに、恋愛成就のお守りが今、巷の女性の間では大ブームだったが・・・・・・
 興味のない者の前に並んでいても、あっさりすっぱり素通りされるだけだった。

「・・・・・・・あれ?」
 あらかたの補給を終え、そろそろ宿に戻ろうかと往来を突っ切っているとき。
 この場にはあまりにそぐわない空気に、ミリアは足を止めた。
 ・・・・聖気と魔気の気配・・・・・・・
 人ごみの中で、一際目立つ相反した2つの力の流れに、無意識のうちに全身の警戒が促される。
「ん?どしたのミリア。・・・この露店がどーかした??」
 側でパタパタと羽根を震わせるティティは気づかないらしい。 市場の店はほとんどが小さな露店を設けていたが、ミリアが立ち止まったそこはさらに引っ込みそうなぐらい小さく、手押し車のような移動式になっていた。
 軒先に無造作に並ぶのは、装飾の施された皿やら壺やら・・・・・どうやら、骨董品店のようだ。
 使い古された看板には、「レイヴィッツ骨董品店」と書かれていた。 その中の、あるランプに手を伸ばす。
 埃まみれのそれを見て、ティティは正直に口を歪めた。
「うっわ!汚いランプ~・・・ミリア、そんなんがいいのぉ~?」
「・・・ティティ、このランプから―――」
「おー。いらっしゃい!お客さん運がいいねぇ、そろそろ店仕舞いだ。好きに見てってくれよ!」
 突如割り込んできた快活な店長の声に、思わずびくっと肩を震わせる。
 いつから居たのか、そこにはいそいそと露店の片付けを続ける大柄な男の姿があって。
「あ、ごめんなさい。急いでるんならまた明日にでも・・・」
「やーやー、残念だがそりゃ無理だ。売り上げがないせいで場所代払えんくて、明日には他の町へ引っ越すことになったんでね~」
「・・・・・・ソレってつまり強制てっぱ・・・」
「おぉっと!お客さんその手に持ってるのはまさか・・・・」
 やや不自然なくらい明るい営業スマイルで話を切り、店主はミリアの手のランプを、それも驚愕の面で覗き込む。
 しばしの沈黙があって―――――

「・・・いや。いや、いや助かる・・・じゃなくて、毎度あり!そのランプがご所望かい?」
「は!?」
「ああ、期日ギリギリまで居座った甲斐があったってもんだ。人伝いに譲り受けた品なんだが、どういうわけか誰も持てなくてなぁ。 俺ですら、聖印を刻んだ手袋しないと触れもできないときたもんで、いい加減棄てていこうかと思ってたんだが・・・・・。まさかそいつに 触れる人がいるとはな!・・・・お嬢ちゃん、これは運命だね!」
「胡散臭すぎじゃないですか!!第一っ。あたしまだ買うなんて一言も―――――」
「閉店セールだ!370ルーン!!!」
「や、安い・・・!」

 一瞬だった。
 気づけばいつの間にか、店主の姿は露店車ごとその場から消えていた。
 ミリアの手に、埃まみれのランプだけを残して。
 小刻みに肩をふるふるさせて、ミリアはランプと通りを交互に見る。
 ・・・これは、これは買い逃げならぬ・・・・・・・・
「う、売り逃げー!金返せーっ!」
「うん。とりあえずミリア。アンタ今度から買い物はアレンに行ってもらいなよ。」
 ティティの冷静なコメントも、空しく砂塵に流されるだけだった。





+++++++





 賑わう通りから少し外れた裏路地。
 そこへ足を運んだラーグは、ある扉の前で止まった。人伝に聞いて回って得た場所だ。
 ・・・・この扉の向こうにいるだろう人物の性格を考えても、間違いはないだろう。
 するとそのとき、古ぼけた木の扉の向こうから怒声が響いた。


「いい加減におしよ!あたしは呪術師じゃないんだ!!」
 ごっしゃん!と自室のテーブルを叩き、女は怒りも露に相手を怒鳴りつける。
 漆黒の長い髪は柔らかくまとめあげられ、上質な絹を感じさせる。この大陸では見慣れない、一枚布の衣類を身につけており、 室内に焚かれた香と美貌が重なって妖艶な美しさを染み込ませていた。
 女は赤い瞳に煌々と苛立ちを刻み込み、勝気な物腰で相席(にはすでになっていなかったが)の男を指差す。
「だいたい何サ!上司のいない間にちょこちょこっと、遺跡一つ彫り上げたいって?アホゆってんじゃないよ! 古代聖地の遺跡が、んなちょこちょこっとな努力で封印解呪できてたまるもんかい。ふざけた依頼ほざく前にもちっと土のことから 勉強しなおしてきな!」
「な・・・!お、おまえがスゴ腕の術師というから来たんだぞ?」
「あーあそうさ?あたしはスゴ腕さ。ただし、礼儀を弁えた客限定でね!」
 押しつぶしそうな威圧感に、男がもごもごと言葉を濁らせる。それを呆れ眼で見て、ふと、女は扉の外に人の気配を感じた。
「ほらほら次の客だ。出てってくんな。ウチも忙しいんでねぇ―――・・・・・・」
 そうブチブチ毒づきながら扉を開けると――――
 ぴたりと、彼女の視線が虚空で停止した。
 目の前で無言のまま佇む金髪長身の男を、少々不似合いなくらいキョトンとした目で見上げ・・・・・・

 次の瞬間。
 扉は烈風の如き勢いでリバースしていた。
 あまりのことに、怒鳴られていた男さえも硬直する。扉の前で立っていた男の姿を確認するや否や入り口を閉ざしたことより、 それをやった女の青ざめた表情が辛辣すぎる。
 まるで化け物を見たような顔だ。
「あああああんた、も少しゆっくりしてかないかい!?」
「・・・は?」
 引きつった笑顔に、男は言いようのない悪寒を感じ、一歩退く。
「も少しと言うかもう、何分でも何時間でもはたや1日でも・・・――」
 言い切る前に。

 頑なに閉ざしていた扉は突如、外側からの凄まじい爆発によって吹き飛ばされた。


 最小限に抑えていたとは言え、木造建造物の耐久性など知れたことで。
 見晴らしの良くなった壁の向こうから、単調な男の声が届く。
「久々の客を門前払いか。随分と稼いでいるようだな、タキ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ラーグ・・・・・・」
 全身ススだらけのタキは、ものすごーく嫌そうに振り返り――――むせた。


「~~ったく・・・。これじゃなんのためにアンタの裏かいてわざわざコッチの国内に越してきたのか、分からないじゃないか」
 往来の視線が降り注ぐ中、とりあえず無事だった奥の部屋にすわりつつ。
 汚れた服装を整えたタキは、美貌の容姿に似合わない粗雑な仕草でどっかとあぐらを組んだ。
 主要の客間と違って、年季の入った畳の敷かれた自室には幾分生活観のようなものが漂っていて。
 物珍しそうな素振りも見せず、通された―――と言うよりはほぼ強制的に侵入してきたラーグは、相変わらず横柄な態度のまま 低く目を伏せる。
「気に病むことはない。自分の浅はかさを嘆いても仕方なかろう」
「・・・・・・・あいっかわらず、いい根性してるねあんたは」
「事実を言ったに過ぎんが」
 さらりと言ってのけるラーグを睨みつけるタキ。ふと、その赤い瞳が金の十字架(クロス)捉えた。
「へぇ・・・・どうやら大聖堂教会には入れたみたいだね。金の十字架ってことは・・・・神官クラスかい?」
「神父だ」
「ふぅん。・・・・で?《レガイア》は見つかったのかい?」
 何気ない質問に、それまで微動だにしなかった眉目がわずかに揺れる。
 言いようのない空気の重苦しさと、いつまでも返ってこない答えに不審を感じたのか、タキの顔が呆れたように歪んだ。
「ちょっとちょっと・・・・・まさか忘れてんじゃないだろうね?三大宝剣のうちの魔剣の場所を調べろっつってきたのはアンタじゃないか」
「・・・たしかにお前の占いどおり。《レガイア》は大聖堂教会にあった」
「あっそ。そりゃ、良かったねぇ」
「だが、今はない。盗まれた。おそらく、《使徒》の仕業だ」
「だ・・・っ《使徒》って・・・」
「それを奪い返すため、この後魔族棲息域へ行く」

 突然の思いも寄らぬ言葉に、タキの瞳は瞠目の色を刻む。こんなところで《使徒》の話が出るとは思ってもみなかったのだ。
 状況を掴みきれていない彼女に、ラーグはこれまでの流れを、あまり丁寧とは言い難い説明ですませた。


 やがて、タキは白い額に手を当てると、憔悴しきったように息を吐く。
「・・・・・毎度毎度。っとに心臓に悪い男だよ。それであたしのトコに来たってわけか」
「ああ。だが――」
「場所を聞きに来たわけじゃないってんだろ?んなコト、アンタがここに来たときから察しはついてたサ」
 空いた手の平を気ダルそうに泳がせながら、タキはゆっくりを体勢を直し、ラーグを見る。
 動揺と確信を滲ませた頬に緊張を走らせ、彼女の口は動いた。
「単刀直入に聞くよ。・・・・あんた、いつから魔獣を喚んでないんだい?」

 沈黙が降りてきたのは、ほんの一時のことで。
 ラーグは組んだ腕をほどくと、視線を窓の外へ運びながら呟いた。
「・・・勘の鋭さは健在だな」
「当たり前さね。今のあんたの魔気は極端にすり減ってる。扉の内と外で、あたしがアンタだって分からなかったほどね」
 とっとと答えな、と、タキの声が急かす。
「先日、ルドルで冥界の門を召喚して、それ以来だ」
「ルド・・・・・っ 聖地へ行ったのかい!?しかも門て・・・・バッカじゃないのかい。あんな聖気の塊みたいな所でンな大技使やぁ、そりゃ食い潰されるよ」
「それが1週間前のことだ」

 1週間。
 普通、限界まで削った聖気や魔気の回復には、絶対安静のもと最低でもひと月はかかる。魔導容量の高い者など、元通りになるまで 半年を要する場合もあるほどだ。
 1週間でどうこうなるなど尋常ではないのだが―――
「・・・そーいや、あんたはフツーじゃなかったんだよね」
 細い記憶の糸をたどり、疲労を滲ませるタキ。
 そして沈黙を続ける目の前の男に、あっさりと事実を言い放った。
「残念だけど、今スグじゃ原因やら対処法は分からないよ。ま、ちょいと時間がかかってもいいってんなら、調べてやってもいいけどね」
「どれくらいかかる?」
「そーだねぇ・・・・2日もあれば」
 適当に答えるタキに、ラーグは一言、「問題ない」とだけ返した。
 それで終了かと思いきや――途端に、タキの顔色が勝ち誇ったように緩みだす。
「まっさか、これで終わりとは思ってないだろうねぇ。コッチだって一応、商売なんだよ?慈悲深い神父サマ」
 妖艶な面に物申すみたいな営業スマイルを浮かべる彼女の眼前に。
 わずかな間すらなく、ひとつの袋がジャラリと音を立てて置かれる。
 タキの目が、文字通り点になった。
「金なら好きなだけ取っていけばいい」
「・・・っあんた!ナニさこの大金。教会は一介の神父の旅に、こんなにも持たせてんのかい?!」
「仕事の一貫だ」
 そう言い捨てて放っぽった金が、旅の途中途中、ありとあらゆる「仕事」をこなしつつほぼ騙し取ったような形で手に入れたものであることなど、この占い師は 知らないはずなのに。
 タキはどこか妙に悟ったらしく、首を項垂れる。
 どうやら、思い通りラーグを困らせることができなくて悔しいのもあるようだ。

「分かったらとっとと働け。お前の仕事だろう」
「・・・・そーだね。昔からそーいう奴だったよね、あんたは」


 用が済めば、ラーグがここに留まる理由もないわけで。
 颯爽と扉へ向かう背中を、タキの声が呼び止めた。
「今日は宿かい?」
「ああ。2日後に来る」
「へーへー。ごゆっくりお客様。・・・っと。ところでさっきから外にいるボウヤ、あの子も旅の連れかい?」
 何気ない口調に、一瞬周囲の空気がひんやりと固まった。
 ラーグは振り返ることなく無表情のまま、短く。
「・・・・・そんなところだ」
「ふぅん。じゃ、ついでに言っといとくれよ。歳のわりには、欠かず過ぎずいい気配の消し方だってね」
 ラーグは返事をすることなく、彼女の自室の扉を閉めた。


「・・・・・だ、そうだ」
 一歩出れば、そこはすでに往来と繋がっていて。
 大きなヒビが走る壁にもたれていた少年は、鼻先の眼鏡をクイッと引き上げると、「あちゃ~」と苦笑した。
「なんだ、バレてたんスね~。神父さんも気づいてたんですか?」
「お前の役目は俺の監視だ。当然だろう」
 淡々と言うセリフに、アレンはやはり困ったように頭を掻いて。
 やがて、閉ざされた扉へ視線を移すと、声を低くする。
「ただの人間じゃないっスね。・・・・・・一体、何モンなんです?あの人」
「お前と似たようなものだ」
「・・・・へ?」

 視線を戻す頃には、すでに神父は通りの中へ溶け込もうとしていた。
 軽く顔をしかめて、アレンは刹那立ち尽くし―――やがて、黙ったままそれに続く。

 ・・・・・・・・・・考えられないことはない。
 すなわち



 あの女性も、《禁忌の仔》であるということだ―――――

【第3章】ヒトナラザルモノ -the heresy child- 8

2016.05.16 20:38|クロスマテリア
 遠い遠い昔。

 全能の神イルダーナフとの戦に破れた『異端者』は、天空より地の底へと堕とされた。
 陽の没する闇の大地に戒められ、漆黒の霧の中に深い根を張り。
 やがて、『異端者』の肉体は永遠に陽の射さぬ黒い葉を覆い茂らせる。
 根付いた力の欠片は、深々と染み込んでゆき。生まれた影は、暗黒の身に赤い両眼を滲ませる生物となって。


 ・・・・・・魔の棲まう領域は、ここに確立した――――





+++++++





「ハァ!?魔族棲息域(カタンツ)に行くぅっ!?」
 ジョーダンでしょ!?と喚く妖精に、爆弾発言をした当人の返事が返ってくることはなく。
 ラーグは黙ったまま、目の前に広げられた地図へと視線を落としていた。
 もともと、滅多にこの聖地を離れることのない幻獣の持つ地図は、数百年前に人間の旅人が落として行ったものであって。 なんだかウルドの所から死人のような顔をして帰ってきたシャルマが出してきたそれは、さすがに地名や地形がかなり異なってはいたが。
 目的の場所は、方角どころか形の一端すら変えずに、紙面の上に広がっていた。

「っかー!アンッタねぇ、意味分かって言ってんの?いくらどてっ腹に風穴開けられたからって、みすみす魔族どもの巣窟に行くって!?まともな人間の考えるコトじゃないわよっ。・・・イヤ、アンタが人格的にいろんな意味でマトモじゃないのはものすごく分かってたけどさ。とにかく!反対、絶対反対!何がなんでも双子のローズベリー貰ってもぜぇっっったい、嫌だからねアタシは!! ・・・・・・てちょっとこらぁっ。聞いてんの!?少しは反応しなさいよこの生きたマネキン神父がーーー!」
 一気にまくしたててパニくるティティ。
 それでも微動だにしないラーグに向かって、シャルマが困ったように頭を掻く。
「・・・・・・と、言っておるが?ラーグよ」
「放っておけ。飽きればじきに飛んでいく」
「アタシはどこぞのハエかーーーーー!!」
 清々しい即答に、ティティの憤怒の声が重なった。否定しつつも悪態をつきながら彼の周りをくるくる回る、疑う余地もないハエのような様に。ラーグは沈黙を保ったまま、片手に白い光を集めた。

 途端に、ティティの顔からざっと血の気が引く。
 信じがたい速度で物陰に退避し、何か恐ろしい物を見るような目で神父を除きつつ。
「ひひひひ卑怯者ー!そうやって何でも石にすりゃ思い通りになると思ってさ・・・!」
「なら食らってみるか」
「ぐぐぐ・・・・」
 唇を噛んで悔しげに睨む妖精を同じく冷めた瞳で一瞥し、ラーグは光を握り潰す。
 「・・・・・・外道」と小さく呟くティティの声も無視して地図を眺める様子に、シャルマは軽く肩をすくめた。
 そして再び、ラーグに魔族棲息域へのルートを説明する。
 地形の違いから、なかなか話し込んでいるようだ。
 気晴らしと興味が重なって、ティティがシャルマの頭上へ羽根を動かす。
「へぇ~、結構広いのねぇファーネリアって」
「うむ。他の大陸と比べても、規模の違いは歴然であろう」
「ふーん。あ、ねぇねぇ。このちっこい緑の三角は?」
 いつもの調子であらぬ方向へ話を逸らしそうなティティに、ラーグの鋭い視線が向けられる。
「邪魔だ。そういうことは、飼い主にでも聞け」
「あたしゃペットか!ふーんだ、ミリアならアレンと一緒にどっか行っちゃったわよ~・・・・ぉ・・・?」
 その瞬間、音もなく神父の周りの空気が停止したのを敏感に感じ取り、ティティの声が小さく消えていった。
 色褪せた羊皮紙の上から視線を外さないまま、無関心な表情は、あくまで淡々と問う。
「・・・・あいつとか?」
「そ・・・、そーだけど・・・・・ナニよ急に?」
「どこに」
「ハ?知んないわよそんなの。――あ、でもなんか・・・・転化がどうとか言ってたわねぇ・・・」
 転化。
 その一言にしばしの沈黙が振ってきて。
 何か思い当たるフシがあったのか、納得したように目を伏せるラーグ。
「・・・・・馬鹿丁寧なやつだな」
 頭上に疑問符を浮かべるティティに構わず、再び地図へと視線を下ろし。ややあって、背後からぽそりと確かめるような 小声が聞こえた。

「・・・ラーグ。アンタひょっとしてひょっとしなくても、微妙に焦ってる?」

 次の瞬間から3時間強。ティティは石化の副作用に苦しむこととなる。





+++++++





 蒼い光が灯す森は、どこへ行っても同じ風景かと思っていたけれど。
 たった一つ、他とは違う場所があった。
 とは言っても、やはり蒼い密林に囲まれた外観そのものは変わりなく。ただ異様なのは、大地に突き立ついくつもの石碑。
 それぞれには見かけない印が刻まれていて。
 古代語の一種で、幻獣の氏族を示しているのだと、ここに連れてきてくれた幼馴染が教えてくれた。


「・・・オマエも律儀だねぇ。そりゃ確かに、同族の葬式ってのは幻獣にとっちゃ重要だけどさ」
 ため息混じりに頭を掻きつつ、アレンはしゃがみ込んで祈りを捧げる少女に目を向ける。
 足元には、《赤狼》と刻まれた石碑。側には小さな白い花が一本、丁寧に横たえてある。そして離れたところ―――《黄鷲》の 石の前にも、同じものがひとつ。
「そいつらがあの魔族に殺されてたってのは・・・・まぁ、無念とは思うぜ?」
 弁解のような励ましのような、困ったような声を聞きながら、ミリアはすっくと立ち上がった。

 ディルが自分たちを欺くために使った転化は、すり替わる者の皮を被って体に刻むことで成立する。
 それがどういうことかなど、彼の転化を見破った瞬間から分かりきっていた。


「あたしを狙ってやってきた魔族に殺された人を、狙われた本人が御参りしないのはおかしいしね」
 軽く深呼吸して、気持ちを整理する。

「運ばれて気がついたときには、葬式もなにも、全部終わっちゃってたから」
「それで俺が呼ばれたわけ、ね」
「ありがとアレン。この場所、幻獣の人たちに連れてきてもらうのはちょっとさ・・・」
 静かに言葉を濁すミリア。
 頼もうと思えば出来た。もともとはこの地の住人である幻獣に案内を願うのが一番効率はいい。
 ・・・・・しかし、どのツラ下げて頼めと言うのだろう。
 《赤狼》の門番と《黄鷲》の衛生兵。彼らを死なせた元凶が、「墓参りをしたいので案内してくれ」と、どうして口に出来ようか。
 結局、ミリアはアレンの《真理眼》に頼ることにした。


 お前らしーね、と首を振るアレンの前でもう一度一礼したあと、ミリアはその場を後にしようと振り返る。
 来るときちょっと見かけたのだが、ラーグは何やらシャルマと一緒に地図を覗き込んでいた。 次の場所はだいたい見当がついているのかもしれない。
 そうして視点を泳がすと――――。ふと、蒼い森のなかに違う色を見つけた。ゆったりとした民族衣に、鋭い嘴。頭のてっぺんの、 微妙にハゲた金の羽毛。
 忘れるはずがない。牢で自分たちを襲ってきた、《黄鷲》の族長。たしか――
「クマラ様」
 名を呼ぶアレンの声に気づき、クマラは二人の姿を映し出すと、その場で足を止めた。

「・・・・・何をしておる」
 怒気すら含む唸るような響きに、ミリアは一瞬答えることができず。
 ふいに目線を変えたクマラは、《黄鷲》の墓の前に置かれた純白の花に気がついて。
「我らの墓にも手向けを添えたのか」
 心底意外そうな吐息に、ミリアは小さく頷いた。
「貴様らは、己を殺さんとした氏族にも花を添えるのか?」
「氏族とか種族とか、そんなのは関係ありません。あたしのせいで死んだ人に、何もできないままここを出て行くのが嫌だという、 ただの身勝手な行動です」
 見上げた紫暗の瞳は、研ぎ澄まされるように真っ直ぐだった。
 自分に対する罪悪感と、死んだものへの決別をしっかりと受け止めた目だ。これまで数え切れない「死」を見届けてきた――― 戦士の目だ。


「誇り高い目だな。強い信念を持ち、そして、早死にする者の目だ」
 突如切り出したクマラの意図が分からず、ミリアは怪訝顔をするしかない。
 誇りとか信念とかはともかく―――果たして最後の一言は褒め言葉なのかどうか怪しい。
 なんだか複雑な思考を悶々と考えていると、次いで今度はアレンに顔を向け。
「《碧竜》―――貴様の父親も、同じ目をしておった」
 弾かれるように顔を上げたのは、ミリアただひとりで。
 アレンは眼鏡の奥で変わらぬ表情を貫きながら、微塵も動じずに吐息を零した。
「いくら禁忌を犯したとは言え、やはり友人の死というのは辛いですか?」
「友・・・・そうだな。あやつは《碧竜》の中でも1、2を争う強者だった。森を汚した人間どもに自らの命も顧みず戦い、栄誉の死を遂げた若き族長。だがしかし、あやつが最も愛したのもまた、その汚らわしい人間の女だったのだ」
 沈む声を見つめ、アレンは沈黙を保つ。
 一歩ずつ近づきながら、クマラは金の嘴を動かす。
「人間は、森を、友を、そして我が氏族を奪う。そう思ってきた。だが今、その娘の目を見て分からなくなった。 ・・・・真に悪しきは誇りか?強い信念というものは、己が身を焼く刃でしかないのか?もしそうであれば――――我らはこの先、 何を支えとして生きてゆけば良い?」


 悠久と思えるほどの沈黙が降りた。
 やがて、呆れたような盛大なため息がアレンから放たれる。
「あ~・・・なんて言うかこー・・・・・偏ってますよねー」
「「は?」」
 陰鬱な風を一蹴にするかの如くへらりとしたコメントに、ミリアとクマラ、双方から間の抜けた返事が返ってくる。

「誇りとか氏族とか人間とか、正しいとか汚らわしいとか。なんつーかなぁ・・・・そーやってビシッと区分できるほど、 なんもかんも単純じゃーないっしょ?得るものがあれば失うものもある。だったら、どれもテキトーに持っとけばいいんじゃないんスか?」
「て、適当だと?」
 あまりにいい加減な返答に、さすがのクマラも驚きを隠せない。
 アレンは構わず続けた。
「絶対に揺ぎ無いと説けるものなんて在りませんよ。特に、人の心はね。 大きな集合だけで真偽を判断してると、個を見失う。」

 クマラは、息を呑んだ。
 かつての友と同じ目をした少年の、かつての友とはあまりにかけ離れたいい加減な口調に。
 しかし・・・・・


「・・・あやつも、そう考えていたのだろうか」
 だから、人間を愛したのか。誇りなどという柵(しがらみ)を切り捨て、思うままに生きたというのか。 永遠に光を灯さない目に、自分すら閉ざしていたなにかを見ていたというのだろうか。
「俺の親父ですからね。・・・案外、なんも考えてなかったのかもしれませんよ」
 あっけらかんと笑うアレンの幼い笑顔は、本当に何にも考えていないかのようで。

(・・・・たしかに、よく似ておるな)
 そう、金色の老鳥は胸の奥で呟いた。
「ここ《ルドル》に移ってから数千年。禁忌の仔に《真理眼》が宿ったのも、何かの天啓かもしれん」

 古き器から抜け出し、新たな知恵を求めるべきなのだと。
 シャルマのように。そして、――――――かつての友のように。





+++++++





「――えぇっ!?魔族棲息域に行く!?」
 戻るや否や、予想の範疇を超えたラーグの言葉に、ミリアは思わず張り上げて。
「本気で言ってんですか!?いくら腹に風穴開けられたからって、あんな魔族の巣窟に自分から飛び込んで行――――ぶっ!?」
 素早い仕草で顔面に古書をクリティカルヒットされ、ミリアの台詞は強制的に遮られる。
「うるさい。聞き飽きた」
「あ、飽き・・・?初めて言ったと思うんですけど!?」
「当然だろう。俺も初めて聞く」
「意味が分かりません!!!」

 冷然とした神父の態度に、ミリアは精一杯の怒りをぶつけてみるも。
 いつものように返ってくる空しい沈黙に、疲れたように腰を下ろした。
「それにしたって・・・・直球ですね。あそこは聖堂騎士団(ラウストウィア)ですら一度も入ったことないのに。これっぽっちの人数で行くなんて、 自殺行為ですよ」
「怖いなら残るか」
「な!こっ怖くなんかないですよ!!これでも副長ですからねっ。一緒に行きます!」
 途端に強気に出るミリアを横目に、ラーグは黒いマントを身につける。
「《使徒》が動いているなら、《レガイア》も間違いなくそこにある。どの道向こうからやってくるのなら、こちらから赴いたほうが手間が省けていいだろう」
 皮肉を言う口振りに多少呆れつつ、ミリアはなんとなく口にする。
「・・・なんだか、すごい頑張ってますよね。こんなに真面目に《レガイア》を探すだなんて思ってませんでした」
「・・・・・・・お前の特技は素で喧嘩を売ることか?」
「へ?――あ、イヤ!そういうワケじゃなくて・・・・っ」
 慌てて弁明するミリアに、神父はいつもと同じ冷めた視線を送ったあと。
「別に。とっとと面倒事は終わらせたいだけだ」
「・・・・不真面目大爆発じゃないですか」
「無駄口を叩くなら出ろ。すぐにでもここを発つ。あと」
 淡々としたまま、彼は部屋のすみっこを視線で示し。
「あの鬱陶しい妖精も連れて行け」
「・・・えっ・・・・・ティティ!?」
 見ると、そこには絨毯の角に潜り込んでこちらを睨んでいるティティの姿があって。
 慌てて駆け寄ると、彼女は全身の鳥肌を抱えながらうーうー唸っていた。
「だ・・・っ大丈夫!?目が据わってるわよ!?」
「あぁ、ミリア。ヘーキよ・・・・何がなんだかちっとも平気じゃない気がするけどとりあえずヘーキよ。 命に別状はないわ。・・・・いーやこの際、怨霊になってとり憑くのもいいかもね。そうでなきゃ生霊でも構わないわ。 と言うか、あいつの存在自体が世界危機だわね・・・・・万害あって一利ナシよ。どうしてくれようこの恨み・・・・・。 末代先まで呪ってやる・・・・・・・・・」

 とかなんとか。
 延々と呪いの言葉を呟く様子は明らかに普通ではなく。

「・・・・・何かあったんですか?」
「自業自得だ」



+++



「魔族棲息域までは長い。くれぐれも気をつけ・・・と、まぁ、おぬしらなら心配要らんだろうがの」
「一刻も早く、《レガイア》が魔族の手より戻りますよう」


 集落の入り口。
 見送りに来た《赤狼》と《白狐》の族長は、あっさりとした別れの言葉を言った。
 迷路のような森なので出口まで送ろう、と言ってくれたのだが、アレンが道を全て把握していたので必要がなくなった。
 ディルが襲ってきた際に使った《真理眼》で全て見抜いたのだと言う。
 去ろうとしたアレンの背を、気づいたようにシャルマが下から引っ張る。
「なんです?」
「アレン、おぬしは自分を王の器ではないと言ったな。じゃが、儂はそうは思わぬ。無理強いはせん。しかし忘れんでくれ。 儂らはいつでも、おぬしを待っておる」
 にっと笑むシャルマに、アレンも同じく無邪気な笑顔を返した。

「たぶん、徒労に終わるっスよ」



 唐突な旅人たちの姿が見えなくなると、ふぅ、と肩を落とすシャルマに。
 隣のウルドは柔らかな表情のまま。
「残念ですか?」
「・・・いいや。誰人も他者の生き方を変えることは出来ぬ。あやつがただの人として生きるのに満足しておるなら、 それも良かろう」
 そう言って笑うシャルマの顔は、本当に清々しげだった。





+++++++





 蒼い聖地は、やっぱりどこからどう見ても木々と大地の連続で。
 迷いなく進んでいくアレンに感心しつつ、ミリアは前を行く神父の背中を見つめていた。
 法衣は後にラーグが聖魔導で復元したが、マントの方の微妙な傷や血の跡は気にも留めていないようで。 自分たちの盾となって残った生々しい傷跡に。ミリアは意を決して、彼の横へ並んだ。
「あの、ラーグっ」
 歩きながら、視線だけをこちらに向ける無感情で端正な顔。
「確かに今のあたしじゃ、従者として至らないとこだらけです。・・・でもせめて、これからはラーグがあたしのせいで怪我することがないようには頑張ります。あ、聖痕とかそういうのは関係なしに。騎士や聖女であるからには、誰かを守れる立場でありたいんです」
 ミリアにとって、これは宣誓に近かった。

 聖痕・・・・・・そこに刻まれたラーグの重責を、少しでも理解できたなら。


 だがその口から出てきた言葉は、慈悲の欠片もないくらい冷え切っていて。
「言ったはずだ。騎士としても聖女としても、お前に出来ることは何もない」
 視線を逸らして降ってきた声に、ミリアは言葉もなく全身でしゅんとなって。
 そこへ、くだらないことのように付け足されたのは。
「お前はお前だ。それ以外何になれる」
「はぇ?・・・・」
 意外な一言に立ち止まるミリアと、振り返ることもなく先へと進んでいくラーグ。広がっていく距離を目で追いながら、 きょとんとする少女の記憶に、メンゼルの言葉が蘇ってきた。



 ―――これから先、あなたがラーグのことを知る機会があっても。
    例えばそれが、あなたにとって楽しいばかりのものではなくても。
    ………どうか、ありのままの心で、ありのままのあなたでいてください―――



 ・・・まだ、彼のことなどほんの少ししか知ってはいないのかもしれないけれど。
 根付いた心の中に、どこまで踏み込んでいいのかも分からないけれど。
 聖痕のこと以外で、《ルドル》に来て分かったことがあるとしたら――――

「――はいっ」
 惜しみない笑顔で答え、ミリアは元気よく駆け出す。


 この冷徹で非情で無法者な神父も、本当は優しい人なのかもしれない―――

【第3章】ヒトナラザルモノ -the heresy child- 7

2016.05.14 01:15|クロスマテリア
 どうやらラーグとミリアが運ばれてから目を覚ますまで、一晩が明けていたようで。
 ほのかに差し込む真珠色の朝陽の下をくぐり、彼らがシャルマのもとを訪れたとき。

 彼の自室は、氷点下のオーラで満たされていた。


 アレンとティティは部屋の隅で立ち尽くしたまま沈黙し。・・・・・・心なしか、と言うか見るからに冷や汗をだらだらと 流す姿は明らかに普通ではなく。
「・・・・・・え・・・えと・・・・・・?」
 ラーグの後ろから気まずそうに搾り出すミリアの声にも、反応らしい反応が返ってくることはなく。
 そのとき、部屋の中央で正座し萎縮するシャルマと、その正面に佇んで絶対零度の豪雪を撒き散らす張本人が目に留まった。
 流れるような真白い長髪に、同じく純白の衣服。ピンと立った大きな耳が、やたらと印象に残る。
「・・・・・・長い付き合いです。貴方の大らかさは、よぅーっく、存じておりますけれどね」
 美貌と呼んでいいほどの微笑みを送り、さらに吹雪を強めながら、白髪の女性はゆったりとした口調で言う。 ・・・・・・・・・なんだろう。なんかこの笑顔、どっかで見た気がするようなしないような・・・・・・・・・
 側でラーグが思いっきり眉を詰めているのに気づかないまま、ミリアはなんとなく考える。
「200年前の《灯霊祭》で私に約束したことを、もう一度仰ってくださいな?」
 シャルマはあからさまに怯えた目を震えながら見開き。
「も・・・・・・もう二度と酒はガブ飲みせん、と・・・・・・・・・・・・」
「では、なぜ宴会中の酒が貴方の席の前でカラになっているのでしょう?」
「そ、それは・・・・・・」
「貴方の記憶が数分間飛んでいるのは?」
「つ、つまり・・・・・・」
「私が席を外した僅かな隙に、祭りの場が片っ端からなぎ倒されているのは、一体全体どうしてなんでしょうねぇ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・っ」
 焦点の合わない空色の目をグルグル回しながら、齢千年を生きる《赤狼》氏族の族長は、威厳の欠片もしぼませたまま、ただ硬直したように姿勢を正している。
 たおやかな態度を崩さないまま、女性はうっすらと――――ありとあらゆるよろしくない感情を押し込めた瞳を開いて、 ビシリとシャルマを指差す。
「仮にも長老がいい度胸です。あろうことか本来の姿にまで戻って気絶するまで暴れるとは・・・・・・ おかげで怪我人の世話やら他の氏族長への謝礼参りやら、エライ迷惑極まりありません。 前科の際、物見やぐらに20日間吊るしただけで反省したと思った私が馬鹿でした」
「だ、だけ・・・!?待てウルド!あのときワシは本当に生死の川を見」
「口答えは結構」
「・・・・・・・・・はい・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 なんだか可哀相なくらい、しおしおと耳を垂らすシャルマの姿。
 それを唖然と眺めるミリアに気づいて、アレンがようやく「お」と振り返った。
「やっと来たか~。いやぁ、焦った焦った」
「アレン・・・・・・あの人は?」
 ようやく声が届いたのか、質問に反応したのは、赤い狼の少年で。
「―おぉ!ラーグ。気がついたか!」
「気・・・?・・・・・・ああ、この方たちが例の」
 助かった、とばかりに顔を上げるシャルマの傍らで、ウルドと呼ばれた女性は柔らかな表情に戻って微笑んだ。
 それを見て、何を悟ったのかラーグはなんだか一瞬、ものすごく嫌そうな顔をする。
 構うことなく、シャルマはさっぱりした口調でこう告げた。
「紹介しよう。こやつはワシの友人で《白狐》の氏族長、フォル=リア=ウルドじゃ」
 氏族長!なるほど、どーりでシャルマ様にも説教っぽいのを垂れれたワケ・・・・・・・・・・・・


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ん?


「・・・・・・・えっと・・・。――今、フォル―――・・・なんて言いました?」
「おおそうか。おぬしらは知らなんだな。そう、ウルドはフォル=リア=メンゼルの実母だ」



 ミリアの断末魔は、きっと《ルドル》中に響いたことだろう。





+++++++





「出だしからお見苦しいところをお見せしてしまいましたね。失礼しました」
 図太いのかなんなのか、シャルマのソファに悠々と腰掛けつつ、ウルドはにっこりと笑んだ。
 ミリアたちに気を使ってか、ほとんど人化した肌は透き通るように白く、髪と衣服に控えめに溶け込んでいる。
「ご自分の悲鳴で後ろへ卒倒されるとは器用な方ですね。宜しければ今度、手ほどきをお受けしたいものです」
「・・・・・・はぁ、そりゃどーも・・・っ」
 まったく悪びれた風もなく、聖母のような物腰でバッサリとそんなことを言われたものだから。
 ミリアはメンゼルの同じ言動が、幻獣全体の習性でないことを骨身に染みて理解した。遺伝子って恐ろしい。 次いでウルドは、ラーグへと向き直り。
「貴方が、ラーグ=クラウド神父ですね?メンゼルからよく聞いています。とても優秀なひねくれ者だとか」
 その瞬間、なぜか部屋の気温が急激に下がったような気がしたが・・・・・・・・・
 ラーグは不機嫌そうに腕を組んだまま、相変わらずニコニコ微笑んでいるウルドから視線を外す。
 そして、シャルマのほうを見やると、
「・・・説明しろ」
 ごくごく端的に言う。シャルマはしばしキョトンとしたあとで、得意げに笑った。
「《レガイア》のことを知りたいのあろう?ならば彼女には会っておくべきじゃて」
「え?」
 顔をしかめるミリアに、今度はウルド本人が丁寧な口調で応対した。
「今よりおよそ500年前――――ここ《ルドル》より、《レガイア》と《セルフィート》を教会に預けたのは、私です。 古において、三大宝剣は全て、我々幻獣が保管しておりました」


 掠れた驚愕の声を返したのは、ミリアとティティだけで。アレンは目だけで驚き、ラーグは無言のままピクリと片眉を 動かした。
 それらを一瞥し、シャルマがコホンと喉を鳴らす。
「こやつは幻獣の中でも、殊に呪事に秀でた呪巫女師(まじないみこし)といってな。今やこの《ルドル》で右に出る者はおらぬ。 幾世代も重ね、何千年も昔より、彼女らはこれら宝剣を邪な輩より守ってきた」
「それって・・・元々宝剣は3本とも、貴方が所持していたってことですか・・・!?」
「アンタ一人で!?よく分かんないけどンなすっごい剣を!?っか~、欲張りぃ~~っ」
「欲張り、ですか・・・・・・正確には、持たされていた、と言ったほうが適当でしょうけれど」
 うっすらと翳りを含んだ瞳を見て、ミリアは少し言葉に詰まり。そして、最もな質問をした。
「・・・けど、どうしてうち2本も教会などに?」
 人と幻獣。その魔導容量の差はどうしようもない。しかし、その気になればあらゆる魔導を切り裂くほどの宝剣を、 なぜ人間などに託したのだろうか。
 初めて少し弱々しい笑顔を作り、ウルドはミリアを見た。
「族長たる私がこのようなことを言うのは情けない限りですが・・・・・・・・・怖くなったのですよ。己の器を越えた力を手元に置き続ける ことが。しかも、《レガイア》は月日を増すごとに我々の生命の源である聖気を喰い、吸収し、力を肥大させ続けていた。だから―――」
 いったん言葉を区切り、彼女は軽く息を吐く。
「だから、一時の間だけ人に預けることにしたんです。この世界で最も脆弱で、そして最も欲の深い、人間に。力無き故に 力を求め、欲深き故に、決して宝剣を失うことはないだろうと思った」
 そこで、ミリアはあることに気がつく。
「・・・・・・《クラウディア》は?」
 シャルマとウルドの視線が、一端虚空で停止する。
「三大宝剣全てを持っていたんですよね?1本を教会に授けたのなら、残った霊剣《クラウディア》は・・・どこに?」
「《クラウディア》なら・・・・・・もうとっくに、おぬしの目の前におる」
「へっ?」
 瞬きするミリアのあとで――シャルマは、視線をそのままある人物へと流した。



「そうであろう?アレン」



 壁に背を預ける青年は、無言のまま眼鏡を押し上げ。
 小さく肩を落とすと、呆然とするミリアへ困ったように笑いかけた。
「・・・神父さんが眠ってる間に、《真理眼》についての話はしたよな?その、《真理眼》ってのは、万物を見透かす故に幻獣がつけた字(あざな)で・・・・・・・・・その正体は、紛れもなく霊剣《クラウディア》。―――今は、俺の目の中にある」
「な・・・っ?」
「《碧竜》は本来盲目の氏族。彼の目も、《真理眼》―――すなわち、《クラウディア》の力がある故に光を宿しているにすぎません」
 淡々としたウルドの説明に、ティティはなんとかついてきて。
「ソレって・・・・・・んじゃあその剣がなくなったら、ソイツ、目が見えなくなっちゃうってこと?」
「理屈の上ではそうでしょうが・・・・・・そうそう容易なことではありません。《真理眼》――いえ、《クラウディア》は、 すでに幻獣の血に根付いていますから」
「誰が《クラウディア》の話をしろと言った?」
 間髪いれずに会話を一掃した人物を、全員の視線が捕らえ。
 長老二人組の前であるにも関わらず、神父はやはり心底偉そうな態度のまま、不機嫌極まりなく瞼を閉じている。
「直接奪ったかどうかは別として、あの魔族は間違いなく《レガイア》を持っている」
「―そんな!だってあいつ・・・・・・自分を《使徒》って・・・・・・」
 ミリアが思わず張り上げる。

 かつて、この大地には神々と人が共に暮らした時代があった。
 しかしあるとき、神々の一人が反逆して戦争となり、やがて破れた異端者は地の底へ堕とされる。
 ちなみに、100年に渡り天地を揺るがしたその争いの遺物こそ、現在の三大宝剣と呼ばれているものなのだ。

 異端者はのちに、魔族と呼ばれる種族の祖になったと言う。
 その異端者に属し、魔族の頂点に君臨するのが、《使徒》なのだ。
 ただでさえ魔族に渡れば危険な剣だと言うのに――――《使徒》の手元にあるなど、冗談であってほしい。 別に笑えなくていいから。


「おぅ~い、ミリアさ~ん?ンな、くすんだ薄紫色の顔してどーしたよ?」
「だぁーもうアレン!なんであんたはそうヘラヘラできるのよ!?よりにもよって《使徒》に―――」
「一度くらい、考えてから物を言え」
 呆れたように呟くラーグに、ミリアはへ?と目を点にして。
「《レガイア》が姿を消して数週間。その間魔族に不穏な動きは見られても、少なくともあの剣を『破壊』に用いる 素振りは微塵もなかった。それどころか、今回の連中の目的は、全く別のところにある」
 はっとして、ミリアは息を呑んだ。
「あいつら、《セルフィート》を狙って―――。・・・でもなんで・・・・・・」
「クロスマテリア」
 個室を突き抜けた声に、張り詰めたような緊迫感が続いた。
 全員の視線を受けて、アレンはもたれた背を空へ動かす。
「確か、そう言ってたっスね。いずれは全て頂くとかナンとか・・・・・・」
「・・・・なによその・・・・・・・・クロス・・・ナントカってのは?」
「・・・・三大宝剣、か」
 首を傾げるティティを軽~くスルーし、ラーグは腕を組んだまま低く呟いた。指をパチンと鳴らし、相変わらず飄々とした口調で「ご名答」と続けるアレン。
「つっても、まだ予想の域を超えませんケド。連中の口振りからして、まず間違いないでしょーね」
「ちょちょちょちょっと待ってください!?」
「あんたらだけでズカズカ納得してんぢゃないわよっ!」
 混乱するミリアとティティに、神父はなんか心底憐れむようなため息を零し。
 隣にいたアレンが、う~ん、と頬を掻きつつ両者を見た。
「・・・考えてもみろよ。『全て』ってことは、そのクロスマテリアっつーのは複数あるってことだ。うち1つが 、ミリアの持つ聖剣《セルフィート》なのはまず間違いねぇ。んでもって、神父さんの話によりゃぁ《レガイア》は連中の 手元にある。つーまーりー」
 一端言葉を切ってミリアたちの理解が追いつくのを待ってやったあと、アレンは結論を述べる。
「連中が集めようとしているクロスマテリアってのは、まんま三大宝剣を差す可能性が高いってこった」
「あ」
「なぁ~るほどねぇ~~!」
「その愚鈍な頭をどこかで取り替えてこい馬鹿コンビ」
 冷めたラーグの一言に、ミリアは「うぐ」と言葉を呑み、ティティはきぃー!と金切り声を上げて突っかかっていた。
 が、すぐにまた頭を上げると、
「けど、なんで今になって宝剣を・・・・・?」
「それが分かれば苦労はしない」
「・・・そんな、胸を張って言われても」
 あまりにもきっぱりと断言されたものだから。なんだか、さっきまでこの男の心配をしていた自分が本当に馬鹿みたいに思えてきて。
 やはりティティの言ったとおり、そうそう死にそうにない根性の持ち主だと、ミリアは思った。

 そのとき、あることに気づく。
「・・・・ちょっと待って。あいつらの狙いが三大宝剣なら・・・・・・」
 瞳の奥でついさっき言われた記憶を 反芻 はんすう し、ミリアはばっと振り向く。視線の先には、幼なじみの青年の姿。
「《クラウディア》は、アレンの目の中にあるんだよね!?・・・それじゃそっちだって危ないじゃない!」
「ん゛~?ああ、俺はそんな気にしなくてヘーキだろ。物質じゃないからンなに簡単にゃ盗られねーらしーし。それより、今連中が狙ってんのは むしろおまえ・・・・・・・・・」
「あたしは大丈夫!でもアレンは魔導が使えないんだから・・・・・・《使徒》相手に物理攻撃なんて、意味ないんだからね!?」
 わかった!?と、必死で覗き込んでくる少女。アレンは少し呆気にとられたあとで、悪戯っぽくにんと笑う。
「その《使徒》相手に一人で突っ込んでったのは、ドコのドナタでしたっけ~?」
「あ゛ぅ・・・・・・それはその・・・・・・・・・・これからは気をつけるから・・・」
 素直にしおれるミリアを見下ろして、アレンはもう一度上機嫌な笑顔を見せた。
「へーへー。りょーかいしました」



「まぁとにかく。幻獣の知恵はコレぐらいなものじゃ。今日のところは皆、しばし休め。《レガイア》にせよ魔族にせよ・・・・・・ いずれはまた、己の足で動かねばならぬのだからな」
 そう言うと、シャルマはどっこらせ、といかにも年寄りぶった仕草で立ち上がり、部屋へ案内しようと出口へ進む。
 その背を、ウルドの穏やかな声が撫でた。
「ああ、そうですシャルマ。各々がたを案内したら、私のところへ来るように」
「・・・・・・・・へ・・・・・・・?」
 ぎこちなく振り返るシャルマの声は、どこか硬直していて。
「まだ、話の途中でしたよね?」
 にっこりと微笑むウルドの顔は、まごうことなく、黄泉の番人のそれだった・・・・・・・・。





+++++++





「そうそう。神父さん、今思い出したんスけど」
 部屋を後にしようとしたラーグの後ろから、快活な声が響く。
 先に進むミリアたちの足音を背に、彼は怪訝そうに振り向き。・・・どこか不自然なまでにはつらつとしたアレンの様子に、 少し眉間を寄せた。
「ミリアの目、少し腫れてましたよね。なんかあったんスか?」
 ・・・・その眼鏡はダテかと思わせる鋭い指摘に、ラーグはしばし沈黙し。
「気にすることでもない。ただ単に、あいつが軟弱なだけだ」
「ははっ。そうかーそうですよねー。相当に強情っぱりな泣き虫だから、あいつは。だからこそ、滅多に人前では泣かないやつなんですよー。俺の前ですら」
「・・・何が言いたい?」
「いえいえそんな。別に気にすることでもないっスよ☆」
 笑顔のまま、あからさまに神経逆撫でする一言を残し。横を通り過ぎて部屋から出るアレンが去った、たっぷり30秒後。

 ラーグは、鬱陶しそうにひとつ、息を吐いた。





+++++++





 我ながら、少し女々 しいマネをしたものだ。
 シャルマたちの足音を辿り、胸中でそう自覚しつつも。アレンは微塵の罪悪感も持ってはいなかった。
 意地っ張りなミリアは、決して泣かない。自分のことでは決して泣かない。だからあれは、神父の聖痕のことでも 聞いて、それで心を痛めたんだろう。  ・・・他人のことでは、いくらでも涙を流せるやつだから。

 むしろ気になったのは

 自分たちが部屋を出るとき、あれほど深く自責の念に沈んでいた彼女が、こちらに現れたときには実にケロリと立ち直っていたことで。
 そしておそらくそうさせたのは、どのような手段にせよあの神父さんであることには変わりなくて。


「・・・・・ま、いーか」
 浮かんだ様々な感情を、その一言で胸の奥にしまい込んだ。

 昔から決めていたことだ。
 彼女が、自分を一人の人間として真っ直ぐに追いかけてきてくれていたころから、これだけは変わらない。
 ずっと、自分は彼女の前を平然な顔して歩み続けるんだと。彼女の目標であり続けるために。
 彼女を悲しませるようなやつは、たとえ誰であっても容赦しない。三日三晩夢に出てくるような方法で報復してやる。
 そして―――――

 少しでも長く、笑っていてほしい。
 あの何にも考えていない。陽だまりのような笑顔で。



 ・・・・・・その隣にいるのは、自分でなくても構わないから――――――

【第3章】ヒトナラザルモノ -the heresy child- 6

2016.05.13 23:30|クロスマテリア
「なんとか血は止まったが・・・・・・あとは、こやつの生命力次第じゃな」

 蝋燭が揺らすほの暗い室内で、シャルマの苦々しい声がやけに鮮明に響く。
 暖かそうな毛皮の上に座る《赤狼》の族長の態度に、一切の曖昧さはない。「ひとまずは大丈夫だ」と言っているのかもしれないが ・・・・・・・・・・・・。縮こまって顔をうずめるミリアには、医者が危険な手術の後に「最善を尽くした」と言っているようにしか 聞こえなかった。
 目の前で上半身――とくに胸部を中心に包帯を巻きつけて横たわる神父の顔は、まるで別人のように真っ白で。
 そのあまりに穏やかに閉じられた瞼に、言いようのない寒気を感じた。


 ディルが放った攻撃の音は、どうやら祭りの席にまで響いたらしい。すぐに駆けつけた幻獣たちにラーグと、そして気絶する ミリアを運んでもらい、秘湯や呪術などで可能な限りの処置を終えたのは、ついさきほどのこと。
 気がついて早々、黄泉の一歩手間並みに沈みっぱなしのミリアに、アレンやシャルマはとてもかける言葉が見つからず。
 鉛のような空気に限界を感じたのか、ティティがなんとか快活に切り出した。
「だ・・・だぁーいじょぶだってミリア!こんなヤツ殺したって死なないわよ!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「なんてゆーかホラ。間が悪かったってゆーか・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「悪いのはそのジャラジャラの魔族ってヤツで、アンタが気に病むことじゃないってっ」
「ティティ」
 名を呼んだのは、しかし少女ではなく、壁に背を預ける少年だった。
 アレンは視線で「よせ」と言うと、しょんぼりと肩を落とす妖精の後で室内を見回し、ゆっくりと息を吐く。
「・・・ちょい、話があるんだ。このままここにいてもナンだし、できりゃぁ場所変えてーんだけど・・・・・・」
 そして、ちらりと掠る程度に、視線をシャルマに向け。細い眉とともに、シャルマの赤い獣耳が小さくピクリと動く。  対して、不思議そうに傾ぐティティの頭。
「? ナニよ改まっちゃって。せっかく揃ってんだからココで・・・」
「良かろう。ならば一度、儂の寝所へでも移るかの」
「は?ちょっと・・・・・・」
「おっし決まり。さーぁとっとと行きましょーか妖精さん☆・・・・・・ミリア、どーする?」
 半ば以上強引に妖精を引っつかみ、ほんの少し間を置いて、アレンは後ろで俯く少女の背中に問いかける。
 ミリアは顔を上げないまま、小さく2回、首を横に振った。
「そっか・・・・・・落ち着いたら、ちったぁ休めよ。お前だってかなり消耗してんだから」
 結局、部屋をあとにするその瞬間まで、彼女は一言も喋ることはなかった。





+++++++





「ちょぉーーーっと!どーゆーワケよ!?」
 シャルマの自室に入るなり、ティティはアレンの鼻先をビシリと指差した。
 そのおてんばぶりに多少驚きつつ、彼は軽く眼鏡を直しながら息を吐く。
「あのミリアの様子見たろ?そーとー参ってる。しばらくそっとしとくのが筋ってもんだ」
「律儀な娘じゃな・・・あの男の怪我は全て、自分のせいだと思うておる」
「だからそれはジャラジャラ魔族が・・・」
「んじゃさ、その魔族の実力を予想できながら、それでも一人で戦おうとした無謀は誰よ?何を思ってたんかは知らねーが・・・・・・ 教会にいたころのあいつなら、絶対にンな分の悪い賭けには出なかったはずだ」
 つーか、ジャラジャラ魔族って言いにくくね?と、呆れ顔で続けるアレンの声も、ティティにはあまり聞こえていないようで。
 むむむ・・・と口を尖らせると、憮然と視線を落とし。
「・・・・・・それでも、ミリアばっかりのせいじゃないもん」
「そりゃモチロン、そーなんだけどなぁ。頭よりも気持ちで生きてるヤツだからさ・・・・・・・・・ここは少し、1人にしといてやる べき、だろ?」
「1人じゃないわよ」
 キッパリと言い切るティティに、アレンは一瞬目をぱちくりし。
「・・・・・・そーだな」
 いつもと同じく、少年のような顔で屈託なく笑った。

 つられて朗らかに笑んでいたシャルマの顔が引き締まったのは、そのとき。
「・・・・・・してアレン。話というのは?」
「へ?アレってただの口実じゃなかったの?」
 途端に低くなった声にたじろぐティティと、同時に笑みを消して眼鏡を押し上げるアレン。
 一度息を呑みこんで呼吸を整えたあと、彼は、静かな声で呟いた。
「・・・・・・視えたんです。どーもあの神父さん、エライ秘密を持ってるみたいっスよ」





+++++++





 勝てると思った。
 負けるはずがないと信じていた。


 ―――いや。そうじゃない。


 勝ちたかった。
 負けると認めたくなかった。
 《セルフィート》はいかなる魔族をも粉砕する聖剣だから。それを持つ自分が、負けるなどと考えたくなかった。
 ・・・認めて欲しかったのだ。自分は、ちゃんと役に立つと。
 この人の従者として、隣で胸を張って歩けると。この人に見せつけたかったのだ。

 無理かもしれない、と、あの魔族を見た瞬間肌で感じていたのに。
 ただ不安で。このまま側にいても、ただのお荷物扱いに戻るのではないかという感情に襲われて。一時の判断を、わずかな 可能性に頼ってしまった。その結果が―――――
「・・・・・・・・・ラーグ・・・」
 あのとき―――ふいに、記憶の中を凄まじい何かがよぎった。目の前を染め上げる鮮やかな赤と、焼け焦げた大地のにおい。 ・・・・・・・・・・・・昔どこかで、丁度こんな情景を見た気がする。そのときの恐怖が、戦慄に蘇ってきた。
 たくさんだ。人が死ぬところは、二度と見たくない。
 それも、自分のせいで、など。

 祈るような気持ちで、ミリアは両手を握り締める。
「死なないでください・・・・・・っ・・・」




「・・・ずいぶんと安直な発想だな」




 ぼそりと聞こえた低い声に。
 ミリアは思わず顔を上げた。
 そこには、やはり血色最悪な―――けれど、鬱陶しげに片腕を目先に乗せる神父の姿があって。
「ラーグ!?」
「やかましい。」
 思わず溢れた喜びも、鋭利な言葉の刃であっさりと一刀両断され。目を点にしたまま固まるミリアを横目に映し、 ラーグは少し眉をひそめたあと、静かに視線を外して呟いた。
「・・・・・・おまえか・・・」
 ここに運ばれた時点で、ミリアはラーグの血で汚れた服を着替えさせられていた。楽なかっこうに加えて横髪の髪留めも 外していたため、気づいたばかりで視野のはっきりしないラーグには、一瞬誰だか判断が遅れたらしい。
「あの魔族はどうした」
「え?あ・・・去りました。もう一人別の魔族が連れてったとかで・・・・・・」
「《セルフィート》は」
「大丈夫です。ちゃんと―――ここに」
 腕に光の粒を集めて、《セルフィート》を示すミリア。ラーグが確認できるのを待ってから再び光に戻し――――ふと、 ラーグはその細い左腕に巻かれた包帯を見つけた。ディルの毒と同時に、ミリアが受けた傷である。かすかに深められた眉間 の皺に、ミリアはわけが分からず首を傾げ、
「・・・あの・・・・・・?」
 訊いてみるが、5月に吹く爽やかな風の如くさっぱりと無視される。
「お前の稚拙な説明では話にならん。あの眼鏡はどこだ」
「ちょ・・・・・・まだ起き上がっちゃ・・・!」
 おびただしい包帯をまとったまま平然と身を起こそうとするラーグに、ミリアは慌てて制止をかけるも―――
「俺に、触るな」
 心底うざったそうに腕をどけられた。
 ・・・・・・なぜだろう。いつもと変わらない彼の仕草が、今はとても胸に突き刺さるのだ。



「・・・やっぱりあたしは、守られるだけの存在ですか?」
 気づいたときには、胸の奥の思いが言葉になっていた。
 足を床に下ろした状態でベッドに腰掛けていたラーグの動きが止まる。
 白地を基調とした薄い幻獣の衣服を握り締め、ミリアは俯いたまま続ける。
「アレンに、全部聞きました。聖気の溢れるこの森では、魔気の回復にずいぶん手間取っていたって。・・・とりわけ、 聖女であるあたしの近くでは、いっそう時間が掛かっていたって」
「ずいぶんと愚鈍な力に抑制されているとは思っていたが・・・・・・お前だったのなら納得がいくな」
「誤魔化さないでくださいっ。・・・気づいてたんでしょう?だから牢から出て以来、なるべくあたしから離れようとしていたんでしょう?」
 降りてくる沈黙が、何よりの答えだった。
「なんで・・・・・・言ってくれないんですか・・・」
 押し殺した声を絞り出し、ミリアはなおも視線を落とす。
「魔獣を喚べれば、もっと楽に戦えたはずです。そんなに聖気を消耗することもなかった。あのとき―――・・・・・・ 後ろにいたあたしたちを庇って、そんな大怪我をすることも・・・っ!」
「どの道、もう血は止まった。問題無い」
「大ありです!・・・おかしいじゃないですか!あたしはラーグの従者で・・・・・貴方の盾になるべきで・・・・・。なのに、その あたしの為に貴方が死にそうになってるなんて、おかしいじゃないですか!!」
 感情のままにまくし立てながら、ミリアは激しい自己嫌悪にさいなまれた。
 ・・・違う。こんなの八つ当たりもいいところだ。ラーグはただ、軽率な行動をとった自分を守ってくれただけなのに。
 どうしていつもこうなのだろう。
 ごめんなさいと。自分はここに居てもいいのかと。

 言いたいのは、それだけなのに。
「・・・・・・言ったところで、お前に何ができる」
 降りかかる感情のない声は、暗に全てを否定しているかのようで。
 奥歯を噛みしめたまま、ミリアは押し黙った。


 何も、できない。
 自分は、魔とは完全に対をなす存在だから。
 あたしにできるのは、彼の魔気を枯渇させることだけ・・・・・


「ラーグは、なんにも言ってくれないから・・・・」
 掠れるような声で、少女は唇を噛む。
「いつもそんなだから・・・・・不躾なのか優しいのか、全然分かりません。それって、なんかずるい・・・です」
「何が」
 同じだけ側にいるのに。
 なぜか自分だけが、どんどん彼のことが分からなくなっていっているようで。
 やっと、進んで彼を知りたいと思うようになったのに。

「・・・・騎士としても力になれなくて・・・・。聖女としても役に立たないなら。・・・・・・一体、あたしは何のための従者ですか? どうして感じたことを言葉にしてくれないんですか。どうして一人で背負おうとするんですか。どうして―――」

 一度黙りこむミリアから顔を逸らし、ラーグはおもむろに包帯を外し出した。
 つい数時間前、胸に風穴を空けた傷口だ。本来なら急いで止めるはずが―――。ミリアは、止めなかった。
 茫々と開く瞳に白い肌を映し。震える唇をなんとか動かす。


「どうして・・・あれほどの傷が、もう塞がっているんですか・・・?」
 色を失った肌に、傷と呼べる痕はおろか。その痕跡すら、全く残ってはいなかった。



「・・・・・・手を出せ」
「・・・・・・・・・へ?」
 なんか大方の期待を裏切って聞こえてきた返事に、ミリアは間抜けな声と共に間抜けな顔を上げて。
 気ダルそうに見るラーグと視線がぶつかると。
「さっさとしろ」
「は・・・はぁ」
 触るな、と言ったあとにも関わらず、やけにあっさりとその手を受け取り、傷の消えた自分の胸部に置く。
 ひんやりとしたラーグの体温を感じ、ミリアはほんの少し頬を染めて俯いた。
「『復元』を使え」
「・・・・・・はい?」
「死にたいのか」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はぁ・・・」
 微妙にこめかみをヒクつかせながら、ミリアは言われたとおり、『復元』を使った。
 触れた腕から淡い光が流れ込み―――――そのとき、何か凄まじい寒気が背中をゾクリと駆け抜ける。思わず手を離すと―――  ラーグの胸部に、先ほどまではなかった黒い紋様が浮かび上がっているのに気づいた。陣に近い曲線を組み合わせ、呪紋を 幾重にも重ね合わせた――――魔導の際に用いる輪(リング)によく似ている。
「・・・これ・・・・・・?」
「昔、教会が極秘に行なっていた研究の中に、人体に直接誓約を刻み込むというものがあった」
「誓約を・・・・・・体に?」
「元々、俺の体にこの刻印が刻まれているのが賢老院の目に留まったのが始まりだ。罪人や非国民、数百人以上が被検体として、 これと同じ刻印を刻み込まれた」
 『刻み込まれた』
 過去形の言い回しに、ミリアの心臓がどくんと跳ね上がる。
「その人たちは・・・・・・」



「全員、死んだ」





+++++++





「不死の聖痕~?」
 聞き慣れない単語に、ティティは置き物の上に寝そべりながら訊ね返す。
 あぐらをかいた状態で、アレンは「ん゛~・・・」と手を顎にやった。
「小耳に挟んだことがあんだよ。神からの権限である誓約を形にして、人体に埋め込むことで、人の器自体を魔導に対して強化するって話。 よーするに、魔導容量を爆発的に増やすってことだな。モチロンそれ自体も研究目的のひとつだったケド―――・・・なにより、その 聖痕がもたらす凄まじい再生力が教会の興味を引いた。つまり、生半の怪我じゃ絶対死なねーってコトだ。 そーゆーわけで『不死の聖痕』。――ま、あまりに死人が出たんで結局オジャンになったらしいけど」
「うげ。えっげつな~・・・・・・」
 口を歪めるティティの側で、じっと話を聞いていたシャルマが腕を組んだまま問いかける。
「・・・・・・それが、あの神父に刻まれておると?」
「ええ。あの異常な回復も、その聖痕の力でしょう。 魔気で薄い膜作って隠してたみたいっスけど・・・・・・・。 きっと今頃は、跡形もなくスッキリ完治してるんじゃないんスか?」
 軽い口調のアレンとは違って、シャルマはいたって真剣な面持ちである。

「失敗に終わった研究を、何故あやつが持っておる・・・」
「さぁ・・・・・・けどま、大方唯一成功した被検体か・・・・・・あるいは彼自身がオリジナルか。どっちかってトコでしょうね」
 まーとにかく、と、アレンは大きなあくびをして。
「俺が《真理眼》で見たのは、そんだけっスよ」
「・・・しっかし便利よねぇ~?見たもの全部が分かっちゃうなんて」
 感心するティティに、彼は小さく苦笑し。
「そーでもねぇよ。現に一度使ったら制御できねーときもあるし。第一、めっちゃめちゃ疲れんだな、コレが」
「若いのに年寄りみたいなコト言っちゃダメよ~?」
「はは、まったくだ。なんせあんたのほうはさんびゃ・・・・・・くぅ!!?」


 そこで、突然顔面目掛けて飛んできた置き物を、アレンは咄嗟の俊敏性で見事かわした。ぶつかった土の壁が、ミシリと生々しく ヘコむ。しかしこれで安心するなかれ。ティティは次なる凶器、炎のたぎる燭台を掲げ、恐ろしいくらいに優しい微笑みを浮かべている。 天使のような笑みだ。っていうか、あの世の使いだ。
「おーほほ~。でもやっぱり、人のプライバシーまで覗くのは関心しないわねぇ~?」
「いやいやいや。これは単にお前とミリアの会話を総合して計算した結果であって・・・・・・のわっ!?」
「問答無用っ!いっぺん頭強く打ってそこんとこの記憶だけ消してやるわ!」
「まてまてまてそのベッドはさすがに頭じゃ済まねぇって!―シャルマ様!アンタの部屋がピンチですよっ!?」
「・・・・・・・・・・・・ぐー。」
「座ったまま寝るなーーー!!」
 それからティティが落ち着くまで、かなりの時間を要したのは言うまでもない。





+++++++





 どれほどの間、沈黙が支配していたのだろうか。
 深く顔を落としたまま微動だにしないミリア。
 その、普段とは違い下ろされた横の髪をはらい――――ラーグはそっと、その顔をこちらに向けさせた。



「・・・・・・・・・何故、お前が泣く」
 触れた手の平に染みこんだ温かい滴を見て、怪訝そうに目を細める。
 冷え切ったその大きな手を、ミリアは静かに包み込んだ。

「・・・そうやってずっと、その人たちの痛みを一身に受けて・・・・・生きていくんですか?」
「痛みか。とうの昔に忘れた」
 どこか遠いところを見つめるように、ラーグは静かに目を伏せる。
「俺にできるのは、俺のために葬られた魂を、その身に刻み続けることだけだ」


 できない。
 彼の命は、心は、何百という犠牲の上に立っている。それら全てを背負い、ラーグは一人、その証を胸に 生きているのだ。自分への戒めとして、長い鎖に絡まれたまま。
 魔気でひた隠し続ける数多の魂の刻印を、刻み込んだまま。
 それら全てを洗い流すことなど―――自分には、到底できない。

 理屈では、そう、分かっているのに――――


「それでも・・・・・・ラーグ一人が全部抱えるのを見てるだけなんて、やっぱり嫌です」
 奢りでも身の程知らずでも構わない。
 たとえ、彼自身が救いを拒むのだとしても。呪縛を己の責務と説くのだとしても。
 手を伸ばせるところに、伸ばすべき存在があるのなら――――
「半分なんて言いません。ほんの少しでいい、貴方の負ってるものを、・・・・・あたしにも、分けてもらえませんか?」


 細い涙を浮かべ、熱を帯びた瞳を翠の瞳に溶け込ませ。
 ラーグは黙ったまま、彼女を正面から見つめると―――



 ――びすっ。
「・・・あだっ!?」
 突然髪を引っ張られて、ミリアは力学のままにぐいぐいと体を傾げ呻いた。
「いたいたいたいたいです・・・!ちょっとあのラーグ!?これちょっと・・・っマジで痛いんですけど!?」
 訴えが効いたのか、ラーグは無表情のままようやく解放すると。
「ガラにもないことをするな。気色悪い」
「き、キショ・・・!?」
「俺の知っているミリア=イリスは、もっと厳格で豪腕で頑固だったぞ」
「もちょっとソフトな言い方できないんですか!?・・・・・・・・・て、・・・あれ?」
 半泣きで頭をさするミリアは、やがてキョトンと目を丸くし。
「ラーグ・・・・・・今、あたしの名前呼んでくれました?」
「だからどうした」
 思ったよりあっさりと返ってきた言葉に、一瞬呆けてしまったけれど。
 やがて、ミリアは満円の笑みを顔に浮かべる。
「・・・・・・はい、はいっ。あたしはミリアです!嬉しいです。覚えててくれたんですね!」
 この世の幸せを独占したかのような、あまりに満たされた笑顔を見て。
 ラーグは着付けていた上着の手を止めると、ふわりと口の端を笑みに動かした。そして。
 そのまま流水のように滑らかに、周りの空気を一気に張り詰めたものに変え。
「 喧嘩 けんか を売るのなら買ってやろう。特別に、十割増しでな」
「え、ええぇ・・・!?」
「どうやら、本気で馬鹿にされているらしい」
「し・・・してません!してないですラーグ落ち着いて・・・・!」
 見るからにわたわた両手両足を振り回して慌てるミリアを横目に、ラーグは小さく、喉の奥で笑いを噛み殺した。

【第3章】ヒトナラザルモノ -the heresy child- 5

2016.05.13 22:48|クロスマテリア
「あー・・・・・・っと・・・・・・」
 目の前に広がる現状をもう一度確かめ、アレンは眼鏡の下に、引きつった苦笑いを作る。


「・・・・・・こりゃ、どーいうコトですかね?」



 静かな、そして神聖な《ルドル》の森。
 規則正しい聖気の循環を繰り返す蒼い光の滴が灯す、深い密林の中。そこに、異質な魔気を感じたのはほんの一瞬のことで。 気がついた時には、ラーグとアレンの周囲に信じがたい数の魔物が出現していた。
 本来漆黒の肉体をもつ魔物たちは、森の光に照らされて、不気味にうねった筋肉をあらわにしている。
 煌々と輝く両眼は、真っ赤な血色。
 それを正面から見据え、アレンは細い汗を流しながら、手に銀のテアーを握る。

 聖地と呼ばれるこの森に、しかもこれほど大量の魔物が一度に現れたということは・・・・・・・・・
「召喚魔導っスね。それもこれだけの数・・・・・・相当な高位魔族がこの森のどこかにいると考えていい」
「・・・さてな。強大な魔気を宿しているのは、何も魔族だけとは限らん」
 やはり抑揚のない――それどころか警戒の欠片も見せぬまま、ラーグが意味ありげに言う。
 彼自身も、唯一魔族を葬れる魔族――冥界の番人を召喚できる。
 呆れたように肩を下ろし、アレンは首を振った。
「またそーゆーことを。無理っスよ。魔気の回復に手間取ってる今の貴方じゃ、こんなタフなこととてもできませんって」
 それに、と、アレンは続ける。
「今んとこ、貴方が喚び出せる魔族はその番人だけだ。そうでしょう、神父さん?」
 言葉が終わらないうちに、ラーグの周りの空気が静かに険しいものとなる。
「・・・・・・・・・貴様、その目でどこまで見ている」
「だぁ~か~ら、《真理眼》なんて、普段はマジで滅多と使いませんって。少し考えりゃ分からんこともないっスよ?どれだけ 膨大な魔気容量を持っていようと、扱う器は人のもの。その脆い器で番人なんて喚ぶんだ。取るに足りねー程度の魔族と契約したところで、体を蝕むだけですからね」

 やけにあっさりと流されて、ラーグはしばし黙し。
 やがて魔物のほうへ向き直ると、
「なら、とっとと使え」
「《真理眼》っスか?あー・・・・・・こいつらの弱点でも見ます?」
「いいや」
 一度言葉を切って、ラーグは最初に襲い掛かってきた一体目を聖魔導で粉砕する。


「『今《ルドル》で、何が起きているか』、だ」


 最も効率のいい選択だ、と、アレンは思った。
 無駄がないし、根本的な的を射ている。
 意識を集中し―――アレンは、その眼の先に、《真理眼》を解き放った。
 とりわけ突風が炸裂するとか、体が光るとかいったファンタジックなことが起こるわけではなくて。ただひとつ先程までと違う ところと言えば、彼の緑の瞳が、月光に似た黄金に変わっていたことである。



―――――視えた。

 万物の理を見通すアレンの意識に、様々な情景が流れ込んできた。
 祭りを楽しむ氏族たち。そこから消えた少女。そして、祝いの席から離れたところを歩いている2つの影は―――



「・・・こりゃヤベーぞ・・・・・・・・・・・・」





+++++++





 そこは、小さな泉だった。
 満月を浮かび上がらせる水面にはほのかに光の粉が舞い、純度の高い結晶のような、美しい青銀色を映し出している。
 恐ろしいほど透きとおった水中には、しかし魚一匹、水苔一本たりとも存在しない。
 聖水――それが、一番近い表現だった。



 それゆえに。
 その中に落とされた赤い濁りは、やけに鮮明に見えた。



「仕留めるつもりだったのだが・・・・・・。人間のわりにはいい反応をするな」
 冷ややかな声で語る《赤狼》の男を――いや、その殻をかぶった存在に、ミリアは開いた距離に気を配りながら鋭い視線を送る。
 右手には聖剣《セルフィート》を握り締め、傷ついた左腕からは一筋の鮮やかな血を伝えつつ。
 それでも凛とした態度を曲げなかったのは、騎士である者の誇りからか。
「・・・そりゃどーも。魔族に褒めてもらえるなんて、光栄ね」
 男の眉根がピクリと動く。

 ・・・意外だった。フラフラの小娘を背後からの、しかも不意の一撃で仕留める――――
 失敗することのほうが難しい。
 だが、自分が放った一瞬の殺気に、この小柄な少女は反応した。胸を貫くはずだった一撃は大きく逸れ、信じがたい瞬発力に よって一気に距離を取られてしまった。頭より先に体が動いているとしか思えない。
 まったく・・・・・・しばらく見ないうちに、教会もとんだ野生児を育てたものだ。

 喉の奥で他愛もないため息をつくと、ふいに、ミリアの緊迫した声が届く。
「さっさと元に戻ったら?転化を解く時間くらい、とってあげるわよ」


 男は無言のまましばし膠着し。
 寒々しい魔気の渦を巻きつけたと思うと、全身に無数の呪紋(じゅもん)を浮かび上がらせ、ゆっくりと――転化を解いた。
 闇に溶けるような漆黒の肌と赤い目。伸びた長い耳と、溢れんばかりに宿した魔気。
 だが―――

 そのいずれよりも、彼の身なりのほうに、ミリアは言葉を失った。
 両耳にたっぷりと下げられた計6つの金のリング。さらには首、腕、手首、指、足にまで、同じような大小さまざまなリングが 無数に取り付けられており・・・・・・・・・。
 動くたびに、ジャラジャラと金属の擦れる音がする。
 なんていうか、ちょっとさすがに付けすぎだろと言うか・・・・・・・・・
 祭りの日なんかは、そのままで輪投げとか出来そうなほどだ。いやほんと。マジに。

 微妙な形に戦意を削がれ、ミリアは困ったように頭を掻きつつ訊ねてみた。


「えーと・・・・・・・・・・・・・・・何族の方でしょう?」
「・・・・・・魔族だ・・・・・・・・・」
 どいつもこいつも・・・・・・と静かに続いたのを聞き取れたのは、たぶんディル本人だけだろう。
 自分のファッションセンスをけなされるのがよっぽど堪えたのか、静かに拳を震わせながら小さく呻いた。


 とは言え(?)。
 油断は禁物であると、ミリアはもう一度自分に言い聞かせた。
 魔族の生命そのものとも言える魔気は、聖気とは完全に対の力に属する。漆黒の肌と赤い瞳は魔族の証拠。その魔族が、 聖気の格別強いこの泉で、それも人の姿を保っていられるのだ。
 魔族の中でも、最高ランクに属する部類と考えていい。

 流水のように静かな殺気を殺さないまま、ミリアは右腕1本で《セルフィート》の切っ先をディルへと向ける。
 ほう、と、短い息が空気を撫でた。
「威勢がいいな。たった一人で俺の相手をする気か」
「そっちから誘っといてよく言うわね。あんたの目的は、あたしなんでしょ?売られたケンカは買うわよ。3割増し、 しかも返品不可能って方向で」
「なるほど・・・・・・なかなか肝が据わっている。が―――・・・」
 ディルの赤い瞳が、いっそう無慈悲に輝き。


「俺の目的は、その剣のほうだ」



 直後、全身を貫いた強烈な痛みに、ミリアは思わずうずくまった。
 体中を稲妻が走っているようだ。見る間に力を失っていく少女の四肢を見て、ディルは恐ろしいほど抑揚のない声で呟いた。
「ようやく効いてきたか・・・・・・まったく、たいした聖力だ。並の人間なら、即効で死に至ろうものを」

 毒・・・・・・・・・・・・
 最初に受けた傷だ。彼の爪には、あらかじめ、あるいは生態的に毒が染み込んであったに違いない。
 パキリ、と異様に大きく感じる音で小枝を踏み割り、近づいてくる足音を遠くに感じながら、ミリアはなんとか意識を繋ぎとめる。
「どういう・・・・・・こと・・・・・・・・・?なんで、魔族である、あんたが・・・・・・・・・」

 聖剣とも称される《セルフィート》は、魔気を破壊し、浄化させる。
 魔族にとっては、まさに「百害あって一理なし」な迷惑千万アイテムのはずだ。
 はず、なの、だが――――

 全身で息を荒げ、呼吸もままならないミリアの前で足を止め。
 ディルは不敵に口を歪めると、漆黒の腕を《セルフィート》に伸ばした。
「これらクロスマテリアを集めるのが、我ら《使徒》の使命だ」


 言われた言葉を理解する前に。


 たくましい腕が聖剣の柄に届く前に。


 突如。彼の右腕が吹き飛んだ。―いや、砕けた。
「な・・・・・・!?」
 初めて驚愕の色を浮かべ、ディルはとっさにその場から飛びのく。
 一瞬遅れて、丁度その場所に、ひとつの影が降り立った。
 誰か、など、その後に続いた陽気な声を聞けば嫌でも想像がついたわけで。
「ふぃ~~、なんとか間に合ったゼー。大丈夫かよミリア・・・・・・・・・ってうわ!顔白っっ!」
「アレン?・・・その目・・・・・・・・・?」
 しかし、見上げた瞳はいつもの悪戯っぽい緑ではなく、黄金色に輝いていて。
 困惑するミリアに、アレンは軽い態度で頭を掻いた。 ・・・・・・心なしかその腕からは、微かに血の臭いが流れた気がした。
「説明はアトアト。ん゛ーーー・・・・・・呪紋による、高度な呪いの毒だな。けどまだ誓約は完全じゃねーか。・・・よし、ミリア。ちょっと ここらの木に寄っかかっとけ。森の聖気の助けも借りて、体力が残ってるうちに『復元』で中和すっぞ」
「―っど、どーしてそんなことまで・・・!?」
「早くしねーと、マジで死んじゃいますよー?俺にゃ、解毒魔導なんざ使えねーし」
 やたらと明るい死亡宣告を下され、ミリアははっとなった。
 そう。非魔導体質であるアレンは、魔導を使えない。
 なら、さっきあの魔族を攻撃したのは―――――


 ようやく晴れてきた視界に映されたのは、右肩から先を失ったディルと――
 悠然と佇む、金色の髪だった。

「・・・驚いた。あれほどの魔物を、全て消し去ってきたのか?」
「時間稼ぎのつもりの会話なら無駄だ。聖気の満ちるこの森では、どの道まともな回復は計れない」
 数十の魔物を葬ったにも関わらず、返り血ひとつ浴びていない頬を白く浮き立たせて、ラーグは淡々とディルを横目に映す。
 そのあまりにも無慈悲な瞳を目にして、ディルは一瞬、言いようのない圧力を感じた。
「ふん・・・。その言葉、そっくり返すぞ。その程度の魔気では、満足に魔獣も喚べまい。その上、聖気もほとんど使いきっている と見える」
「試してみるか」
 間違いなく図星を突かれているにも関わらず、あまりにも堂々とした余裕に。
 ディルは右肩を抑えたまま、刹那の間黙り込んだ。
 そして。


「貴様は・・・・・・クロスマテリアを持ってはいない」
 ぼそりと呟いた声に、ラーグの片眉が小さく動いた。
「教会の人間ということで、聖力が膨大なのは分かる。だが、それほどまでの魔力をも持てるというのが解せん。人と魔は、 本来最も相反するもの。貴様の魔導容量は、すでにその脆き器で御せるものではないはず。貴様――いったい、何者だ?」



 沈黙が流れたのは、どれほどの時間だったか。


 ややあって。ラーグが伏せていた瞳を静かに上げる。
「・・・・・・・・・時間稼ぎは、無駄だと言ったはずだ」

 声が聞こえたのが先か、刃物のような殺気を感じたのが先か。
 次の瞬間には、ディルの残った腕までもがあっさりと粉砕されていた。
「・・・!?」
 何が起こったのか頭の追いつかないディル。その頭部をわしづかみ、ラーグが地面に叩きつけたのはほんの一瞬のことで。
「少し、黙れ」


 声のトーンは相変わらず低かったが、彼にしては珍しく、その翠の瞳に「憤り」の感情を刻んでいて。
 あまりの戦慄に、ディルはおろかミリアやアレンまでも寒気を感じたほどだった。
「口を利く力ぐらい残っているだろう。貴様らの目的と、《レガイア》の在り処を言え。そうすれば楽に殺してやる」
 言葉とは裏腹に、あまりにも残酷な光を宿した瞳に、ディルは目を見開いた。

 ・・・もう、この男は気づいている。《レガイア》を奪ったのが、自分たちであることを。
 この異常なまでの力。深い見識。そして、《レガイア》への執着。
 生き物の本能で、ディルは確信していた。
 この男・・・・・・・・・・・・生かしておくには、危険すぎる―――


「・・・俺の、目的は―――」
 零すディルの言葉と同時。彼とラーグの周囲ほぼ全域に、無数の赤い呪紋の輪(リング)が刻まれる。


「《セルフィート》の奪取。それだけだ」



 爆発した閃光は、ほとんど自爆に近い形で両者の体を――それどころか、周囲の森そのものを包み込んだ。
 とは言え、深手を負った魔族のほぼ自滅的な攻撃など、聖気がなくともラーグには容易に避けられたはずで。
 その、はずだったのに――――。
 彼は、動かなかった。




 時間が、止まったのかと思った。
 自分を抱え込むアレンの腕の奥で、ミリアは嫌に静かな、音のない世界を呆然と映し出す。
 赤いしぶきを舞わせて傾く目の前の男が誰なのか、何が起こったのか、まるで分からず。
 世界が動き出したのは、その体が重々しく地面に倒れこんだ瞬間。同時に頭の中で全てが理解でき、ミリアは喉の奥から 悲鳴を上げていた。

「ラーグ・・・!・・・ラーグ!?」
「!ミリア・・・!」
 毒を中和し、ほんの少しだけ回復した体を奮い立たせ、ミリアは血だまりの中横たわる神父の側へ駆け寄る。
 続こうとして、ふと、アレンの目にある「真実」が映った。
 使いこなせない力というのは、これだから困る。無意識のうちに、勝手に《真理眼》が働いてしまうこともあるのだ。
「・・・こりゃあ・・・・・・」
 その「真実」に驚愕しつつも、血の気の失せたラーグを抱えるミリアの体が淡く輝いているのを発見し。
「おいミリア待て!神父さんなら大丈夫だ。それよかンな体でそれ以上『復元』なんざ使ったら・・・・・・」
「――放して!!早くしないと、ラーグが・・・っ。ラーグが死・・・・・・!!」
 混乱し、掴んだ腕を必死で振り払おうともがくミリアに、アレンは苦い表情を浮かべ。
「ミリア・・・・・・―――悪い」
 そう言い終わらないうちに、ミリアの首筋に、容赦ない手刀が落ちていた。
 もともと体力がなかっただけに、少女はあっさりと意識を失う。ラーグの血で染められた衣服を抱えるアレン。
 そのときである。

「意外と、冷酷な方なのですね」
 硝煙の向こうから聞こえた声は、決してディルの声ではなくて。それとは似ても似つかない、穏やかで静かな口調。
 指先に、まだ血の臭いの残る銀糸を構え、アレンは眼前を見上げ冷笑した。
「魔族に言われる筋合いはねぇよなぁ」
「これは心外な。現に、こうして仲間を助けに来ているというのに」
「カイン・・・・・・何をしに来た・・・」
 カイン、と呼ばれた男は、両腕を欠いた魔族を抱えつつ、やはり穏やかな顔で微笑む。黒い肌に赤い目。流れるような 長髪と片眼鏡が相まって、柔らかい物腰に拍車が掛かっていた。
「そのザマでよく言います。これ以上、《使徒》の戦力は削がないのではなかったのですか?」
「この男は危険だ・・・・・・粉々にするつもりだったのが、お前のせいで仕損じた」
「心配には及びませんよ。あの傷なら、そう掛からないうちに死ぬでしょう」
 普通の人間なら、ね・・・・・・・・・
 胸の奥でだけそう付け足し、カインは長い髪を風に乗せてアレンへと振り返った。
「・・・今回のところは、引かせていただきます。この森は、ディルの回復には非常に不向きですからね。しかし・・・ くれぐれもお忘れなきよう」

 にっこりと笑むカインの顔は、死人のように冷たいもので。

「いずれ、クロスマテリアは全て頂くことになりましょう。必ず」
「なに・・・?」
 アレンが返したときには、両者の姿は忽然とその場から消えてしまっていた。
「・・・・・・・・・クロス・・・マテリア?」
 アレンはただ、消えた空間を呆然と見つめるだけだった。

【第3章】ヒトナラザルモノ -the heresy child- 4

2016.05.13 22:22|クロスマテリア
 夜の空にぽっこりと穴を開ける月は、完璧な形を成して浮かんでいる。
 優しい揺らぎは、数多を見守るかのように。冴えた輝きは、数多を監視するかのように。
 月光が照らす《ルドル》の蒼い森は、しかし、いつもとは違った賑やかさを放っていた。


 群青の中にたぎる黄金の炎は、勇ましい曲調にあわせて舞う幻獣たちの影を深く刻んでいる。
 伝統的な衣装に着替えた獣姿の舞子たちが規則正しい踊りを続けるのへ、酒やら料理やらを手にした男たちが威勢のいい かけ声をしたり調子こいて口説いたりしているのを目の当たりにして。
 祝いの席に腰掛けるミリアは、なんとなく複雑怪奇な世界にいるカンジがした。


 …………と言うか、このあからさまなお祭り騒ぎはなんなのだろう?
 自分たちの歓迎にしては、いささか度が過ぎてはいないか?
 それとも、ただ単に祭り好きな種族なだけなのだろうか?
「………あの」
 一向に止む気配のない宴に首を傾げながら、隣で料理を葉っぱの上から拝借する少年(のように見える長老)に ギクシャクした声をかける。
 シャルマは赤い大きな耳で敏感に感じ取ると、特大の骨付き肉をたいらげ振り向いた。
「む?なんじゃ娘、少しも食べておらぬではないか。このガラムの肉なんぞ、儂ですら何十年ぶりか…」
「ちょっと訊きたいんですけど…」
「食え食え。好き嫌いは感心せぬな。まぁ儂も、ミルクだけは死んでも飲まぬがの。かっかっか!」
「………………………………」


 聞く気ゼロである。
 ミリアは一度大きなため息をついた後、コホン、と咳払いをして再度問いかけた。
「歓迎して下さるのはとても嬉しいですけど………無断で森に入った身で、この扱いはちょっと恐縮します」
 申し訳なさそうに言うと、シャルマは葉っぱ一面に敷かれていたナッツを恐ろしい速さでザザーッと流し込み。 満足げな顔で噛みしめ呑みこむと、気さくな仕草で手を振った。
「ああ、気にするな。どの道開く予定だった宴じゃて」
「? そうなんですか?」
 うむ、と、頷いている間にまた別の料理をぺろり。
「おぬしらは運が良い。200年に一度だけ行なわれる《灯霊祭(とうりょうさい)》に同席できるのじゃからの」
「とうりょうさいぃ~?ナニよソレってば」
 木の実をかじっていたティティが、興味深げに覗き込んでくる。
「ふむ。ならば教えてやろう。我ら幻獣は、月から溢れる聖気を糧として生きておる。古より神が棲み、――おお、これもなかなか。絶えず月光と共に 力の奔流を――美味。大地に零しているのが月じゃからの。――この香りがなんとも……その月を讃えるのが――食後の一杯は―― この、《灯霊祭》とういうわけじゃ。…くーっ!コレに限るのーーっ」
「………会話を統一させてもらえませんか?」
「…………………ぐー。」
「って、寝てるし!?」
「ミリア、だめ。こいつ酔いつぶれちゃってるわよ」
 冷静に呆れるティティのコメントにも、苦笑いのような半笑いを返すことしかできなくて。


 当初の目的は、後にも先にも《レガイア》を探すことであるミリアにとって、シャルマは幻獣の中でもとりわけ話しやすい 存在だった。
 人間に近い外見のこともある。が、実際祭りの場に入って、何人か他の族長と挨拶のようなものもしたが、彼らは皆、ミリアを 心のどこかで警戒し、油断を許さない空気をヒシヒシと漂わせていた。戦士の嗅覚と言うか野生のカンと言うか―――
 その点には敏感なミリアにとって、そういった敵意を微塵も見せないシャルマは、安心できる。
 そんな彼だからこそ、《レガイア》についてももっとたくさん訊けると思ったのだが―――

 この始末だ。


「……てか、ラーグどこ行ったんだろ」
 祭りが始まるや否や消えてしまった神父を思い出し、ミリアは困った顔をする。
 岩牢で離れて以来会っていないアレンのことも気になったが、そもそもラーグが行くと言わねば先へは進めない。
「いつものコトでしょぉ?アイツが祭り楽しんでるっての想像しただけでコワイわよ」
「…それもそうだね」
 控えめに苦笑するミリア。
 その笑顔を一度じっと見つめて、ふいにティティが呟いた。
「……ねぇ」
「ん?」
「マジメな話、アイツと牢の中で何やってたワケ?」
「な………!?」
 いきなり思いも寄らぬ話を振られ、ミリアは危うく飲みかけた果物ジュースを吹き出しそうになった。
「なな、なっ何もやってないし!ただ、ラーグが全然名前で呼んでくれないから……!」
「名前?」
「そうっ。だから、ちゃんと呼んでほしいって……」
「お願いしてたの?」
「……う、うん」
「…………………そんだけ?」
「――へ?…うん、そんだけ」


 沈黙。


 そして。


「っかーーーーー!!ナニソレ!?あんだけのシチュエーションが揃ってソレ!?イヤ、別にあの外道神父とミリアがそーゆー 関係になるのがいいってわけではないわよええ断じて!!けどなんっかこう………名前、よりによって名前っ?ったく、変に ワクワクして損しちゃったわよ」
「……ティティ。ちょっと歯、食いしばっててくれる?」
「は?なんで?」
「だって、そのほうが痛くないでしょ?」
「あ、ごめん。そんな地獄の番人みたいな目はヤメテ。ね?」
 絶対零度の微笑みを送るミリアを見上げ、妖精は力なく冷や汗を浮かべるのだった。
 ややあって、怒りの治まったミリアは重い動作で再び腰を下ろす。
 なんだか、ラーグと旅を始めて以降の疲れが倍になって乗っかってきた気分だ。
「え、えーと……。アタシちょっと向こうのほう見てくるわねっ」
 気まずい空気を感じ取ってか、単にミリアに対する恐怖なのか。ティティはそう言うと、そそくさと賑わいの中へ飛んでいってしまった。

 それを背中で見送ったあと、誰にもあてず、ミリアは、小さく零す。


「あたしは………ちゃんと、従者として見てもらえてるのかな……?」





+++++++





 祝いの宴から離れた場所。
 当然ではあるが、ミリアたちが捕らえられていた岩牢は、集落からやや遠ざかった所にあった。
 と言っても、《黄鷲》の襲撃があった今では、元・岩牢と言うしかない崩れようだが。

 もともとああいったやかましい席を好かないラーグは、蒼い光に撫でられる岩石の山の前で足を止めた。
 よく見ると、岩も蒼く光っている。ラーグが落ち着いたままその岩壁に触れる。
 すると、一瞬にしてその部分の岩が黒く変色し、ボロボロと崩れ落ちた。
 聖気の息吹を含んだ神聖な森の一部は、あっけなく風化し、風に流されていく。
 砕けた粉末を軽く握り、ラーグは目を細めた。

 …………どうやら、ある程度の魔気は回復したらしい。


「ありゃ?神父さん?」
 突如降ってきた声に、ラーグは視線を軽く上げる。
 見ると、積み重なった岩のてっぺんから、アレンの顔が覗いていた。おそらく居眠りでもしていたのだろうか。
 確認するや否や視点を下ろすラーグに、アレンがへらへらと呼びかける。
「偶然っスね~。やっぱアレですか、祭り抜け出してきたんスか?」
「お前がいると知っていれば来なかった」
「って、うわ早っ!どこ行くんスか。どーせ聖気の満ちてるこの森じゃ、どこ行っても魔気の回復に大差は出ないっスよ~?」
 ラーグの足が、ぴたりと止まる。
 背後に人が降り立った気配を感じると、面倒くさそうに眉を細めた。
 軽く首を鳴らすアレンを振り返る。
「………ずいぶんと砕けた話し方だな」
「そゆこと気にする人じゃないでしょう?ま、んなふうに分かりづらい言い方で人を試すことはあるみたいっスけどね」
 にんまりと子供のような笑みでそんなことを言われて。
 自分でもあまり自覚していないことを確信を持って断言してくるものだから。ラーグはあえて言われたとおり、アレンを 試すようなセリフを吐いた。
「器用なものだな。それもその、《真理眼》とやらで見たものか」


 効果は、覿面だった。
 しかしアレンは一瞬顔色を変えただけで、すぐさまもとの活発な表情に戻る。
「……さすがにそこまではやりませんよ。元々この力はあまり好きじゃないんでね」
 眼鏡を押し上げた手で、アレンは表情を隠す。

「幻獣最高にして最大の秘。映すもの全ての『真理』を映す王の証を、よもや《禁忌の仔》が宿していたとはな」
 淡々としたラーグの言葉に、アレンはゆっくりと顔を上げる。
 一瞬だけラーグを見たあとで、息を吐きながら呟いた。
「そのセリフ……シャルマ様にも言われましたよ…」





+++++++





「先王が御隠れになり、儂らはずっと次なる王を探しておった。《真理眼》の持ち主は数十の氏族を持つ幻獣の中でたったひとり。 が、どうしても見つからなんだ。そうしているうちに氏族たちは個々に離別し結びつきを弱め、己の氏族の繁栄しか考えられぬ ほど思考が衰えておる」
 香の焚かれた室内で、シャルマは今の自分たちの現状を、包み隠さず全て話した。
 むろん、隠したところでアレンが《真理眼》を使って視れば、全てが白日のもとにさらされる。 聞くのでも感じるのでもなく、ただ「視る」だけ―――それも、瞼に映し出されるものではなく、直接『真理』を知識の中に植えつけられるのだ。
 簡単に言うなら、「100%当たる直感」。それが《真理眼》の、最も単純な説明。

 それでもあえて自ら全てを語ったのは、シャルマなりの信頼の証なのだろう。


「よもや、儂らに選択の余地はない。単刀直入に言おう。……アレン、我らの王になってはくれぬか。いかに《禁忌の仔》と 言えど、《真理眼》を持つ以上、おぬしにはその資格がある」
 一通りを沈黙して聞いたあと、アレンはふっ、と笑みを浮かべる。
「資格……ですか。いいんスか、シャルマ様。それは貴方たち幻獣にとって、まさに『誇りを傷つける行い』なんじゃ?」
「《真理眼》なくとも、今の幻獣の未来くらい儂とて想像がつく。純血を重んじるばかり、自ら破滅し、やがて滅んでゆく幻獣族の姿がな…………」
「それならいっそ、俺を殺して今度こそ純血の王を選びますか」
 さらりと言ってのけたアレンの言葉の裏に、シャルマは様々な感情を読み取った。
 顔は相変わらず笑っていても、《禁忌の仔》がどんな扱いを受けるものか、少しくらいは知っていた。
 言葉を殺し、黙って見上げるシャルマに、アレンは立ち上がり際きっぱりと言う。


「残念ですけど、俺は王なんて器じゃありません。それに……人の愚かさ、強欲さを持ってしまった自分には、 幻獣の未来なんかよりずっと守りたいもの………帰りたい場所がある」





「それは、あの馬鹿のことか」
 鋭く割り込んだラーグの声に、アレンは喋るのを止め、一瞬目を見開く。
 「あの馬鹿」――それがミリアのことを差しているんだと分かると、一度静かに失笑し、そして、やはりニッと悪戯っぽく 笑った。
 ラーグが、怪訝そうに眉を寄せる。
 これほどまで掴めない人物は久しぶりだ。他の全てを見透かす力と引き換えに、己の全てを覆い隠す殻を手に入れたのだろうか、 この男は。
 アレンの表情を読めずにいると、やがて、彼自身の口から答えが出た。
「あいつは、馬鹿で無鉄砲で考えナシで……大切なただの腐れ縁っスよ」



 ミリアと初めて会ったのは、他でもない、修練学校の入学式当日。
 クラスは違っていたが、勉学が抜きん出ていたアレンと武技がズバ抜けていたミリアは、ある意味互いに知りえないはずのない 人物だっただろう。
 クラス編成試験でいきなり呼び出しをくらったミリアを興味半分で学長室まで覗きに行ったのが始まりだった。
 覗くなそんなもん。と言うハナシだろうが、いかんせん。性分と11歳という妙に好奇心旺盛な年齢が重なってしまったのが 運のツキだ。
 その後、ミリアはなぜかしきりに自分をライバル視してきた。
 戦闘では毎回勝っているのに、今度はやたらと学問のほうで挑んでくるのだ。それでも毎度自分がトップをキープしていたので、 ミリアの努力は実らなかったことになるが。それはまぁ、ご愁傷様ってことで。

 いつの間にか、時間の空いたときは大抵一緒にいるようになっていた。
 と言っても微笑ましい思い出など微塵もなく、勉強や鍛錬や手の込んだようで実はショボイ悪戯ばかりしていたわけで。
 そんなある日、何の前触れもなく、ミリアはアレンが《禁忌の仔》であると知った。


「そんとき、あいつ何て言ったと思います?」
 簡略な記憶を辿りながら、アレンは屈託なく笑う。
 ラーグが沈黙していると、ふと空を見上げて言った。
「『手合わせお願いします!』っつったんスよ。ありゃさすがに驚きましたね~。なんでって聞いたら、マジで きょとんとした顔で、だって幻獣は強いんだろって…………くくっ」
「………本格的な馬鹿だな……」
「っはは。そうっスね~。けど、だからミリアはいい奴なんですよ」
 ひとしきり笑ったあとで、彼は眼鏡を押し上げ、森の奥へと視線を向ける。
 遠くのほうでは小さく深い宴とともに、金色の灯りが集落を灯している。
「馬鹿だから裏表がなくて。無鉄砲だから一本気で。――ま、あえて本人にはぜってー言ってやらねーけど」
 晴れ晴れとした面持ちで伸びをする少年を一瞥し、ラーグは集落のほうを見る。


―――呼んでください、ラーグ
    あたしは、ここにいます――――


 あのとき。
 少女の紫暗の瞳に刻まれていたのは………………





+++++++





 祭りの日に医者が忙しいのは、人でも幻獣でも同じことで。
 酔いにまかせてケンカをおっぱじめる酒癖の悪い連中が運ばれては、集落の一端に佇む小さな医務室は大忙しだ。 祭り自体は全ての氏族が関係なくともに楽しんでいるが、開いている集落が《赤狼》の地であるため、器具を運んだり 手当てを施すのは皆赤い狼たちである。
 酔いつぶれた幻獣の行動といったら計り知れない。
 寝こけてくれたらいいのだが、中には手当たり次第怒鳴りちらすわ破壊しまくるわで手に負えないやつもいるわけで。
 そういう患者は、問答無用で強制的に黙らせることも結構ある。
 そんなわけで。

 こういった医務室には、腕の立つ男が配備されていたりするものなのだ。


「ふぃ~~っ。ようやく治まったか………」
 休憩室に入ってきた《赤狼》が、疲れた仕草で肩を叩きながら丸太に腰掛ける。
 先に入っていた一人が、温かいスープを渡しながら気さくに話す。
「はっは、お疲れさん。どんぐらい入った?」
「一刻で7人………うち5人は頭に一発食らわせて眠らした。~ったく、ちったぁコッチの苦労も考えて飲めっての!」
「そいつぁ大盛況だったなぁ。けどま、前の《灯霊祭》よかマシだろ。憶えてるか?ホラ、長老が酒飲んで……」
「ああ、ありゃぁまいった。シャルマ様もシャルマ様だぜ。あんだけ暴れまわって、目ぇ覚めたらなーんも憶えてねぇんだ もんなぁ…………………………今年は大丈夫なのか……?」
「さぁ?今はまだなんも起こってねえみたいだが……今日は客人もいるし、さすがに飲まねーだろ」
「あぁ、あの人間たちか。教会の人間っつったけ。こんな辺境まで、あんな少人数で何しに来たんだか」
 言って、男はそろそろ冷めはじめてきたスープを飲みほすと、祭りから差し入れられた料理へと手を伸ばす。
 《黄鷲》の男も一人入ってきた。あまりに人手が足りないときは、こうして助っ人を頼むのだ。


「……そういや、ちとウワサで聞いたんだがよ」
 焚き火を挟んで、もうひとりがふと何かを思い出す。
「その中の一人が、どうも《真理眼》を持ってるとかどうとか………」
 そのとき、動きを止めたのは、《赤狼》の男だけではなかった。身につけた医療器具を外しながら、《黄鷲》の目が男たちの ほうへ向けられる。
 《赤狼》は、食べていた骨付き肉をぼとりと落とすと。
「《真理眼》って…………ありえんだろ。幻獣の秘を、人間が持てるはずねぇ……」
「そう、だよな。はは………」
「俺は興味があるな。少し聞かせてくれないか」
 割り込んだのは、赤い毛皮ではなく、金色の羽毛で。

 振り返ると、《黄鷲》の男がすぐ側に腰掛けていた。
 突然のことに驚きつつも、《赤狼》は慌てて応対する。
「お、おぉ……なんでも、あいつらを捕まえた連中が言ってたらしいんだけどよ。黒髪の奴が、死者の弱点を一発で言い当てた っつーんだよ。《黄鷲》のヤツラが俺ら《赤狼》の門番を攻撃しやがったときも、事前に長老にそのことを知らせたのはそいつだろうって ―――あ、いや……」
 気づいて口を押さえる《赤狼》へ、《黄鷲》は軽く手を振った。
「気にせんでくれ。無礼を働いたのはこちらだ。その門番は、もう大丈夫なのか?」
「ああ、今奥で休んでるよ。人間の女が手を貸してくれて、傷もだいぶいいそうだ」
「人間………だよなぁ。どう見ても。やっぱ有り得ねえよ。ガセだって、それ」
「……俺もそんな気がしてきた。―――っと、やべ、そろそろ交代だ。あんたはもう少し休憩か?」
「ああ…。いきなりすまなかった。良い月夜を」
「おう、良い月夜を」
 言って、《赤狼》の男たち二人は颯爽と休憩室から出て行った。


 残された《黄鷲》は、しばらくそのままの姿勢で気配が完全に去るのを待ち。
 いくつかの静寂の後。
 音もなく、すっと立ち上がった。

 その金色の体表に、無数の赤い文様が刻まれたのはほんの一瞬のことで。
 全身が異様な形にブレたかと思うと、複雑な波をうねらせて所々に凹凸を繰り返し―――
 やがて、金の羽毛は褐色の肌に、獣の瞳は赤い血色を滲ませた。


「まったく……転化というものはどうもやり辛くてかなわん」
 体中の関節をコキコキと鳴らせて鬱陶しげに呟き、ディルは幻獣への転化から戻った体を一通り確認する。
 何度か手を握ったり開いたり繰り返して、
「それにしても、《セルフィート》だけでなく《クラウディア》までも見つかるとは……しかし」
 ただでさえ《セルフィート》は自分たちの血を破壊する。目の前に目的が2つも転がっているのは願ってもないことだが、 まだ十分な対策が練れていない今、独断で行動を起こすのは、危険が大きい。

 ならば。


 なるべく手早く、安全な形で事を終える必要がある。
(まぁ……やり方次第か)
 唇を歪めて薄く笑うと、ディルは人目につかぬよう、そっと奥の部屋へと歩み寄った。





+++++++





「はうぇ………キモチわる……」
 重たい体を引きずって、ようやく適当な木にまでたどり着くと、ミリアはげんなりともたれかかった。
 どうやら、シャルマに一服盛られたらしい。
 ジュースと言われてちびちびと飲んでいた液体が、いつの間にか喉を焦がし、頭の中でくわんくわん回っている。
 お腹は空いていたが、今胃にモノを入れたら、確実に吐く。
 ティティも帰ってこないし…………う、やば。なんか上がってきた。
 そのとき、死人の一歩手前みたいな顔をしていたミリアの頬に、影が差した。


「………大丈夫かい?」
 困ったような声の主をなんとか見上げる。なかなかの巨漢を持つ、赤い狼の男。片手に杖を立て、頭と胸部に包帯を巻いていた。
 幻獣の顔の見分けなどつかないミリアの視線を感じ取ってか、男のほうから口を開く。
「さっきは助けてもらったらしいな。おまえさんたちを見張っていた、門番だよ」
「門…?――あー、なるほど。もうだいじょーぶ……ですか…?」
「おかげさんでね」
「そりゃ良かった……ぅえぁ…」
 再びうなだれるミリア。
「おいおい、大丈夫じゃないのはそっちだろう。ここは酒っ気が強いからな………よし。ちょいとついて来な。 少し先に、空気の綺麗な場所がある。そこで酔いを醒ましゃいい」
「へ?…でも………」
「あー気にしなさんな。治療の礼も兼ねてだ」
 そう言うと、男はもう森の中へと入って行った。


 ………ここにいても、余計気持ち悪くなるだけか。


 そう思い、ミリアはなんとか立ち上がって、フラフラと彼の後を追う。
 その赤い毛皮から、怪しい笑みが浮かんでいることにも気づかないまま―――   

【第3章】ヒトナラザルモノ -the heresy child- 3

2016.05.13 22:08|クロスマテリア
 雨に濡れた空気と、鼻をつくような薬品の臭いと、真白い病室。

 俺の記憶に残る最も古い世界は、それで埋め尽くされていた。


「待たせてすまぬな。まあ、好きに掛けてくれ」
 と言っても、もうとっくにしておるか。と、自室に戻ったシャルマは快活に続けた。
 ナリはどうであれ、さすが長老と言ったところか。簡素なテント式の造りを持つ集落の中でも、シャルマの家はそれなりの大きさ があった。とは言え、とりわけ見上げるほど壮大なわけでも、華美な装飾が施されているわけでもなく。ただ、他と比べたらやや広さがあるというくらいである。
 入り口で談笑する赤狼たちの横を通り過ぎるときも、アレンはそれほど緊張しなかった。
 焚き火と数枚の絨毯が敷かれた部屋に通されると、シャルマは早速そそくさと出て行ってしまった。
「議会が終わるまで、少し待っていてくれぬかの」
 実際、彼は30分もしないうちに戻ってきたわけで。

 人の子供と変わらぬ背丈が腰掛けるのを見届け、アレンがまず最初に訊ねたのは。
「……それで、俺たちの処遇のほうは?」
「ああ、大丈夫じゃろう。いささか警戒心が強すぎる輩もおるので、そやつの説得もやらねばならぬがな。まあ安心せい。 議会の大多数は、おぬしらの来訪を歓迎しておる」
「ご厚誼、ありがたく存じ上げます」
「かっかっか、そう畏まるな。第一―――」
 そこで、少年のような大きな瞳から、一切の無邪気さが消える。
「…儂は、同族に敬語を使われるのは、あまり好かんのでな」
 低く、遠く、唇の端から零れる程度の小さな―――しかし、はっきりと通った声。
 どれほどの沈黙が空間を支配していたのか。
 別段驚きも動揺も見せず、アレンは緑の瞳をゆったりとした動作でシャルマへと向ける。そして、……おそらくミリアですら見たこと がないような、酷薄な笑みを浮かべた。
「お気になさらず。どうせ半分しか流れていない血です」
「思った通りか。おぬしからは、人と獣、双方の匂いが入り混じっておる。おぬし―――《禁忌の仔》じゃな」
 アレンが返したのは、無言の肯定だった。

 《禁忌の仔》。
 異なる種族同志の間に生れ落ちた子供のことを、総じてそう称する。
 属する世界の違う者の交わりというのは、一般的に嫌悪されるものだ。人からは「汚らわしい」と、幻獣などからは「誇りを棄てている」と。 また、双方の血が生み出す変化の代償は必ず現れる。
 優れた魔導力を持つものもあれば、見るもおぞましい異形と化すものもいる。ほとんどが後者だ。
 いずれかの社会に適応できるものなど、全くの奇跡に等しい。

 ふむ、とシャルマはどこか懐かしむように空気を吸う。
「懐かしい。幻獣の中でも最も気高く、そして最強と謳われた《碧竜(へきりゅう)の氏族》。人との戦で滅びねば、間違いなく英雄と なっていたろうに」
「そうですかね。……俺からすりゃ、誇りという名の意地にすがって、ただ血を求めていただけの戦闘氏族です。――ま、今と なっちゃただの《名無し》ですが」
「ほぅ……なるほど、考え方は人間そのものといったところか」
「考え方だけでもないっすよ。寿命も、人間と同じです。それに……」
 いつもの人懐こい笑みに戻り、アレンはあっけらかんと言う。
「俺には、聖気も魔気もまったくない。魔導容量自体が………からっぽなんです」


 それを初めて知ったのは、行き倒れていた自分を拾ってくれたシスターに教えられたとき。親が死んだのか、あるいは棄てられたのか ―――衰弱しきっていた体が、一切の治癒魔導を受け付けなかったことで判明したらしい。
 それまでは自分も知らなかった。と言うか、それ以前の記憶はない。なにせ3つかそこらだったのだから。
「禁忌の交わりを成すことで、人にすら劣る体に堕ちたか」
 シャルマの声には、かすかな同情の念が込められていた。そして、静かに続ける。
「………じゃが、得たモノはそれだけではなかろう」
 瞬間、二人を覆ったかのような張り詰めた空気に。
 周りを強靭な肉体を持った兵士に囲まれてもヘラヘラしていた少年は、初めて緊迫に近い感情に襲われた。 背筋を氷のような感覚が突き抜ける。
「おぬし、持っておるな?」
「……なんの話でしょう?」
「惚けるでない。これでも千は生きておる身。微かであれ、匂いを忘れるわけがなかろう。――その、両目の中にあるものじゃ」
 確信と自信に満ちたシャルマの瞳と対峙すること数秒―――――
 先に折れたのは、アレンのほうだった。
 大きくため息をつくと、やれやれと肩をすくめる。
「………驚いたっすね。匂いでそんなことまで分かるんすか?」
「魔導と歴史にばかり溺れ、知恵の衰えた連中と一緒にするでないわ。理由は3つある。1つ、おぬしらを捕らえた若い衆に 聞いた話によれば、おぬし、屍者の弱点を一眼で知りえたそうじゃな。2つ、《碧竜の氏族》は元来盲目の戦闘氏族。人との混血 とは言え、そこまで視力が回復するとは思えん。…………3つ」
 いったん言葉を切って、シャルマはアレンを正面から見据え、言い放った。
「今、我ら幻獣には王がおらぬ。万物全てを見透かす、月光の秘呪《真理眼(しんりがん)》を持った王がな」




+++++++




 常に太陽を遮り、かわりに蒼い光が満ちる深淵な森は時が止まったかのようで。
 アレンとティティが出て行ってからどれくらいの時が経ったのか見当がつかないミリアは、落ち着かない様子で しきりに立ったり座ったり、時々気晴らし程度にラーグに話しかけるぐらいしかすることがなく。
 無論、ラーグからの返答は一切なかったが。
 すでに予想できていたことなので、大した怒りも湧いてこない。「慣れ」とは面白いものだ。
 が、いい加減鼻についたのか、
「立つか座るか喋るか黙るか、どれかにしろ」
 岩壁から漏れるわずかな光に目を向けていたミリアは、キョトンとした顔で振り返る。
 相変わらず静かな佇まいで腕を組んだまま座り込んでいる男へと目をむけて。
「どれかって………じゃあラーグ、ずっと喋りっぱなしでもいいんですか?」
「案ずるな。その場合は、即効で黙らせる」
「………………結局変わんないじゃないですか」
 珍しく開いた口から出るのは、やはり悪態の堂々巡り。
 正直、このところ彼の口数が増えているような気がしていたので、嬉しいようなこそばゆいような心地がしていた反面、 そんな言葉の羅列を聞いて一気にヘコむ自分がいた。
「……あいつは」
 視線は伏せたまま、ふいにラーグが呟く。
「お前に、どこまで話している」
「――はい?」
「修練学校では同期だったんだろう」
 あ、アレンのことか。
 そこまで聞いて、ミリアはようやく察するに至った。………まったく。
 意地でも他人の名を呼ばないつもりか、この男は。
 胸のうちで小さく呆れたのち、言われた質問の意味を考える。
「どこまでって―――――――………あ。もしかして、アレンが人と幻獣のハーフってことですか?」
 思いのほかあっさりと返ってきた答えに、ラーグは伏せていた眉目をわずかに上げる。
 やはり、知っていたか。
 沈黙を肯定と解したミリアは、そのまま記憶を思い起こそうと努力する。
「そうですね……たしか、お母さんが人間で、お父さんが幻獣だそうです。《碧竜の氏族》、だったかな。よく覚えてないんですけど …………あと、ラーグならもう分かってるかもしれませんけど、アレンは聖気も魔気もまったく持っていない、完全な非魔導体質なんです」
「…………ずいぶんベラベラと喋るな」
「へ?言っちゃいけないことですか?確かに混血は珍しいですけど……そんなに聞かない話じゃないですよ。 当時修練学校に通っていた生徒なら、全員知ってますし」
 て言うか、どこまで話してるか聞いたのラーグじゃないですか。
 不思議そうに目を瞬かせて、少女は小首を傾げる。
 ラーグは意外に思うと同時に、納得した。どうにも、彼女は本心からアレンを自分と全くの「同質」とみなしているようだ。 長所か短所か――――。この愚直さは、崩しようがない。
 割り切るように軽く視線を移し、ラーグは壁に背を預ける。
「それだけか」
「?あ、はい。あたしが知ってるのは、多分これで全部ですけど………ってもしかして、アレンが連れていかれたのってこれが 原因ですか!?」
「たった今、自分で言っただろう。人の数倍の寿命を持つ幻獣にとって、混血などそう珍しいものではない。……もっと内密な問題だ」
「………それって、一体…」
「さあな、俺に訊くな」




※ しばらくお待ちください ※




―――はぁぁっ!!!??
 ミリアの思考が再起可能になったのは、ラーグの一言から数十秒がたった後。
「ちょ……ここまで勿体ぶってソレですか!?ただの知ったかぶりじゃないですか!!」
 テンションのままにまくし立てるミリアとは対称に、ラーグの翠の瞳はみるみる不機嫌そうに細められて。
「やかましい。そもそも、俺は『知っている』と口にした憶えは全くないが」
「は」
 思い出してみれば図星な理屈に。
 全身の力が抜けたのか、ミリアはへたりと座り込む。
 哀愁漂う陰鬱な空気を露ともせず、むしろうざったそうに、彼は無感情な声のままうっそりと言う。
「勝手に勘違いをして他者を詰るくらいなら、最初から頼るな。思考しろ。古臭い知恵にすがり続ける愚かな族長どもより、そんな馬鹿のほうがまだ救いようがあるかもしれん」
「…………あの。今、サラッとすごい失礼なこと言いませんでした?」
「事実だ」
 本当に心の底から、全く悪びれた風もなく言うものだから。
 かえって反論する気力すら萎えてしまう。「言ってもムダだ」と、ミリアの中の学習能力という本能が伝えていた。

(本当に――――………)
 どうして、彼はこうも他者を否定するのだろう。彼にとって、信頼に足る行為とは如何なるものなのだろう。 どんな地位や名声も、この無法者の前では銅貨1枚ほどの価値を持たない。
 彼が心から信じることのできる器とは、どうすれば手に入るのだろう。


「……………ミリア、です」
 向き合ったまま、修道服の裾を小さく握り締める少女へ、ラーグは軽く顔を上げる。
「あたしの名前は……ミリア=イリスです」
「……俺を馬鹿にしているのか?」
 死ぬほど不愉快そうな声を投げかけられて、それでもミリアは負けじと続ける。
「だって……、一度も呼んでくれないじゃないですか。いっつも『お前』とか『おい』とか『それ』とか『これ』とか………」
「そんな個を識別する記号の羅列に、大差はない。別に不便はないだろう」
「またややこしい言い方を…………そーゆー問題じゃなくてですね……」
「どういう問題だ」
 故意か素なのか、心底不可解そうに息を吐く目の前の男に、ミリアも小さく肩を落とした。
 と言うかナンだ……。なぜ名前を呼ぶ呼ばないで、こんなにモメてんのだろう。あたしたち。
 いや、正確には自分だけかもしれないが。だからこそ、納得いかないのだ。こんなのフェアじゃない。たとえ苦虫噛み潰して認めざるを得ないような上官であっても、これでは従者というより「ただそこにいる人」ではないか。
 ……だが、その根源にあるもっとシンプルな感情を、ミリアは表に出すのをためらっていた。


 『寂しい』。


 名前を言われないと、そこに自分があっていいのか、時々酷く不安に掻きたてられるもので。
 存在そのものを否定されているようで、とても―――寂しいのだ。

 しかし自覚とは裏腹に、彼女はそんな弱音を吐くことを嫌っていた。
 誇り高き騎士として、そして何より、希望の象徴とされる聖女の一人として。そんな感情、持ってはいけない。
 必死に返答を探してあぅあぅ唸っていると、ふと、なんかどーでもよさ気に目を閉じている神父が目に入ってきたりして。
 …………ちょっと。こっちは真剣に悩んでんですけど!?
 半分八つ当たりに近い形で、ミリアは少々強引に彼の肩を掴んで前に回りこむ。
「って、ラーグ。人の話聞いて―――……」
 言いかけた言葉は、ふいに上げられた澄み切った翠の瞳にきれいさっぱり消滅された。考えてみればなかなか至近距離で視線があったのは 久しぶりで。思わず手を引っ込め離れようとした――――が、即座に腕を押さえたラーグの大きな手が、それを許さなかった。
 そしてそのまま、真っ直ぐにミリアを見つめる。
 こうなると彼女が一切の行動を停止させてしまうことを、彼は過去の経験から熟知していた。
「認めて欲しいのなら、自分で壁を壊す他ないだろう。待っているだけでは何も手に入らん。お前は、………何を求める」
 まったく―――
 混乱と恥ずかしさが頭を埋め尽くす直前に、ミリアはなんとか残った理性で思考する。
 どこまでお見通しなのだろう。まるで、―――そう、鏡のような男だ。
 善も悪も、是も非もすべてをありのままに映し出す鏡。
 ならば自分の答えもまた、もう分かりきっているのだろう。

「呼んでください、ラーグ。……私は、ここにいます」




「……………ナニやってんの」
 岩の端っこから呆けた声が聞こえてきたのは、まさにそのとき。
 見ると、たった今入ってきたのか、ティティが通気口の穴から体を半分だけ出してこちらを見上げているところで。
 まるで彫像のように固まった視線を追って、ミリアは、ようやく客観的に自分の置かれた状況を見るに至る。
 無理矢理腕を掴まれた反動で、体はやや前のめりになっており。強引に掴んだラーグの衣服はもとがもとだけにさらに よれっとくたびれていて。しかも、その腕を彼の片手が握りしめている。
 これらの要素+暗い室内独特のオーラをミックスすると――――なんちゅーか、かなりアレな雰囲気になるわけで。
「見た通りだが」
「は?―――って………え゛ぇっ!!?」
 しれっと言い捨てるラーグのセリフの意味を理解して、ミリアは全身が沸騰しかたのように真っ赤になり、脅威の瞬発力で その場から逃避していた。
 だが、逆にティティのほうは、あまりに自分の範疇を超越した事態にかえって理解が追いつかないらしく。
 ちょっとだけ戸惑ったあと、やけに冷静な仕草で頭を掻く。
「あ―――――えっと………?……まぁ、いっか。うん。よくある話よ。あまりに目に余る冷徹神父の鬼行の数々から、思考が 逆転しちゃって、死ぬほどありえない幻を見ることなんて」
「お前の白昼夢はどうでもいい。それよりチビ、議会のほうは見れたのか」
 いつものことながら微塵の動揺も見せず、淡々と進めるラーグの言葉に、ティティがぴくんと尖った耳を動かす。
「む!チビってゆーなぁ!!ったく、とんだガチンコぢぢぃ共ね。少しはアタシにも分かる言葉で話せってのよ!コレだから 年寄りの話ってのは横道に反れてばっかで嫌いだわ。800年前の魔導用語なんざ知るかっつーのっっ!!」
 横道反れてるのは彼女の話のほうだったが――――
 とりあえず、ミリアはそれを胸の中でひっそりと留めておくことにした。
「……でもま、アタシたちを殺す気はないみたいね。一人だけ金髪の………ええと、なんて言うんだっけ……」
「《黄鷲(おうしゅう)の氏族》?」
 ミリアの助言に、妖精はあっ!と叫んで手を叩く。
「そうソレ!そのハゲワシだけが、やたらとアタシたちのことボロクソに言ってくれちゃってたけどねぇ」
「ハゲワシって………」
「そんなことを訊いているわけではない」
 割り込んだ低い声に、ミリアとティティは双方「?」とした表情を見合わせ。
 眼前で腕を組んでいる神父を見やる。
「俺が知りたいのは、議に参列した族長の人数と、その配列だ」
「にん……?」
 なにを言ってるのだこの人は。
 ますます寄せられる眉をさらに詰めて、ミリアは面白いくらい不思議そうな顔をする。
 「ハァ?」と唸ったあとで、ティティは続ける。
「ええっと……ん~、たしか………13人だったわねぇ。みんな違う氏族の長老だったわ。ヘンな香焚いたテントの中で、 ぐる~ってキレイに輪になってたケド………」
「それ以外は」
「いなかった――――……と、思う。…………たぶん」
「曖昧だな。役に立たん…」
「わぁーるかったわねぇ!んなこと知りたがってるなんてフツー思わないっつの!!」
 罵声をいつもどおり清々しいまでに無視し、ラーグは神妙な面持ちで少し考える。
 決定打には欠けるところがあるが………いや、そもそも―――
「……なるほどな」
「?なにがよ??」
「そいえばラーグ、仮定を確信に変えるって……」
 思考に追いついていけない一人と一匹。

 ……そもそも、《ルドル》中の族長が全て集まって話し合いの場を設けること事態が異常だったのだ。
 本来ならそんな必要はない。たった一人、絶対的な発言権を持つものがいれば。
 すなわち。

 おもむろに立ち上がり、ラーグは確信に満ちた目で空の一点を見た。
「間違いない。今の幻獣は、王を欠いている」


 次の瞬間。


 まるで図ったかのようなタイミングで、分厚い岩の壁が木っ端微塵に砕け飛んだ。
 あまりに唐突なことに、ミリアは悲鳴も忘れて反射的に爆風から身を守り――――
 だが、思ったほどひどい煙も瓦礫も彼女を襲うことはなくて。
 見ると、ラーグが悠々と聖魔導の結界を展開し、防いでいるところだった。
「……ずいぶんな特別待遇だな」
 表情を殺したまま発した皮肉は、ミリアたちに向けられたものではなく。
 硝煙の向こうから、相手が同じく皮肉で答える。
「久々の客人じゃ。なに、ゆるりとして参れ」
 晴れた視界に刻まれたのは、1、2、3……6つの金色の体毛。凍てつくような鋭い眼光を持ち、獰猛な嘴は空の王者を 彷彿とさせる。鉤のような爪を吸いつけた4本の四肢の他、背には大きな金の翼。
「……《黄鷲の氏族》………」
 ミリアの呟きに、その中でも一際大きな一体が視線を下ろす。
 おそらく長老だろうか。鳥の顔の両側についた飾りのような長髪が目をひいたが、ホントに飾りなのか、頭のてっぺんは どこか色素が薄い。
 ティティが「ハゲワシ」と称したのも合点がいった。
 そのあまりにも優雅で―――あまりにも冷淡な目の光ときたら。
「我らを知っておるか。下賎な人間どもにも、かのような知恵があったとは驚きだな」
 完全に見下した姿勢。
 さすがにカチンときたミリアだったが、落ち着いたラーグの声が割り込み、
「人と決別すること数千年。その間で幻獣が得たのは、他者を詰る貧相な性だけだったらしい」
 とかナンとか素晴らしく命知らずなことを言い出して………
「かつて神に最も近い種族と称えられた幻獣も、堕ちたものだな。王がいなくては、満足な統制もとれんか」
「……!貴様、なぜそのことを……」
「少し考えれば分かることだ。愚かなお前らとは違う」
「…………口を慎め、小僧」
 静かな口調ではあったが、無表情と思われた輪郭には、わずかに引きつったような皺が刻み込まれていた。
 まさに一触即発。しかも6対2。(ティティを除外として)
 焦りを感じるミリアは、そのとき初めて、《黄鷲》たちの足元に転がる一体の赤い影を見つけた。
 全身から出血し、ぐったりと倒れているのは――――《赤狼》の門番の男。
「――な…っ。貴方たち、その人を―――!?」
 ミリアの言葉に、老鳥はああ、と気づいたように門番を見る。
「貴様らに会うために、邪魔だったのでな。少々眠ってもらった。案ぜずとも、これしきで幻獣は死にはせぬ」
「なんてこと……仲間でしょう!」
「仲間?たわけ小娘。我らは《黄鷹》でこやつらは《赤狼》。どこに通ずるものがある」
 ミリアは絶句した。
 氏族というまとまりの結びつきの強さは知っていたが、これほどまで他氏族に対しては横暴だったとは。
 どこか激しく裏切られた心地を感じらがら、ミリアは門番に向かって駆け出した。いくら幻獣が頑丈と言え、放っておけば傷が悪化するのは必至。一刻も早く、治癒しなければ………
 しかし、動き出したところを、瞬時に降下した《黄鷲》のひとりによって遮られた。鋭い爪が、視界に映るか否かのスピードでミリア の体をななめに薙ごうと振り下ろされ―――――
 突然もの凄い勢いで後方へ放り投げられたかと思うと、眼前には、なんと《黄鷲》の爪を素手で引っつかんでいるラーグの姿があった。 細身の体には似つかわない力で刹那の間均衡し―――
 やはり、いつもの淡々とした声で、
「第二級神罰執行、覇軍の風、汝が理に破壊の印を刻まん」

 直後、耳をつんざくような爆風が両者を包み込む。
 直撃だ。本来なら大ダメージを負わせているはずだが――――
 煙の中から翼を翻し、サッと元の位置に戻った《黄鷲》の男は驚くほど軽傷で。
「――ハッ。残念だったな、人間。オレら幻獣に魔導なんざ効かねーよ」
 そう、薄く笑う。
 ………半端でない魔導容量を持つ幻獣にとって、人の器が制御できる量の聖気など全く意味を成さない。
 ラーグはあまり動じないまま、ちらりとミリアのほうを一瞥し。
 少しオーバーではないかと思うくらい、大きなため息ひとつ。
「『守らなくていい』………か。どうやら、見込み違いだったようだな」
「な!?そ、さっきのは不意打ちって言うか………第一、あたしはあの人の傷を看ようとしただけですよっ!?」
「結果的にやられればただの油断に変わりない。あいつらがそう易々と治癒させるワケがないだろう」
「……どういうことですか?」
「ここで俺たちが闘い、もし負ければ、こいつらはどう言うと思う。『内側から牢を壊し、門番に重症を追わせた囚人を、 やむなく排除した』。そう答えれば、全てカタがつく」
「っかーーーーー!!いっそ清々しいまでの悪役ね、このハゲワシっ!!」
 ティティの暴言にもいっこうに動じず、老鳥は奇妙に歪んだ笑みをつくる。嘴なのに笑みとわかるのだから、これほど 奇妙なことはない。
「説明は不要のようじゃな。ならば遠慮はすまい」
 瞬間、辺りを覆う言いようのない殺気。
 なんていうか―――――一触即発超えて絶体絶命?
 鳥にチキンにされるなんて笑えない展開ってんなバカな!?
「ど、どーすんですかラーグ!?なんか本気みたいですよこの人たち!」
「魔導も効かん、身体能力の違いなど論外。ならば、やるべきことは決まっている」
「なによソレ!?」
 問い詰めるミリアとティティに、彼はどっかとその場に座り込み。
 神々しさすら感じさせるほど落ち着いた口調で。
「あまんじて、運命を受け入れろ」
「「ちょっとマテーーーーーーーーーーーー!!!!」」
 悲鳴と、《黄鷲》の影が重なりあい――――。そのとき、ミリアたちと《黄鷲》の間に赤い影が割って入る。
 ………信じがたい圧力と怒気をまとって。
 現れた脅威に、さすがに《黄鷲》のつわものたちも動きを止めた。


「………これはどういうことじゃ、クマラ」
 澄んだ空色の瞳を怒りに染め上げ、シャルマは今にも襲い掛かりそうな空気を沸々と煮えたぎらせる。
 視線の先には、初めて驚きらしき表情を刻んでいる、老鳥――クマラの姿。
「この者たちの処罰は無効になったと、さきほど決議したはず。かような勝手は許さぬぞ」
「シャルマ……なぜ我らの動向を……」
「そんなことはどうでも良い。それより、儂の氏族の者がずいぶん世話になったようじゃが?」
 言って、《黄鷲》の足元に転がる門番を見やるシャルマ。
 クマラは、胸のうちで舌を打った。
「……貴様は、いささか人間に寛容すぎる。その姿がいい例だ。私は昔から、貴様のその人間好きが気に食わんかった」
「ならば今ここで相手をしようか?そこの若造どもも纏めて掛かってきて構わぬぞい」
 ナリは小さけれど、クマラはシャルマの実力のほどを十分に知っていた。
 さしずめ本来の姿にでも戻られてみれば―――――
 それに、各氏族がバラバラなこの状況で、信頼の篤い《赤狼》を完全に敵に回すのは分が悪い。
「―――まぁ良い」
 逡巡の末、クマラは他の《黄鷲》たちに退くよう命じる。
「確かに勝手な行動をした。かと言って人間を歓迎する気にはさらさらなれぬが―――今回は、貴様の顔を立てるとしよう」
 そう言って、やけにあっさりと、その場から飛び去って行ってしまった。
「まったく……相変わらず気難しいやつじゃ」
 コロリと少年の顔に戻り、少し呆れたあと、シャルマはすぐさま門番の元へ行く。
 そして。
「――これ、娘」
「…はぇ?あ、はいっ?」
 手招きされて、ミリアは慌てて走り寄る。
「なかなか傷が深い。すまぬが、『復元(ノア)』を使ってやってくれぬかの」
「あ。…は、はい!お安いごようで――――って………」
 手に集めた聖気を流し込みながら、ミリアは「あれ?」と首を傾げる。
「あたしが『復元』を使えるって、言いましたっけ?」
「ああ、あのアレンとかいう小童に聞いた。―――うむ、ご苦労」
 屈託のない笑みで、もう良い、と礼を言い、彼は立ち上がった。
「待たせてすまぬな。これより、おぬしらを正式に《ルドル》の客人として歓迎いたそう」

【第3章】ヒトナラザルモノ -the heresy child- 2

2016.05.13 21:44|クロスマテリア
 そこは、例えるなら自然の砦。
 蒼い木々が複雑に重なりあう密林の向こう側。幻獣の集落は、やはり自然と一体となっていた。
 別に目隠しなどされて秘密裏に連行されたわけではない。ちゃんと視界は開け、それどころか縛られもかつがれもせず、 ただ四方を赤い狼の男たちに囲まれただけだった。
 だが、それも得心がいく。
 ……覚えられるわけがないのだ。乱雑に交差する森の風景をすべて記憶に留めるなど、ミリアには不可能だった。
「連中にとっちゃ、ニオイで覚えてるからカンケーないんだと」
 アレンがのんきな口調で教えてくれたのは、よく覚えている。
 そして、別段拘束されなかったのも当然。強靭な身体能力を誇る幻獣から逃れるなど、並の人間では絶対に無理だ。 0.1秒――――その刹那さえも、彼らにとっては刹那たりえない。
 まあそういうわけで。
 自分たちは今、おとなしく岩牢の中に閉じ込められているのだ。




+++++++




「ぅお~い、ミリアさーん?いい加減キゲン直せって」
 そう言ってへらりと苦笑するアレンのセリフを聞いたのは、これで何度目か。
 ミリアはというと、どうやら本気で拗ねてしまったらしく、寂しく岩の壁に寄り添ってうずくまっている。
 ここへ連れてこられ、門番らしき男に「出るな」とだけ言われて扉を閉められたあと、ミリアはようやくアレンから事の 起こりを聞き出すに至った。

 驚いたことに、彼は最初からずっと旅に同行していたというのだ。つまり、聖都を出るそのときから。 なんでも、自分たちを影ながらサポートする隠密方として、賢老院から命を受けていたんだとか。出立の日、彼の姿を全く見かけなかったのが、ようやく分かった。
「仕方ねーだろ?『両者の危機と判断したときでしか知られてはならない』って誓約も下ったんだから」
「………見てたの?」
「は?」
 ぼそりと呟くミリア。
「旅の間、あたしたちの動向は全部見てたの?」
 なんか背後から紫色のオーラを感じなくもない気がしたが、とりあえずアレンは頭を掻く。
「ん~。そりゃおまえ、言っちまえば監視役だぞ?目ぇ放すわけにゃいかねーだろ。……あ、でもおまえのフロは覗いてねーからな?」
「うん。もしそうならこの《セルフィート》が初めて人の血で染められるとこだったわ」
「……スンマセン。チョーシこいてました」
 今のおまえなら、本気でやりかねねー…と、アレンは素直に謝った。
 だが、ミリアが気にしているのはそんなことではなくて。

 ええっと、………つまりよ?ほんっとーにゼンブ見られてたってこと?
 《クレイシア》でラーグと同じベッドで眠っているところとか、これまた間抜けにも力使い果たして気絶してたところとか、 そいで聖気を分けてもらうためずっと手を握ってもらってたところとかそれもこれも全部!!?

 恥ずかしさのあまり失神しそうになるミリアを現実に引き止めたのは、元凶とも言える男の声。
「そんな幼児並みの過去でいちいち騒ぐな。鬱陶しい」
「誰のせいで鬱陶しくなってると思ってんですかー!!そもそもラーグっ!アレンがいるの知ってたんなら教えてくださいよ!!!」
「知ったところで、どうにもならんだろう」
 そう言ったを最後に再び黙り込むラーグ。
 代わってアレンが口を開く。
「さっきも言ったけど、俺は任務で同行してたわけだ。だから神父サンがおまえに教えたところで、俺が姿を現せない状況に変わりはない。だからずっと黙ってたんだよ。言ったらおまえ、気になって気になって仕方ねーだろ?」
「う」
 考えてみれば結構図星な答えに、ぐっと言葉を詰まらせる。
 悲しいかな、ミリアは決して頭が悪いわけではない。周りの目から見た自分の単純さも、よく知っていた。
 面白いくらいにしゅるしゅると小さくなっていく少女を見て、アレンは屈託なく笑った。
 道中、彼女やラーグのことはずっと見ていた。だから知っている。彼女がどれだけ自分のことを気にかけていたか。 何度「アレンと…」と口にしていたか。またその心地良さを知っているのが自分だけなのだという妙に嬉しい感覚が、新鮮に気持ちよかった。
「――ま。過ぎたことはしゃーねーって」
「むぅ……じゃアレン、こっから先はもうずっと側にいるの?」
「隠れようと思えばできっけど」
「やめて!できればやめて!やっぱ気になってしょーがないからっっ」
 必死に懇願してくるミリアをたしなめながら、彼はケラケラと軽く笑った。


「……で、問題はこれからだよな~」
 話題を変えるアレンを見て、ミリアはやや不安げな瞳で重々しい扉を見る。
「ていうか、どうなるんだろ。あたしたち」
「あんだけ森を燃やされたんだもんなぁ。ここを聖域と思ってる幻獣にとっちゃ、エライ問題だぜ?」
「な!?だってあれはアレンが……」
「誰も森まで燃やせとは言ってないだろう。お前の制御不足にも責任はある」
 鋭いラーグの指摘に、またも悔しそうに口をつぐむミリア。
「ま~アレだ~。死刑になんなきゃ万々歳ってとこか☆」
 明るいアレンの声も、今では地獄の囁きにしか聞こえない。
 冷たい岩の向こうが沈黙を破ったのは、そのときである。

――長老!?なにも貴方からこのようなところまで……しかもそのお姿は!?――
 ぶ厚い岩に遮られて、声はあまりよく聞き取れない。だが門番の男が当惑しているだろうことは、見えずともよく分かった。
 続いて、やはり小さく響く、もうひとりの声。
――まぁ、良いではないか。儂も人間に会うのは久方ぶりでの。丁度良い気晴らしじゃて――
 貫禄のある口調で話す人物の言葉のあとで、おもむろに扉が鈍い音を上げて開かれた。差し込んだ光の逆光で、始めは何も見えなかった。 目が慣れてくると、次第に相手の姿が見えてくる。一人は長身の門番。そしてもう一人は、ずいぶんと小さい影。しかし―――

 外ハネの赤い髪に、淡い空色の瞳。民族調の衣服は、どこか伸びきったようにくてっとしている。ここまでは、隣の門番と変わらない。 だが明らかに異なるのは、彼の――いや、少年の細い四肢にふさふさと広がる毛皮がまったく見当たらなかったことで。両の耳と尾だけは大きく広がり、狼の名残を残している。
 早い話が―――――人間そっくりなのだ。
 ぽかんと口を開けたまま黙りこくっているミリアに気づき、少年は問いかける。
「儂のカオに何かついておるか?生憎、この姿に転化するのは久々での」
「………………長老?」
 どこにどう驚いていいか分からないミリアに、少年はえへんと胸を張った姿勢でふんぞり返った。
「いかにも。儂がこの《赤狼(せきろう)の氏族》の長老、シャルマ=ダル=ラースである」



 《赤狼の氏族》長、シャルマは、やっぱりどう見てもまだ幼い子供で。
 門番を外に出して扉を閉めさせ、暗がりの中で胡坐をかいて座る仕草自体は威厳に溢れるものがあったが、どうにも 噛みあわない。
「面白いカオをする娘じゃのう。なに、この姿のほうが皆が可愛がってチヤホヤしてくれるのが楽しいだけよ」
 考えを読まれたのか、自分の疑問にあっさりと答えるシャルマに、ミリアは思わず頭を下げた。
 ………ラーグといい、そんなに自分は顔に出るのだろうか?
「こいつの顔面のつくり自体が面白いのは元々だ。どうということはない」
「あの、ちょっとイロイロ突っこんじゃってもいいですか?」
 さらりと付け加えたラーグのコメントに、ミリアは覇気のない声色で淡々と言う。その様子に声をあげて短く笑ったあと、 シャルマは再び視線を戻した。
「――して、人の子よ。何用で我らが聖域へ踏み入った?」
 相変わらずの笑み。相変わらずの高い少年の声。しかし、瞳だけはさきほどまでと異なり、鋭い光を宿している。真偽を見極めようと しているものの目だ。……やはり、彼もまだ自分たちを信用などしていない。
 何通りも考えられた解答から、ラーグは最もシャルマの警戒心を削ぐものを選んだ。
「メンゼルに言われて来た。《ルドル》へ行けと」
「メンゼル?」
 シャルマはしばらくその名を反芻し。ややあって、ポンと手を叩く。
「おおっ!フォル=リア=メンゼル。あの《白狐》の小童か!久しい名じゃのう、元気にしておったか?」
 そこからは沈黙するラーグに代わって、ミリアが慌てて答えた。
「えと……はい、とても元気でいらっしゃいます。《クレイシア》の街では大変お世話になりました」
「ミリアだけな」
「アレンは黙ってて」
 ぴたりと《セルフィート》の切っ先を向けられ、アレンは「お~コワ」とおどけた声でへらへらと笑った。
 シャルマはそれを聞いて少し懐かしんだあと、すぅ……と静かな空気をまとってミリアたちに振り返る。
「さて」
 短く切って、一度全員を見回す。
「メンゼルがわざわざここを推したには、相応の訳があろう。おぬしらの目的を聞こうか」
 そこからミリアたちが事の起こりを説明するのに、さほど時間は要しなかった。




+++++++




「………なるほど、《レガイア》が…」
 通気口から差す蒼い光を腰に浴びて、シャルマが深刻そうに顎へ手をやる。
「メンゼル様から、とても危険な魔剣だと聞きました。――神をも滅ぼす力を持ってるって……」
「それはあくまで人間が語り継いだ例えであろう。が、確かに。凄まじい力を持っておるのは事実じゃ」
 慣れた口調でメンゼルと同じことを言い、彼は一瞬黙したあと。
「ふむ……それで、かもしれんな。ここしばらく魔族共のもたらす被害が忽然と減ったのは」
「?それっていけないことなんですか?」
 魔物が暴れなければそれに越したことはないではないか。
 キョトンと首を傾げるミリアに、ラーグは小さくため息し、アレンは「あらら~」と頭を掻き、シャルマは同じくキョトンとした。
 最初に降ってきたのは、アレンの呆れ声。
「あの、さ………ミリア。魔族ってのは本来、どんな習性を持つ生き物だ?」
「本能的に破壊衝動を持った、好戦的な種族?」
「はい、正解。じゃあその、本能で暴れまわるヤツらがいきなし静かになったってことは?」
「――あ。…………そっか。誰かが、あるいは何かが魔族たちの動きを制御してるんだ。それに《レガイア》が関係してるかも しれないってこと?」
「はぁ~い大正解☆総合得点20点~~」
「低っっ!!」
「かっかっか!何やら本当に面白い娘を連れておるな」
「男より強い剣技だけが売りに売れない売りなだけの修道女だそうだ。気にするな」
「ってラーグ!?なんでそんな前のセリフ覚えてんですかっ!?」
 向かうところ味方ナシなこの状況。
 ミリアはがっくりと項垂れると、再び岩壁へとへたりこんだ。
 その背を、シャルマの快活な声が叩く。
「なに、娘。そう落ち込むな。『無知』は決して『愚か』なことではない。むしろ無知から得た知をどう己の肉とするかが重要なのだ。真の賢者とはすなわち、真偽を見極める器を備えた者のことじゃからの」

 そのとき、扉の向こうから門番の声が響く。
――長老。そろそろ……――
「おお、そうじゃな。ずいぶんと話し込んでしもうた」
 立ち上がり、扉に手をかけようとして、ふと振り返る。
「……実は今、おぬしらをどうするか各族長で話し合っておるところでな。なに、心配はいらん。そうかからんうちに、 ここから出せるじゃろうて。――ああ、それから………おぬし」
 空色の目が向かった先―――――そこには、アレンの姿があった。
「おぬしは、少し儂と共に来てくれんか」
「……………へ?」
「アレン?」
 あまりにも唐突かつ意外な指名に、アレンはおろかミリアまでも目が点になる。
 アレンは今日、初めてミリアたちの前に現れ、初めてシャルマと会ったはずだ。それなのに、なぜ彼が?
「案ずるな。別に取って食いはせぬ。少々話をしたいだけじゃ」
「けど……」
「分かりました」
「アレン!?」
 ま、いっかと言わんばかりにすっくと立ち上がるアレンに、ミリアは驚きの声を上げる。そんな彼女を安心させるかのように、 彼は背中越しにニッと笑った。
「だーいじょぶだって。んじゃちょっくら行ってくるわ」
 それを最後に重い岩がバタンと閉じられるのを、ミリアはただ黙って見送るしかできなかった。




+++++++




 一人――しかもついさっきまでいないも同然だった人物が欠けた空間に吹く風は、やけに冷たくて。
 沈黙に耐えかねて、ミリアがぽつりと呟く。
「どういうことなんでしょう………アレンと話なんて」
「囚人を無断で出してまで話したい内容なんだろう」
「……どういうことですか?」
「知らないのか?」
 疑問系を疑問系で返されて、ミリアは顔をしかめるしかない。
 それを彼女の返答と捉え、ラーグは再び視線を逸らしながら言った。
「知らんなら、聞くな。いずれ分かる」
 む……と、ミリアは少し納得いかない心地がした。なんだか中途半端な言い方だ。いずれっていつ?そもそも、ラーグが アレンの何を知っていると言うのだろう。自分とアレンの過ごしてきた年月をスキップで踏みこされた感じで、なんだかかなり楽しくない。けれど――――
「アレンにとって、大切なことなんですか?」
「あながち間違いではないな」
「そう、ですか………。ならいいです」
 悔しいが、アレンが話さないなら無理に聞き出したくない。大事なことであるなら、なおさらだ。理不尽な時間設定ではあるが、 その「いずれ」が来るのを、ミリアは気長に待つことにした。
 そして、ふと声をひそめ、
「………ところでラーグ。そろそろティティを戻してあげてくれません?」
 言われて、たった今気づいたように、ラーグはマントの中から一つの個体を取り出す。
 なんとそれは、見事に全身石化したティティの姿だった。
 右手に聖魔導の光を集め、その中にティティ像を包み込む。ずいぶんあっさりと石化が解けるや否や―――当然ながら、ティティは 怒りの限りを撒き散らした。
「っらぁーーーー!!!この極悪非道野郎っ!よっくもアタシを石になんてしてくれちゃ―――…」
「黙れ」
 言い終わる前に、むちゃくちゃ不機嫌そうな目つきで光球を眼前に押し込まれ、ティティはもいちど硬直した。また石にされるのは、 さすがにコリゴリのようだ。

 《赤狼の氏族》の男たちに捕まる直前、ラーグは素早い仕草でティティを引っつかんで石に変え、そのままマントに突っこんで 隠し持ってきたのだ。

 いまだ納まらない怒りを声に滲ませながら、ティティは目の前の神父を睨む。
「ったく…フツー断りもなしにあんなことする?この外道この外道この外道この外道……」
「ああでもしなければ、おまえはギャーギャー騒いでいただろう」
「――で、ラーグ。ティティを隠してきたのはなんでですか?」
「おまえらは、本当の馬鹿なのか?」
「「は?」」
 同時に呆ける両者に、ラーグは深いため息を吐いた。
 ………どうやら、この中で使える頭を持っているのはアレンだけらしい。
「俺たちが閉じ込められるのは容易に想像がついた。だが、ただここにじっとしていても事態は変わらん。お前だけが、この通気口から外に出ることができる」
「あ、だから《赤狼》の人たちにティティがいることがバレないように、わざわざ隠したんですね」
 妖精の体躯なら、通気口など広すぎる出口だ。ティティがいることを知れば、幻獣たちはもっと違った手段をとっていたに違いない。
「??で、アタシにどーしろってのよ?」
「族長の会議を見てきてもらう」
「会議………ですか?なんでまた」
 いつものことではあるが、ラーグの意図が分からず、ミリアは問い返す。
 ラーグは表情の読めない淡々とした瞳のまま、小さく独りづいた。
「……仮定を、確信に変える必要がある」
 何言ってんのか、まるで分かんないんですけど…………
「何言ってんのか、まるで分かんないわねぇ……別にここぶっ飛ばしてアンタが自分で行けばいーじゃん」
「そんなことをして騒ぎにならんほど、幻獣は寛容ではない。あまりぐだぐだうるさいと、もう一度石にするぞ」
「うげげっ!そりゃカンベンよ!!あれってばあっちこっち痒くて痒くて耐えらんないんだからっ」
 そう言って、ティティは世話しなく通気口へと向かう。そこへ入る直前にラーグを振り返り、一度思いっきり「べーっ」と 舌を出すと、颯爽とその中へ消えていった。
 しばらくして、ミリアがなんとなく口を開く。
「石化って、痒くなるんですか?」
「ただの体質だろう」
 ラーグの声は、どこか気だるげだった。




 《赤狼の氏族》長老、シャルマに出会い。

 アレンがシャルマに連れて行かれ。

 ティティが族長の会議を偵察に行った。





 ……その日、すべてが動き出す。

【第3章】ヒトナラザルモノ -the heresy child- 1

2016.05.13 21:28|クロスマテリア
 凍てつくのは風か、人の心か―――――


「《クレイシア》を出て5日。……今日中には《ルドル》に着くだろうな」
「例の人間たちぃ?たしか、……神父が一人とその従者だっけ?大聖堂教会ってホントお馬鹿だよねぇ~。 それっぽっちで《レガイア》を取り戻せるワケないじゃん♥」
「それともう1匹。《クレイシア》から妖精が同行している」
「だからぁ~?」
「……まぁ、いずれにせよ危惧はすべきでしょうね。余裕と油断は別物です」
「どういうイミぃ?カイン」
「何の力も持たない木偶を送り出すほど、賢老院も腑抜けではない。ということですよ。今も、――そして昔もね」
「――――ジンか……」
「ええ。彼が欠けたことで、我々《使徒(しと)》は巨大な戦力を失った。今最重要視すべきなのは――」
「ふふ、わかってるよぉ♥」
「集めるんだろう。全ての破片を」
「それが、我が主のご意志である限り。《レガイア》だけでは、まだ足りないのですから」

「…なら、俺が行こう」
「一人で~?ディル。なんならライラも行ったげよっか~」
「油断大敵なんだろう。ならば複数より、こっちのほうが連中の力量を測りやすい。心配いらん、これ以上《使徒》の力を殺ぐマネはせん」
「……では、お願いします。しかしディル、くれぐれも気をつけなさい。《セルフィート》は我々にそう優しくない」
「用心はするさ」
「それから、もう一つ」
「なんだ」


「……………その妙な装飾センス、どうにかなりませんか?」
「放っとけ」




+++++++




「………でっか…!」
 背中を仰け反ったまま、ティティがようやく見つけたのは、そんな言葉だった。

 東の最果てに位置する聖地、《ルドルの森》。その壮大さは、目の前で見上げた者でしか分からないだろう。
 「でっかい」なんてものじゃない。大地の上に森が佇んでいるのではなく、森が大地を呑みこんでいるのだ。覆い茂る葉は 緑というよりむしろ淡い光を含んだ蒼に近く、陽の光をほとんど遮っている。それでも明るいのは、おそらく森自体が ひっそりと輝いているため。幹か土か、あるいは一面を湿らす浅い水の層か―――。鈍く輝く正体不明の光は、迷い人たちを 高みから眺めているよう。
 驚いている暇もなく、さっさと先へ進むラーグに、ミリアたちは従った。
「《ルドル》は10を越える幻獣の氏族がいるってのは知ってたケド………まさかこれほどとは思わなかったわ~」
「それもあるけど……この森は数千年も昔からあるって言われてるから、樹齢のせいでもあるんじゃないかな……よっと」
「ふえ~、さすがにアタシも生まれる前だわね」
「……『さすがに』?…」
「今のは空耳よ。あっ、あれ何かしら?」
「あ、その光ってるヤツ、毒キノコだよ。食べたら全身に正体不明なうずまきが………ほっ」
「ふ~ん、で。ミリアはさっきからなんのかけ声かけてるワケ?」
「イヤ、ティティがしきりに目の前交差すんのを避けてるんだけど………」
「あらら」
 ようやく気がつき、ティティがぴたりと止まった。前を行くラーグが、少し乾いた呼吸で口を開く。
「……意外だな」
「はい?」
 一瞬目があったので、自分に言われたんだとミリアは悟る。
「もっとやかましくなるものだと思っていた。来たことがあるのか?」
「《ルドル》ですか?……はい、修練学校の研修で何度か。っていっても、外から中の様子を覗くだけですけど」
「?ソレでなんで毒キノコの見分けなんかつくのよ?」
 ティティの鋭いツッコミに、ミリアは一瞬「あ゛……」と言葉を濁らせ、
「おおかた、興味本位で忍び込んでみたものの、出方が分からず迷子にでもなったんだろう」
「…なっ!どーしてそれを!!?」
「図星か。……本物の馬鹿だな」
 ため息とともに呟くラーグの悪態に、ミリアは恨めしげな目で見上げることしかできず。ちょとなんかヤバめな空気が流れたのを 察知して、ティティが半分呆れ顔でミリアの頭の上に乗っかった。
「フーンだ!本物の毒吐き能面男なんかに言われたかないわよ。それでもちゃーんと出てこれたんでしょ?」
 見下ろすと、ミリアはいつものきょとんとした顔でティティの顔を覗きこみ。
「え……と。うーん、そのときはいっつもアレンに見つけてもらってた……かな」
「アレン?」
 オウム返しに問い返す頭上の妖精に、ミリアは説明した。
 そういえば、アレンのことは話したことなかったけ。当然だけど。


「アレンって、こういうとこすっごい要領いいんだよね。日が暮れて寒くなってきて、どうしようもなくて幹の穴に隠れてても、 絶対見つけ出してくれるの」
「へぇ~……ミリアって、まともな知り合いもいたのね♪」
「………どーゆーイミ?」
「そーゆーイミ」
 半眼のミリアに、ティティはくるんと宙を舞ったあと、側で腰を下ろし目を閉じている神父を視線で差す。
 ミリアの説明が長いものになりそうだったので、休憩も兼ねて少し留まることにした……んだと思う。本人は黙ったまま 歩を止めたので、ミリアの予想でしかないが。
 ……ついでにアレンの人格を分かりやすくするため、過去に彼や自分が犯した様々な赤裸々事件のいくつかも話しておいたのだが、 そのことは、アレンには内緒である。殺される気がするから。なんとなく。
「ずいぶんと楽しそうだな」
 唐突に声をかけられたので、ミリアは内心どきっとした。
 いつから聞いていたのか、ラーグは相変わらず気だるそうな目つきのまま腕を組み、視線を上げている。
「あの眼鏡とは親しいのか」
「ただの腐れ縁……て、前なら軽く言ってたでしょうね。けど、こうしばらく離れてみると………なんかちょっとだけ、 淋しいかもしれません」
「あらぁ~?ナニよラーグ。気になるの~?」
「うるさいチビ」
「な!チ、…チビじゃないやい!!アタシにはちゃんとティティっていう可憐な名前があるんだからっ」
「呼びにくい上に、可憐なやつはまずそうやって大木を持ち上げたりしないはずだが」
 恒例とも言える罵声のやりとり。まぁ大概、最後は鬱陶しくなったラーグが聖魔導ぶっぱなして強制終了させるのだが。 今回もそういう結果に落ち着いたようだ。
 それらを側で呆れ顔のまま傍観しながら、ふとミリアは思う。

 ……………名前?

 そういえば、自分もまだラーグには一度も名前で呼んでもらったことがない。いつも「お前」とか「おい」とか「馬鹿」とか 「それ」とか「これ」とか…………………
 …………………………まあとにかく、そうなのだ。
(そーいや、アレンのことも「眼鏡」ってしか言ってないか)
 心中でそう苦笑しながら再び、もうずいぶんと会っていない「腐れ縁」のことを思い浮かべる。元気でやっているだろうか。 もっとも、アレンは昔から体だけは丈夫で、風邪なんかひいたこともなかったが。
「………考えてみれば、いつも一緒だったからなぁ…」
 誰とも告げずに零した横顔は、どこか遠くを見るかのようにか細くて。

 そのときである。
 突然ラーグの腕が自分の腕を掴んだかと思うと、ほぼ強引に引き寄せられた。
 全く不測のことだったので、ミリアは当惑の表情で成すがままに重心を傾けられ――――そのまま、勢いまかせに丸い頭を 地面へと無理矢理押し付けられる。
「――ふぎゃっ!?」
「伏せていろ」
 ………すでに伏せさせられてんですがっ!!?
 淡々と言う目の前の男にそう主張しようと自力で顔を上げたとき。ミリアは、言いようのない嫌な気配を感じた。
 気配の対象はラーグでも、ましてやティティでもなくて。
「な、ななななにアレ!!?」
 ひきつったティティの指が、森の一端を差す。淡い光が照らす水辺の大地から、にゅるりっ、と何かが持ち上がった。 青みを帯びた体には、うっすらと向こう側の景色が透けて見えている。……人に近い形のような気がする―― だが明らかに人ではない―――不安定な膜に包まれた液体のよう。 それも、1体や2体ではない。次々と無数に現れてくるではないか。
 さすがにちょっと…………気持ち悪い。
「なんですかこれ!?魔気はないから魔物じゃないみたいですけど……」
「……この森が別名、何と呼ばれているか知っているか?」
 見上げたラーグの表情は、憎らしいくらい平然としたまま。まるでこの状況を予測していたかのように、冷静で揺るぎない。
 小さく首だけを振るミリアに、彼は酷薄な笑みを浮かべて囁いた。


「《屍者の檻》、だ」




+++++++




「それって……これ全部屍人(しびと)ってことですか!?」
「うげげっ!ゾンビってやつ!?」
 あからさまに狼狽するミリアとティティ。ラーグは、視線を死者の群れへと注いだまま。
「強い想いを残して死んだ魂というのは、朽ちたあとも現世を彷徨い続けるという。高濃度の聖気と魔気が入り混じる 幻獣の森は、やつらにとって恰好の棲み家だ」
 言っている間に、屍者のひとりはふらふらとすがりつくようにミリアに襲い掛かる。魔気も殺気も感じない――が、 ミリアは咄嗟の悪寒に従い、声を張り上げた。
「シ…、風よ(シルフィール)!」
 生まれた晶魔導は鋭利な真空の刃と化し、死人を真っ二つに断つ。だが、崩れかけたと思った半透明の体は、見る間に再生してしまった。
「器も持たない屍者に攻撃は効かん。あと、捕まれば魂を持っていかれるぞ」
「そゆことはもーちょっと早くに言って欲しいですねえいつものことながら!!」
 半泣きで言ったところで、状況が好転するはずがない。
 ティティのほうも、空中をくるくる逃げ回りながら、ミリアが気になってならないようだ。
「どーすんですか!?斬ってもダメ魔導もダメじゃ、打つ手なしですよ!?」
「ちょっとコラエセ神父!!少しはなんとかしようって気は起こんないのーーーっ!?」
「やかましい。黙れ」
 喚く二人を完全にカヤの外に追い出し、彼は十字架をくわえた。ミリアの目に疑問が浮かぶ。
 だが、彼が招いたのは、漆黒の獣ではなかった。
 大聖堂教会と《クレイシア》で彼が魔獣を召喚したときに背筋を駆けた鋭い寒気を、今でも鮮明に憶えている。だが今度のは、 その比ではなかった。寒気、なんてものじゃない。もっと具体的な―――全身を串刺しにするかのような、絶対的な恐怖。聖も、魔も、 人も、全てが抗うことのできない宿星の鎖に絡めとられたような。
 蒼い大地にまばゆい閃光が走る。そこには漆黒の肉体も血色の瞳も見えなかった。しかし、ミリアはそこに現れた「変化」に 気づくと、ギクリと身を強張らせる。

 地面に、巨大な『目』が敷かれていた。

 そうとしか言いようがない。
 開いてはいなかったが、綺麗な曲線を描いたそれが、巨大な何かの瞼であると。直感がそう、告げていた。
 側で、ティティが「ひっ」と息を呑んでいる。
 ……わかるのだ。これが何なのか。生き物の本能で。
「……本来在るべき場所へ、還るがいい」
 十字架を下ろし、静かな、それでいて凄みのある口調でラーグが言うと…………。まるで呼応するかのように、突然大地の目が 険しく見開かれる。真っ赤な血色の眼球。その中へ、死者たちは吸い込まれるように消えていってしまった。同時に巨眼のほうも 何事もなかったように瞼を閉じ、大地に波紋を刻んで溶けていく。

 静寂の戻った森のなか。
 無感情な瞳で全てが呑み込まれた大地を見つめるラーグの背を、ミリアの声が通る。
「今のって、まさか………」
「冥界の門の一端だ」
 即答する声のトーンに、やはり抑揚というものは感じられず。用はないとでも言いたげに、彼はその場をあとに歩き出す。 胸中で数々の驚きを見せながら、ミリアもそれに続く。
 ……一体、彼の魔導容量はどうなっているのだろう。聖魔導はおろか、魔獣を召喚するほどの闇魔導――さらにはその魔獣たちが守る門まで喚びよせるというのだ。
「……………っ」
 胸の奥で、何かがどくんっ…と警戒音を刻んでいる。

 ―――こんなの―――

 ラーグを追う目が、無意識に狭まった。何度も何度も、同じ言葉ばかりが頭の中でぐるぐる回っている。

 ―――こんなの、人間技では―――


 と、ラーグが足を止めた。
 必然的にやはり止まって怪訝顔をするミリアとティティ。そちらを振り向かないまま、うっそりと息を吐く。
「………鬱陶しい」
「「は?」」
 直後、さっきラーグが門を招いた場所とは反対の方向から、またも無数の屍者が現れた。
 ―――っわ!またっ!?キリがないじゃない!!
「ったく、ンなにこの世に未練タラタラ残されてもメーワクだっつーのっっ」
 胸のうちで舌を打つミリアと、お得意の悪態をつくティティ。
 …が、頼みのラーグはというと、どういうわけか早速その場に座り込んでしまい。
 しかもまるで無関係のように、のうのうと煙草を吸いだして。
「………あの、ラーグ?なにやって…」
「疲れた。あとはお前がやれ」

 はああぁぁーーーーーーーーーーーーー!!!??
 思考が言葉になるより早く、屍者がミリアに襲い掛かる。《セルフィート》でぶった斬るも、やはりすぐ再生してしまう。 が、一瞬動きがニブるだけまだマシだった。あくまで、「マシ」の分類だが。
「なに言ってんですか!?さっきみたいにドカンとやっちゃってくださいよ!!」
「召喚の闇魔導は魔気を大量に消費する。第一、面倒だ」
「この非道ーーーーーーーっっ!!」
 攻防を続けるミリア。
 そのすぐ後ろにいるので、必然的にラーグに害は及ばない。女の後ろに隠れて悠々と難を逃れるなど情けない限りでは あったが―――いかんせん。「使えるモノはとことん使う」のが、この男の信条である。
 そうして、どのくらいが経っただろうか。
 だんだん体力的に限界が来たのか、ミリアの動作が鈍くなる。息も荒い。ティティは相変わらず頭上でやいやい喚いていたが、 気にするだけ時間の無駄だ。
 ミリア自身、意味のない攻防は百も承知。だが、他にテが浮かばない。神父はアレだから頼りになんないし………
 あーーーもう!どーすりゃいーのよーーーッッ!?
 思考だけは威勢いいのに、もう体が追いつかない。ついに剣を地に突き立てて身を支えるミリアを前に、ラーグは 焦りもせず、静かに目を伏せた。

 ―――そろそろか……

 予感は、見事的中した。



 周囲を取り囲む屍者の体が、一気に砕け散った。
「―――――え……?」
 ミリアの掠れた声が、飛び散る蒼いしぶきを通して喉から漏れる。そして、視界の片隅にうっすらと映る、銀色の糸。
 そこからある人物を連想する前に、ミリアの眼前に何かが降り立った。
 ざんばらの黒髪に、悪戯っ子のような緑の瞳。黒い修道服の上から掛かっているのは、ミリアと同じ銀の十字架。
「なーんだよミリア。だらしねーなぁ、もうギブアップか?」
「………アレン?」
 両手の手袋に仕込んだ銀の糸を風になびかせにんまり笑う少年に、ミリアは呆然としたまま呟く。
 そう。
 そこにいたのは、まごうことなく大聖堂教会聴報院二期生にして、ミリアの「腐れ縁」、アレン=ジェノス本人だった。


「ん゛ーー……やっぱこんな攻撃じゃすーぐ戻っちまうなぁ」
 驚愕と混乱のあまり言葉を失っているミリアをほったらかして、アレンはもう再生を繰り返している屍者を見る。両手に光る 冴えた糸をきらめかせ、手元に戻した。白銀の糸(テアー)。アレンの扱う武器だ。武帝院の技術部が開発した武具であり、 はっきり言って斬れ味は凄まじい。どうすごいかってーと、まず、触れば斬れる。くくったら岩だって真っ二つだ。そんな全自動 辻斬り機みたいな性能のため、一時は製造を中止したいわくつきの物体であったのだが………
 例外として、アレンだけは使用が認められている。それだけの技量を持っていた。
 本人曰く、「なんとなく合ってたから☆」という理由でこんな物騒なモンを使いこなしているのだから、世も末だ。
 これ以上やっても無駄と悟るや、アレンはそそくさと糸をしまいこんでしまった。そこへ、ラーグは座ったまま。
「御託はいい。とっとと対策を言え」
「たはー……。せっかくカッコ良く登場しよーかと思ってたけど、なんだバレてたんスね~」
「?????」
 ミリアにはまったく意味不明な会話を繰り広げる。
 てゆーか、ラーグのこの落ち着きようはなに?これじゃまるで………
「……ラーグ、アレンが来ること知ってたんですか…………?」
 神父は質問に答えず、かわりにアレンのほうがニカッと人懐っこく笑った。
「まぁ、説明はあとですっから。まずはこの屍者たちを片付けようぜ。っつーワケでミリア、この地面燃やせ?」
「は?なんで?」
 目を点にするミリアに、アレンは「ん~」と頭を掻きつつ。
「なんでって………この水が死者の魂を繋ぐ鎖なんだよ。ソレを元から断たなきゃどーしようもねぇじゃん」
「グダグダやかましい。死にたくなければさっさとやれ」
 ラーグの罵声に、ようやく目の前まで死者が迫っていたことに気がつき。
「うわわっ…と!――炎よ(イフリート)!!」
 張り上げた声のもと、竜頭を巻いた焔に包まれて、屍者の群れは、今度こそ沈黙した。




+++++++




「…………………で?」
 ちょっと威力の加減が利かなくて辺りの木々までも半壊させた森の中。
 ミリアは、じっとりとした瞳をアレンに向ける。少年は知らずか故意か、きょとんとしたまま、
「?何が」
「『なにが』じゃないっ!なんでアレンがここにいてなんでラーグがそれを知っててなんであたしだけがこんなに驚いてんのかってこと!」
「あ~……んー。てかアレだ、とりあえず……」
 一気にまくし立てるミリアに歩み寄り、アレンはいつもの屈託のない笑顔を見せる。ミリアはこの笑顔を知っていた。外はさっぱり あどけなく、中はじっとり得体の知れない彼のオハコの……………………ヤバイ。
 逃れるより早く、アレンはわっし!と両手の握り拳でミリアの頭を挟みこみ。そのままぐりぐりと圧迫する。
「あっはっは、聞いてたぞぉ~?本人がいないのをいいことに、ずいぶん人サマの過去を暴露してくれちゃってやがったよなぁ~?」
「はだだだだだいだだだだ……っ!?」
 悲痛に涙するミリアを見て、ティティはしばらく唖然と固まったあと。
「…………『まともな知り合い』?」
 そう、ポツリと呟くのだった。

 そんな、油断のせいかもしれない。

 天まで届かんばかりの巨木から、突然複数の影が舞い降りた。数はおよそ十数。ぐるりとラーグたちを囲うように広がっている。 ……本当に一瞬のことだったのだ。反応するヒマもない。
 相手の姿を見て、ミリアは背筋が緊張するのを感じた。
 狼にも似た、赤い獣の肉体。民族調のあるデザインの服に身を包み、赤い毛皮に映える薄い空色の瞳が、こちらを凝視していた。
「……我らの森で騒ぐ愚か者共。何奴か」
 うち一人(一匹?)が言う。
 なんて言うか……耳としっぽが逆立ってます。もしかしてむちゃくちゃ怒ってる?
「ありゃまー……こいつは大歓迎だ」
 全身から殺気という殺気を滲ませる獣たちへ、アレンは気のない苦笑いを送るだけだった。

【第2章】妖精の街 -fairy town- 7

2016.05.13 20:58|クロスマテリア
「ひとつ、伺いたいんですが」

 今この目の前にある状況に、驚きも怒りも慌てもせず。
 ミリアは落ち着いた(と、言うより棒読みっぽい)口調で、半開きの目をさらに薄めた。
「これって夢ですよね?」
「馬鹿でもわかるほど、現実だと思うが」
「うりゃあぁぁーーーーーーーーーーー!!!!」
 抑揚のない嫌味が返ってくるとほぼ同時、ミリアは力のあらん限りに自分の被っていたシーツを引っ張っていた。反動と、 目覚めていきなり激しい俊敏さを発揮したせいか、そのまま見事にベッドの下に転倒する。頭から落ちて一瞬お星様が 見えたが、次いで降ってきたラーグのうっそりとした声に、今度こそ現実味が増す。
「起きぬけ早々何をやっている……」
「なんでなんでなんっっっで!どーしてラーグがあたしの横で寝てるんですかっ!?」
「俺の金で取った部屋だ。何が悪い。眠ければ寝るというのは生物の本能だろう」
「そーゆー問題じゃなく!!」
「どういう問題だ」
 いかにもやかましそうに眉間を寄せるラーグ。先ほどの一瞬で部屋の隅まで驚異的速度で逃避していたミリアは、ひっぺがした シーツを握り締めたままあうあう唸った。
 目が覚めて、宿のベッドに寝かされていたまではいい。……その横に、ラーグの整った横顔のアップがあるということ以外は。 なんか数十年くらい時が止まった心地がしないでもなかったが………やかましくもなる。
「前にも言ったろう。有り得もしない状況を警戒しても時間と労力の無駄だ」
「ですからそーゆー問題じゃありませんっ」
 ミリアは、寝癖ではねた栗色の髪を悔しげにかきむしったあと、びしりとベッドを指差した。
「2度も……2度も寝込みを狙われました。しかもそれに全く気づかず侵入を許してしまうなんて………騎士の恥です! こんなことでは聖堂騎士団(ラウストウィア)の副長など務まりません!!」
「……………………」
 何か激しく呆れと憐れみを含んだラーグの視線にも気づかず、ミリアはひとり部屋の隅で喚いている。
 ふいに、シーツのはがされた寝床に腰掛けていた神父が立ち上がる。そのまま出口へと向かい―――
「……?どこか行くんですか?」
「用は済んだ」
「はぇ?」
 首を傾げるミリアの質問にも、やはり答えず。彼は無言のまま、客室から出て行ってしまった。 ちょうどメンゼルとすれ違い、ほんの一言何かを話したあと―――

「ミリアぁーーーーーーっっ」
「わっ!ティティ?」
 開いたままの扉から勢いよく胸に飛び込んできた妖精に、ミリアはぱちくりと目を瞬かせた。
 ティティは彼女の無事を確かめるように、心配そうに顔を覗きこんでくる。
「具合はどう?気分悪くない?もうヘーキ?アンタ《豊穣の種(フェアリーソウル)》を孵してから4日もずっと眠ったままだったのよっ!? ほんとにほんとにほんとに、アタシのこれまでの人生の3分の1ぶんくらい、心配したんだからねっっ」
「えっと……それって多いの…?」
「分かりやすいように人間の寿命に変換してみたの」
「………………それってつまり…ティティの歳って」
「コトバのアヤよ!!!そんな昔の失言は忘れるべきよ、さぁ!」
 言い切る前にきっぱりと遮られ、ティティはいつもどおり、元気よくくるりと宙を舞う。
 ―――正直、ほっとした。
 《フェアリーソウル》が孵ったのは覚えている。しかしやはり妖精は生まれず、大樹は葬られたのだ。だがティティは沈んでいる ような素振りは微塵も見せていなかった。
「気がついたようで何よりです。気分のほうはどうですか?」
 横からかけられた、メンゼルのあどけない微笑みに。ミリアも同じく笑顔で返す。
「ご心配おかけしました。おかげさまで、すっかり元気です」
「の、ようですね。その様子からすると」
「あ、あはは………」
 ほどけた寝癖に白い寝間着からはみだす裸足の足。その上片手にシーツを握り締めてベッドから離れた壁にへばりついている 様は、どっからどう見ても、病人のとる行動ではなく。メンゼルの手に促されるがまま、再び寝床へと戻るミリア。

「それにしても、あなたの聖力値には驚かされましたです。……まさか、生身の体で直接《種》に 聖気を注ぎ込むなんて」
「もう少しは楽なものかと思ってたんですが……ひょっとしてもしかすると、かなり無謀なことだったんですか?」
「絶えず聖気を吸っていた実です。大樹から離れた途端、その注入口には穴が開く。底の抜けたバケツに水を溜めるような ものです。半端な聖気じゃとっくに死んでるでしょうね」
 相変わらずのほほんとした笑顔で、そんな末恐ろしいことを言うものだから。
 ミリアは思わず、ざっと血の気が引くのを感じた。
「ど………どーりでいつまでたっても手ごたえがないわけで……。終わったら終わったでものすごく疲れてるし」
「まぁ、ほぼ無限と言っても限界はつきものです。それにたった4日でそこまで回復したのも、ラーグの適切な処置が あったからですし」
「ラーグの…?」
「はりゃ?彼から聞いてないですか??」
 キョトンと問い返すメンゼルに、ミリアはただ頷くしかできない。メンゼルは「相変わらずですねぇ」と小さく苦笑したあとで、 ミリアに説明する。
「あなたが倒れてここに運ばれて4日間。彼はずっとあなたに自分の聖気を送り続けてたんですよ」
「……へっ?」
「ほとんどゼロに近いまでに減ってたので、あまり一気に与えては身体の負担が多すぎるため、少しずつ流し込んでいたようですが。 ある程度まで溜まれば、聖女は自分の力で聖気を作り出せますからね」
 言われたことを、もう一度頭の中で整理して。ミリアは軽く、自分の知っている知識を反芻した。


 聖気は本来、自分の体内で生まれ、決まった聖力値を保とうとする。それは先天的なもので、一般的に聖力値が高いもの はそれなりに強い魔法を使えるし、逆に低いものにはすぐに限界がくる。だが《見初められた者》である聖女の場合は特殊だ。 彼女たちは、常に聖気を生み出し続ける。つまり、聖力値にリミッターがない。それゆえにほぼ無限の聖気の持ち主と称される わけだが……………
 今回のように、自力で生み出せないほどに消耗したときは、他者から聖気をある程度分けてもらう手段がある。 その場合、供給者は需要者に常に触れていなければならないのだ。そこを起点として、聖気を流し込む。


 ―――――――と、修練学校で学んだよーな気がする。

「じゃあ、『用は済んだ』って……」
「『それだけ回復すれば、もう聖気供給は必要ない』ってことでしょうね」
「アイツ、あのまま隣の部屋で寝るっつって入ってったわよぉ~」
 気のないティティのコメントにも、ミリアの顔は呆けたままほどけない。
 ややあって、どっとしたため息が喉から溢れた。
「……ほんとにもう、分かりづらい……」
「私も昔はそう思ってたです」
 にっこりと、メンゼルがどこか嬉しそうに言った。
「でも、考えてることは案外単純な子なんですよ?」
「………そうでしょうか?」
「ええ。あなたがそれ以上に単純すぎるだけで」
「……………………」
 やはりいつもと変わらない顔色で、平然と言ってのけるメンゼル。しかもそれがなんとなく図星のような気がするから言い返せない。 ラーグが彼女を苦手としているわけがちょっぴり分かったような気がする。それともこれは、人と幻獣の感覚の違いによるもの なのだろうか?
 そんなことをちらちら考えていると。
「ところであなたたちは、魔剣《レガイア》を探しているそうですね」
「れがいあぁ?ナニよそれってば」
「――あ!そう、そうです。メンゼル様」
 はっと気づいて、ミリアはメンゼルを振り返る。
「《レガイア》ってなんですか?」
「「……へ」」
 間抜けな返事は、メンゼルだけでなくティティの口からも漏れていた。
 身を乗り出したティティが、「ちょっとマッテ、ちょぉーっとマッテマッテ!?」とミリアの目の前を飛ぶ。
「なんですかって……よく分かんないけど、アンタたちはそれを探して旅してんでしょ!?」
「いや………確かにまぁ、そーなんだけど」
「……ラーグから、何も聞いてないですか?」
 ミリアが頷くと、彼女はしばらく硬直したまま動かなかった。
「ほんとはイロイロ聞きたかったんですけど。1度だけその機会ができたときも、3つまで答えてくれるはずが2つしか 言ってくれなかったし……」
「なんて言いますか……ラーグにも問題あるですが、あなたもよくそれで彼についてきてるものです」
 呆れと言うよりは感心に近い声色だったため、ミリアはその言葉にさほど不愉快は感じなかった。
「とは言え、目的の正体も知らなくては話にならないですね。よしっ、分かりました。私が教えましょう。魔剣《レガイア》 ―――それはこの世界に存在する、《三大宝剣》のうちのひとつです。これは知ってますよね?」
「…あ、はいっ。私の体の中にもその《三大宝剣》のひとつ、聖剣《セルフィート》が入ってますから」
 確かめるように覗き込むメンゼルに、ミリアは慌てて答えた。
 イリス家に代々伝わる古の聖剣。それが《三大宝剣》に属するものだと知ったのは、彼女がそれを継承する直前だった。他にも もう一本、霊剣《クラウディア》が存在するというが――――。《レガイア》共々、その力や所在は一切不明だ。
「そう。あなたの持つ《セルフィート》は、魔を滅する剣。それに対して《レガイア》は、魔気を吸収し聖気を消し去る、文字通り 魔剣です。言い伝えでは、その力は神をも滅ぼす威力を持つとも言われている――」
「か…っ神をもって……」
 あまりにも理解の範疇を超えた回答に、ミリアはしばし現実感が持てないでいた。
 そんなもの――そんなこと――――不可能だ。神を、滅ぼすなど。
「無論、言い伝えに過ぎません。ただし《三大宝剣》の力が絶大なのは確か。教会が恐れているのは、それほどの ものが魔族の手に渡るという事態でしょう。とりわけ強い魔族のものになれば、なおさら分が悪いですね」
 さすがは五大賢者中でも最高の知識を持つと称される存在か。淡々と的を射た見解を連ねてゆくメンゼルに、ミリアは 真剣な眼差しで頷いた。

「う~ん…よっく分かんないけどぉ……よーするに、ミリアたちはその物騒な剣を探してるってわけね」
 少し話が難しかったのか、ティティが出したのは、結局そういう、さっぱりした結論だった。
 ほどよく緊張感をほぐされたのか、メンゼルも元通りの幼い表情に戻る。
「あまり複雑に考えるのはよしましょう。あなたたちが追っているのは、とても危険な剣。それだけ常に頭に入れておいて もらえたえたら十分です」
「はい」
 即答し、ミリアはそっと窓の外を見た。この位置からは空しか見えない。突き抜けるように透きとおった、蒼天の空。 ラーグの瞳の色。この、壁一枚を経た隣で、彼はぐっすりと眠っていることだろう。4日もの間一睡もせず、絶えず聖気を 送り続けることがどれだけの疲労を生むか、ミリアにも少しは想像できた。
 それらをまったく顔色に出さないのだから、ある意味すごい。
 彼は性悪だし、嫌味だし冷たいし勝手な男だが、自分の功績をひけらかす行為も絶対にしない。

 ……どうしてだろう。

 ずっと、彼のことが分からないと思っていた。それもそのはず。ラーグは自分のことは全く話さないのだ。だが、原因は それだけではない。…………自分が訊ねないからだ。今まではその気すら起こらなかった。どうせ答えてくれないだろうと 踏んでいたから。それは今も変わらないだろう。
 でも―――思うのだ。

 彼を、知りたいと。そうすればメンゼルのように、彼の横であんなに朗らかに笑うことができるのかもしれない。
「……まだ、知りたいことが山ほどあるって顔してますね」
 メンゼルの鋭い指摘に、思わず背中が強張った。
「私が知っていることでよければ、お話しますよ?ラーグが話さない、ラーグのこと」
 幼い大賢者の瞳は、相変わらず淡く優しい深緑色―――。
 本音を言えば、知りたいことが山ほどあった。ラーグはここにはいない。訊こうと思えばいくらでも訊ける。


 けれど。


「お心遣いありがとうございます、メンゼル様」
 ミリアは、はっきりと通る声で言った。
「でも、やっぱり話さないのはラーグなりの事情があると思うんです。本人のいないところで、おいそれとそれらを 他人から訊きだすわけにはいきません」
「それで、いいんですか?」
「あたしは、ラーグが自分の口から話してくれるのを待ってみようと思います」
 そう言って微笑んだミリアを見て、メンゼルは瞼に、ひとりの聖女の姿を映し出した。
 ……………アリシア……
 あなたなら、確かにそう言うでしょうね。あなたもあなたの娘も、本当に優しい人だから。
「ラーグの従者が、あなたで良かった」
 一時は異を唱えた。この状況は、―――……ラーグには、あまりにも酷すぎる。けれど彼女なら、それすらも解きほぐしてくれるかもしれない。 今度こそ――彼を、解放してくれるかもしれない。

 《盾の聖女》が成せなかったことを、《剣の聖女》が成せるかもしれない………




+++++++




 ラーグが出立を決めたのは、その翌日だった。
「街行政の面倒事に付き合う気はない」
 それがその理由である。

 ミリアが孵らせた《豊穣の種》は街の中にも広がり、壁という壁、床という床一面に色とりどりの植物を咲かせていた。モノは形 から…とはよく言ったものか。それから街の人間たちは、妖精に対して寛容になりつつある。
 大樹に喰われた人々の何人かが、無事に救出されたのだ。
 泉の魔物は地中に引きずりこんだ人間から、徐々にゆっくりと聖気を吸い取っていた。それゆえに、聖気量の多いものや 遅くに取り込まれたものはなんとか仮死状態のまま生きつなぐことができた。メンゼルが真っ先に喰われたのに助かったのも、 幻獣が人を超越した聖気を持っていたためである。
 しかし、やはり犠牲者の存在は拭えなかった。現にジャンという少年は助かったが、彼の兄は手遅れだった………

 そんなこんなで、今《クレイシア》は大忙しだ。
 《浄化の泉》が無効化していたことを告げずにいたグロフト市長の後任と新しい市長の選出。また、西の広場の妖精像の再製作。 その他諸々。ラーグにしてみれば、確かに面倒事だ。
 見送りに来てくれたメンゼルに、ミリアは軽く頭を下げた。
「お世話になりました。メンゼル様は、まだこの街にいらっしゃるんですか?」
「はい。調べていた研究がまだ残っているんです。それが終わるまでは。――あ、そうそうラーグ。ちょっとちょっと」
 言ってメンゼルは、低い位置から長身の神父を手招きした。視線だけ落として怪訝顔をするラーグに、メンゼルは少し勿体ぶった あとで。
「ふっふっふ~…………じゃじゃーーんっ!心の師から教え子にプレゼントですーっ」
「結構です」
「ふぇっ!?」
 品を出す前にあっさりと切り捨てられ、メンゼルはカチリと固まった。だが、すぐに復活。その、「プレゼント」をラーグの 前に突き出す。
 それは、一対の白い手袋だった。一見普通の布教用のものと変わらないが、よく目を凝らして見ると、内側にびっしりと 文様のようなものがある。
「3日間おやつも食べずに頑張って精製した、特別製ですよ~?これなら魔族に触って聖魔導使っても、腕を傷つけることはないです」
 え!?それは便利な。特にあたしにとって!!
 ぴくりと耳ダンボになるミリア。彼の傷はいつも自分が治している。そんなアイテムがあれば、その手間が省けるというものだ。
「ラ、ラーグ。せっかくですし、ここは遠慮なく……」
「何を楽しようとしている」
「う…………」
 モガモガと尻すぼみに消えるミリアの声。
 だがそれよりも効果を発したのは、やはりメンゼルだった。
「あなたは少しくらい、他人に借りを作っておくべきですよ。心配されるのが嫌なら、原因を作らないでください?」
 そう、「にっこり」と微笑まれる。ラーグの逆らえない微笑みだ。
 黙したまま手袋がほぼ強制的に右手に突っ込まれるのを、甘んじて受け入れて。メンゼルは満足そうに笑う。
 そして。

「ラーグ、ここよりずっと東へ行くです」
 メンゼルが、街とは反対方向を指差した。
「分かってると思いますが、私も《レガイア》の所在については一切知りません。人の知恵はもう頼りにならない。―――幻獣の森《ルドル》………そこにいる長老なら、 きっと何か知ってるはずです。あの方々は齢千年を越えていると言われている。四百そこらしか生きてない私とは格が違います」
「幻獣は、他種族との交流を極端に嫌っていると聞きますが」
 無表情のまま問い返すラーグ。
「確かにそうです……が、事が事ですからね。彼らとて、《レガイア》を野放しにしようとは思わないでしょう」
 降りてくる沈黙。そしてラーグは、無言で歩き出した。メンゼルの差す、東の方角へ。
 もともと目的地がはっきりしている旅ではない。ならば、どこへ行こうが同じだろう。
「あ、ちょ……待ってくださいラーグっ」
「ミリア」
 後ろも顧みずズカズカと進んでいく神父の黒い法衣を追おうとしたミリアの背に、メンゼルが呼びかける。
 振り返るミリアの手を自分のそれと重ね、優しく笑んだ。
「これから先、あなたがラーグのことを知る機会があっても。例えばそれが、あなたにとって楽しいばかりのものではなくても。 ………どうか、ありのままの心で、ありのままのあなたでいてください」
「………??」
 首を傾げていたミリアに、メンゼルはただ、あどけない微笑を送るだけだった。
 去っていく二人の影を見送り、その姿が見えなくなると、帰路につく。


 それはきっと、………ラーグを溶けない氷の檻から解放する、温かい光となってくれる――


+++


「あの、ラーグ」
「…………………」
 呼びかけてみるが、いつもと同じく彼は返事をしようとしない。これだからいつも諦めて、こちらからも口を開こうとは しなかったが――――。
 ミリアはきっ!と覚悟を決めると、ラーグの前に回りこんだ。そして、勢いよく頭を下げる。
「聖気を分けていただいて、ありがとうございましたっ!」
 ラーグの足が止まる。……いや、自分が立ちふさがっているので、嫌でも止まるしかないのだが。
「メンゼル様から聞きました。4日もずっと、あたしに聖気を注いでくれてたって………相当に疲れていたはずなのに、 何も知らないで起きて早々勝手なことばかり言っちゃって………本当にすいませんでしたっっ」
 妙な沈黙が、二人の距離を支配する。頭を下げたままなので、彼の顔色が分からない。ならば上げろと言うものだが――― こう正体不明な間が置かれると、上げるタイミングというものが…………
 と。
「………それで?」
 ようやく発した声に、ミリアが「――へ?」と頭を上げる。
「で、どうした」
「どうって………イヤ、だからその………お礼を言わねばと……」
「それだけか?」
「え?あ、はい」
「ならもう行くぞ」
 言って、実にくだらなさそうに横へどけられ、素通りされた。

 ……と、思ったが、彼は思い出したようにミリアの方に近づくと。
「それと、こいつをなんとかしろ」
 うっそりと言うと、ミリアのマントを掴み、思いっっっきり、揺さぶった。するとそこから小さなローズピンク色が振り落とされ、 成すすべなく大地にべしゃりと叩きつけられる。
「――わぴっっ!?」
「ティティ!!!?」
 呼ばれた妖精はしばしの間地面に突っ伏したまま沈黙を保ち。
 突如、ものすごいスピードでラーグの眼前に飛んだ。
「ちょぉーーーっとこの非道神父!!いきなしなんってコトすんのよ!危うく素敵なお花畑に行っちゃうとこだったじゃないさ!!!」
「それは惜しかったな」
「きぃーーーーッ!なにが惜しいのかゆっくりじっくりとっぷり教えていただきたいもんですわよねぇ!!?」
「ちょ……ちょちょちょちょっと!?なんでティティがこんなとこにいるの??」
 街を出る際、ティティはどこを探してもいなかったのだ。せめて会っておきたいと思っていたので、少し心残りだったのだが………… まさかこんなところにいようとは。
 ティティはその言葉にピクリと羽根を震わすと。
「ア…アタシは、その………なんていうかえっと……アタシも……ア、アタ……」
 何やら言いにくそうにモゴモゴ詰まらせるティティ。だが意を決して拳を握ると、ラーグをびしりと指差した。
「アタシも連れてきなさいっっ!!!」
「却下」
 ………速かった。どっからどうやっても弁解のしようがない、見事な断りっぷり。面白いことに羽根まで石化したティティを 無視し、ラーグは先へと歩みながら。
「……断る、邪魔だ、消えろ」
「なんですかその清々しいまでに羅列される拒絶の言葉はっ!?」
 ツッこむミリアのコメントに、ラーグは不機嫌丸出しな面を振り返らせた。
「街はもうお前を蔑んだりしない。大樹以外でも、いくらでも寄り所はあるだろう」
「それは……っ…。そーだけど………」
 言葉を濁らせたあと、ティティはバツが悪そうにしばらく口を尖らせて。
「いーじゃないの別に!言っとくけど、アタシはミリアと一緒にいたいのよ!?冷徹非情自己チュー神父からミリアを守るのは、 友達としてトーゼンでしょがっ!」
「軽々しく、一緒にだの友だの口にするな。本人の了承も得ないままで」
 言い捨てるラーグの言葉に、ティティは「う」と苦い表情をする。そして、弱々しく確かめるように、ミリアの顔を覗きこんだ。
 ミリアは、少し考え。
「………だめですか?ラーグ」
 小さく問う。ラーグは呆れたようにため息を吐いた。
「俺に訊くな」
「はい?」
「自分で言っただろう。責任は持つ、と」
 立ち尽くすミリアに、ラーグはそのまま再び背を向ける。「責任は持つ」――――それは、ミリアがティティを監視するといった 約束を交わしたときに発した言葉だった。
 ………えっとつまり……………
「連れていってもいいんですか?」
「面倒は自分で見ろ。鬱陶しいようなら、即捨てるぞ」
「は、はいっ!」
「まず、そのやかましい口を黙らせろ。それから、騒ぐな喚くな動くな食うな寝るな……平たく言えば、何もするな」
「アタシに死ねってか!!?」
「はい!ちゃんと言い聞かせますっ」
「って、ちょっとミリアっ?マジ!?」
 何も考えずに元気に返事するミリアに、ティティがざっと身を引く。
 幻獣の聖地――《ルドル》までの長い距離。

 とりあえず一行の旅は、騒がしくなりそうだ。

【第2章】妖精の街 -fairy town- 6

2016.05.13 20:50|クロスマテリア
 人波に見つからず、静かな俊足で木から木へ移動することなど、ミリアには造作もなかった。
 討伐に向かった魔族によっては、虫の羽音にすら反応するものもいる。そういった類にも十二分に対応できるよう、 聖堂騎士団は鍛錬を積んでいるのだ。まして、副長の自分が出来なくては話にならない。

 しばらく突き進むと、予想通り――――ティティが民衆と対峙しているのがうっすらと見え出した。

 なんて言うか………本当に予想通りと言おうか。
 ティティは《ティダの大樹》の前に立ちふさがり、ものすごい剣幕でそこらの木を丸々引っこ抜いては、近づく民衆に 投げ付けていた。どよめきが重なり、逃げ惑う人々の間に次々とそれなりの太さのある大木が積まれていく。 ……いったい、あの小さな体のどこを軸として、そんな怪力が出せるのだろうか。

「来んなバカ!来んなバカ!!あっち行けぇ~!!!」
 肩で息を荒げ、よく見れば体中に擦り傷を負いながら、ティティは怒鳴り続ける。そうしているうち、ついに周りの木がなくなって しまった。すでに投げたものをまた使うこともできるだろうが―――皮肉にも、それは民衆のど真ん中に固まっている。
 ぐっと喉を鳴らし、それでも睨みすえるティティの前に。
 優勢を確信したのか、人の群れの中からひとりの男が進み出る。《クレイシア》市長、ギース=グロフトだった。
「ふ、ふん……。悪あがきは終わったか?今日こそ、本気でケリをつけさせてもらうぞ。この人殺しがっ!」
 体躯に似合わず必死で逃げ惑ったあとなので、いつもの脂汗に拍車がかかっている。
 ひきつった顔に無理矢理笑みを作る様子を見て、ミリアは初めて、ラーグのあの不敵で無情で揺ぎ無い冷笑に 高貴さを感じた。ティティはそれでも強気にびしりとグロフトを指す。
「なぁ―――っにさこの毛むくじゃらミートボール!!豪邸で大人しく趣味の盆栽でもしてりゃいーのよ!!」
「んな……っ!?」
 誰にも話していないプライベートを大暴露され、グロフトは紅潮した顔で固まった。側で何人かの民衆や使用人が、呆気に とられたまま訝しげな目を向けてくる。市長は毛皮のコートの中で腕をガタガタと震わせ、
「く……貴様言わせておけば………。その生意気な口を今度こそ塞いでやる!――火を放てっ!」
 直後、大量の松明がティティに投げ付けられた。疲労が溜まっていたのと、四方から囲まれたため、逃げ場がない。 薄暗い森に悲鳴が上がる。

 ―――――そのときだった。


「『水よ(フローネル)』!」

 ミリアの張り上げた声のもと、突如ティティの周囲に薄い水の膜が出来上がる。
 あともう少しで目標に到達できただろう炎たちは、あっけなく蒸発し、消え去った。ガランガランと無機的な音をたてて 地に落ちる松明と、唖然と口を開いている民衆とティティ。ようやくたどり着いたミリアは、その場へ飛び降りた。
「ティティ、だいじょーぶっ?」
「……え――は?ミリア?なんでアンタが………」
 わたわたと当惑する妖精に、ミリアは背中越しに振り返り、笑顔を見せる。
「約束」
「へ?」
「守んなきゃね?」
 なんの気負いもない、屈託のない笑みを見て――――。ティティは泣きたい気持ちを押し殺し、力強く「うん!」と頷いた。


 しかし、ようやく我に返った市長が、慌てた態度で唸る。
「これは…――どういうことですか!大聖堂教会の人間ともあろう方が、人殺しの命を救うなど!教えに背く行為でありましょうに!」
「グロフト市長、少し話を聞いてください。これは――」
「いいえ……!いいえなりませんぞっ。そやつらはあの恐ろしい怪物の使い。魔物…………そう、妖精の皮を被った魔物です!」
 少し遅れて、「そうだ!」「魔物だ!」という雄叫びが沸きあがる。ティティの瞳に、怒りがたぎった。
「イリス殿、と仰られましたか………早々にこちらへ。あなたはその魔物に操られているだけです」
 ………黙って聞いてりゃ、勝手なことを……………
 ミリアはだんだん腹が立ってきた。
 だが言葉に移す前に、―――全身を、言いようのない感覚が駆け抜ける。
 咄嗟に、彼女はティティを抱えて上空へ大きく跳ぶ。少々本気を出したので、森の上部あたりまで体が浮いた。その一瞬後で。


 大地が、抉れた。


 そうとしか言いようがない。地中に眠っていた大樹の巨大な根が、突然彼女たちのいた場所の地面を切り裂き現れたのだ。
 途端に森を染める阿鼻叫換。秩序を乱した混乱の中で、民衆は次々と火矢を放つ。が、それらは大樹に触れる直前で、あっけなく 塵と化した。ミリアはぎょっとする。
「今、魔気を………それじゃやっぱりこいつは、魔物―――」
 生き物は本来、聖気と魔気両方を持っている。聖女であるミリアでさえもそうだ。だが木や植物など静止した生物の場合、 ほとんどはそれらを自らの意思で使うことはない。魔気に器を支配された、魔物でなければ……………


<………………………いタ……>

「え…?」


 ふいに耳に響いた見知らぬ声に、ミリアは辺りを振り返る。しかし探し当てる前に、ティティの声が割り込んだ。
「……攻撃をやめた?それに『いた』って…………何がいたの?ねぇっ?」
「……っ!今の、大樹の声!?」
「え?ミリアにも聞こえたの?」
 振り返られた表情は、ミリアよりも驚愕に染まっているようで。
 そのまま無事な木の上で沈黙する二人へ、再び低い声が届く。


<…………清き魂……聖気……誰ヨりも、………………よこセ……………………>


 次の瞬間。


 ミリアとティティのもとへ、魔気の衝撃波が放たれていた。
 あまりのことに対応できず、せめて直撃は避けようと、ミリアはいったん地面へと飛び降りる。 そこを逃すまいと、突き出していた無数の根がとぐろを巻いた。信じられないほど俊敏な動きで、ミリアを追いかける。
「く……!…」
 不特定多数、などとんでもない。十中八九、っつーか間違いなく、大樹は自分ひとりを狙っている!?
 混乱するせいで足元からつまづき、それまで強靭な身体能力でなんとか逃げおおせていた根が容赦なく降りかかる。
 防がなければ―――!
「シ…『風よ(シルフィール)』!!」
 生み出した晶魔導の風は、なんとかギリギリで彼女を根から守った。ほっとしたその瞬間―――――

 突如、激しく蠢いていた無数の根が、一気に消し飛んだ。

 ミリアの頬に驚愕が走る。
 って、ちょっと……あたし確かに晶魔導使ったけど、攻撃性のものなんて一度も…………
 だが、その疑問は次に聞こえたセリフで解決した。
「大口叩いて、そのザマか」
 冷涼としたため息は、すぐ後ろから聞こえた。
「ラーグ!?」
「うるさい」
 名を呼ぶと同時にぴしゃりと言い放たれ、ミリアは少しの間呆ける。
 砕けた根を痙攣させ呻く大樹を、無表情のまま眺めるラーグ。その横顔を、憤怒としたティティの声が叩いた。
「こらぁ―――この冷徹神父っ!なんってことすんのよっっ」
 大樹にためらいなく攻撃を食らわせたことを怒っているのだろう。それでも、絶対零度の眉目が揺るぐことはなく。
「どうせ結果は変わらん、問題ない。そもそも―――」
 なにやら妙に気になることを言って、今度は呆然とこちらを眺めている民衆のほうをちらりと見る。
 そして、つかつかと何の怯えもなく大樹の正面へ立つと。
「お前らは、目測からして見誤っている。―――根源を絶つという柔軟性すら持てん 愚鈍 な思考なのか」
「「「……は?」」」
 ミリアと、ティティと、そして民衆。三方から注ぐ疑惑の目。ラーグはそれに、言葉ではなく行動で答えた。
 片手に聖気の光を集め、それを容赦なく、大樹のど真ん中に叩き込む。太い幹に風穴が開き、ティティが喉の奥で小さく 悲鳴を上げた。だが―――その先に見えたのは、神聖な森の景色ではなかった。
 ラーグが突っ込んだ手を力任せに引っこ抜く。そこに握られていたのは――――


 淡い、半透明の無数の触手だった。
 樹の幹に完全に根付いていたのか、粘液のようなものでべったりとついて離れようとしない。
「第二級神罰執行、裁きの焔、汝その身に刻まれん」
 ラーグが聖魔導を放つと、触手は細い悲鳴を上げて砕け散った。
 虚空に吸い込まれるようにして消えゆくそれを、ミリアは焦点のあわない瞳で見つめる。

 ………おかしい。大樹そのものが魔物だったなら、あのように全く違う外見のモノが内側にだけ根付いているのは不自然だ。聖魔導は魔族の血を粉砕する。故に、あの触手も魔族のはずである。それが、聖魔導を使っても 大樹そのものに連動して傷ついた様子がないと言うことは―――――
「っ!……まさか!?」
 ミリアは振り返る。大樹でもラーグでも民衆でもない、ただ、一点を。
 それは、思ったよりあっさりと本性を現した。


 《浄化の泉》が突如、鎌首をもたげた。

 うねる水流は悲痛に喘ぎ、みるみる宙中で不安定な個体を形成していく。――かに見えた。が、それはやはり忙しなく崩れ去り、そしてまた形を作ろうとする。できそこないの水人形のように。
 小さく舌を鳴らすミリアの腕のなかで、ティティがあからさまにうろたえた。
「な…ななななななななになになに!?なんなのよアレ!!?なんで《浄化の泉》からあんなんが出てくんのよ――っ!!」
「魔族……」
 視線は泉に注ぎながら、ミリアが説明する。
「こっちが、本体だったんだ………泉に住んでいた――ううん。泉そのものが魔物になっていて、そいつが大樹に寄生して 操ってただけだったのね」
 大樹は、《浄化の泉》の聖気を吸って成長する―――。それは、ティティ自身の口から聞いたことだ。……しかし、なぜ 今まで気づかなかったのだろう。あれほどの聖気を感じたのだろう。そして―――

いったいいつ、これほどの魔物がこの場所に生まれたのだろうか。

「限界を超えたからだ」
 まるで心を見透かしたように、ラーグが疑問に答える。
「大量の聖気と言っても、無限などあり得ない。魔族を骸を棄てるたび、泉は聖気を消耗し続ける。やがてそれは重なり ゆく魔気の量に負け、魔物と化したんだろう。魔族は聖気を求める。人間を喰っていたのも、おそらくただの食事だ。 それが流れていれば、当然、泉の表面には聖気の膜ができている。勘も鈍るはずだ」
「そんな……それまでまったく気づかなかったと言うんですか!?」
「兆候は、あったはずだが」
 そう言って、彼はちらりと、視線だけでグロフトの方を見る。射抜かれたグロフトは声が上がるのを抑え込むと、ごくりと 生唾を呑みこんで無言のまま目を逸らした。……どうやら、心当たりはあったらしい。
 ラーグは再び視線を戻す。
「いずれにせよ、ここは《クレイシア》きっての客寄せ場だ。失いたくなければ、黙っていればいい」
「………信じられない。そんな理由で、大樹が、ティティが……何人の町の人が犠牲になったと………」
「前にも言っただろう」
 泉の前に進み出るラーグ。それを呆然と眺めるミリアの胸を、きっぱりとした声が突き抜けた。

「それが、人間だ」




+++++++




「ひいぃぃぃぃ!魔物だ!!」
「《浄化の泉》から魔物が出たぞ――――ッ!!!」
 人々の悲鳴が重なる。先ほどまでの攻撃で身動きがとれない人々。その上を平然と押しのけながら逃げようとする人々。 それでも反撃を続けようとする人々。まさに、阿鼻叫換。
 当の魔物はしばらく聖魔導の痛みに悶えたあと、ゆるりっ、とミリアのほうへ振り向く。いや、体が体なのでどこに顔が ついているかも分からないが、とりあえず、ミリアにはそう映った。逃げ惑う人たちには、見向きもしない。
 ………喰おうとしているのだ。今度は、自分を。
 魔族は、より強い聖気を貪り続ける習性の生き物。この中の誰よりもその聖力が高いのは、他でもない、自分なのだ。 「ほぼ無限の聖力値」とされる聖女である、自分以外あり得ないのだ。今となっては、全く持ってはた迷惑なだけの称号だが。昔から、大人たちがなぜ自分を単身で教会から出そうとしなかったのか、ようやく理解した気がした。
 ミリアは構え、その手に聖剣《セルフィート》を出現―――――――

 させようとしたところを、突如前に出たラーグの背が阻んだ。
「お前は手を出すな」
「なっ。躊躇なんかしません!自分を狙う敵くらい、自分で倒します!!」
「聖気を吸うだけ吸っている相手に、聖気のみの攻撃はあまり効果はない。あと、連中にも分からせる必要がある」
「…………へ?」
「毒を盛って毒を制す――という言葉を知っているか?」
 言って、ラーグは瞳に不敵な光を宿した。
 そして、民衆たちの前に立ちふさがる。最前列にいたグロフトが、獣のような目で睨んだ。
「何をなさるか!はやくそこをどいていただきたい!!我々に死ねと申すおつもりか!!?」
 自分たちが完全に狙いから外れていることにも気づかずに叫ぶグロフト。ラーグはその言葉には答えず、ただ、落ち着いた声で。
「そんなに、魔族が恐ろしいか」
「当然でしょう!あやつらは神に仇なす凶悪な愚者。神父様の仰られる言葉とは思いませんな!!」
「だから、逃げたいと?そして俺にどけと?」
「そうです!さぁはやく……」
「ならば、俺が倒せば問題はないな?」
「だからそうですと――――……え?」
 グロフトと同時に、その場にいた全員が固まった。ただ一点に、眼前の神父を見ている。
 次に起こったことは―――彼らの思考を凍らせるのには、十分な出来事だった。

 ラーグが、金の十字架をくわえる。その直後に、大地から溢れんばかりの閃光が湧き上がる。そして次に目を開いたときには ―――。そこには、混沌の闇を巻きつけたような巨大な鳥の形をしたものが佇んでいた。
 グロフトが理解できたのは、それだけである。

 魔獣。

 そこまで考えれたのは、ミリアだけだった。
 ラーグが己の魔気で招く漆黒の魔獣………冥界の番人。以前は獅子の姿をしていたが、今回は鳥のようだ。
 ラーグはくわえていた十字架を下ろすと、やはり無様に形を崩すばかりの魔物を睨みすえ。小さく息を吸い―――
 そのときだった。
「やめてぇっ!!」
「ティティ!?」
 ミリアの腕を抜け、ラーグの前に現れたティティが、立ちふさがって両手を広げる。
 ラーグが、軽く目を細めて見下ろした。
「……………どけ」
「どかないわよ!」
「死にたいのか」
「この冷徹神父っ!この泉がなくなったらね、大樹も消えちゃうのよ!?そしたらあの実はどーなんの!?」
 ミリアはハッとした。妖精の卵は、大樹を通して泉の聖気を吸っていた。それがなくなったら、もう、卵は 孵らない…………
「同時に大量の魔気も吸っていた実だ。どのみち、まともな妖精が孵るはずがない」
 果実が卵というのを知っていたのか、ラーグは淡々とティティを見下ろす……いや見下す。
 それでもティティは引かない。
「じゃあせめて大樹は助けてよ!仮にも神父なんでしょっ?それくらいできるわよね!?」
「無理だ」
「……!………なんでよ、なんでなのよ…!!」
「ティティ」
 背後から、ミリアの声が届く。
「さっきも……見たでしょ?泉の魔物は大樹の芯にまで達していた。大樹と、完全に一体となってるの。どっちかが消えれば ―――もうひとつも消える」
「……………………」
「分かったら引っ込んでいろ。邪魔だ」
 大人しく―――というよりは、呆然と脱力してしまったティティを無造作に避けさせるラーグの態度に、さすがに ミリアも少しカチンときた。まったく………何故この男はこういうときでも気を使ったセリフが吐けないのか。 すると、背を向けたまま目の前の神父は一言、言い放つ。
「見せたくないなら、見せるな」
「え?」
 ミリアは、一瞬硬直した。
 それはティティにと言うより、自分に投げかけられた言葉。だが。

 …………なんか、分かりづらい……

 おそらく、彼なりの気配りだったのだろうか。そう思うと、ミリアはどこか妙な感覚のまま、ラーグを見上げた。
 彼が次の瞬間にはもう事を終えていたという行動の速さも、そのひとつかもしれない。

「消し飛ばせ(ヴィ・カシア)」

 たったその一言で―――かつて《浄化の泉》と言われていたものは、黒い炎に消し炭にされていた。




+++++++




 空気に溶け込むように消えてゆく、魔物の体。泉自体がそれだったため、水そのものが徐々になくなっていくと言ったほうが 適当か。その一番深いところには、大量の赤黒い、ボロぞうきんのような物体が積み重なっていた。長い間放置され、腐敗した 魔族の肉だ。泉の聖気が絶えてからどれほどの間ここに魔族の骸が棄てられていたか、よく……分かる。
 そして、今度は大樹のほうにも影響が出始めた。最初は根の先端から、そして徐々に、幹、枝葉へとかけて、大樹の 年月を経た肌がしおれていく。それに耐えられなかったのか、上部にかかっていた卵がプツリと枝から離れた。 あわててティティが受け止めようとする。もう孵ることはないと分かっているだろうに―――。彼女なりの母心のような ものだろうか。実際に受け止めたのは、ミリアだったが。
 そのころには、大樹は光の屑と化して完全に消えていた。

「ごめん……結局アタシ……孵せなかった…」
 ぼろぼろと涙をこぼすティティを見て、ミリアはなんと言っていいか分からないでいた。……だが、何を言えと言うのだろう。 彼女の最後の寄り所を奪ってしまったのは、他でもない。自分たちなのだ。大樹もいない。卵も孵らない。守ると、約束したのに ………

(約束……………)

 ふと考え、ミリアはもう一度琥珀色の果実を見た。
 それは、たった今考えた方法。前例もない。しかし、―――成功するかどうかも分からない可能性だけは、あった。
「……ティティ。その卵、貸してくれる?」
 「え?」と、ティティが腫らした顔を上げた。
「あたしの聖気を流し込んでみる。あとちょっとなんだよね?上手くいったら、孵るかもしれない」
「な、なに言ってんの!?いくら聖女だからって、溜め込んだ泉から染みこませるのと生身の体から叩き込むのじゃ ワケが違うのよ?それに第一……もう、孵ったところで………」
「ティティは、最後まで大樹のこと信じてたんだよね。今度は、あたしのことも信じてくれない?保障なんてできないけど…… 何もしないで終わるぐらいなら、無駄でもなんでもできるだけのことをしたい」
 強く見据える、その紫の瞳に。ティティはようやく頷くと、卵からどいた。民衆が、呆然と消えた魔物と大樹と、魔獣のいた 空間を眺めている。ラーグは、黙ってこちらを見据えている。
 ミリアは、静かに琥珀色の卵を抱きこんだ。


 最初に吹き抜けたのは、温かく、緩やかな心地良い感覚―――
 それが目に見える形となったのは、すぐ直後のことだった。淡い光の帯が、ミリアの体から滲み出る。それに順ずるかのように、 みるみる辺りに聖気が満ち始めた。湧き出る力は、確かに腕の中の果実にのみ注がれているはずなのに。聖気は泉の底の骸までをも 浄化し、大樹に斬りつけられた人々の傷を治癒していく。
「すごい………」
 ティティは目を瞠った。
 人間の器で、これほどの聖気を持つことができるなんて。
 そのとき、卵の表面に小さな亀裂が入り―――それが弾けるとともに一筋の光が空へと走る。ややあって――。 降り注いできたのは、柔らかく灯りを灯す小さな虹色のつぶてだった。それも、無数に。
 それらが地面に触れた―――

 途端に、なぎ倒され、燃やされた大地の上に、青々とした草花が芽吹き花咲く。常識では考えられないような、驚異的な 成長速度だ。光が触れたところどころから次々と植物が芽吹いては、育っていく。
 ティティが、大きく息を吸い込んだ。
「これ………《豊穣の種(フェアリーソウル)》―――?」
 聞いたことがある。たくさんの妖精たちの想いや力があわさって生まれるという、奇跡の種。

 …………そっか……

 降りつづける光たちを見つめるティティの腫れた瞳に、再び涙が溜まった。
「みんなも、心配してたんだね。大樹や卵のこと………アタシひとりで守ってたんじゃ、なかったんだね………」


 霞む視界を埋め尽くす草花を見て、ミリアはようやくほっと息をついた。
 かなり聖気を消耗していたため、意識が勝手に離れていく。強烈な眠気に近い。
(だめだ………)
 薄れゆく意識の中、遠くで誰かが「…馬鹿が」とため息をつく声が聞こえた。けど、いったい誰だったか――…? ひどく………ずっと昔から知っている気がするのに。どうしても思い出せない。
 ミリアの思考は、そこで途絶えた。

【第2章】妖精の街 -fairy town- 5

2016.05.13 20:40|クロスマテリア
 すっかり元気になったティティと一緒に宿に戻ったとき、二人はそろって道を間違えたと思ってしまった。
 というのも、つい先程ほど前まで静かに佇んでいた通用口が、肉団子のような人だかりでごった返していたからだ。
 何事だろう?と目を合わせて首を傾げるミリアとティティ。が、列を作って続いている先の部屋を見て、ようやく得心がいった。
 応接間と階段、それに廊下を真っ直ぐに突き抜ける行列は、メンゼルが横になっていた客室へと続いている。
 なんとか壁に沿って移動し、ミリアはその隣の客室へとなんとか滑り込んだ。


「ふぃ~~~~…」
「さっさと閉めろ。うるさい」
 すでに室内にいたラーグが、ぴしゃりと言い放つ。ミリアは素直にそれに応じた。
 扉を閉ざすと同時、耐え切れなかったと言わんばかりにティティがマントの下から飛び出す。そしてフラフラとラーグの腰掛ける 窓際へと移動する。少しでも空気が欲しいのだろう。
「あ―――もうっ。酸欠で死ぬかと思ったわよ!」
「すごい人だかりですね………」
 同じく一息ついて、ベッドに腰を下ろすミリア。
 ラーグはそれには返答せず、ただ黙々と分厚い古書を読んでいる。この人の余暇はたいてい、読書か単独行動か嫌味にしか 費やされていない気がするのだが……。そんなことを考えながら、ミリアはちょっとした好奇心も手伝って訊ねてみる。
「なんの本を読んでるんです?」
「言っても、お前には分からん」
 コンマ5秒で返されて、ミリアは少しむかっときた。
「失礼ですね。これでも教会の蔵書はけっこう読破してますっ」
「《古代シルヴィア大権における神聖象形文字の起源》」
「…………………………なんですかそれ?」
 間抜けに問い返すミリアの質問に、神父は何も答えずページをめくるだけだった。その様子を小さく悔しげな目で見つつ、 ふと、ミリアは妙な違和感を感じる。……いつもと変わらない、横柄で人を馬鹿にして嫌味ったらしいラーグの横顔。しかし……

どこかに暗い空気を感じるのは、気のせいだろうか――――?

「……ラーグ、何かあったんですか?」
 迷った末、彼女は訊ねる。
 ラーグは古書に置いた指をピタリと止めると、ゆっくりとミリアに目を向けた。そして、教会で見たときと同じように、 酷薄でやはり嫌味ったらしい笑みに軽く口を歪める。
「……ほぅ。それはいったいどれのことだ?おまえが妖精を消さなかったせいで俺が市長にグダグダと愚痴を 言われたことか?あるいは、結局この部屋での騒動は俺が始末をつけたことか?それとも、お前らがどこかへ言っている 間に、メンゼルの相手を一人でさせたことか?」
「うぇぁ………」
「むぐ………」
 イタイところを容赦なしに抉られ、ミリアと、そしてティティの苦しげな呻きが交差する。暗に、自分にも非があると 言われているのだ。本当なだけに言い返せない。
(やっぱ、気のせいね。いつもどおりのイヤミ神父だ………)
 そう思いなおして消し去った不安が実は的中していたことを、ミリアは知らない。
 ラーグの瞼にいまだ焼きつく、過去の記憶のことなど、知る由もない―――




+++++++




 夕食を終えると、もう暗黒の空には月がくっきりと浮かび上がっていた。
 廊下を埋め尽くす人ごみが全く途絶えなかったので、ルームサービスで持って来てくれたのだ。宿の従業員さんは、千鳥足で 室内に這いずりこんできたかと思うと、また千鳥足で出て行った。
 ……ありがとうお兄さん。ご愁傷様です。
「にしても全然途絶えませんね……。あんなに通いつめて何してるんだろ」
「『大賢者サマサマが戻ってきてくださったー!』って、おおはしゃぎなんじゃないのぉ?」
 フルーツをかじりながら、ティティが気のない返事をかえす。
「それは表向きだな」
 テーブルに座らず、窓辺に腰掛けパンをちぎっているラーグに、ミリアとティティは「え」と顔を上げる。
 彼は闇に溶け込む大樹に視線を注ぎながら、そっけなく言った。
「本心では、あの大樹をどうすれば消せるか。また何故生きているのか、他の犠牲者はどうなったのか。それを 聞き出したいだけだろう。彼女自身の無事を喜んでいる者など一握りだ」
「そんな………」
「それが人間だ」
 ミリアの言葉を半ば強制的に遮ると、ラーグは立ち上がって窓とカーテンを閉めた。
「食い終わったらとっとと寝ろ。明日もう一度大樹へ行く」
「あ、はい―――て、えっと………」
 返事をしながら片付けを始めたミリアの表情が、一瞬ピシリと止まり。それは見る見る硬いものへと変わっていく。
 しごく簡単なことだ―――つまり。
 今二人(+1匹)がいる部屋に、ベッドはひとつ。ティティはハンカチでも立派にベッドがわりになるのでいいとして、 問題なのは残りの二人だ。明らかに、ひとり犠牲者が出る。とは言ったものの、ラーグは上官でミリアは従者。 自分が床で寝るだろうことは容易に想像がついた。
(あ、んなことしなくても両方ベッドで寝れば……)

 ………………………………………………………
 ………………………………………………………

 って、何考えてんのあたし!!?

 本来真っ先に悩ませるべき問題点を最後列に回す自分の脳内回路に叱咤しつつ、ミリアは胸中で呻いた。
「馬鹿が馬鹿丸出しな顔をして、何をやっている」
 よほどひどい百面相を繰り返していたのか、ラーグの忽々とした声にミリアはビクリと肩を震わせた。顔が火照らないよう 努力はしたが、そうすればするほどだんだん熱を帯びてくる。それを見られないように、顔を伏せつつものすごい勢いで 片付けを再開しながら。
「ああああたし、隣でメンゼル様のお世話しながら寝ます!」
「彼女には街の専門医師がついている。第一、あの行列が帰るまでどうする気だ」
 ラーグの的を射た指摘に、ミリアは再び硬直し。哀愁漂う背中から、全身全霊でため息を吐いた。
 無駄だろうが、逃げ道……どこかに逃げ道は…………。男の人と同じ部屋で寝るなんて、昔アレンと「どちらがより長く 寝相をうたないか」で勝負したとき以来だ。っていうか、これとはワケが違うし!?
 背を向けたまま、またも百面相するミリア。それをしばらく無言で眺めたあと、ラーグは、淡々と首を振り。
「有り得もしない状況に怯えてどうする……安心しろ。そんな魅力は、妖精の羽根の素粒子ぶんほどもない」
「分かってんじゃないですか!!!ていうかなんなんですそのイメージしづらい例えはっ!?あーもう………いーですよ分かりました よおやすみなさいっっ!」
 そう喚くと、ミリアは荒々しい仕草で白マントを床に広げ、その中にどすんとくるまった。
 だが、ややあって降ってきた神父の言葉は――――

「………何故、床で寝る?」
「は?」
 言われた意味が分からず、ミリアが身を起こす。ベッドを挟んで向こう側に佇むラーグの表情は、相変わらず眉間に皺を 刻んでいるが………なんか、無茶苦茶いぶかしいモノを見る目のような気がする。
「ラーグがベッドじゃないんですか?」
「誰がそんなことを言った」
 呆れすら混じった声で呟くと、彼は自分のまとっていた黒マントを外すと、それを床に敷いて横になってしまった。
 ミリアが慌てて立ち上がる。
「ちょ、ちょっと!?」
「寝ろ」
 そうとだけ言うと、彼はミリアに背を向けた姿勢のまま沈黙した。しばらくして、やはり疲れていたのか、規則正しい 寝息が聞こえてくる。ベッドの向こうから身を乗り出した体勢のまま、ミリアのほうも幾ばくか硬直し。
「………優しいのか不躾なのか、分かんない……」
 困ったように独りづくと、そのまま白いシーツの中へと潜り込む。手入れの行き届いた洗濯したてのシーツは、 微かに太陽の匂いを残していた。
「あったか………」
 うとうとと深い眠りにつくミリアの顔を、側で面白おかしく見物していたティティは朗らかに覗き込むのだった。




+++++++




「行くぞ―――――!!!」

 翌朝、ミリアを起こしたのは心地良いさえずりや陽の光ではなく、そんな、甲高い男の叫び声だった。
 びっくりして目を開けると、――――――すぐ目の前には、見知った端正な顔があった。

 …………一瞬で、声のことは頭から吹っ飛ぶ。

「な……っ――――っっ!?……」
 上げそうになった絶叫を、ラーグの手で塞がれる。
「やかましい」
 まだ何も言ってないんですけどっ!!?
 置きぬけ早々、実に不機嫌そうに呟くと、彼は気ダルそうに立ち上がる。自動的に、ミリアの口も開放された。
「なんでラーグまでベッドで寝てんですか!?」
「底冷えしたからな」
「あぁなるほど………って、違う!!だって昨夜……」
「俺はお前に寝床をくれてやると言った憶えはないが?」
 悪びれた欠片もなくそう言われ、ミリアの思考が一時停止する。
 ラーグはただただ、抑揚のない口調で続ける。
「夜中ずいぶんと冷えたから移動しようかと思ったら、すでにお前が間抜けな顔で寝こけていてな。何度蹴り落としても 起きん上、シーツを維持でも放そうとしないので、仕方なくそのままにしておいた」
「…………………………………………」

 ミリアは、世界中の色と言う色すべてが消え失せたような心地がした。頭が真っ白になる。しかし、言われたことを 理解すると、一気に血液が上昇し。
「――…わ…っ、わっかりづらいんですよ!!それじゃ最初からこっちで寝てりゃいいだけの話じゃないですか!!!」
 真っ赤な顔で喚き、バフバフとベッドを叩くミリア。ずっとそっぽを向いていたラーグは、一瞬視線を合わせたかと思うと、 伏し目がちにぼそりと独りづく。
「……始めから温かい場所というのは、好かん」
「はい……?」
「動いたな」
 そのまま窓の外に目をやり、彼は無感情な声で言う。そしてワケが分からず右往左往しているミリアに、顎で通りのほうを差した。
 2階の客室から顔を出して―――ミリアは、声を失う。
 整備された石畳の地面の上。そこには、昨日の行列など足元にも及ばないほどの、人の群れがひしめいていた。


 人々はそれこそ、大通りが埋まってしまうのではと思うほどに並びひしめき、手に松明の炎を握っていた。
 まだ朝日の昇らぬ空気に映える黄金の明かりは、まるで列をなす者たちの感情に呼応するかのように、激しく煮えたぎる。
 呆然と口を開けていたミリアたちの部屋の前を、騒がしい足音が横切る。宿の主人や従業員の人たちだ。 その背中を、ミリアは慌てて呼び止めた。

「あの、何かあったんですか?」
「何か、じゃない!また大樹に一人喰われたんだっっ」
 聞いた途端、ミリアの背に戦慄が走った。主人は焦燥もあらわに走り去っていく。それを目で追って、ふと、吹き抜けで見える 階下の応接室にうずくまる複数の人影を見つけた。女性1人に、3人の男性や老婆が寄り添っている。女性は、泣きじゃくって いるようだ。
「ああ……ジャン、なんて無茶を……兄さんの仇だなんて………っ…」
 風に混じって、彼女の嗚咽が聞こえる。
 どうやら母親のようだ。ジャン、という名にいくらか覚えがあり。すぐに、ミリアは思い出す。
 ―――――昨日、ティティと言い争ってた男の子………?
 そしてその横を、再び宿の主人が疾走する。その手につかまれた松明を見て、ミリアはまたも呼び止めた。
「みんな、どこへ行くんですかっ?」
「決まってんだろ!大樹を燃やすんだ!こうなりゃ、森自体なくなろうと関係ねぇっ」
「な!!?」
「あんた方、外の人だろ?巻き込まれたくなきゃぁ今すぐ街を出るこったな!」
 そう言い残し、主人はまたも世話しなく去って行った。
 残されたミリアは、しばし部屋の前で呆然とし。
「……大樹を、――燃やす?」
 直後、何かに弾かれたかのようにバッ!と室内を振り返る。


 そこに居るべき妖精の姿は、どこにもなかった――――――



「どこへ行く」
「《ティダの大樹》です!」
 ティティがいなくなった―――。そしてこの現状。間違いなく、彼女は大樹のところにいるはずだ。 大樹を……そして、妖精の卵を守るために。
 マントを羽織って部屋から飛び出そうとしたミリアに、ラーグの冷たい声が降りかかる。
「街全体で対処にかかった―――つまり、これは市長が決定したことだ。俺たちが動く理由はもはやないだろう」
「………本気で言ってるんですか?」
「本来の目的を覚えているなら、そうなるな」
 細い肩に怒りを滲ませるが、ラーグの顔色は一片の変化も刻まない。

 本来の目的。―――――そうだ、自分たちは魔剣《レガイア》を探している。教会の任務、それも国の秩序を決定する最高審議会 の命令で。ラーグの態度は間違いではない。人を喰う大樹を守る妖精と、最高審議会の決議。どちらを優先すべきかなど、 幼児でも分かることだ。だがミリアは――――少なくとも、今のミリアは、そんな柔軟性を持っていなかった。
「すみません、ラーグ……」
 狭い客室の扉と窓際。その、異様に遠い距離を隔てて、ミリアは眼前の男に微笑みかける。
「今このときだけ、私は命令に背きます。除名でも降格でも、お咎めはなんなりと」
 命令に背くと宣言しておきながら。その、あまりにも誇らしげな笑みに。
 ラーグは理解できず、目を細める。そして。
「………何故、そうまでしてあの妖精の肩を持つ」
 ラーグにしてみれば、不可解でならなかったのだろう。答えはミリアの中ではっきりとあった。

 似ているのだ、ひどく。
 なんの前触れもなく寄り所を失くし、周りに蔑まれ、生きてきた。そしてようやく居場所を見つけた。 それが根こそぎ奪われるなんて、ミリアは考えただけで胸が千切れそうになる。
 ティティは――――自分と似ているのだ………

 しかし、ミリアが口にしたのは、別の言葉だった。
「約束、したんです。大樹と果実を死なせないって……。約束を破るのは、絶対に嫌ですから。―――では、時間が ないので失礼します!」
 一方的に言って、ミリアは客室を飛び出し疾走した。


 ………駄目なのだ。
 弱音を吐いては、自分が保てなくなりそうだから……………




+++++++




 ミリアが走り去っていった後、ようやく宿の中にも静寂が戻った。
 全員が大樹の元へ出て行き、ガランとした廊下に出て、ラーグは小さく吐息を吐く。
 そのとき、背後から声がかかった。
「追いかけなくていいんですか?神父さん?」
 一晩寝て、ようやく起き上がれるまで回復したのか、メンゼルがドアの隙間からひょっこりと現れる。 小動物のようなくりくりと動く瞳が、ラーグの背中を優しく見つめていた。話しかけられた相手は振り返ることもなく、 壁に背を預けながら、どこかうっそりと呟く。
「馬鹿が先走って起こす馬鹿なことに付き合うほど、俺は馬鹿じゃありません」
 憮然とそう答え、ポケットから煙草を取り出す。
 が、メンゼルに極上の笑顔でにっこりと「微笑み」かけられ、彼はしばし沈黙し、そのままそれを服の下に直した。
「………だいいち連中は、目測からして見誤っています。根っこから腐っているものはどうしようもない」
「やっぱり、あなたも気づいてたですか」
 ラーグの言葉に、真剣な眼差しで頷くメンゼル。
「確証がないので街の人たちには伏せておいたですが………悪いほうに転べば、一番危ないのはあなたの従者さんですよ?」
 ラーグはただ、黙って目を伏せるだけだった。

【第2章】妖精の街 -fairy town- 4

2016.05.13 20:30|クロスマテリア
 ラーグの傷は、以前と同じくミリアの『復元(ノア)』によって治癒させた。
 彼が使う聖魔導は、自身の純粋な聖気を大量に使用するため、消耗が激しい。無論、あの男がそれを顔色に出すことなど露ともなかったが。自然界の力を借りた晶魔導との違いはそこにある。
 対して聖女―――とりわけ『見初められた者』の聖気容量は、ほぼ無限とまで言われている。
 本当かどうかはさておき、実際、ミリアが何度ラーグに『復元』をかけようと大した疲れを感じないのは確かだった。


 治癒が終わると、ラーグはさっさとどこかへ行ってしまった。
 従者としてついて行こうと思えば行けただろうが、大樹から救い出した少女とティティを放ってはおけない。
 ティティを見張る、という名目以前に、純粋に同情する気持ちが胸にあった。
 ベッドの上で規則正しい寝息をたてている少女を見たあと、窓際でずっと黙りこくっている小さな羽根へと視線を移す。
「ごめん………」
 なんと言っていいか分からず、ミリアは消え入りそうな声で謝る。
「ティティの言ったこと、全部が嘘だって思ったんじゃないけど………あのままじゃ、えと。……その子も介抱しなきゃ いけなかったし………ティティ混乱してたし、聞く耳もたないと思ったから」
 申し訳なさそうにそこで途絶える謝罪に、しかし、ようやく振り返ったティティの顔は妙に明るいもので。
「なぁーに言ってんのよ、ミリアが謝ることじゃないじゃん。あんたがいなきゃ、アタシあの神父に殺されてたかも しんないんでしょ?――ま、無理もないか。ホントにあの子、暴れてたんだもんねぇ………」
 明るいが、あからさまに覇気がない声に気づき、ミリアは言葉を呑み込む。
 ティティは再び外へと顔を向けた。その先には、南の密林―――その中でも一際目立って突き出す、一本の巨木が。

「……あの子を殺さないでいてくれて、ありがとね」
 ポツリと、ティティが呟く。
 顔を上げるミリアに、彼女は視線は大樹へと映したまま、
「アタシ、やっぱあの子のこと嫌いになれないや。あの子はアタシの――アタシたちの、幸せの、全てなの。だから ちゃんと話して、怒って、んで反省してもらう。………それじゃ、だめかな?」
 ううん、とミリアは首を振る。
「それでいいと思うよ。あたしも、できればティティの大切な樹と実は殺したくない」
「あとはあの冷徹神父を納得させれるかよねぇ~」
「大丈夫!いざとなったら力づくでもうんと言わせ」
「られるの?」
「………ごめん。やっぱちょっと自信ない」
 正直にしょんぼりと肩を落とすミリアを見て、ティティは声をあげて笑った。 そして羽根を振るわすと、ミリアの側へと身を運ぶ。
「で、当の本人はドコ行ったわけよ?あんたが聖女でもあったってのには驚いたけど、回復して早々従者と病人とこーんな かよわい妖精を置き去りにするなんて、レディに対して失礼だわっ」
「う~ん……ラーグは結構、独断行動大好きだからなぁ」
「大好きと言うより、それが彼にとっての自然体なのですよ」
「うっわ根暗ぁ~!救いようがないわねぇ」
「それでいいのですよ。救いはラーグ自身、望んでないことですから」
「はぁ………いったいどこまで教会の教えに背く人なのかしら…………て、ええぇっ!?」
 突如思い出したように、ミリアとティティの声がハモる。
 まるで流れるように会話の中へ入ってきていたその人物は、―――つい先ほどまできれいに意識を失っていた少女だった。

 彼女はミリアたちと視線をかわすと、にっこりと笑って上半身だけ身を起こす。
 肩ほどで切りそろえられた亜麻色の髪が、さらりと白い肌に被さった。開いた瞳はくすんだ優しい緑色。だが……なぜだろう? 大樹に喰われ、目覚めてみれば目の前には知らない人ばかり。その状況で、この落ち着きようは少し不自然だ。少なくとも、 この10前後の年代の子供なら、泣いて喚くだろうと思っていたが――――

…………………………………ん?

 そこでミリアはあることを思い出し、思考を一時フリーズさせる。
 ………ついさっき、この子はやたらと親しげになんつっていたか――――?
「気がついたか」
 相変わらずそっけない声が降ってきたのは、部屋の入り口。ラーグはそこで、ドアにもたれてこちらを――というより、 横たわる少女を見ている。少女のほうももう一度にっこりとあどけない笑みを送り、親しげに手を振る。
「お久しぶりですね、ラーグ」
「………………………」
 ラーグは無言のまま部屋へ入り、わけがわからず固まっているミリアに小さな金袋を手渡す。
「市長からの餞別だ。しまっておけ」
「ふぇ…?え、いやあのえっと………状況がまったく理解できないんですが………?」
「それをこれから訊ねる」
 そう言うと、彼は傍らの少女へと向き直り。
「………で?どういうことか説明してもらいましょうか?メンゼル」
『はああああぁぁぁぁ――――――――――――――!!!!???』
 ミリアとティティの絶叫が聞こえたのも、無理はない。




+++++++




「あはは、ごめんなさいです。ちょっとおふざけが過ぎましたね」
 ミリアが洗濯し、乾いた衣服を身につけて、少女―――大賢者フォル=メンゼルは可愛らしく頭をかく。
 ところどころに民族調の刺繍が施された、ぶかっとしたワンピース。どこからどう見ても、そこらで遊んでいる幼い子供にしか見えない。……すべてを見透かしたような、大人びた優しい視線を除いては。
 あまりにも凝視していたためか、やがてメンゼルがミリアの視線に気づく。
「信じられなくて仕方ない、といった顔をしてますね」
 図星を当てられて、ミリアは自分でも滑稽だと思うくらい慌てふためいてしまった。
「す、すすすみません!でもあの……その、メンゼル様がそのように若い方だとは思わなかったもので……っ」
「……白狐(びゃっこ)の幻獣を見るのは初めてですか?」
「はへ?」
 柔らかく微笑むメンゼルの言葉に、ミリアは両目をぱちくりさせた。

 この世界は、大きく分けて4の種族で成り立っている。
 人間、妖精、魔族、そして幻獣だ。その中でもさらに区分された『氏族』の数が取り分け多いのが、幻獣である。 彼らはその名のとおり、獣と酷似した肉体を持ち、その種類によって氏族が決定していた。たいがいは他の種族とは 接触を持たず、人里離れた森の中でひっそりと暮らしている。
 彼らと人との決定的な違いは、その身に溢れる聖気・魔気容量の多さと、寿命が半端でなく長いことだ。人の子が幾世代を 回る時間も、彼らにとっては子が成人となる瞬く間でしかない。
 重ねて言えば白狐の氏族は外見を化かすのが非常に上手い種族である――――と、修練学校で学んだ内容にあった気がする。

「焦るわ叫ぶわ感心するわ……鬱陶しいやつだな」
「悪かったですね……」
 嫌々しく息を吐くラーグを小さく睨んだあと、ミリアは再びメンゼルを見る。
 そして、さっきから引っかかっていた一番の疑問を口にした。
「それで、ラーグとはどういうご関係なんです?」
「ああ、私は彼の家庭教師ですよ」
「か……っ…!?」
 声を発すると同時に空気を飲み込んでしまい、ミリアは思いっきりむせてしまった。代わってその側では、ティティの 顎がカコッと外れている。
 それらの反応を見たあとで、ラーグは不本意そうに口を挟む。
「……『元』が抜けていますが?」
「おやおや。心の師に『元』も『現』も関係ないでしょう?」
 「あの神父が敬語使ってる…」とさらに顎を外すティティを無視し、ラーグはそれ以上は何も言わなかった。
 メンゼルは、まるでこの場全員の反応を楽しんでいるかのように、にこにこと上機嫌である。
 ミリアからすれば、面白いのか不自然なのか、複雑な気分である。それなりに大きい街の市長や教会の大神官にすら 横柄な態度を崩さなかった男が、自分の腰ほどまでしか背丈のない少女に口出しできないのだ。ある意味恐ろしい。

 3人の様子を満喫したあと、メンゼルは満足そうに口を開いた。
「私のことは皆さんご存知みたいですが……そろそろ紹介してもらってもいいですか?」
 椅子に腰かけ腕を組んだまま、ラーグは逡巡のあと、ミリアに「さっさとしろ」と視線だけで伝える。
「あ、えと………ミリア=イリスです。大聖堂教会本部、聖堂騎士団副長で、今回はラーグ神父の従者として お供させてもらっています」
「イリス………副長…………。……あなたがアリシアの娘―――《剣(つるぎ)の聖女》だったですか…」
「!母を知ってらっしゃるんですか!?」
 思わぬ名が出たことに、ミリアは身を乗り出す。メンゼルは、そんな様子に驚きもせず、笑顔で頷く。
「《盾の聖女・アリシア=イリス》を知らない人はいないですよ。彼女は本当に優しく、強い女性だった」
「そう…ですか………」
 ミリアは、幼いころに父も母も亡くしている。当時彼女らが暮らしていた教会が魔物に襲われ、そのときに命を絶ったのだ。 もっとも、物心がつくか否かのころだったので、ミリアはよく覚えてないが。故に彼女自身、両親との具体的な記憶はあまり 残っていない。
 ………………けれど。

 本当に優しく、強い女性だった――――――

 ……そうか。母は、立派なひとだったんだ。
「ありがとうございます」
 胸に小さな暖かさを感じながら、ミリアは礼を言う。「いえいえ」と軽くかぶりを振ると、次にメンゼルはティティへと 振り返った。
「あなたは?」
「んと……ティティ=ルル=ティル。見てのとおり、妖精よ」
「氏族は?」
「……………………」
 メンゼルの問いかけに、ティティは突然押し黙る。なぜ言わないのか、疑問を感じたミリアだったが、すぐさまメンゼルが 意味を察した。
「なるほど。…あなた、《名無し》ですね?」
「その言い方やめてっ!!」
 言うや否や、突然剣幕をあらわにするティティ。が、当のメンゼルはまるで動じなかった。静かな、肯定でも否定でもない 瞳を向けている。さっきまでの幼い少女と変わらぬ仕草とのギャップに驚きつつも、ミリアはその言葉の意味を反芻していた。
「《名無し》…?」
 それは、なんらかの事情で組する氏族が途絶えたか、また自分の氏族が分からなくなってしまった者の俗称だ。
 ……ティティがその一人だというのか?
「そんなに、怒ることですか?」
「っ怒るわよ!なんなのアンタ……《名無し》がどんな扱い受けてきたか、全然知らないくせに。 大賢者だかなんだか知んないけど、とんだ優越主義者ね。バカにすんじゃないわよっっ!」
「私のことをどう言おうが構わないですが、そんなに自分で自分を下に見ていると、己の本当の価値も見出せなくなるですよ?」
「………っ」
 静かに言うメンゼルの言葉に、ティティは突然窓から身を乗り出す。制止するミリアを振り返りもせず、一瞬でどこかへ 飛び去っていってしまった。
「ああっもう、街の人に見つかったらどーすんのよ!すみません、ラーグ、メンゼル様!ちょっと探しに行ってきます!!」
 そういうと、ミリアは返事も待たずに勢いよく部屋から飛び出して行った。


 残された二人は、しばしの沈黙のあと―――――
「……ちょっと、不謹慎だったですか?」
「ご自分の胸に手を当ててみては?」
「むー……」
 隣から響く身も蓋もない答えに、メンゼルは拗ねたように口を尖らせる。が、それも一瞬のことで、
「しかし驚いたです。貴方があんな可愛い従者を供として連れてるなんて」
「……最高審議会の命令です」
「ともあれば四賢老全員を恐れさせている貴方が?もっと驚いたです」
「……………………」
 結局口をつぐみ、憮然と眉を寄せる様子を見て、メンゼルは朗らかに笑った。知っている。こういうときの彼は、答えが分からず、内心で右往左往しているのだ。
「そういえばラーグ、ちょっと思ったんですけれど」
「何か」
 目も合わせず言うラーグに、メンゼルはたっぷり間を持たせたあとで。
「ずいぶんと口数が増えましたねぇ」
「……は?」
 瞬間驚いたのは、ラーグだけではない。メンゼルのほうも、こんな間抜けな返事をするラーグは初めて見る。が、 彼女はなんとか顔に出さぬよう努力した。彼女ほど人心を知り尽くした者ならば、さすがにラーグも表情を読めない。
「……仰る意味が分かりません。検討違いでは?」
「そうですか?じゃ、そういうことにしておきましょう」
 言いながら、メンゼルは満足だった。彼女にとってラーグは(性格はどうであれ)可愛い教え子だ。 その教え子の成長というのは、見ていて楽しい。分かるのだ。揺ぎない氷の結晶のようだった彼の心が、微弱だが 変化を刻んでいるのが。

 あの日――――………

「………………」
 そこでふと、メンゼルの表情に暗いものが落ちる。
「にしてもバルトスは何を考えているのでしょう。よりによって、彼女を従者につけるだなんてっ」
 どこか苛立ちすら交えつつ毒づくメンゼル。
 それを聞いたとき――。側で腰掛ける神父の表情から、音もなく、スッと色が消える。
「……魔獣を喚びだせる俺は賢老院から危険視されている。聖女を監視役としておくのは当然の処置でしょう」
「でも…!」
「もういい」
 そこで、メンゼルは初めて、ラーグの翠の瞳に言いようのない翳りが落ちていることに気づいた。
 忘れられるわけがない――しかし、確かにあった記憶を思い出し、翠の双眼は茫々と床を眺めている。

「俺が、撒いた種だ」



―――なーんでぇ、シケた面しやがって。
   嬉しきゃ笑う!悲しきゃ喚く!んーで、ムカつきゃぁ殴る!
   それが人間ってもんだろ?――――



 懐かしい声が、耳を叩く―――…………




+++++++




 ティティを探し出すのに、ミリアはさほど苦労しなかった。小さな妖精は、思ったとおりの場所にいたのだ。
 西の広場―――夕餉がせまっているためか、ここには人っ子一人いない。もともと、最初来たときも他の広場と比べて 妙に人通りが少ないとは思っていたが。
 その意味を、ようやく悟ることができた。
 噴水の中央に立つ、頭部と両手と左足が砕かれた石像。その上にもたれ、背後にミリアの気配を感じつつ、ティティは 静かに呟く。

「…可哀想なリーファ様。何にも悪いことしてないのに、こんな目にあわされて」
「やっぱり……その像は、初代市長と一緒に《クレイシア》を作った妖精の像だったのね」
 確認すると、ティティは力なくこくりと頷いた。
 肌を黄昏色に染めながら、ミリアに表情を見せることなく、歌うように続ける。
「アタシさ、ほんとはここよりずっと遠くの森で生まれたの。でも、あるとき人間たちの戦場に運悪くなっちゃって…… みんな死んじゃった。他にも逃げ切れた仲間がいたかもしれないけど、そんなの全然分かんない。アタシはただ、自分が 生きることに必死だった。人間も憎んだ。そんなときに、この街のウワサを聞きつけたの」
 ティティの声は、単調で揺るぎない。
「初めて来たとき、驚いたなんてもんじゃなかったわよ。信じられないくらい色んな氏族の妖精たちで溢れかえってて、 しかも人間と仲良くしているんだもの。なんで、こんなにバラバラな妖精が一箇所に集まってるのか、すごい疑問だったけど……… あとになってそれがよく分かった。――――――リーファ様もね、《名無し》だったんだって」
 自らが嫌悪した言葉を口にして、それでも静かな声でティティは続ける。
 ミリアは、喋らない。
「ここに来るまでいろんな街に住もうとしたけど、結局そこにいた氏族に追い出されてた。《名無し》は、誰の仲間にも なれないんだって。でも、この街は違ったんだ……どんな氏族でも受け入れてくれて、アタシ、………また人間のことも 好きになれるかな……って…思ったのに」
 ティティの口から嗚咽が漏れる。それをなんとか噛み殺しながら、彼女は切れ切れに言う。
「あの実はね……新しい妖精の卵なの………妖精はみんな、あの卵から孵ってはじめて、自分の氏族を知る。泉の聖気を吸って 成長を続けて、もう……あとちょっとで孵るところなのよ。それなのに、街の人間が突然いなくなりだして………それが あの実と大樹とアタシたちのせいだって言われて………っ…皆、追い出された。…氏族ごとに分かれて。でも……っ…ア、アタシに 氏族はいないから………《名無し》だから……ここに残るしかなくって………」
「……うん」

 ミリアの声を聞いて、とうとう耐え切れなかったものがせきを切って溢れだした。
 そのまま、ミリアの胸にぼすんっ!と飛び込む。
「なんで……っ…信じたら…裏切られるの……っ?……大樹を守って、あの実を孵らせるのがアタシの役目だって思ってきた のに…………その大樹まで、アタシを……っ…」
 そっと羽根に触れると、小さな体が震えている。ミリアはしばらくそのまま沈黙を続けると、ふいに語りかけた。
「…ティティ、どうしたい?」
「…ぐすっ……へ?」
 鼻水をすすって、ティティが顔を上げる。
「信じるの、やめちゃう?」
「それは………」
「ティティがどうしても辛すぎて死んじゃいそうなくらいなら、そうしてもいいと思う。けど、あたしはティティのこと 信じるよ。……やっぱり大樹を嫌いになれないって言ったティティのこと信じるよ。だから約束も守る。《ティダの大樹》と 果実を殺さないって約束。ティティは………どうしたい?」
 それは、目に見えない拒絶に近かった。ティティが「やめる」と言えば、なんのためらいもなく受け入れて優しく突き放して行ってしまいそうな、そんな声。
 目の前の紫の瞳を見上げ、ティティは掠れた声で呟いた。
「―――いやだ。信じたい。アタシはずっと、あの子のこと見守ってきたんだもん……」
「うん。じゃあ、助けよう?」
 届いた返事は、存外にあっけらかんとしたものだった。見ると、ミリアが明るい笑みを浮かべている。
 赤い陽射しが、彼女の瞳に金色の光を映しているのが、なんとも美しくて。
 ……ああ、そうか。
「本当に優しく、そして強い………かぁ」
「はぇ?何か言った?」
「んーん、なんでもない。戻ろっか」
 そう言って腫らしたまぶたをこすると、笑顔でミリアの手を引く。


 聖気の量など関係ない。
 彼女はなるべくして、聖女となったのかもしれない――――………

【第2章】妖精の街 -fairy town- 3

2016.05.13 20:12|クロスマテリア
「…………なんだそれは」
 なんとか街の者たちに見つからないよう、ティティをマントの下に隠しながら宿へと戻り。
 すでに帰宅していたラーグは、玄関先でいきなり白マントをめくって現れた妖精に目を細める。
 煙草の臭いがやはり鼻をついたが、窓を開けていたのでそれほど酷くはなかった。 いちはやく反応したのは、拳を固めたティティ。
「『ソレ』!?『ソレ』ってなによ、アタシをモノかなんかと勘違いしてんじゃない!?」
「あ、えっと……妖精のティティです」
 どこから話すべきか迷ったあげく、ミリアは苦笑まじりに紹介した。
 神父はいつもと変わらぬ冷眼のまま、小さくため息を漏らす。
「見ればわかる。俺が聞きたいのは、なぜ、その妖精とお前が共にいるのかということだ」
 落ち着いた問いかけに、ミリアは順を追って説明した。


 話のところどころでの、ティティのどーでもいいグチを聞き流しながら、ラーグは無表情のままに事態を呑みこみ。
「…なるほど」
 そうとだけ呟くと、軽く視線を落として、右手の平に白く輝く聖魔導の光を集束させる。
 何をするつもりなのか理解できないミリアとティティだったが―――――。
 次の瞬間、それはなんのためらいもなく無防備なティティへとぶっ放された。
―――――ぐボンッッ!
 という乾いた音をまともに受けて吹っ飛ぶ妖精を見て、一瞬あっけにとられていたミリアが、せきを切ったように慌てふためく。
「な…っなななななななにやってんですか!!?」
 困惑した悲鳴を無視し、ラーグはさらに第二波の光を生み出し――――
 考えるまでもなく、人間の良心から成る本能で、ミリアは彼とティティとの間に割って入っていた。 両手を広げ、ティティをかばうような形でラーグに叫びかける。
「やめてください!いきなり攻撃なんてちょっとさすがにあんまりか―――……」
 ………………言いきるより前に。
 躊躇の欠片もなく、勢いのままに術球はミリアを吹っ飛ばした。
 ………………慈悲もくそもない。
 さすがに人間が吹っ飛ぶと被害というものがついてきて。壁に穴が開くほどではなかったものの、ベッドごとひっくりかえったミリアに向かって、ラーグは淡々と呟く。
「いくら聖女が聖魔導に耐性があるとはいえ、まともに食らうと多少痛いぞ」
「思っきしぶちこんだ後で言わないでくださいっっ!」
 涙声で立ち上がるミリアの体は、驚くほどに軽傷である。ベッドに体当たりしたときの打ち身ぐらいしか、外傷らしいものはない。 しかし、内側に響くしびれるような痛みは、どうしようもなかったが。
 代わって、ティティのほうは重症である。
 とは言っても魔族でもないのでやはり外傷はなく、ただ、突然の攻撃にたいする精神的ダメージがでかいようで、口をぱくぱくと 開いたり閉じたりしている。状況がほとほと理解できないといった様子だ。
 そこへラーグが再び攻撃を放とうとしたので、ミリアが即座に割り込む。
 ラーグの眉間に皺が寄った。
「…………なんの真似だ?」
「そりゃおーいにこっちのセリフですよ!!!話もなしにいきなり聖魔導ぶっ放すなんて、なに考えてんですかっ!?」
「俺は仕事でやっているにすぎん」
「ふぇ…?」
 思いもよらない言葉に、ミリアの顔が怪訝に緩む。
「市長に依頼された。事の元凶である妖精を始末してくれ、と」
「ち…ちょと待ってください!確かにグロフトさんは、妖精たちの守る《ティダの大樹》が人を喰うと言いましたけど、なにも それが妖精たちのせいって決まったわけじゃないでしょう!?せっかくティティが話をしてくれるって来てくれたのに、手がかりを 一方的に攻撃してどーすんですか!?第一、やり方が卑劣です!陰湿です!大聖堂教会の神父様がやる手口じゃないでしょう どう見てもっ」
「後払いで20万ルーンだ」
「…………金ですか。金なんですねっ!?この外道――――!!!」
「やかましい。そもそも、誰の失態のせいで俺が働いてると思っている」
「うぐ………っ」
「ちょ……ミリア弱すぎ…!」
 どこから聞いていたのか―――というより、いつから意識がこっちの世界に戻ってきていたのか。
 軽くめり込んだ壁からはい出しつつ、ティティはびしりと神父を指差す。
「もーちょっと言い返しなさいよ!それとこれとは関係ないとか、金の十字架が泣いてるぞとか、そもそも許可もなく人を 店に放ってったのは誰だとかっっ」
 へろへろになりながら舌を連ねるティティに、ミリアは初対面であるに関わらず随分と的を射たことを言える妖精に対し、本気で感心した。 感嘆の息に、ティティはそれでも踏ん張って胸を張る。
「ふんっ。伊達に長生きしてないわよ。――って、歳訊くのはナシだからね!んでもってソコの顔だけ神父!なに今度は両手に 聖魔導スパークさせてんのッ!?」
 ティティの視線の先―――。
 ラーグは、先程より確実に威力の上がった光の球を、準備万端とばかりに構えている。
「懺悔はすんだな。俺の快適な旅のために、遠慮なく消えろ」
「ま、ま…ま―――――………!?」
「ラーグ!?」
 叫んでみても、このわが道まっしぐらな非道男が聞くわけがなく。
 そう察したミリアは、キッと表情を締めると、ラーグですら驚くことを口にした。
「…なら、そのお仕事はあたしが引き継ぎます。今後もしこの妖精が不穏な動きをとれば、即座に『処理』しましょう」
 それは、とても落ち着いて静かな声。
 だが、叫んでも喚いてもいっこうに耳を貸さなかった神父が、突如動きを止めた。
 側でティティが「ちょっとちょっと……」と冷や汗を流しているが、両者はまるで構わず、どこか睨みあっているように見える。
 そうしてどれくらいの沈黙が流れただろう――――
 先に根負けしたのは、ラーグだった。
「………自分の言った言葉に責任は」
「持てます」
 キッパリと断言するミリアに、ラーグはもう一度視線を合わせたあと、小さく肩でため息をつく。 そして、聖魔導の光を握りつぶして消し去った。
「…勝手にしろ」
 そう言われて背を向けられると、今度はミリアのほうが全身で脱力した。
 正直言ってかなり危険な博打だった。騎士になってから、上官の命令に逆らったのは初めてかもしれない。よく頑張った、自分。
 ヘナヘナと腰を下ろすと、次いでそのままティティの方へ向き直る。
「そーゆーワケだから……。ごめんだけど、大人しくしててね?」
 先ほどまでとは違い、へにゃりと柔らかく苦笑するその様子に少し安堵したのか、ティティは観念したように首を振った。
「――ま、仕方ないか。あの冷徹非道能面神父に命握られるよか、ずっといいわね………」

 ちなみにその後――――
 騒ぎを聞きつけた人々がドアの外宿の外に集まり完全なヤジ馬根性を発揮したのは、言うまでもなく。
 宿の親父さんは、怒りだか驚きだかよく分からない頬を引きつらせていた。
 轟音は鳴り響く、悲鳴は響き渡る、おまけに部屋はむちゃくちゃで一部の壁はヘコんでいた。 それらすべてを指摘されたあと、ラーグは静かな面持ちで目を伏せ。
 まるで無関係であるかのように、堂々とベッドに腰掛けて、背後のミリアを見もせず言い捨てる。
「……だそうだ。責任は取れ」
「壊したのはあんたでしょ―――――!!?」
 引き出しの中に隠れていたティティは、「ミリアがこの男と恋人なわけない」と、改めて実感したのだった。




+++++++




 《ティダの大樹》があるのは、南の広場のさらに奥―――。
 街に添うような形で広がる密林の先。
 そこは、林と称するには大きく、また森と呼ぶには小さい空間だった。《クレイシア》に似合っている。
 時刻が昼すぎであったため、天頂から注ぐ陽の光は、木立を撫で、荒々しい大地に影を刻んでいる。
「ティティ、あれは?」
 淡々と歩を進めていたミリアの視線が、ある箇所に注がれた。
 先頭を行っていたティティの羽根がくるりと翻り、ラーグを通り越してミリアの元へと戻る。 彼女の指した先を目で追って、「ああ」と軽快に話した。
「《浄化の泉》ね。《クレイシア》じゃ、ちょっとした有名スポットよ。あのミートボール市長から聞いてないの?珍しいわねぇ…… たいがい旅人を呼びとめちゃ、タラタラ自慢してんのに」
 ミートボールとは、彼の体格を言っているのだろうか………
 そんなことを考えながら、ミリアはラーグへ振り返った。
「そうなんですか?」
 問われて、ラーグは刹那の沈黙のあと、思い出すのもうんざりとした様子で言った。
「宿の歴史書はお前の粗末な頭の中身より優れていると言って黙らせたがな」
 またなんつう失礼なことを………
 一瞬目眩を感じたミリアの横で、ラーグは続ける。
「ここは、魔物の墓場だ」
「………へっ?墓場?」
「討伐され、死んだ魔物の骸を捨てられる数少ない場所になっている。故に、遠方からわざわざ訪れる要人も多いらしい」
「……で、それがなんで浄化なんですか?」
 未だ分からず首を傾げる従者に、ラーグは深い息を吐いて黙り込んだ。  ………どうやら、度胸はあるが頭の回転は悪いようだ…………
 代わってティティが口を開く。
「この泉にはねぇ、すんごい量の聖気が満ちてるの。だから、放っといたら自然界を腐らせる魔気の塊も、一気に中和させて 消滅させちゃうってワケ」
「聖女がこれほどの聖気に気づかんでどうする」
「うぐ……………」
 にべもないラーグの指摘を受け、何も言い返せないミリア。
 どうも自分は、集中してないと気配の察知が鈍いようだ。昔何度か、アレンにも同じことを言われた気がする。 今回は相手が相手なので、思いっきりぶっ飛ばせないのが口惜しい。
 頭ひとつぶんほど低い姿勢からうーうー唸っているミリアに多少呆れた視線を送りつつ、ラーグは本命へと意識を移す。
「………で、あれが《ティダの大樹》か」

 それは、《浄化の泉》のすぐ傍らに立っていた。
 ――――いや、そびえ立っていたと言ったほうが適当か。
 そこらの木々より明らかに立派な幹は、家一件入っても不思議じゃない。うねるように組み合わさった緑の大木たちが合わさって、 一本の巨木になっているようだ。その根はあまりに広がりすぎて、どこからが地面なのやら…………。 覆い茂った緑の命は空を隠しつつも、まるで森そのものを守っているかのように感じられる。樹齢は800……それとも1000年は 越えているか―――とにかく、立派な樹だった。
 誇り高く森を、そして街を展望する佇まいからは、威厳に近い感覚まで滲み出ていた。
(これが、………人を食べる?)
 とてもそうには思えない。そもそも樹が動くということを信じてみても、この気高い老樹がそんなことをするなど考えられなかった。
 立ち止まっていたミリアの横を、ティティが軽快に横切る。
 そうして大樹の枝のひとつに触れると、
「ただいま…」
 愛しそうに―――母が子を抱くように―――優しく頬を当てる。
 が、次の瞬間にはいつもの元気な表情に変わる。
「うん。あの人はダイジョーブよ。あ、女の子のほう限定でね。そっちはどう?」
 樹と話しをしているのか、そう言って、ティティはふわりと別の場所へ羽根を動かす。そこにあったのは――

 淡く、鈍く輝く琥珀色の物体。
 葉に隠れてよくは見えないが、大きさはかぼちゃ大くらいだろうか。おそらくこれが市長の言っていた、最近になって突如 大樹に出来始めた謎の果実なのだろう。
「そっか、うん……良かった。孵るまでもうすこし、泉の聖気が必要ねぇ」
 そう呟いてもう2度3度琥珀色の実を撫でると、今度はミリアの元へ戻ってきた。
「だいたい分かったと思うけど……」
「うん。―――ねぇ、孵るってどういう――……」
 ミリアが疑問を口にしたとき、異変が起こった。
 閑静な森の風景が、一変する。風が唸り―――突然、何の予兆もなしに。

 巨大な枝葉が、ミリアたちを叩きつけた。

「…………ラーグ?」
 ように見えたが、その前に防御の聖魔導を展開していたラーグが、冷静なまま一撃を防いでいた。 大樹はにもかかわらず、何度も何度も、狂ったように攻撃を続けている。
 ミリアはその獰猛さに愕然とした。だが、その愕然を通り越していたのが、ティティである。
「ちょ……どうしたのっ!?ねぇ!!あんた今までそんなこと一度も………まさか、アタシの見てないとこで、ほんとに 街の人間たちを――……!!?」
 動揺している、のは分かる。
 ティティの大樹に対する愛情は本物だった。それを根こそぎ裏切られたのだ。
 ミリアは焦った。……ヤバイ、状況が全然理解できない。
「解決策は」
 ふいに、ラーグの冷たい声が降りてくる。こんなときでも、どうして彼は表情を変えずにいられるのだろう。
「……わかりません」
 正直に答える。
 ややあって、ラーグは心底鬱陶しそうに、ぽつりと零した。
「…………俺は面倒ごとは嫌いだ」
「は?」
 瞬間。
 展開していた防御の壁が、一気に攻撃型へと姿を変えた。触れた枝のすべてが一瞬で消し飛び、ティティが悲鳴をあげる。
「なにすんのよっ!この超絶最凶非道野郎!!やめなさい!この……このっ!!」
 こんな目にあっても大樹を守ろうと、ティティは必死でラーグのマントを引っ張る。 普通なら妖精の非力ごとき、軽くはらえば済むはずである。しかし目の前のこの生き物の馬鹿力は、この世界の生態系における常識を確実に逸脱していた。
 まるでマントの端に石像の2つ3つが圧し掛かっているかのように、微動だにできない。ラーグはミリアを一瞥すると、一言。
「黙らせろ」
「……ごめん、ティティ」
 そう言うと、ミリアはティティの喉元に晶魔導を叩き込む。  手刀では的が小さすぎる。だから、直接ティティの内部に精神的なダメージを負わせたのだ。
 「大樹は何もしていない」というティティの主張が効果を失った。目の前のこれは、完全に暴走する怪物と化している。
 ぐったりと意識を失った妖精を片手に抱えるミリアに、神父の奇異な視線が落ちる。
「………俺はそういう意味で言ったわけではないが?」
「ティティは何も知らなかったんです。彼女に非はありません」
 断言するミリアに、ラーグは片眉を上げただけだった。
 そのときである。

 ――――にを―――――て―――すか…?―――

「え……?」
 なに?
 ミリアは思わず顔を上げた。
 ………空気を介してではなく、直接頭に響くように。小さく小さく揺れる、誰かの声。

 ―――――――助け――――……………

「ラーグ、下です!」
「なに?」
「下になにか――誰かいます。呼んでます!」
 そこまでしか、ミリアには分からない。だが、ラーグは聞くと、唐突に右手に光を集め。
 それでそのまま、真下の根っこをねじ開いた。同時に飛び散る、鮮やかな赤―――。なんと、根に触れたラーグの腕から おびただしい量の血が滴っているではないか。ミリアが小さく悲鳴を上げる。
「っ…―――この大樹、魔物!?」
「今さら驚いている場合か」
 やはり平然としたまま、ラーグは引き抜いた根を放り捨てる。

 その下には、小さな少女がうずくまっていた。
 年のころは十に行くか行かないか。ひどく衰弱しているようだが、まだ息がある。
 驚くミリアの前で、ラーグはその子供を肩にかつぐと、ミリアに端的な命令を下す。
「飛べ」
「え?と……?」
「いったん引く」
 そう言われて、ようやく意味を解し、ミリアは頷いた。
「風よ(シルフィール)!」
 高度な晶魔導が生む風に乗って――――
 次の瞬間、彼らはその場から消えていた。


 あとに残ったのは、痛々しく唸り声を殺す大樹と、その中で妖しく光を灯す果実のみ――

【第2章】妖精の街 -fairy town- 2

2016.05.12 22:39|クロスマテリア
 クレイシアに公共広場は4箇所ある。
 東西南北、それぞれにひとつずつ。
 各々の広場の中央には、またそれぞれに違った石像が飾られていた。東には、初代市長にして街の建立者、ルファード= クレイシア。西には、クレイシア出生の五大賢者、ダリ=ヨルム。そして南には、古代大戦で活躍した英雄、ジーク=シェイドの、 過去の栄誉を称える立派な名残が、刻まれている。

 しかし、北の広場の石像だけには、異常があった。
 形や体型からして、女性体であることは予想できる。が、頭部と両腕と左足の膝から下が、粉々に砕かれていたのだ。 それ以外の箇所にも無数にヒビや欠けたあとが残っていることから、何か重たく固いモノが投げ付けられたのだろう。
 その生々しい様子に小首を傾げつつ、少女は栗色の髪を風に泳がせた。
「ずいぶんな傷みようね………まるでだれかが故意に壊した跡みたい」
 ミリアは少しつまらなさそうに呟くと、ちょろちょろと中途半端に水を垂れ流す噴水の縁に腰掛けた。
 子供のような仏頂面を含ませ、一言、毒づく。
「…………あたしって、従者のイミあんのかな……?」




+++++++




――ティダの大樹が、人を喰い始めた――
 グロフトの吐き出した暗い息を理解するのに、ミリアには逡巡の時間が必要で。
 理解した瞬間には、自分でも驚くほど冷静に状況を頭に納めていた。
「くわしく話せ」
 相変わらず腕を組んだ横柄な態度のまま、ラーグが短く問う。ミリアも真剣に耳を向けたが、グロフトはただ、短い首を横に振り、
「私どもにも、詳しいことは存じ上げておりません。始まりはいつでしたか………ああそう、その実ができて3日ほどたった日のことでした。 大樹は最初の一人を喰い――正確には、呑み込んだと申しましょうか――まあとにかく、それが我々人間と妖精との間に亀裂が走りました」
 グロフトは落ち着きを装っているつもりなのだろうが、せわしなく水分を吸って交換されていくハンカチの山が、その下手な芝居を 浮き彫りにしていた。
「…なにか武器でも持ってたんですか?」
 ミリアの問いかけに、グロフトは「とんでもない!」と両手を大げさに振った。
「500年も続いていた友好関係です。我々がそんなことをするはずがないでしょう。それはともかく――不気味なのは その実の成長なのです。はじめは拳程度の大きさだったのが、人を喰うたびに、異様なまでの速さで熟していくのですよ…!」
 言いきって、市長はぶるるっと身震いした。
 未知の怪物に対する、弱き人間の隠しようのない怯えが、そこにあった。
 そんな心情を一刀両断するように、ラーグがようやく口を開く。
「今までで、何人が犠牲になった」
「おそらく……10人は越えているかと。哀れなものです。幼子や老人も中には……」
「遺体は」
「は?」
 言葉を遮って重ねられた問いに、グロフトはしばし目を瞬かせた。初めて訊かれた質問だ。
「それは…………確認されておりませんが……?」
 だって、丸呑みされたんだし?
 市長とミリアとちょび髭のじいちゃんがまったく同じ顔で眉を寄せるのへ、ラーグはしばし考えたあと―――
「……本題に戻る。それで、メンゼルはどうした?」
 返ってきたのは、長く短い、躊躇の沈黙。やがて、グロフトの口からその言葉は出た。
「その最初の犠牲者というのが……他ならぬメンゼル様なのです」
 一瞬の出来事である。
 次に気がついたときには、ミリアはラーグの手によって談話室からつまみ出されていた。
 まるでネズミか何かのように、ぺいっと廊下に放り出される。
「なっ……なななな!?」
 何すんですか!?てかなんですかいきなりっ!!?
 ミリアがそう言う前に、ラーグの冷たい声が振り落とされる。
「出ろ。邪魔だ」
 絶句するミリアの前で、壮美な扉は容赦なく閉ざされた。




+++++++




 なんっじゃそりゃ―――!!?
 悶々と自分の受けた扱いを思い出して、ミリアは頭を抱え唸った。
 憤怒の念に呼応してか(単なる偶然だが)、噴水の水が勢いよくぶしゅーっ!と天を叩く。
「………………っとにもー…」
 そもそも、あの神父の言動には矛盾が多すぎるのだ。
 突然出て行けとか言うくらいなら最初から連れてこなければいいではないか。あ、イヤそうしてもまた自分は一人 客室でイライラしていたかもしれないけど………ああ違う!第一、何も話の途中でほっぽり出すこたないでしょー!? メンゼル様が喰われたってとこまでしか聞いてない……し…
 空を仰いだり縁を叩いたりしながら胸中で喚いていた叫びが、しおしおと引いていった。
 こういう単純さが、ラーグにつけこまれる要因のひとつであることに、彼女はまだ気づいていない。
「………もしかして、ちょっとはショックだったとか…?」
 考えてみれば、ラーグとメンゼルは知り合いのようだった。なんだかラーグの反応が暗いものだった気がしないでもないが…… 自分を追い出すくらいなのだから、なにか深刻な話し合いをしているのかもしれない。
 うん。とりあえずそう思っておこう。
 ミリアは割り切った。そして、ぐるりと周りを一瞥する。
「さて、どーしよう……」
 歩いて来い、と言われても、市長の屋敷では会う人会う人が頭を下げるので落ち着かない。だから街に出てふらふら 巡っていたのだが、特に目的地があるわけでもなかった。
 街は、目立って変わったところはない。
 人も適度に道を通り、顔色に不安や猜疑心は見当たらないし、活気もある。都市、と称するには、なんら違和感のない 普通の街だ。が、たしかにここに居るべき存在―――妖精はどこにも居ない。
「ヒマだし、ちょっと探ってみよっかな」
 独りづくと、ミリアは意識を集中させた。
 自らの聖気を波紋状に広げ、迅速に、かつ確実に、街全体の気配を探っていく。
 人、建物、人、植物、建物、…………順を追っていくうちに、ふと、引っかかるものがあった。
「……あれ?」
 反射的に目を開いた。
 感じた。確かに。
 人よりも小さく、建物よりひ弱で、植物より儚い、生き物の気配。
――――――いる。
 ミリアは駆け出した。


 知らない景色を、全速力で走り抜ける。たったひとつの――微かな気配をたどって。
(なんで……?)
 西の公共広場を抜けた。
(…いる。1匹だけだけど、妖精がいる………!)
「ここっっ!―――ってのあぁ!?」
 最後の角を曲がったところで突然顔面にぶっとんできた物体を、超人的な反射神経でかわした。直後、背後の壁から 「ぶにっ!」と妙な音がする。………壊れたおもちゃのアヒルだった。
 そして。
「あっち行け疫病神!!」
「気味悪いんだよバケモノ!」
「いつまでこの街にキセーする気だくそちびっ!」
 なんですと……!!?
 次々と振ってくる幼い声に、ミリアは身を奮い立たせた。
 疫病神とバケモノは言われなれてるけど、あんたらみたいな子供にちび呼ばわりされるいわれはないっつーの!!
「だぁーっれがバケモノかぁっ。10も生きてない人間のガキんちょの分際ででかい口たたくんぢゃないわよ! ついでに言ったら、アタシはちびじゃない!小さいだけっっ!」
 怒声は、しかしミリアのものではなかった。


 子供たちが視線を注ぐガラクタの山から現れたのは、言葉どおり小さな小さな生き物。
 手のひらサイズの白い体を包むのは、繊細なシルクの衣服。鮮やかなローズピンクの髪は、2つにくるんと分けられている。 そして背にはひらひらと瞬かせられている、一対の羽。
 その生き物――妖精は子供たちの目線の少し上まであがると、偉そうにふんぞり返った。
 文字通り「ぽかん」と口を開けて固まるミリアには気づかない。そうしていると、子供のひとりが強気に前へ出た。
「ふん!おんなじだろ!てめーらの薄気味ワリー実のせいで、ジャンの兄ちゃんは喰われたんだぞっ!」
 そう言って、後ろの少年を指差す。そちらの瞳の宿す光は、怒りというより憎悪のそれに近かった。
 妖精は一瞬金槌で打たれたような顔になり。
「そ…っ…あ、あのコは気味悪くなんかない!あれはあたしたちのせいじゃないもん!」
「じゃあなんで《ティダの大樹》が人を喰うんだよ!」
「そんなん知るかぁっ」
「うわッッ!?」
 直後、ガラクタの中からひとつの錆びたテーブルが宙に浮いた。………ように見えた。
 が、そうではない。

 なにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっ!!?!
 ミリアは絶句した。小さくかよわい四肢の妖精は、自身の50倍はあろうかというダイニングテーブルをいともたやすく持ち上げて いたのだ。それでも高度が下がることはなく、ただ両の羽だけが忙しそうに高速で震えている。
 それを問答無用に子供たちに投げかけ、なんとか避けられた重い物体はミリアのすぐ横の壁で砕けて終わった。
「なにすんだボケ!」
「オレたちまだ何もしてねーぞ!」
「ひきょーもの!!」
「やっかましい小童!!言葉の暴力って知ってんの?大通りのカベに『怪力妖精バーカ』と書かれた恨みぃ―――っ!!!」
「うるせぇっ。オレんちの犬小屋に大量のダンゴムシの巣置いてったのてめーだろうがっっ」

………………………………………。
 目の前で繰り広げられる、なんともショボイ言い争いに、ミリアは無言で目を細めていた。
 しかし、投げ付けられるガラクタのことごとくが自分に振りかかり、そのたびにかわしていくのもなんかしんどいので、 妥当なところで制止にかかった。
「あーコラちょっと……や め な さ い !」
 語尾をほんの少し荒げて殺気を加えると、子供と妖精は即座に動きを止めた。
 双方ともミリアには初めて気づいたようで、両目を驚きの表情のまま瞬かせている。
 ミリアは呆れた仕草で手を腰にやると、落ち着いた口調で話した。
「理由はだいたい分かるけど………男3人が寄ってたかって妖精1匹を相手するのはちょっと情けなくない?」
 もっとも、この妖精の馬鹿力を考えたらそうでもないだろーけど………
 頭の端でふとそんなことを考えたが、お子様たちの短絡な脳は見事扱いやすいように動いてくれた。
 返答に困ると、うちひとりが疑惑の眼差しを向けてくる。
「………あんた、誰」
 ――ま、当然そーくるわね。
 ミリアは胸に下げた銀の十字架(クロス)を見せると、威厳を称えた凛とした声で言った。
「教会の者よ。わけあって、この街に来てるの」
「……大聖堂教会…っ!?」
 少年たちと妖精が、驚きをあわらにする。
 大聖堂教会は、王のいないこのファーネリア国において最高権を握る組織である。言ってしまえば、理・法律・秩序そのものだ。 子供であれど、知らないはずがない。少年は鈍く輝く十字架を食い入るように眺めながら、 慎重な様子で、それが本物かどうか見極めようと努力し。大丈夫だと思い込むと、ミリアにがしりとしがみついた。
「バケモノ退治に来てくれたんだなっ?早くあいつを倒してくれよ!!」
「……………はぁ?」
 困惑するミリアにはおかまいなく、少年は懇願するような瞳を向けてくる。
 確か、兄を大樹に喰われたと言っていた少年だ。
 修道服をぐしゃぐしゃに引っ張りながら訴え続けるジャンのあとで、妖精のほうを振り向くと。こちらはただ無言で、 ミリアのほうを睨むように凝視していた。来るなら来い、とでも言いたげだ。
「なぁ!!」
 なおも訴えるジャン。ミリアは少し考える。
 ここで「ただの人探しに来ただけ」と言えば少年が激怒するだろうことは予想できるし、かと言って、たった1匹残った 妖精をこの場で、理由もなしに殺すのはとんでもない。だったら………
「悪いけど……」
 ミリアは少年の視点に腰を下ろした。
「あたし一人の判断じゃできないわ。一緒に来ている人にも相談しないと」
 あの鬼畜神父相手に相談なんて協調的なことができるか、と、胸中で自分を罵りながら、ミリアはなんとか表情を崩さないよう 努力した。少年はその意味を少し考えたあと。
「そしたら、あいつらをやっつけてくれるんだな?」
 念を押すように、すがるような目で覗き込む。
 う~ん…と迷ったのち、ミリアは肩をおとし言った。
「……とにかく、この場はあたしに任せてくれない?安心して。逃がしゃしないから」
 妖精の肩がびくんと唸ったが、ミリアは気にせず少年たちに帰るよう諭す。いくらかしぶったあと、彼らはすごすごと帰路についた。


「……アタシが逃げるとか、考えなかったわけ?こっちには羽があんのよ」
「逃げられないわよ。あなた、右の羽痛めてるもん」
 さらりと答えるミリアに、妖精は観念したように肩をすくめた。
 だがおもむろに自分へと近づく足音を感じると、すぐに全身に警戒音を奏でる。しかし少女は落ち着いた仕草で制し。
「あ、大丈夫。ちょっと傷見せてくれない?」
「自分の命狙ってるやつの言うこと信じろっての?」
「だってああ言わなきゃ、あの子たち帰ってくれなかったし」
「…………………」
 妖精はしばし躊躇したあと、ふらふらと高度を落とし、ガラクタの山の上に降りた。
 やはり、相当に無理をして飛んでいたらしい。白い背の右側が真っ赤に腫れていた。
 羽に触れるのを止めて、ミリアはため息をつく。
「よく飛べたわねこれで……」
「気合いよ気合い。そんじょそこらの人間のガキどもとは格が違うのよ。アタシをいくつだと思ってんの」
「いくつなの?」
「女性に歳の質問はタブーでしょっ!」
「………………………………」
 ミリアは、なんだかすごく疲れた気がした。
 妖精はぷりぷりしたまま、
「オトメの柔肌に傷がついちゃったわ。あんちくしょうどもどうしてくれよう……今度は、水道管にボロぞうきんでも つっこんでやろうかしら……それともスープの中にシャクトリムシを入れるとか。それとも……」
 悶々とショボイ抱腹を熟考しだす妖精に、ミリアはげんなりとなる。それから片手を腫れた背に添え、
「光よ(レインティオス)」
 唱えると、傷口がほのかに輝く。光の帯は赤い肌を包むように集束し、見る間にその部分を癒していった。
 妖精が、感嘆の息を吐く。
「あんた、回復系の晶魔導も使えるんだ」
「まーねー」
 生返事を返したところで、ミリアは「ん?」と首を傾げた。
「……『も』?」
「あんた今日、デリスのカフェをぶっ飛ばした女でしょ」
 危うく、後ろのめりに倒れそうになった。なんとか理性と体力でカバーすると、妖精はさっぱりとした口調で続ける。
「おっどろいたわよぉ~。あんな派手な晶魔導使う人間なんて、そうそういないもん。だから気になって、こっそりついていったら、市長のとこに行くでしょ?びっくりしちゃった。それで確信したの。きっと、アタシとあのコの始末に 来たんだろうなって」
 そこまで聞いて、ミリアは思わず「違う違う!」と両手をぶんぶん振った。
「あたしたちは、メンゼルって人を探しにきただけ!」
 すると、妖精は思ったよりあっさりと頷いた。
「知ってる。窓の外で聞き耳立ててたもん」
 なんだ、と、ミリアは安堵した。
 道理で、素直にこちらを信じて近づかせてくれたわけだ。
「ところで、あの超美形な神父。あんたの男?」
 瞬間、ミリアは全身でむせかえった。
 あまりの衝撃に喉が痛み、同時に頭痛までしてくる。
 異様な反応を見て、妖精は「あれ?」と眉を寄せた。
「違うの?」
「ぜんっっっっっっっぜん大間違い!あの外道は悲しいながらもあたしの上司であってそれ以上でも以下でも未満でもない!! ってか恐っ……それ恐すぎ!ななめ線どころか顔面にたて線が走るっつーの!!!」
「なぁんだー」
 妖精は、少しつまらなさそうに口を尖らせた。
「けど、タダモノじゃないわよねぇ。アタシが羽の光も消して外にいたってのに、完璧に気づいてずっとこっち睨んでたし」
「え?」
 回復を終えて、ミリアが手を離し、言葉の意味を考える。

 そう言えば、グロフト市長から自己紹介されたとき、ラーグは見向きもせずに窓の一点を凝視していた。
 ………もしかして、あのときのこと?
「……うん、ちゃんと治ってる。ありがとね、えー……と」
「――あ。ミリア。聖導騎士(ラウストウィア)の副長、ミリア=イリス」
「ふぇ~……人間ならけっこう若いだろうのに副長?すっごいわねぇ。アタシはティティ=ルル=ティル。ティティって呼んでちょうだい」
 言って、ティティは治ったばかりの羽でくるりと宙を踊った。
 さてと。
「だいたい予想はつくと思うけど、たった1匹だけ残った妖精のあなたに訊きたいことがあるの」
 途端に、軽やかだったティティの足取りが止まった。
「ここは人も通るだろうし、とりあえず、あたしたちの宿に来てもらっていいかな?」
「………ま、いいわよ。アンタなら信用できそーだし」
 ティティはそう言うと、悪戯っ子のような目で小さく笑んだ。

【第2章】妖精の街 -fairy town- 1

2016.05.12 22:25|クロスマテリア
 いい?ミリア

 人はね、誰でも心にお星様を持っているの

 とてもとても小さくて、霞んでしまいそうなお星様でも

 それがあるから、人は夜道を迷わずに歩めるのよ


 ミリアは、そのお星様を見つけてあげられるような子になりなさい

 他の誰もが見逃すような、小さな小さな一番星を………


 そう言って微笑む母の顔が、誇らしかった。
 私はハッキリと頷いた。
 彼女のようになりたいと願うようになっていた。


 ……………が。





「えー……と」
 こめかみに冷や汗を流し、ミリアは呟いた。
「………なんで、こうなったんだっけ?」

 簡素だが客で賑わう喫茶店。
 つい先ほどまでは、自分もそこの客――だった……はず、なの、だが。
 彼女は今、なぜか厨房にいる。
 しかも服装まで変えており、普段着ている黒い修道服と白マントははるか奥の棚の中。
 現在着用しているのは、きっちりとネクタイを締めた薄手の上着に、膝より少し高めのふんわりとしたスカート。 それに、所々に可愛らしく波を打った真白いエプロン。典型的な、ウエイトレス姿である。
「うぅ………足がスースーする……」
 丸いお盆を握り締めながら、ミリアは火照る頬を押し殺して呻いた。
 修道女(シスター)という任以外に経験の浅い彼女は、人前で肌を見せることはそうそうなかった。
 しかも本職は騎士である。
 ――あ。ちっちゃいときアレンと水遊びがてら川を魔法で半壊させたことがあったっけ。……まぁそれは置いといて。
 とにかく、これはマズイ。と、思う。
 一修道女の名誉に関わる問題だ。たぶん。おそらく。
「だ…っ第一機能的じゃないわよこの制服。こんなに丈が短かったら、もし熱い食べ物運んでるときに落としたらどーすんの?  衣服を仕様する目的で最も大事なのは、肌を保護することよっ。そもそも、この至るところに設置されているちみっこいレースの山はなんなわけ?かゆいんだけど。あたったトコむしょーにかゆいんだけど………!」
 悪態をついても状況がよくなるワケじゃなし。
 厨房に、快活な男の声が響いた。
「おーいバイト!客だぞ頼む~」
「…うぇあぃ………」
 珍生物が盲腸になったような返事を返し、ミリアはヨロヨロと立ち上がった。
 そして、自分をつまみ飛ばして去っていった人物の名を心の中で叫ぶ。

 …ラ、ラーグのあほ――――――――ッッ!!!!



+++++++



 とある宿屋の一室。
 小さなシングルベッドに腰を下ろし、書棚から適当に選んだ書物をペラペラとめくっている、ひとりの男。
「………いろいろと訊きたいことはあるが、まず」
 ラーグは、目線だけちらりと上げた。
「そのナリはなんだ?」

 部屋の玄関に突っ立っているのは、いい具合に焦げたミリア。
 白い肌や栗色の髪が未だにプスプス言っているのに対し、黒い修道服が傷ひとつついていないことから、 店で何かあっただろうことは容易に想像がついた。
 ミリアは廃人のように覇気のない面を傾け、
「え……と………店でその、団体さんでよからぬ客に出会いまして…」
「ふむ」
 ラーグの声に、相変わらず抑揚というものはない。
「―あ!本当に失礼なんですよ?人のこと変な目でジロジロ見ながら妙なこと口走って、しかもあろうことか あたしの体の至るところを触りまくるんです。だからっ」
「だから?」
 声は、単調。
 だが書物を読む手がストップしたのを見破ると、ミリアはたちまち硬直した。
「だから、えと………………思わず魔法を……ぶっ放してしまいまして。お店……クビに………」
「なるほど。で、給料は」
「…………ゼロです」
「当然、そうだろうな」
 ため息が、室内を撫でる。攻防は終わったのか―――。ミリアが安心した、そのときである。
「―――で?店の修理費は。」
 どこか本気で地鳴りが聞こえてきそうな暗雲のオーラに、ミリアは泣きたい心地を殺しながら豆粒のように小さくなるしかなかった…。



+++++++



 半壊どころか4/5壊した喫茶店の修理にさほどの時間はかからなかった。
 ラーグが、聖魔導で再生させたのだ。
 設計図だけ頭に叩き込めば、あとは驚くほど一瞬の出来事である。ラーグの詠唱のもと、敷地内に巨大な陣が敷かれ、 そこから出た淡い藍色の光が空間を包み込んだかと思うと、ガレキが勝手に宙を舞い、繋ぎあわさっていくのだ。
 町の人間もさることながら、ミリアまでもが驚いたのは無理もない。
 ものの数分で、作業は終わった。


「聖魔導って、なんでもありなんですね……」
 宿に戻ったあと、感心と呆けの混じった声で、ミリアが呟く。
 ラーグはその一言は無視し、今一度、まだ焦げあとの残る少女を見つめたあと、深いため息ひとつ。
「……みすぼらしい」
「悪ぅございましたね!そもそも、『旅費を稼げ』つってあそこに放っぽってったの、ラーグじゃありませんか!!」
 ミリアの喚き声も、彼の耳には届いていないようで。
「うるさい」
 それだけ言ったあと、再び黙り込んでベッドに腰掛ける。
 気まずい沈黙が流れた後、ミリアはバツが悪そうに、思い切って訊ねてみた。
「あの、ラーグ…。ひょっとしてひょっとしなくても、むちゃくちゃ怒ってます?3時間かけて1ルーンも稼げなかった上、 聖気の浪費までしちゃったから」
「…………………」
 ラーグはそれにも一瞬黙したあと、おもむろに立ち上がった。ミリアの横を無言で素通りし、部屋の中央付近に立つ。 何をしたいのか分からず首を傾げるミリアに向かって、彼は静かに呟いた。
「…ここから、ここまで。小走りで歩け」
「はい?」
 間抜けな返事が返ってきたのも、無理はない。ラーグはもう一度、部屋の入り口から壁際までを一直線に指で示す。 言われている意味が、サッパリ分からない。
「さっさとしろ」
「――へ?あ、はぁ……」
 とりあえず、ミリアは駆け出す。すると―――不意に、彼女の無防備な足元に、ラーグの片足が突き出された。あまりに 突然かつ予想不可能だったので、ミリアはそのまま綺麗につまづき、勢いよくフローリングの床に顔面から激突する。
 べちごんっ!と、いろんな複数音が混じった音が、刹那の間宿屋を支配した。
「な…っあにすんですかっ!?」
「よし」
「イヤよしじゃなく!」
 這い上がったミリアの様子とは裏腹に、ラーグはどこか満足した顔色である。
 ますます混乱する少女の前で、煙草を灰皿に押しつけ、淡々とマントを羽織りつつ、
「5分でシャワーを浴びろ。その恰好では出かけられん」
「は?え?」
 バスタオルを投げかけられて、ミリアがきょとんと目を開ける。

「市長のところに行く」



+++++++



 妖精都市クレイシア。
 それが、この町の俗称だった。
 都市と言っても、大して大きいワケではない。聖都トルティアと比べたら、その面積は1/3にも満たないだろう。 しかしながら町と称するにはほんのちょっぴりでかい。そんな、中途半端なところである。

 市長の館に入るのは、信じられないくらい容易だった。
 門番は、こちらが名乗らずとも2人の法衣――とりわけラーグの下げる金の十字架を確認するや否や、慌てて門を開放した。 大聖堂教会は、実質このファーネリア国の頂点に存在する。その関係者を無下に扱うなど無礼の沙汰だ。 おそらく、無条件で通すように仰せつかっていたのだろう。
 別段驚きもせずスタスタと先を行くラーグの後ろで、ミリアは軽く門番に会釈をした。
 すると、彼らは面白いくらいに慌てふためいたあと、ビシッと敬礼をする。
(うわぁ………)
 と、ミリアは苦笑いした。


「旦那様がお越しになられるまで、しばしお待ちを」
 そう言ってちょび髭のおじいちゃんが部屋を出て行くと、ミリアは急にそわそわしたように辺りを見回した。
 広大なロビー。その四方の壁には高そうな絵画やランプが散布している。細かな彫りを施した天井には、きらびやかな シャンデリアが飾られており、床には一面に金縁の絨毯。座らされたソファーに敷かれてるコレは……もしかして、毛皮?
 もの心ついたときから質素な寮で過ごしてきたミリアにとって、そこはまさしく「お城」だった。
 あまりにもキョロキョロするので、ラーグは腕を組んだまま低く告げる。
「……鬱陶しい」
「ですよね!?うっとりしますねっ!」
「…………………」
 まるで聞いていないミリアに、ラーグは軽く眉を寄せた。
 そして、やはり置いてくるべきだったと、本気で後悔した。
 「そういえば」と、ミリアがふと思い立ったように振り向く。
「ラーグは、なんでここに来たんですか?」
 まだどこか不機嫌な様子のまま、ラーグは組んだ腕をほどいた。
「……人を探してる」
「人?」
 そこで、部屋のドアが勢いよく開く。
 唐突なことだったので、ミリアは条件反射で背筋を正した。…修練学校時代の日常である。
 入ってきたのは、さっきのちょび髭のおじいちゃんと、もう一人。
 丸々と立派な体躯から、不健康なまでに健康的な暮らしをしているのが手に見て取れた。横に広い肌をすっぽり包んだ 毛皮のローブを着込んで、息を切らせながら2人を見る。
「これはこれは。お待たせして申し訳ありません。私がクレイシア市長、ギース=グロフトでございます」
 ハンカチで脂汗を拭き取ると、そのハンカチが一気に湿る。
(…うわぁ……)
 と、ミリアは思ったが、ここで苦笑いはマズイと本能で感じたので、押し殺しておいた。そして小さくおじぎする。――が。

 隣のラーグはただただ黙したまま、それどころか相手を見ようともしない。 じっと窓の外に目を向けている。……ミリアの目が正常に作用しているならば、多分、睨みに近い眼光で。 翠の瞳を細めたまま、なんの変哲もない庭を凝視すること、約5秒。
 ちょっとちょっと……
 ミリアが肘で軽く小突くが、気にした風など微塵もなかった。
「ああ、どうぞお構いなく。法衣から見て、神父様とお見受けしますが………いやこれはまた随分とお若いですなぁ」
「能書きはいい。単刀直入に訊くが」
 ぶしつけたような言い草に、ミリアは意識が遠のくのを感じた。
 さすがに、市長のほうも僅かに笑顔が引きつる。
 そんな様子などお構いなしに、彼は続けた。
「フォル=メンゼルという人物を知っているか」
 ………めんぜる?
 どこかで聞き覚えのあるその名に、ミリアが首を傾げる。だが対してグロフトは、重い表情に変わった。
「…ええ、もちろん知っておりますとも。彼女ほど才を持った学者はおりませんからね。……メンゼル様を、お探しで?」
「この町にいると聞いた」
 会話の中で、ミリアはようやく思い出した。
 フォル=メンゼル。地質学・魔法学に非常に精通し、現在の五大賢者とも称えられる学者だ。ミリアも彼女の著書は何冊か 目を通したことがあるが、素晴らしいものだった。
 なるほど……メンゼル様に《レガイア》のことを訊こうとしてるのね……
 ―――――ん?
「ラーグって、メンゼル様と知り合いなんですか?」
 思わず割って入ってしまい、ミリアは慌てて口をつぐんだ。が、ラーグはどちらかというと、なんかものすご――く 嫌そうな顔をした。…なにやら、とてつもなく良からぬ思い出があるらしい。
「……………そのうち分かる」
 そうとだけ言って、再びグロフトに向き直った。
「で、彼女は今どこに?」
「それが………どこから説明いたしましょうか……」
「この町から妖精が消えているのと、何か関わりがあるのか?」
 ビクリと、グロフトの丸い体が揺れる。同時にどっと汗が噴きだし、ちょび髭のおじいちゃんが慌てて代えのハンカチを 手渡した。せわしなくそれで額を拭く市長を見ながら、ミリアも気づく。
「そういえば……おかしいですね。町に入ってから1匹も見てません」
 妖精都市、というのは伊達ではない。
 実際にたくさんの妖精たちが飛び交う町並みからつけられた2つ名だ。
 グロフトは未だに汗を拭きながら答える。
「ええ……ええそうです。この町の高台のほうに1本の樹があるのですが……」
「知っている。宿にある歴史書で読んだ」
 説明は必要ない、と言いたげなラーグだったが、ミリアが引かなかった。
「お、教えていただけませんか?お願いしますっ」
 ラーグは一度うんざりとした顔になったが、諦めたように視線を外す。
「は、はぁ……左様ですございますか。ではご説明しましょう。その樹は《ティダの大樹》と呼ばれてまして、今から500年ほど 前に大陸からの旅人がとある町で見つけた新種の種同士を」
「「簡潔に」」
 なんとなくあらぬ方向へ話が進みそうだったのを、ラーグとミリアがせきとめる。
「あ、はい。その樹は昔から町に住まう妖精たちが守ることとなっていました。そんなある時――3ヶ月ほど前でしょうか。 大樹に妙な実が出来始めたのです。妖精たちは喜びました。……どうやら、それが出来るのが彼らの幸せそのもののようで ……ですから私どもも共に喜んで祝いました。そのときまでは」
「そのとき?」
 ミリアがオウム返しに問う。
 グロフトは軽く目を伏せ、次いできっぱりと言った。

「《ティダの大樹》が、―――人を喰い始めたんです」

【第1章】神父と騎士 -a father and a knight- 6

2016.05.12 22:03|クロスマテリア
 アレンは半ば当惑し、半ば好奇心に誘われるままそこに立っていた。
「…どーなってんだよ。なんで神父さんが……てかあの2人、まさか自分たちだけでこの状況どうにかする気か?」
 行こうと思えば自分も加勢できる。それなりの力量も持っている。
 しかし、『誓約』がアレンを縛りつけていた。
―――聴報院は、許可なく多院の行動に直接手を下してはいけない―――
 あくまで公平な、あくまで情報収集を生業とした彼らのみの『誓約』だ。破れば、禁忌に触れる。
 歯噛みするアレン。――と、下から息の切れた男の声が聞こえた。
「…アレン、ミリア……君たち、やはりまだこんなところに……」
 全力疾走で走ってきたため、白い法衣が汗で濡れていた。
「クライル様!?」
 アレンは相手の名を叫ぶと、慌てて彼の傍らへと降りたつ。
「貴方こそ、なんでまたこんな所まで……見たところ、避難所からわざわざ戻っていらっしゃったようですが――」
 さすがに、アレンは一目で大まかを見抜いていた。
 クライルは息が整うのを待ったあと、鍛錬所のほうへ視線を移す。
「ラーグが、来ているでしょう………」
「まさか、彼を助けるために?」
「いいや」
 クライルは静かにかぶりを振った。
「彼に、そんなものは必要ない。むしろ、君たちのほうを守りにきた」
 言われて、アレンは答えが出ずとも直感する。
「………ミリア、は、大丈夫でしょうね。神父サマが側にいるので。―――で、彼は一体、何をする気なんですか?」
 クライルは答えず、かわりに2人と100数体をじっと凝視していた。


 刹那。
 ラーグの起こした行動に、ミリアは我が目を疑った。
 胸に下げられた金の十字架(クロス)。ねっとりと血で覆われた手でそれに触れると、あろうことか、それを口に咥えたのだ。
「………………な……っ―――!」
 掠れた声には、行き場のないほどの混乱と憤りがぐちゃぐちゃになって乗っかっていた。
 十字架は、聖職者と認められた者なら誰もが与えられ、それ自体が法の神イルダーナフと同等であると教えられる。 それを咥えるなんてのは、神を喰らう行為に等しい。
 が、その怒りを感じたのもほんの束の間で。
 直後、それは強烈な恐怖に変わる。
 寒気が―――した。自分とはまったく異質の強大な力をラーグから感じ、ミリアは萎縮する。
 突如。

 光の輪(リング)が芝生を走り、何かの陣を描いたかと思うと、その中から、一体の漆黒の闇が現れた。
 闇―――いや、そう思ったのは、その生き物の体があまりにも真っ暗で、全てを呑みこんでしまいそうだったからだ。 闇は獅子のようにしなやかな体躯を奮い立たせ、血の如く赤い双眼を険しく開く。
「な………に……」
 見たこともない、巨大な獣に。
 ミリアがようやく取り戻したのは、そんな言葉だった。
 闇の肉体。血色の瞳。そして―――身に纏う気配は、明らかに大量の魔気。
「見たとおり、動物だが」
「ああそうドーブツ―――って、違う!!」
 思考が追いつかないせいで、危うくラーグの戯れ言に流されるところだった。ふぅ、セーフ。
 ちなみに魔物たちは、何か途方もないものを前にしているかのようにひたりと固まっていた。
「明らかに!違うでしょう!っていうかむしろこれは―――」

 魔獣。

 それだけ口に出来ず、尻すぼみに消えるミリアの声に、ラーグは再び薄い笑みを送った。
 次いで、魔物の群れを振り返り。
「一瞬だ」
 念を押すように一言呟くと、
「『蹴散らせ(グラン・ジャル)』」
 たった、一声。
 が、それを聞き取った瞬間――――ミリアの視界で、白が、弾けた。
 獅子の咆哮は、強烈な風を呼んだ。溢れた光に色はあったかもしれないが、強すぎる閃光の前では、認識できない。
 目の前で崩れ落ちる魔物たちの体を見ながら、ミリアはラーグの背中に問いかける。
「………なんなんですか。あれは?」

+++

「君は、魔族の生まれる魔界と、死せる魂が還る冥界には、紙一重で境界空間があるのを知っているかな?」
 穏やかな口調の問いかけに、アレンはとりあえず、修練学校で学んだことをそのまま言ってみた。
「――は?…ええ。ナンでも魔族が死者の魂を取り込まないよう、境界の門に番人がいるとかナンとか……」
 言ってみて、なんとなく自分でも「うわぁ、馬鹿らし」と思ってしまった。
 死者が還る場所?番人?そんなモノ本当に存在するのか?
 この眼で見たものしかあまり信用しない彼にとって、これは非常に奇異な話だった。
 が、イモヅル式に蘇ってくる教科書の内容に、彼の顔は次第に固まっていき。
 それを敏感に察したクライルは、答えがわかったうえでもう一度訊ねる。
「では、その番人たちがどのようなものかは?」
「……それは」
 アレンの頬が強張る。
「…彼らは、魔から生まれ魔に属する、魂の崇高な守人。主と認めたものには忠誠を誓う絶対の服従者。そして―――― その体はいずれも黒き夜に覆われ、赤光の瞳を持った――獣の姿をしている。……と」
「そのとおり。あの獣こそが、冥界の番人――…そのうちの一体だ」


 ラーグの雑な説明でも、ミリアをビビらせるには十分だったらしい。
 彼女は危うく落としかかった剣を持ち直すと、すごすごと呟く。
「そんなもの……どうやって召喚するんですか」
「魔獣を招くには、神に対する裏切りの行為が必要になる。お前も、もう見ただろう」
 彼の口調には丁寧さが全くない。手っ取り早く答えだけを教えてはくれないのだ。
 だがその『裏切り』が十字架を咥えることというのは、容易に想像がついた。
 けれど、それよりも異様だったのが、彼の内を渦巻く膨大なまでの魔気。
「聖魔導を使える人が、これほどの闇魔導まで扱えるなんて………そんな神父様聞いたことないです」
「目の前にいるが」
「いやそーゆうイミでなく」
 普段のラーグと同じくらい気のない声で返すミリアに、彼は一呼吸置いて答えた。
「前を見ろ」
 言われたとおりに覗き込み、ミリアは驚愕した。
 跡形もないと思われていた緑の芝生。その上に、折り重なるように倒れていたのは、決して死臭を漂わせる骸ではなくて。
 消耗して気絶はしているものの、間違いなく生きている騎士たちだった。
 いそいで駆け寄ろうとするミリアの腕を、ラーグの手がひっつかむ。
「魔に当てられて力を使いきっているだけだ。今行っても、お前の聖気にはまだ馴染めない」
「…どうして………」
 色々な感情がぶつかりあう中、ミリアが見つけた言葉を声に出す。
 ラーグは相変わらず淡々とした声で、
「『誓約』を成立させているやつも、たしかにいた。だがほんの3、4体だ。ほとんどは人間を殺してなどいない」
 言外に、その3、4体は消し去った、と言っていた。
「お前からは、僅かだが魔気の匂いが残っていた。聖堂騎士団の誰かが、魔精を召喚した。誰だ」
「そんな………」
 喉から絞り出た言葉は、ラーグの意見に驚いたものではなかった。瞬時に、それに対する回答が出たのだ。
 ミリアは、確かに「『誓約』を立てた」と断言した兵の姿を蘇らせた。


「………………ウィル……」

+++

 空が、夜の群青色を帯びている。
 静寂に包み込まれた礼拝堂で。
 彼は、宙の一点を仰ぎながら沈黙していた。

「……終わったか」
 喜びもせず、落胆もせず、ただ抑揚のない声で呟くと、音もなくスッと立ち上がる。 そして、軽くため息をつく。
「思ったより、あっけなかったかな」
「期待外れだったか?」
 唐突に聞こえた、背後からの低い声が、彼の背を叩く。
 振り向かないままで驚いたのが一瞬だったのは、こうなることをある程度は予測していたからだ。酷薄な微笑を浮かべると、 声の主へと振り返る。
 雲が晴れ、礼拝堂内に銀色の光が満ちた。
 それに照らされた、アッシュ・ブロンドの髪と、若々しい端正な表情。
 聖堂騎士団第二小隊員、ウィル=モカビリーは、ラーグの姿を捉えてにっこりと笑った。
「これはこれは……ずいぶんとお若い神父様ですね。出世されたでしょう」
「少なくとも、ヘラヘラ笑いながら同僚を魔精に喰わせる奴よりはな」
 ラーグの声は、至って冷淡だった。加えて、ミリアが治癒したため両手の傷も癒えている。
 ウィルが、少し間を置く。
「………なぜ、気づきました?」
「聖気が満ちるこの教会内で、お前ひとりから魔気の匂いがした。他人に残り香として染み付くほどにな」
 ほぅ……、と、小さな吐息が漏れる。
「それはそれは………いい鼻をお持ちでいらっしゃる」
 口でそう言っても、声に感心した雰囲気などカケラもなかった。
 金と銀の髪は静かな対峙を守り―――ふいに、銀の方が剣の柄に手を伸ばす。
「では、僕を殺しますか?神父様」
「お前の相手は俺じゃない」
 あっさりと言い放った言葉に、ウィルはほんの少し眉を詰める。
 ラーグの黒い法衣が動く。
 その後ろに立っていたのは――――
「………副長……」
 ウィルが初めて驚きに目を瞠る。だがすぐに元の冷笑を作ると、
「…誰が『僕』の存在に気付いてここまで来るのか考えてましたが。正直、あなたが来るとは思いもしませんでしたよ」
 その声の、なんと残酷で酷薄なことか。
 そこにはもはや、自分がこの手で教えた心優しい剣士の姿はどこにもなかった。
 ミリアは、ぎゅっと服の裾を握り締める。
「ウィル……あんたが……―――あんたが、魔精を召喚してみんなに寄生させたの?」
「はい」
「なんで……」
 口をついたのは、そんな、在り来たりすぎる質問だった。
 ウィルはそれに、少し大げさすぎるぐらいの素振りで顎に手を添え首を傾げる。
「『なんで』?『なんで』――――さて、なんででしょうね。日々の生温いママゴトに飽き、混乱と戦争を欲するのに、 なにか理由でも?」
 感情の感じられない言葉の向こうに、嘲るような笑いが聞こえた。
 ラーグが黙ってただ傍観するその横で、ミリアはより一層俯いたかと思うと、急にふっと力を抜き、顔を上げた。 敵意―――いや、そんな生易しいものじゃない。忌むべき敵を刈り取る者の、無慈悲な瞳だ。
 すべきことは、……そう、決まっている。
「構えなさい」
 凛と張った声で、ミリアはその腕に巨剣を出現させる。そして、傍らの神父を一瞥した。
「ご助勢はいりません。この者は、私自らの手で罰します」
 ラーグが頷くのと、両者が動くのは同時だった。

 剣先が月光に煌き、金きり音をあげて擦れあう。
 何度も受けては離れを繰り返し、しばし攻防は均衡を保った。
 はたから見ていたラーグなら気づいたかもしれない。双方の刃がぶつかり合うたびに、余波で風が唸りをあげていたことが。
 全力の力対力でぶつかれば、女の自分が不利なのは分かっていたため、ミリアはなるべく距離を取ろうとする。
 が、ウィルは当然ながらそれを読み、彼女から離れようとしない。
 一度刃がきしみ、2人はギチギチと銀色を抑えあったまま均衡した。
「どうしました。お得意の魔法でも使わない限り、僕を倒すのは不可能ですよ」
「……っあんた……!こんな場所で魔法使ったらどうなるか、分かって言ってんの!?」
 苦しげなミリアと違って、ウィルの顔色はあっさりとしたものだった。
 礼拝堂はそんなに広くない。ミリアほどの実力者なら、跡形もなく吹き飛んでしまうだろう。
 教会を守る神聖結界の柱となっている、この聖域が。
 しかし青年は、ぞっとするような笑みを浮かべた。
「だから、どうだと?聖域がひとつ崩れようと、僕にはまったくの無意味です」
「………………!」
 次の瞬間、ミリアは力任せに剣先を弾いていた。ウィルが少し目を押し上げ、そのまま立ち止まる。
「そう……」
 ミリアは、戦士にふさわしい斬れるような視線を持ち上げた。そして軽々と、片手で巨剣を持ち上げる。
「あんたには、剣(コレ)ひとつでじゅうぶんね」

 瞬間、ウィルの剣が唸った。
 恐ろしいまでの速さでミリアに詰め寄り、刃と刃を擦り合わせる。
 ギチギチという、実に小気味良い音が静寂に軋んだ。
 苛立ちと憎悪をむき出しにした目で、彼はそれでも笑む。
「………これまで散々目に焼きつけてきた聖剣《セルフィート》で戦ってくださるとは……。どうやら、存分にその 愚かさを知っていただく必要があるようですね」
 弾けた剣尖に、風が唸りを上げる。魔気の風だ。
 黒い真空が、ミリアを、そして礼拝堂の内側を傷つける。横目でそれを眺めながら、ミリアは焦りを感じた。
 これくらい、ラーグが聖魔導で保護してくれればなんの問題もないのだが―――彼はミリアの言葉どおり、微動だにせず じっと立っているだけである。
 ちょっとだけ自分の言葉に後悔しながら、それでも剣を構えて集中する。
「抜き放て」
 巨剣の刃の根元が、ぼぅっと淡い光を帯びた。光はゆっくりと、だが確実に動き、先端へとたどり着く。 銀の刀身が、白光で満たされた。
 ラーグの片眉が、ぴくりと動く。
「何をやったのか知りませんが――」
 頭上に、ウィルの白マントが翻った。逆光で、表情は読めない。
「晶魔導もなしに、何ができるというのですか……!」
 銀が白に落ち―――しかし、金属が擦れあう音はしなかった。
 無音。その静寂の先で――――――
 鋼の刃が、粉々に吹き飛んでいた。
「…………なに……?」
 重なっていた双方の影が、再び距離を取っていく。
「栄誉に思いなさい。これと刃を交えたのは、聖堂騎士団では団長以外であんたが初めてよ」
「どういう……ことですか」
 失うはずのなかった武器を葬られ、同時に吸い込ませてあった魔気が拡散、浄化し。
 ウィルの意識は次第に薄れてゆく。体の自由がきかない。人間の身で、大量の魔気を操った代償だ。
「…鞘から抜いた。たった、それだけよ」
 思いのほか冷静なミリアの声に、ウィルは霞む目を精一杯押し広げた。
 銀の刀身は、本来の力を覆い隠すただの鞘。その下にこそ、宝剣のひとつ――《セルフィート》と呼ばれるものは存在していたのだ。
 聖の鼓動。魔を滅する剣。
 それが、《セルフィート》の真の姿。
 白き先端を見つけたところで―――彼の意識は、深淵へと沈んだ。

+++

「……解せんな」
 深深と降りしきる月光の下、ラーグが言葉どおり納得いかない様子で顔をしかめる。
 目の前には、剣を『鞘』に戻すミリアと、その足元に転がる男の影。
「なぜ、止めを刺さない?」
 ミリアは少し勿体ぶってから、聖剣を光の泡に戻す。そしてほんの少しだけ、こちらを振り返った。
「殺しません」
 逆光で、彼女のほっそりした輪郭部分しか、ハッキリとは認識できない。
「この者には、生きながらに本当の意味での罰を受けさせます」
「無法の聖職者を殺すことは、正義の処罰として許可されている。それでもか」
 ミリアはしっかりと振り向き、―――柔らかく微笑んだ。
「殺しません」
 もう一度、ゆっくりと断言する。
 不思議と、完全にこちらを向くと逆光が収まっていた。聖女の優しさと、騎士の非情さを兼ね備えた、見事な笑みだった。
 ラーグは軽くため息を吐き、視線を逸らす。
「……………勝手にしろ」
 天頂には、冴え冴えとした月が浮かんでいた。

+++

「では、行ってまいります!クライル様!」
 晴天の下、ミリアの元気な声が響く。
 大聖堂教会を含める聖都トルティアの入り口。
 そこに、3人の人影はいた。
「とても重要で危険な旅だ。ミリア、ラーグをしっかり支えてあげてください」
「はいっ!なるべくそうするようにします!!」
「………………」
 威勢はいいがどこか引っかかる言い方に、クライルはしばし言葉を途切ったが、なんか水を差すのも悪いと思い、黙っておいた。
 ミリアは、むんと胸を張ったあと、ちらほらと町の中を覗いて見たりする。
(アレン……やっぱり見送りには来れなかったか……)
 教会に魔物が現れた一件で、聴報院は大忙しだ。
 普段はヒマだヒマだとタカをくくっているアレンも、さすがに抜け出しては来れなかったに違いない。
 ま、それはそれで仕方ない。
「ラーグも。気をつけて」
 言われたラーグは何か考えかんでるような、不機嫌なようなオーラを滲み出しながら。3秒ほど間を置いて――
「………おい」
「くれぐれも頼んだよ、ラーグ」
 なんか言いかけたが、クライルの絶妙な滑り込みが見事にシャットアウトした。
 傍らで「?」とした顔をするミリアと、どこか激しくメンド臭そうに肩を下ろすラーグ。
 そんな3人を微笑まじりに眺め、クライルは優しい仕草で十字を切った。
「《レガイア》と彼らの旅路に、イルダーナフ神の加護があらんことを」


 聖都を出てしばらく歩くと、小高い丘にさしかかる。
 まったく会話がないのにそろそろ息苦しくなってきたのか、ミリアは思い切って話しかけてみた。
「あの、クラウド様」
「俺をクラウドの名で呼ぶな」
「え……じゃなんて?」
「好きにしろ」
 ミリアはしばし考え―――
「……じゃあラーグ。ちょっと訊いてもいいですか?」
 なぜイキナリ呼び捨てなのか、という思考に少し眉を寄せたが。とりあえずどーでもいいことにした。
「3つまでなら」
「う……っ…」
 訊きたいことが山ほどあったことを見透かされて、ミリアは苦い表情をする。
 頭を抱えたり口を開けたり閉じたりして百面相を繰り返す様子に、ラーグは喉の奥で小さく笑ったあと、淡々と急かす。
「1つめ」
「え゛………!?え、えーと……じ、じゃあ、ラーグとクライル様はどういうご関係なんですか??」
「父と子」
「……………………………はへ?」
 あまりにも突飛な答えを即答で言ったため、ミリアの思考回路は一時フリーズする。
 ややあって――――

「えええええええぇぇぇぇぇぇぇぇ!!?」
 野原に絶叫が響き、鳥の何羽かが飛び去った。
 ラーグはそれでも前を行く足を緩めぬまま、うっそりと呟く。
「やかましい」
「む、むむむむ息子で!?親子でそしてクライル様が父親に心配して……!?いいいけませんラーグ!え!?ちょっと待……っ。おおお落ち着きましょう!!」
「お前が落ち着け。…第一、親子と言っても名義上での話だ。血の繋がりはない」
「へ?それってどーゆう……」
「お前の喚き声で気分が最高に悪くなった。よって、質問はあとひとつ」
「ええ!?そんな……」
「次」
 有無を言わさず言い放つ口調に、本当に不機嫌なんだと悟ると、ミリアはまたしばらく頭を悩ませる。
 訊きたいことはたくさんあった。番人のこと、彼の聖気・魔気容量のこと、《レガイア》のこと……etc。
 考えあぐねた末――彼女が出したのは、こんな言葉だった。
「……なんで、あたしの同行を許可してくださったんです?」
 今日の明朝――つい先ほどになるわけなのだが――、後始末やなんやでわたわたしているミリアに、彼が自ら「連れて行って やってもいい」と言って引っ張ってきたのだ。
 なんて言うか……とりあえずかばん扱いでなくなったのは確かだろう。
 ラーグの、わりと早めな歩調は止まらない。
「理由は主に3つだ。1つ。食料や旅費獲得のいい足になる。2つ。『復元』があれば俺の聖気の回復も早い」
 前言撤回やっぱこいつ最悪だ。
 ミリアは怒りより先に疲れのほうが立ち、げんなりと息を吐いた。
「………で、3つめは?」
 どうせロクなことじゃないとは思いながら、ミリアは気のない声で訊ねた。
 だがラーグは一瞬黙したあと、どこか、しぶしぶと。
「お前は………守らなくていいから」
「………はい…?」
 嬉しいのかなんなのかよく分からない返事をされ、ミリアの体がカクッと傾く。
 よく晴れた空に、点々と、聖歌が聞こえていた。

【第1章】神父と騎士 -a father and a knight- 5

2016.05.12 21:51|クロスマテリア
 悲鳴が聞こえたのは、ほんの一瞬だった。
 次の瞬間から、それはもう聞き取れないほどの阿鼻叫喚に変わる。

 未だに穏やかな陽の差す道々を、恐怖に顔を飾った人々が濁流のように押し寄せ、我先にと逃げ惑う。下級の神父や、教会に入って 日の浅い修道女がほとんどのようだった。
 彼らの逃げてくる方角に呆然と目をやり、ミリアが驚いた眼のまま固まっている。
「………………魔族…?」
「武帝院の方だな」
 後ろから聞こえた、感情のない声に。
 現実状態に戻ったミリアは、驚愕に頬を強張らせる。
「な…っ―――神聖結界(ラグナシード)を越えてきたって言うんですか!?」
 教会は、周囲に張り巡らせた聖気の結界で常に魔族の侵入を阻止している。彼らが触れれば、一瞬で灰になれるほどの威力だ。 容易に破れるはずがない。それなのに―――――
 食い入るような眼差しに、ラーグはそれでも鬱陶しそうに眉を寄せ、
「俺に訊くな。………第一、方法はいくらでもある」
 そう言って、ちらりと目だけでミリアを見下ろすと、彼女の紫の瞳に当惑が浮かんだ。
「え?何を…」
「それより、行かなくていいのか?聖堂騎士団(ラウストウィア)副長」
 再び視線を逸らされて、ミリアは「あっ!」と叫んだ。
 魔族が現れた。人々が逃げ惑っている。
 ――――となれば、聖堂騎士団の出番だ。
「あ、貴方も逃げ―――じゃない。外のほうが危険ですよね……ここにいてください!」
 それだけ叫ぶと、栗色の髪は返事も待たずにラーグの視界から消える。
 魔気の中心へ移動してゆく聖気の気配を感じながら、彼は小さく、零すように呟いた。
「…………足りんな」

+++

 今さらではあるが、なんで教会はこう広いのだろう――?
 胸のうちで、ミリアは舌を打った。
 我が身惜しさに押し寄せてくる人々の波を逆らって進むのは、容易なことではない。
 普段ならこれくらいの人並み、軽くすり抜けられようものを……今の彼らは、1cmの隙間も逃さず滑り込もうとする。 火事場のなんとやらはよく言ったものだ。
「…まぁ、武帝院の方なら皆がなんとか応戦してくれてるだろうけど………」
「ミリア!」
 独りごちたところに、文字通り上から降ってきたのは、聞き慣れた少年の声。
「―――アレン!?」
「上だ!跳べっ」
 彼は建物の端々に突き出た中屋根の上で、親指で「こっちに来い」と呼びかける。
 なるほどっ!
 ぱっと顔を明るくすると、軽く地面を蹴る。たったそれだけの行為で、彼女のしなやかな体は宙へと浮いていた。
 目的の場所へ降り、アレンと視線を交わすと、また全力で走り出す。
「どーなってんの!?教会に魔族が出るなんて!!」
 息を切らせながら、ミリアが問いかける。
「俺だって知らねーよ。けど少なくとも、外から来たわけじゃねぇ!内側から、突然ぽっこり現れやがった!」
「だからなんで!」
「だから知らん!」
 無意味な攻防を繰り返し、なおも2人は走り続ける。
 常人を逸した身のこなしで。あるときは屋根の上を、またあるときは木々の枝を地面代わりに。

 ふいに、ミリアが思い出したように言う。
「…そーいえばさっき、クラウド様の家で魔精が出たの」
 アレンが驚き振り返る。
「そいつは、クラウド様がやっつけてくれたけど……あいつらだって魔物だよね。なんで入ってこれたのかな…?」
「……………………」
 無言で考えるアレンの表情に、暗いものが落ちた。
 どうやら、思い当たるフシがあったらしい。
「ミリア、そりゃぁもしかして―――」
「―――あ…」
 吐息と同じくらいに掠れた声が喉から漏れ、ミリアの動きが止まる。
 同時に止まったアレンも、彼女と同じ方へ視線を泳がせた。
 目的の場所には少し離れていたが―――そこから、目的のモノは十分見れた。

 鍛錬所の芝生に蠢く、黒い影。
 爆煙に遮られてよく見えないが、その異形とも呼べる姿は、妖精でも幻獣でも、ましてや人でもない。魔物―― それも、結構大きい部類に入るものだった。身の丈は2~3メートル。赤黒い肉は皮膚という組織を持たず、 むき出しの心臓のように不気味なリズムを刻んでいる。目も鼻も耳もなく、円状に並んだ牙が不規則に開いたり 閉じたりしていた。
 その中で、何人かの男たちが戦っているのが見えては、また煙の中へと消える。
 だがミリアを金縛りにしたのは、そのどちらとも違うモノだった。
 緑の芝生―――自分がつい先ほど回復させたその上には、真っ赤な絨毯が敷かれていた。
 そのさらに上へ折り重なる、膨大な数の人間の骸。
「…………なんっだこりゃぁ……」
 さすがに吐き気を覚えたアレンは、思わず口を押さえる。
 大地に横たわる、ほんの少し前まで息をしていた者の中には、すでに人の形を残してないモノもあった。
 ミリアの中で、恐ろしい感情が爆発した。
 屋根を蹴って迫るその背から、アレンが何か叫んでいたが、さっぱり聞こえない。
 両手に意識を寄せ、淡い光と共に現れた一振りの巨剣を手にすると、躊躇なく振りかぶる。
 魔物が気づいた―――が、遅い。
「『風よ(シルフィール)』!」
 切っ先に鋭利な気圧が巻きついたかと思うと、次の瞬間、それは魔物の頭部から腹部にかけてを深く抉っていた。
 泥水のような断末魔を上げて、黒き体が灰となる。
 聖魔導とはまた違う、自然の力を借りた晶魔導。
 他の魔物たちが警戒に動きを鈍らせると、騎士たちの声が向けられた。
「………副長…っ!」
 その声の奥に様々な感情を感じ取って、ミリアは側の死体の山を一瞥する。
 こんな場所で戦う者だ。人の死は焼きつくほどに見慣れている。………しかし、自分がもう少し来るのが早ければ。 いやそもそも、あのときやっぱりラーグの所へ行かずに寮へ帰っていれば、あるいは――――……
 ………いいや。今はそんなこと考えてるときじゃない。
 隊長がいない今、自分がここの指揮官なのだ。
「どういうこと?いきなり魔物が教会に現れるなんて」
 本日三度目の質問。
 が、騎士のひとりは痛々しそうに目を伏せた。
「そ、それが―――」
 直後。
 耳で話を聞きながら目で魔物を捉えていたミリアは、異形の後ろから現れたものに目を疑った。
「…魔精―――」
 微かに流れた息と同時に、彼女はあることに気づく。気づいてしまう。
 交戦している騎士団と、軒連なる死体の山――。…数が、合わない。
「まさか――――…」
 少女は、愕然とした。


「やっぱり、喰ってやがったんだな。……聖堂騎士団を」
 離れた屋根の上で傍観しながら、アレンが苦々しく言った。
 魔精は生き物の負の感情に寄生し、魔物化させる。
 騎士たちの一部が、その餌食とされたのだ。ほぼ間違いない。
「やべぇな。元聖堂騎士とあっちゃ、力も相当なはずだ」
 そう呟くと、アレンは戦場の中に佇む栗色の髪をじっと見つめた。

+++

 ショックを隠し切れないまま、ミリアは立ちすくむ。
 実は、こうして立っているだけでもフラつきそうになる。
「元には………」
 なんとかそれだけ搾り出し、彼女は兵のひとりに訊ねる。
 だが彼は、残酷な素振りで首を振った。
「『誓約』を……立てました。もう、人間には戻せません」
 『誓約』。
 それは神に対してだけの言葉ではない。魔物化した人間は、誰一人同族を殺さなければ、なんとか人に戻すことができる。 しかし一度殺してしまえば、魔との『誓約』は確立し、本物の魔族となってしまう。
 ミリアは唇を噛んだ。
 そして。
「…分かった。動ける者は怪我人を連れてすぐにここから離れて。避難場所に行ったら、うち半分は逃げた人たちの護衛。 それから通行整備を布いて、聖魔導使える人をできるだけ多く集めてきて。あたしは、ここでこいつらを足止めするから」
 一息でなんとも無茶苦茶を言う少女へ、男たちはさすがにうろたえる。
「そんな…!副長一人じゃ………」
「早くしなさい!人数だけいても恰好の餌だって言ってんの!!」
 声を荒げると、騎士たちはハッとして、すぐさま指示に従った。

 そうして、しばらく均衡が続いたあと、煙の向こうからまた4、5体現れる。
 ……正直、自分でも馬鹿を言ったものだ。
 たしかに魔物の数がこれ以上増えるのも問題だが、では自分がやられればどうなるか―――
 これでも副長の立場を自負している。ヘタすりゃ聖魔導でも手に負えない魔物の出来上がりか?……まぁそのときは、 食いつかれる前に自分で自分の命にケリをつける。そのくらいの覚悟は、出来ていた。
 スッと、抜き放たれた銀の刃に黒い姿が映る。
「……もうあんたは、あたしの同僚じゃない。滅びなさい、魔族よ」

 瞬間、先に動いたのは魔物だった。
 口らしき穴の前に光の粒が集まり、ヴァンッ!と低い音をたてて弾ける。
 ミリアはそれを苦もなくかわし、空中で器用に体をひねると、
「『雷よ(ヴォルツィード)』」
 ビリリッッと火花を散らした切っ先が、相手の肉体を縦に削いだ。まずは1体。
 続いて両隣から来た影を、今度は姿勢を低くして横に薙いだ。真空の刃に切り裂かれて、魔物たちは灰と化す。これで3体目。あと3体。
 が、そこで彼女はぞくりと嫌なものを感じ、咄嗟に横へ跳ぶ。
 ちょうどそこを、黒い小さな影が飛びつこうとしたところだった。――魔精だ。
「………く…っ」
 大きいほうでは勝ち目がないと踏んだのか、魔物たちは違う手段に出た。恐れていた事態だ。
 もっと距離を。そう思ったが、ミリアは実行に移せなかった。
 両手両足に強烈な熱と痛みを感じ。気がつくと、彼女の細い四肢は魔物に押さえつけられていた。ねっとりとした感触が、 最高に気色悪い。
 ほんの少し隙を見せただけなのに………やはり、騎士だったころの実力は健在だ。
 ミリアは自嘲し、襲い来る魔精を睨んだ。
 ああ、こいつらってのっぺらぼーみたいだけど、ちゃんと口があんのね。しかも牙まで。あれってやっぱ、噛まれると 痛いのかなー。
 そんなことを考えながら、剣の柄に力を込め、魔精を最大まで自分におびき寄せる。
 さぁ来なさい。私もろとも、一気に消してやるから。
 ミリアは息を吸った。

「……っやべ!ミリ………」
 叫んだアレンの声が、途中で消える。
 風に、かき消された。―――そう、一瞬で自分の横をすり抜けた、金色の風―――………

 そして。

 鍛錬所に、閃光が爆発した。


 魔族の五体が、吹き飛んでいる。
 中から溢れる緑色の液体が、もとは赤いはずだったと思うと、ミリアは無性にやるせない気持ちになった。
 が、逡巡そう考えたところで、ふと、我に返る。

 ………なぜ、自分は無事なのだろう?

 答えが出る前に、彼女の視界は、それを映した。

 輝かんばかりの金の髪。その下から覗く、端正な面立ちと、感情のない翠の双眼。
 いつのまにか彼女は、ラーグの大きな手に抱えられて魔物たちから離れたところにいた。
「轟魔(ガル)と……それに魔精か」
 やはり、と言った様子のラーグに、ミリアがうろたえる。
 それに気づいたラーグは、ぽいっとそのままの姿勢で彼女を落とした。
「あたっ!」
「現状はだいたい呑みこめた。――で、おまえは何をやっている?」
 謝罪もなしに訊ねられると、ミリアは腰をさすりながら、
「な…何をって―――皆を先に逃がして、そんで足止めを――ていうか、クラウド様はなんでここに!?」
「そして喰われそうになっていたのか?さっきの今で?」
「その前にケリぐらいつけるつもりだったんです!それから、私の質問、聞いてますか!?」
「不憫な脳味噌だな」
「きーてませんね……」
「自分もろともあいつらを吹き飛ばすつもりだったんだろうが、どの道無駄なことだ」
「?それってどーいう……」
 言い終わる前に、目の前で光が弾けた。
 魔物の放った攻撃を、ラーグが片手でいともたやすく防御したのだ。
「やはり足りんな」
「なにがですかっ!?」
 ひとりでズシズシ納得していくラーグに、ミリアが喚く。すると彼は、防御に使った壁を一陣の風に変え、周囲へ なぎ払った。
「数が、だ」
 晴らされた煙の向こう――――。
 そこには、およそ100は軽く越えた魔物たちがひしめき合っていた。
 ミリアが絶句する。と同時に、ぞっとした。
 あれだけの数の魔物を、1人で相手しようとしていたのか。自分は。
 と、突然背後からにゅぅっと黒い影が伸びる。
 赤黒い体に、生臭い臭い。全部で、3体。
「そん……っ。さっき倒したはず……」
 ミリアの困惑に、魔物は答えない。かわりに上から、ラーグの気のない声が投げられる。
「轟魔の分裂性能を考えてなかったのか。……本当におめでたい副長だな」
 言い返すことができず、ミリアがぐっと言葉を殺す。
 すると―――あるものに目が留まった。
 自分の纏った純白のマント―――そこを鮮やかに飾っていたのは、大量の血痕だった。
 ぎょっとしてラーグの方へ顔を向けると、彼の両腕はまたしても鮮血に濡れていた。それも今度は、肘から下。 ミリアを引き剥がし魔物を砕いたとき、受けた傷に違いない。
「―――クラウド様手が……!」
「同じことを何度も言わせるな。それとも、お前の頭に詰まっているのは単なるスポンジか?」
 この期に及んで、いまだに涼しい顔で皮肉を言ってくる。
 ともあれ、このまま口論してても始まらないことは確かだった。ミリアは、剣を構える。
「……どうしますか?倒しても倒してもいちいち分裂されちゃ、キリがないですよ」
「だから、同じことを何度も言わせるなと言った」
 今度は言われたことが理解できず、ミリアは怪訝顔を返した。
 ラーグは彼女には一瞥もくれず、魔物に視線をやったまま、口元を軽く笑みの形に歪める。
 ぞっとするような―――捕食者の目だった。
「…一瞬で、消してやる」

【第1章】神父と騎士 -a father and a knight- 4

2016.05.12 21:42|クロスマテリア
 模擬鍛錬が終わったとき、時刻は17時をまたいだところだった。
 この時期ともなるとすでに夕焼けは赤々と木々を染め上げ、涼しい空気が頬を撫でる。
 解散のあと、自分が吹っ飛ばした芝生にだけ回復魔法をかけ、ミリアは帰路についた。


 いったん自分の寮に戻って夕餉の材料を持ったあと、彼女の足はラーグのもとへと歩む。
 慣れた道とはいえ、複雑に入り組んだ建物の間を何度も通り抜けるとさすがに時間がかかる。4つめの通路を抜けたところで、 ミリアは見慣れた人影に出くわした。
「アレン?」
「おぅ、ミリア。鍛錬おつかれさん☆」
 相変わらず飄々とした仕草で、アレンが眼鏡ごしににんと笑む。
 手ぶらでブラブラと歩く様子に、ミリアが小首を傾げた。
「どっか行くの?」
「いんや~?昼はずっと机にかじりついてたから、ちょっくら息抜き。ついでに査察もしとこうと思ってナ~」
 適当に答える少年に、ミリアも同じく適当に「ふーん」と頷いた。
 彼の言う「査察」が、――教会内部の裏から渦巻く派閥争いのスパイ的役割に近いことを、目の前の純粋な少女は知らない。 それを分かったうえで、アレンは軽い態度でへらへらと笑う。
 そして次に、ほんの少し声を落とした。
「なーんか最近、教会ん中に違和感みたいなの感じんだよなぁ。重い何かが増えてくるっつーか……ミリア、分かるか?」
「ごめん。あたしここんトコずっと気が重かったから分かんない」
「……ああ、そーデスネ」
 きっぱり断言するミリアに、アレンは気のない声で返した。続いて、彼女の抱える荷物に目を留める。
「んで?おまえは何しに行くつもりなんだ?そんな荷物抱えてさ」
「?何って……クラウド様のとこに決まってんじゃん」
 眉を寄せて答えるミリア。
 しかしそれよりも驚いた顔をしたのは、アレンのほうだった。
「今日は神礼院(しんれいいん)の一斉会議の日だろ?あの神父さんも出席してるはずだけど…」
 直後。微妙な間を置いて、ミリアが「………へ?」と頼りなく呟く。
 神礼院の会議は、月に一度、教会全体の取り決めを決定する重要会議として開催される。だが彼はそんなこと一言も――
「言ってなかったのか?」
 こっくりと首を折る少女に、アレンは呆れた仕草で頭を掻いた。
「午後は特に用はないって言ってたのに……」
「気ィ使ったんじゃねーの?おまえが心置きなくウサ晴らしできるように」
 知ってたのか……というツッコミはとりあえず置いといて、ミリアは目を丸くした。
 気を使う?あの神父が?自分に?
 イロイロな疑問符は浮かんできたが、アレンの質問がそれを阻む。
「んーで、どーすんだ?ソレ」
 指差した先には、食物の詰まった布袋。ミリアはしばし考え。
「この際このまま行って、夕飯作っとくよ」
 そう言って笑い、彼女は小走りで緑溢れる通路を走っていった。
 ほんとは昔の経験を活かして、2、3なにか奇異なものを料理にブレンドしてやろうと思っていたが、今回は諦めるとしよう。 ……セロリだけは、きっちり入れてきたが。

+++

 しかし、ラーグの自宅に着いたミリアが見たものは、ちょっとなんかやっぱりというか、目を疑う光景だった。
 根本的にモノがないリビングと、あまり座り心地がいいとは言えなさそうなひとつの椅子。
 そして、その上で本を広げているのは――――昼とまったく変わらぬ、金の髪。
 玄関先でいつまでも突っ立ているミリアに、さきに口を開いたのは彼だった。
「無断侵入。これで二度目だな」
「………会議はどうしたんですか?」
 相手が喋ったことで現実味が湧いてきたのか、ミリアは抑揚のない声で問いかけていた。
 神礼院で決議される内容は非常に多い。こんなに早くに終わるなど、有り得ないことだ。
 書物を読む手を止めないまま、ラーグはしれっと言い放つ。
「くだらん。面倒だ。どうでもいい」
「全部同じイミですっ!」
 喚き声に、ラーグは不機嫌な視線を上げた。…もしかしたら。コレが地なのかもしれない。
「やかましい。どうしようが、俺の勝手だ」
「無責任にもほどがあります!第一、決定事項を知らないで仕事ができるんですかっ?」
「『与言者(ペオース)』にも知人はいる。問題ない」
 『与言者』とは、聴報院の最高官に属する者の呼称だ。法律、決議、内政すべての事情を把握する権限と引き換えに、 決して嘘をつけないという『誓約』を立てている。原則として3人いるらしいが、ミリアはそのいずれにも面識がない。
 まぁ要するに――その『与言者』から決議内容だけ横流ししている、ということになる。

 ――――ぷちり。

 ミリアがぶちきれた。
「いい加減にしてください!!!なんなんですか!貴方それでも神父ですかっ!ああもう、腐ってもなんとやらは本当ですね…… 情けない。階級の違いはあっても、同じ聖職者として私はおおいに情けないです……!!」
「憐れなやつだな」
「貴方のことですよこのロクデナ神父!」
「お前こそ、その口調や行動は女としてどうかと思うが」
「んなこた分かってますよ!どーせガサツで男より強い剣技だけが売りに売れない売りなだけの修道女ですよ!ふんだっ」
 よく分からない買い言葉をほざき、ぷっくりと膨れるミリア。
 が、神父はそちらをじっと見つめると、ふいに、小さく息を吐いた。
「……勿体無いな」
「――はへ?」
 いつの間に移動していたのか――自分の目の前まで来ていたラーグの、思いのほか低い声に。ミリアは思わずたじろいだ。 こうして見て、彼が長身であったことに今さらながら気づく。
 そして見上げた瞬間、澄んだ翠の瞳と正面からぶつかって。一際鼓動を速めたのを最後に、ミリアはその場で固まった。
「素材自体は、悪くないはずなんだが」
 深い深い翠の瞳に、自分の姿が映されるのを見つめ。
 だんだん熱を帯びてくる彼女の頬の横へ、ラーグの冷たい手が伸び。
 長い指が髪に通され、ラーグの吐息が額にかかる。ミリアの背筋に電流が走る。―――と、そのとき。


  「ギヂィ…ッッ!?!」
 突然彼の腕がスピードをまとったと思うと、ミリアの背後で不気味な悲鳴があがった。
 驚いて振り返ると、そこには伸ばされたラーグの腕と――その中で無慈悲に拘束される、小さな黒い物体。
「…魔精(ボガート)…………!?」
 引きつった声を出し、ミリアはその場から飛びのいた。
 魔精―――コウモリと似た肉体を持ち魔気を放つ、れっきとした魔物である。それ自体の攻撃力は微々たるものだが………
 恐ろしいのは、その特性。
 精一杯逃れようとするボガートを片手で捉え、ラーグは忽々とした声色で言葉を紡ぐ。
「…『第三級神罰執行、汝、白き焔にて朽ち果てん』」
 同時に腕から放たれる、太陽光にも似た閃光。その中で、黒き小さな命はあっけなく焼き尽くされた。
 唖然とするミリアに、ラーグはさっきまでよりさらに怒りを交えた顔を向けた。
「ボガートは『怒り』や『悲しみ』――負の感情に寄生し宿主の肉体を奪う」
「っし、知ってますそれくらい……っ」
「だったらプラプラ餌を撒くな。もう少しで、お前に食いつくところだったぞ」
 誰のせいで餌が出来ているのか――そう言いたい衝動をこらえ、視線を落としたミリアだが。
「……っ…その手!」
 見ると、彼の右手は手首から先が真っ赤に濡れていた。皮がめくれ、皮膚は焦げ、むきだしとなった肉の一部がぶくぶくと 気味の悪い泡を吹いている。ハッキリ言って激痛のはずだ。
 だがラーグはそれでも平然とした顔つきのまま。
「素手で魔物に触った上、聖気を使ったからな。舐めとけば治る」
「んなワケないでしょう!…ホラ、ちょっと貸してください!」
 笑えないセリフを吐くラーグの手を、ミリアは乱暴な口振りで言い――優しい仕草でそっと触れた。
 すると、突如彼の腕がぼぅっと鈍く輝く。
 ――いや。正確には、触れられたミリアの腕を通して彼の傷口に光が流れ込んできていると言うのが正しいだろう。
 見る間に回復してゆく右手を見つめ、ラーグの面に初めて驚きらしい感情が浮かんだ。
「…お前、『復元(ノア)』ができるのか」
「これでも一応、聖気の容量だけは多いみたいですからね」
「教会の中でも、非常に希少な存在だ………」
「どーも」
 純粋に感心されていることに気づかないまま、ミリアはそっけない返事を返した。
 自分の聖気を直接相手の治癒に回す『復元』は、『純潔の聖女』――さらにその中でも、最も澄んだ心を持った者のみが神から授けられるとされる力である。 故に彼女らは、『見初められた者』の称号を与えられるのだ。ただし、並々ならぬ聖気を持った者でなければまず不可能だが。
 同時進行で、ミリアはラーグの使った力について頭を巡らせていた。
 聖魔導―――神の力を借りた魔法である。
 それを扱える者は賢老院から大神官クラスで、しかも特定の『儀式』を経て神から認められた者と限られている。
 故に彼らは、俗に『祝福された者』と称されていた。
 まぁぶっちゃけ――このロクデナ神父も、『祝福されている』のだ。…ひっじょーに納得いかないが。

 『復元』を終えると、ミリアは「ふー」と一息ついた。
 ラーグはしばし無言で回復した右手を眺めると、小さく、一言。
「…とんだ聖女もいたものだな」
「なんか、全身全霊で言い返したいことがいくつかある気がしますけど……でも、さっきは助けてくれてありがとうございました」
 始めだけ拗ねたものの、ミリアは素直に頭を下げた。
 一度魔物化してしまっては、元に戻せる可能性は極めて低い。そこを救われた上、傷だらけになってまで自分を助けてくれたのだ。
 が。
「魔精本体を殺るのと変貌した魔物を殺るのでは、面倒がだいぶと違うからな」
 淡々と述べる目の前の男に、ミリアは「え」と顔を上げ。
「雑魚のうちに片付けられたおかげで、余計な聖気の消費が免れた」
「………。あの…それって……じゃあのとき、もしも手遅れであたしが魔物化していたら……」
「心配はいらん。そのときは一瞬で消してやる。少々手間はかかるが」
「………………」
 ミリアはしばらく黙ったあと、聖女にふさわしいまでの微笑みを送り……
 くわっ!と両手を振り上げた。
「こンの鬼畜外道神父――――――――!!!」
「光栄だな。ロクデナシは卒業か」
 真っ直ぐ自分に向けられた拳をひらりとかわし、ラーグは左手でミリアの右手を軽く受ける。
 手の甲にラーグの体温を感じ、ミリアの顔が一気に紅潮した。
 そういえば、と、ラーグが空いた右手を顎に添える。
「あんな決まり文句であっさり怒気を引っ込める単純さも、珍しいと言えば珍しいか……」
「わきゃあぁ!?」
「うるさい」
 そうこう一方的な攻防を繰り返す2人だったが――――刹那。
 ずン。と鈍い地鳴りのような感覚が全身を貫いて。双方の動きがぴたりと止まる。
 それを、単なる「違和感」としか感じなかったのはほんの一瞬で。
 次に理解したとき、窓の外から誰かの悲鳴がきこえた。

「魔族が……魔族が出たぞ―――!!!」 

【第1章】神父と騎士 -a father and a knight- 3

2016.05.12 21:34|クロスマテリア
 聴報院本殿の一角―――
 広大な広さを持つ資料室。
 そのさらに奥の見聞室で、アレンは暇そうに雑務のカルテを流し読みしていた。
 難しい用語や数字がつらつら並んでいる――本当はけっこう重要な書類たちだったりするのだが――紙面を、 彼はどーでもいいことのようにポイと放り出しては、次のカルテに手を伸ばしてあくびする。

 と、そこへ、トントンと軽いノックが聞こえた。
「ん~、どーぞ~?」
 視線を落としたまま答えると、ひとりの青年が入ってくる。
 柔らかな物腰で扉を開けると、彼のアッシュ・ブロンドの髪と腰に携えられた剣が隙間からのぞいた。
「聖堂騎士団(ラウストウィア)第二小隊員、ウィル=モカビリーです。失礼ですがアレンさん、副長をご存知ありませんか?」
 丁寧な口調で訊ねる若者に、アレンは「あ~…」と後ろ頭を掻いた。
 聖堂騎士団――おそらく、鍛錬所に来ないミリアを探しているのだろう。
「ミリアは、ちょっと、今、精神的試練を、まぁ、要するに、手が、離せなくて、だな……」
 アレンは説明にとまどり、所々不自然に区切りながら冷や汗を流す。
 頭に疑問符を浮かべるウィルに、ひきつった苦笑いを返した。



+++++++



 ミリアの不機嫌は、MAXを突破していた。
 そうなって初めて気づく。人間というのは、度を越えてイライラしたとき、空しさしか残らないのだということを。
 これがもし、夢や幻や、なんなら被害妄想であってもいい。
 現実であるよりははるかにマシだった。
「不味い」
 向かいの席で、その不機嫌の根源たる相手が、うっそうと呟いた。
「だったら食べなくても結構ですが」
 が、少女の口調も負けず劣らず刺々しいものがあった。
 そこからは2人して黙り込んだまま、静かな室内には食器のこすれあうカチャカチャという音だけが異様に響く。
 ……暗黙にして暗黒のオーラがひしひしと伝わってくる。
 まったく………
 ミリアは頭を掻きむしりたい心地がした。
 なんであたしがこんなロクデナ神父の世話しなきゃなんないわけよ!?


 ミリアがぶっすりとした表情のままラーグの自室にやって来たのは、2、3時間ほど前の話。
 ノックしても無言だったので戸を開けると、彼は椅子に腰掛け本を読んでいるところだった。 くわえられた煙草の匂いが嫌に鼻をつついたが、どんな無法者でも相手は上官。ぐっとこらえて、肩を下ろす。
 何から言うべきか分からず、とりあえずミリアは妥当な線で行く。
「…失礼します」
「誰が入っていいと言った」
 器用に煙草をくわえたまま、間髪入れず返ってきたのは、なんとそんな言葉。ラーグの目は、いまだに本の中身に落とされている。
 ミリアは「はぁ!?」と顔をしかめた。
「な…っ…ちゃんとノックしましたよ!?」
「知っている。だが入れとは言ってない」
「意味が分かりません!」
「ならいい。……いつまでそこにいる。鬱陶しい」
 ミリアは、思わず持っていた荷物を放り投げそうになった。
 これが、2人がまともに交わした初めての会話である。

 17ともなれば、たいてい身の回りのことはできる。
 が、しかし。誰かの世話をするとなるとこれはミリアにとって初めての経験だった。とりあえず正午に近かったので食事を 作ることにしたわけで。特に希望のメニューがなかったので、ある材料で適当に済ませ、今に至る。

「だいたい、不味い不味い言うんなら残せばいいだけの話じゃないですか」
 食後片付けを始めたミリアは、背中越しにぶちぶち文句を垂れ流す。
 実はこっそり料理のウデには自信があったためか、言葉の端々にトゲがありそうだ。昔はいろんな材料をぽんぽん 放り込むのが楽しくて、3、4回アレンを医務館送りにしたことがあるが………たいして問題はない。
 人間は、失敗を糧としてまたひとつ、大きくなっていくのだ。
 だが、背後の男からは何の返事も返ってこなくて。
 振り返ると、ラーグは黙々と本の続きを読んでいるところだった。
 怪訝顔のあとに肩をすくめるミリア。ぼそりと、小さく小さく愚痴る。
「どーせ聞こえてないか…」
「聞こえてはいるが無視しているだけだ。安心しろ」

 く わっち―――ん。

 ミリアの手が止まった。
 どうしてこうこの男は、言うこと言うこと神経逆撫でさせるばかりなのだろう。
 短気な自分の忍耐力に拍手を送りたいくらいだ。自分、万歳。
 だがそれも限界に近づいているようで…………いかん頑張れミリア。我慢だ。
 我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢………
 ………よし、我慢成功。
「なら、お言葉どおり安心してお話できますね。他に何か要望はありますか?」
 凛と胸を張ったミリアと、紙面から目線を上げたラーグの視界が交わる。
 いまだにこの吸い込まれるような翠の瞳に見つめられると、どきりとしてしまう自分が嘆かわしい。
 ラーグは指をしおり代わりに本を閉じた。
「…今日はたしか、聖堂騎士団の鍛錬日じゃなかったか」
「はへ?…て、あぁっ!?」
 出し抜けに言われて、ミリアは初めて騎士団の皆に一言も告げずにラーグのもとへ来てしまっていたことを思い出す。 というか、鍛錬日自体を………すっかり忘れていた。
 パクパクと口を開いたり閉じたりしているミリアへ、ラーグは無表情のまま、
「片付けは終わったのか?」
「え?は、はい……」
「なら、もういい。 夕餉 ゆうげ まで特に用はない」
「?あの…?」
「帰っていいぞ」
 そうとだけ言うと、ラーグは再び本を開いた。
 鍛錬所へ行ってきていい。そう言っているのだ。
 ミリアは一瞬両目を瞬かせるも―――すでに、鍛錬開始時刻から1時間もオーバーしているのに気づき。
「あ、ありがとうございます!終わったらすぐに戻りますのでっ」
 ぺこりとおじぎした後、白マントを羽織って玄関へと向かう。
 驚いた。あのロクデナ神父が、自分を気遣ってくれるなんて。
 単純と言えば単純だが、ミリアはなかなかに悪くない気持ちでブーツを履き――その背に、ラーグの声が降りかかった。
「おい」
「はい?」
 肩越しに振り返ると、ラーグは思い出したように言った。

「俺は明日発つが、ちゃんと中身は揃えてこい。あと、振り落とされるなよ。落ちても拾う気はないからな」



+++++++



「あたしは年季の入ったカバンか――――――――ッッ!!!」

 鍛錬所に、ミリアの絶叫が響いた。

 聖堂騎士団のほとんどは、武帝院(ぶていいん)の寮に住んでいる。そこは教会の南側に位置し、各院でも随一の壮大さを誇っていた。
 中庭と開放廊を隔てた先に広がる芝生の大地――ふだんは彼らの鍛錬所として使われている場所だ。
 そこへは今、たくさんの男たちが寄ってたかって己の武器をこすりあわせていた。
 年齢層は非常にランダムで、20前後の若者から50は越えているだろう年配者まで。
 「せい!」「やあ!」「とう!」とか、カッチョイイ声を上げて相手に踊りかかっては、全身をたくみに操って模擬戦を 続けている。細身もちらほらと見受けられるが――わりと筋肉の目立つおっちゃんの方が多いようだ。
 そんな中で、一際目立つ小柄な白マント。

 およそ不釣合いなほどの巨剣を操るミリアに、相手は徐々に押され、ぎぢり、と刃と刃が震えあい―――
 どうにか無理矢理腕力で弾く。が、ミリアはまるで羽のように体を宙空にふわりと乗せて一撃を避けると、 相手の刃を軸代わりにして背後へと気配を移し。
 剣では間に合わないと踏んだ男が、空いた片手に閃光を宿すのと、ミリアの剣が輝くのはほぼ同時で――

 直後。

 凄まじい爆発音が、鍛錬所の空気をかき消した。

 他の全員が唖然と視線を注ぐ先。爆煙の中から最初に飛び出したのは、男のほう。
「うっへぇ!参った、参りましたってば副長!勘弁してくださいよ~」
 頬や衣服に軽い傷はついているものの、あれだけの爆発を受けたわりには軽すぎる軽傷だ。  おそらく、男が集めた光の珠は、防御を目的としたものだったのだろう。疲れきったようにへたりと座り込むと、焦げた 芝生を踏みしめて、彼よりも頭1つ分ほど小さい少女が剣を下ろす。
 汚れひとつついていない衣服を翻し、ミリアは、口をへの字に折り曲げたままむっつりと言い放った。
「……腰が高い。振りが甘い。反応はいいほうだけど気が散ってる以上っ!」
 だんだん語尾に力を入れながら言われ、男が申し訳程度に苦笑いした。
「次っ!!!」
 あからさまに不機嫌なオーラを放つミリアから、騎士たちはなるべく不自然でなく視線を逸らそうとする。
 返答したのは、さきほど相手をしたばかりの男だった。
「つっても副長……もうこれで5小隊長全員とやってますよ?」
「なんならまとめて来てもいいわよ」
「………。アレでそう出来るなら、やってあげたいんスがね」
 言って、ちろりと芝生の端っこへ目をやる男。そこでは4人の小隊長が、頭上に星をちりばめてうんうん唸っていた。
 今やったこの第1小隊長は、たまたま最後に相手をしたから、ミリアの爆発した怒りを正面から食らわずに済んだだけの話だ。
 ミリアは1度それらを見つめ――はぁ、とため息を零す。
 すると次の瞬間、彼女の握っていた剣が蛍色の光を帯びたかと思うと、そのままほどけ、光の糸となって虚空に消えた。
 無言で文字通りどしどしと去っていく背中を見て、小隊長は、
「どこいくんスか?」
「ちょっと休憩。みんなも適当に休んでいいよ」
 相変わらず陰鬱とした空気を巻いてはいたが、鍛錬所に現れたときの修羅とも似た様子に比べれば、ずいぶんと落ち着いている。
 他の騎士たちもほっと胸を撫で下ろし、パラパラと散らばった。


 武帝院内へと続く階段に腰掛けた今でも、ミリアのイライラは収まっていなかった。
 あのロクデナ神父、完全に自分を馬鹿にしている。
 なんなのだ、くそぅ。自分だって、なんでもない風を装いながら、セロリを食べるときは目立たないようにこっそり眉を寄せていたくせに。気づいてるんだぞ、実は。
 ぶつぶつ脳内で愚痴りながら、彼女は気のない目で部下たちの鍛錬を見ていた。
 そしてふいに、頭を掻きむしる。
「――にしても、なぁんで今日に限って団長がいないのよ!?」
 ミリアが抜きん出ているのなら、団長はまさに化け物並みだった。
 彼女が本気で相手を出来る数少ない相手だ。そうなれば、このうっぷんも発散できようものを………
 運悪いことに、現在里帰り中である。娘の3歳の誕生日だとか。……結構なパパぶりだ。
 と。
「どうかしたんですか、副長?今日はまたずいぶん荒れてますね」
 横から降ってくる、穏やかな声。
 瞳に移ったアッシュ・ブロンドの髪に、ミリアは死んだ魚のような目を向けた。
「ウィル……聞いてよ。なんであたしがあんなロクデナ神父に……くそぅ。見てなさいよ。今夜の夕餉はあーしてこーして……」
「副長副長。ちゃんと聞いてますから、安心して話してください」
 そう言って笑う青年に、ミリアは涙声で説明するのだった。

「なるほど」
 一通り聞いて、ウィルが静かに頷く。
 ミリアが話しているあいだ、彼は所々であいずちを入れたり、頷いたり、また真剣に聞いてくれたりした。 こういうとき、聞き上手だな、と思う。おかげで話す前よりだいぶ気が楽になった。
「アレンさんが言っていた『精神的試練』とは、このことだったんですね」
「アレンが?」
 ウィルはこくりと頷き。
「副長の所在を尋ねに伺ったんです」
 言われて、ミリアはあっと声をあげた。
「ご…ごめん。副長のあたしが1時間もすっぽかしちゃって……」
「いえそんな。事情が事情ですしね。精神的な」
「……精神的精神的ゆーな。ほんとに胃にきてんだから」
 げんなりと項垂れるミリアの横で、ウィルがくつくつと控えめに笑う。軽く濡らす程度にかいた汗が、彼の髪から滴 となって膝へ落ちた。この同志と話すのが、ミリアは好きだった。彼女のまっすぐな感情をいつだって受け止めてくれる。 あの神父と取り替えたいくらいだ。世界のために。
「にしても、ウィルも上達したね~。もう小隊長ぐらいなれるんじゃない?」
「副長にそう言ってもらえるとは光栄な。いいですね。ここらでひとつ、第六小隊でも作ってみますか」
「そしたらまたあたしのウサ晴らし担当かな」
「ええ!?それは……団長だけでお願いしますよ…」
 そう言って、2人はまた和やかに笑った。  

【第1章】神父と騎士 -a father and a knight- 2

2016.05.12 21:28|クロスマテリア
 思えば、これは奇異なことだった。
 聖導騎士団とは、「平和と秩序」を掲げる教会で最強の戦力であり、また法律で定められた唯一の対魔団体である。
 ほとんどが教会や人々の暮らしを脅かす妖魔などの討伐にあたり、故に一人が離れて出張なんてことは今までなかった。 それも、副長である自分が。
 時刻は朝。
 木陰の満ちる通路を歩きながら、ミリアは考え――ふと、隣へと視線を移す。
「……ところで、なんでアレンまでさもとーぜんの如くついてくるワケ?」
「あっれ~?俺がいたら不都合でも?」
「呼ばれたのはあたしじゃない」
 ぶっすりと、ミリアの口が尖る。
「いやあ、 聴報院 ちょうほういん はワリと暇でな~。それに…」
「それに?」
 もったいぶるアレンの態度に、ミリアは繰り返し。
 少年は人懐っこい笑顔でにんと笑むと。
「なんかオモシロそーじゃん☆」
 ミリアは耳にタコとイカができるくらいに聞き飽きた理由に、いつもと同じく肩を落とした。
 聴報院とは、情報収集・視察を主な仕事とした、いわゆる教会全体のデータベースである。 外部はもちろん、内部の事情をも把握しているため、あまり行動に規制がかけられない。基本的に、自由きままなのだ。

 建物を3つほど抜け、庭園のいくつかを横切った先に―――相手は、立っていた。
 ところどころに白髪が入った、ブラウンの髪。優しさをたたえた瞳が、ミリアとアレンの姿を捉えた。高位の司祭者の証である、 純白のローブに身をつつむ彼の、軽く皺の刻まれた口元が、笑みの形に動く。
 ミリアたちは側に寄るや、深々と頭を下げた。
「おはようございます。クライル大神官様」
 言って、2人は胸元に下げた銀の十字架を小さく掲げた。
 クライルも十字架を上げて挨拶する。彼の十字架は、金の輝きを放っていた。
「おはよう、ミリア。突然呼び出して、すまなかったね」
 いいえ、とミリアは小さく首を振る。そして、次にクライルはアレンに向き直った。
「そちらは、ええと……」
「聴報院二期生、アレン=ジェノスです。お目にかかれて光栄です、クライル様」
 先ほどまでの子供っぽい表情などカケラもない。
 クライルは少し記憶を反芻したあと、もう1度微笑んだ。
「聴報院の………そうか、君たちは修練学校(アカデミー)で同期だったそうだね」
「「はい」」
「よく聞いているよ。とても仲がいいそうな」
「「いいえ。腐れ縁です」」
 ミリアはどこか鬱陶しそうに、アレンはどこか楽しげに、2人の声はハモった。いくら大神官相手でも、これだけは譲れない。
 当時のアカデミーにおいて、ミリアとアレンのコンビを知らない者はいなかった。魔導学、物理干渉、実技、すべての分野に おいて、2人は5年連続で首席・次席を独占した快挙の持ち主だった。決まって学問ではアレンが首席でミリアが次席。戦闘では ミリアが首席でアレンが次席である。
 まあ自然の摂理にともなって、ひんしゅくのようなものを買うことは少なくなかったが………
 大抵10倍返しでリターンしてくるので、問題はなかっただろう。
 ミリアは肉体的な、そしてアレンは精神的な報復方法で。

 話を戻そう。

 クライルに導かれるがままに、ミリアとアレンは庭園を奥へと進んでいた。
 見慣れた道から、あまり通らない道へ、そして最後にはまったく知らない場所へと景色が移る。
「ねえ、アレン」
「ほいほい?」
 小声で話すと、アレンの返事はあっけらかんとしたものだった。それでも小声で返してくれたのが、どこかほっとした。
「ここ、知ってる?」
「…えーと…ミリアさん?俺これでも聴報院だし。知ってるは知ってんだが……」
 そこで、アレンの声が曇ったことには気づかず、ミリアは次の質問をした。
「にしても、ラーグ=クラウド神父様なんて聞いたこともないよ。一体誰なの?」
 すると、今度はアレンが困ったように腕を組んだ。
「う~ん、つってもナ~……実は俺も見たことねぇんだよ」
「アレンが?」
 ミリアは思わず声を上げそうになった。
 聴報院の彼が知らないとは驚きである。
「経歴の一部なら知ってんだぜ?修練学校は通わないで、一気に5年分飛び級したんだそうだ。 んで、名門ネイザン大学に入ったその年に博士号取って卒業。その後神父の職についたんだとさ。 生まれも歳も一切ナゾだけど、結構若いって噂だ。――ってあれ?ミリア?」
 見ると、ミリアが文字通りぽかんと口を開けて固まっていた。
 異例というよりはむしろ鬼のような記録である。こんなものの前では、ミリアとアレンの成した快挙など塵に等しい。
「し…知らなかった……そんなスゴイ人が、どーしておおっぴらになんないワケ!?」
「これは聴報院以外にゃ話しちゃならんことになってんのさ」
「…?今言ったじゃん」
「あ。やべ」
「口止め料」
 しれっと片手を広げるミリアに、アレンはしぶしぶとついさっき頂いたばかりの温泉券を差し出した。
 ミリアは、しばし無言でそれら2枚を凝視し―――
 ぽいと、放り投げるようにうち1枚をアレンの手に戻した。アレンが目をぱちくりする。
「しょーがないから、1枚で勘弁してあげる」
 すました顔で言うミリア。すると、ふいにその頭にアレンの手が乗せられ、ごしごしと乱暴になでられた。
「あいだあいだであいだでででで…っ!?」
「やっぱ、お前はいいヤツだよ」
「……はぁ?」
 痛々しく頭をさするミリアに、アレンは上機嫌な笑顔を向けた。

 そこへ、クライルの穏やかな声が降ってくる。
「つきましたよ」
 2人は視線を上げた。上げて、上げて―――クライルではなく、その後ろに立つ建造物を見上げ。
 たちまちミリアの顔が青ざめ、アレンが「やっぱり…」とため息を吐く。
 そこは、ミリアやアレンなどがどう逆立ちしたところで入ることを許されない、聖域だった。
「し…っ神聖堂(しんせいどう)ですか!?」
「ええ」
 明らかに裏がえったミリアの叫びにも動じず、クライルはにっこりと笑む。そして片手を巨大な扉に添えた。 特定の力あるものにしか反応しないその重い扉は、彼のそれだけであっさりと入り口を開放する。
「さあ、入って」
「え、あの……」
 さあ、とかゆわれても………
 ミリアの体がぎこちなく固まる。神聖堂は、ほんの有数の最高官たちでさえ決められた時以外は立ち入りを禁じられている ほどの領域なのだ。ミリアなど、場所すら知らなかった身である。
「大丈夫。神は君を祝福してくださいますよ。それにここでは、神父と話もできませんしね」
「神父様がこの中にいらっしゃるんですか!!?」
 クライルは、再びにっこり微笑んだ。イエス、ということだった。
 ミリアたちよりは高位にあれど、神父の地位はそれほど高くもない。そんな彼が、神聖堂に立ち入っているというのだ。 これほど驚いたことはない。だがその存在が、ミリアに踏み込む勇気をくれた。
 カッチンコッチンになりながら進むミリアの後ろで立ち止まっていたアレンを、クライルが呼ぶ。
「君もどうぞ、入りなさい」
「…へ?イヤ、でも俺は……」
「聴報院の君が入ることを、神は叱られたりしませんよ」
 それだけ言って、背を向けられた。それだけでアレンならどういうことか理解できると踏まれたのだ。
 つまり、ハンパな状態で帰るより、最後まで付き合い納得した上で黙っていろ。ということだ。
 ヤレヤレと、彼は眼鏡をかけなおした。



+++++++



 神聖堂のなかに、思ったほど特別なものはなくて。
 ただ無数の椅子と、正面には礼拝台がある。その壁面には、巨大な十字架のレリーフが刻み込まれていた。
 唯一他の礼拝堂と明らかに違うのは、室内を満たす、言いようのない不思議な力。
 暖かで、冷ややかで、自然に体内に流れ込んでくるほのかな命の息吹。そんな感じに似ている。
(これが、神聖堂…)
 まるで社会見学に来た子供のように、ミリアはしきりにうわぁうわぁと感動している。それを見るアレンは、 少し呆れていた。
「おーおーはしゃいじゃってまぁ」
「…うっさいわね。ほら、クライル様行っちゃうよ」
 見ると、クライルはすでに席の最前列近くまで来ていた。
 しかし妙だ。肝心の神父は、いったい何処にいるんだろう?
 そう思いつつ近寄るミリアの耳に、クライルの声が届く。
「ほら、起きなさい。いつまでそうしているつもりですか?」
 だが、言われたのは自分でもアレンでもなくて。
――――――ん?
 ミリアの眉間に皺が寄った。クライルは、最前列の席の前で腰を折り、誰かに話しかけている。
「今朝がた話した騎士を連れてきました。ラーグ、挨拶なさい」
――――――んん?
 ミリアの頬に汗がつたうとほぼ同時――最前列の椅子の陰で、もぞりと何かが起き上がった。


 最初に飛び込んできたのは、輝く金色の髪。
 目をこらさないと目立たない程度に混ざった銀髪とあわさり、漆黒の法衣によく映えていた。続いて振り返られた面立ちは 美しいほどに整っていて。 おそらく年かさは22ほどだろうか――精悍にして勇猛な青年である。。翠の瞳と紫の瞳が混じったとき、思わず心臓が跳ね上がった。
 ―――……神だ。
 脳裏に最初に浮かんだのは、そんな言葉だった。が、それも一瞬に終わる。
 どこか勇ましさを漂わせる黒い法衣は皺くちゃで、襟元はだらしなく開け放たれている。きりりと整った顔立ちからは 鋭い眼光が覗き、あからさまに不機嫌丸出しだった。たぶん、寝起きで最悪な気分なのだろうが。
 神々しさに目を奪われたミリアが落胆しきるには、十分なシチュエーションだった。
 あんぐりと口を開けたまま固まるミリアと、その後ろで「ありゃまー……」となんか微妙な反応を零すアレン。
 だが彼――ラーグにはそのどちらも見えていないようで。
「…うるさい、クライル。早朝から叩き起こされて、俺は壮絶に気分が悪い。寝かせろ」
「それは、こちらの騎士を納得させてからにしてもらえるかな?」
 言うと同時にまた横になりかけたラーグが、クライルの言葉にぴくりと動きを止める。そして背後で「信じられない」とでも 言いたげな顔のまま声を失っているミリアのほうへ顔を向け、一言。
「こいつか?」
 親指で指された先には―――アレンが立っていた。
 途端に、ミリアはさらに石化しアレンは出し抜けにぶっ!と吹き出し、クライルは困ったように頭を項垂れる。
「……っくく…ち、違いますよ。俺じゃなくって、そ……っそっちの……」
 なんとか搾り出して訂正するアレン。その指差すほうへ視線を移動させ―――
 ラーグの不機嫌な眉間に、さらに皺が寄せられる。
「……………コレか?」
「コレってなんですか!?」
 ついに叫び出したミリアに、アレンはもう限界と言わんばかりに腹をかかえて爆笑した。
 ラーグはもう1度ミリアを凝視し、ため息を吐きながら身を起こす。くたびれた衣服が、さらによれっとなった。呆れた 眼差しで、眼前のクライルを見る。
「…いいかクライル。確かに俺は《レガイア》を探すとは言った。だが付き人に関しては断ったはずだ。そんなもの必要ない。 いらん世話だ」
 途端に、ミリアの全身にかっと血がのぼる。それを敏感に感じ取ったアレンも、さすがに笑うのを止めた。
「君がなんと言おうとね。分かっているだろう?最高審議会の決断はくつがえせないのだよ」
 穏やかに諭すクライルだったが、ラーグはその一字一句を丁寧に無視しながら側のマントを肩にかけ、
「いらんと言った。だいたい、こんな奴に自分の背中を任せられるか」
 瞬間、爆発したのはミリアだった。
「な、なぜですか!私……私が女だから頼りないとでも!?」
 去っていこうとする神父の背に怒りを叩きつけ、ミリアは両拳をガタガタ震わせる。
 アレンは、「あっちゃ~…」と頭を叩いた。ミリアは昔から、女だからと馬鹿にされるのが一番嫌いなのだ。

 だが神父はそれに驚くどころかむしろ彼女を真正面から睨みすえる。それも、抜き身の殺気まで放って。
「カン違いするな。そっちの眼鏡がそうだとしても、俺はお断りだ」
「それでも、相手のことを知りもしないで決めつけるのはどうかと思います!今だって…相手は大神官様ですよ!? しかも最高審議会の意に逆らうなんて……神を冒涜していますっ!」
 普通の人間ならそれだけで尻ごみして退散しているだろう。
 だがミリアの怒りと度胸は、そんなもんじゃ揺るがない。むしろ反撃する勢いだ。
 のき連ねるように吐き出した言葉たちは、しかし偽りではなかった。
 神父と大神官の階級の差は、3つ4つ程度である。だがその3つ4つの差が異様に大きいのだ。学級代表と校長の差を 考えてくれたらいいだろう。その大神官を呼び捨てにし、あまつタメ口を利くなど、信じられない行為だった。
 しかしラーグは、無表情のままミリアの呼吸が落ち着くのをしばらく待ち。
「…神聖堂でギャーギャー喚くな。『無礼者』」
 その、たった一言で。
 ミリアの頭の熱は急激に冷えていった。
 やかましさが沈黙したのを確認すると、神父はそのまま無言で扉の前へ立ち。
「出立は明日だ。来たいなら勝手にしろ。ただし、俺は一人で行く」
 重たく鈍い音がしてそれが閉ざされると、 ミリアは言いようのないやるせなさに苛まれた。
 『一人で行く』――つまり、自分はやはり「お荷物」扱いなのだ。
 クライルは頭を抱えてふぅ、と首を振ると、大理石の床に突っ伏する少女の肩にそっと手を置き。
「すまないね、ミリア。あんな子だが、どうか……」
「クライル様………私…とてもあの人についていく自信が持てそうもありません………」
「………まったくあの子は」


「って、あぁ!」
 ふと、思い出したようにアレンの声が張り上がる。
 彼の顔は驚きからみるみるうちに、バツが悪そうな表情に転換し。
 クライルに促されてようやく立ち上がれるまでに回復したミリアは、不思議そうに首をかしげた。
「どしたの?アレン」
「…悪いミリア。お前に伝える用件、もう1コあったんだわ………………に」
「え?なに?」
 掠れるような声が聞き取れず、ミリアは返した。
「だから…『及びミリア=イリスは、神父の出立そのときまで、彼の身の世話をするように』って……」


 言われた瞬間。
 ミリアは再びふらりと倒れた。
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